日本語のヤ行とワ行の空白部分について

ご存知のように、現代の日本語のヤ行にはya、yu、yoという音しかなく、ワ行にはwaという音しかありません。ワ行については、「を/ヲ」という文字は残っていますが、これらの文字が持っていたwoという音は消滅しています。他の行と見比べれば、ヤ行にyi、yeという音はなかったのか、ワ行にwi、wu、weという音はなかったのかと考えたくなります。

実は、ye、wi、weという音はありました。以下の左の三つはye、wi、weのひらがなで、右の三つはye、wi、weのカタカナです。

※カタカナの「エ」はもともとyeという音を表すためのカタカナでした。

ひらがなとカタカナができてすぐにeとyeの区別はなくなってしまいました。しかし、ひらがなとカタカナができる前はeとyeの区別があったのです。ひらがなとカタカナができる前は漢字だけで日本語を書き表していましたが、eには衣、愛、榎、荏などの漢字があてられ、yeには叡、延、兄、江などの漢字があてられるという具合に、区別されていました。

ye、wi、weがあったのなら、yiとwuはどうでしょうか。文字として書き残された日本語を見る限り、iのほかにyiがあった、uのほかにwuがあったという直接的な証拠は見当たりません。しかし、文字を得る前の日本語には、yiとwuはあったと思われます。

奈良時代の日本語には、ine、ina-(稲)とyone、yona-(米)という語がありました。大雑把に言えば、ine(稲)は植物で、yone(米)はその食用部分です。昔の日本語が盛んに母音を交替させることによって類義語・関連語を生み出していたことを考慮すれば、ine、ina-(稲)の古形は*yina、そしてyone、yona-(米)の古形は*yonaで、*yinaと*yonaがペアになっていたと考えるのが自然です。

奈良時代のぎこちないine、ina-(稲)とyone、yona-(米)が、*yinaと*yonaだったと考えるとすっきりするように、奈良時代のぎこちないkuyu(悔ゆ)とkui(悔い)(動詞の未然形、連用形、命令形に現れるとともに、名詞としても働く)も、kuyuと*kuyiだったと考えるとすっきりします。

きれいな上二段活用です。古代日本語が母音の連続を極度に嫌っていたことは確かであり、もともと上のようになっていたと考えるのは理にかなっています(kuyu(悔ゆ)、kuyasi(悔し)、kuyokuyo(くよくよ)などの語根kuy-は、古代中国語のxwoj(悔)フオイから来たものでしょう)。

※iとyiはどう違うのかと思われるかもしれません。iは、発音する時に舌が口の中の上側に接近します。しかし、舌先は持ち上がっていないのです。yaと発音してみてください。舌先が持ち上がっているはずです。yaと発音するつもりで舌先を持ち上げて、舌先をそこから落とさずにiと発音すると、yiになります。要するに、iとyiの違いは、舌先が持ち上がっていないか持ち上がっているかというところにあるのです。英語のear(耳)とyear(年)の違いもこれです。

ye、wi、weに加えて、yiもあったとなると、wuが存在しないのは不自然です。奈良時代のsuu(据う)とuu(植う)は、かつては以下のようになっていたでしょう。

きれいな下二段活用です。上の表の終止形、連体形、已然形のところのwuがuになったのが、奈良時代のsuu(据う)とuu(植う)です。

インド・ヨーロッパ語族で「下」を表した*supo、*upoから変化したラテン語のsubや頭子音のないubのような語が日本語に入り、zubuzubu(ズブズブ)、*suwu(suu(据う)の古形)、*uwu(uu(植う)の古形)などになったと見られます。suwaru(座る)もuwaru(植わる)とともにここから来ています。現代の日本語のsabisii(さびしい)/samisii(さみしい)のような揺れや変化は昔の日本語にも見られるので、「落ち着く、落着する」という意味のsumu(住む)とsumu(済む)も無関係でないでしょう。

※wuはすでに日本語に存在しませんが、waまたはwoと発音する直前で口を止めて、その状態からuと発音すると、wuになります。iとyiはよく似た音であり、uとwuもよく似た音です。yiとwuが真っ先に消滅しても全く不思議ではありません。

インド・ヨーロッパ語族で「上」を表した*super、*uperと関係がありそうな日本語、インド・ヨーロッパ語族の英語sit、set、settleなどの類と関係がありそうな日本語、そしてインド・ヨーロッパ語族で「下」を表した*supo、*upoと関係がありそうな日本語を見てきました。実に多くの日本語がインド・ヨーロッパ語族と関係していそうで、驚かされます。今となっては想像しづらいですが、インド・ヨーロッパ語族の言語が存在する東アジアがかつてあったのです。その頃の東アジアは、どのような構図になっていたのでしょうか。