英語のbe動詞、インド・ヨーロッパ語族の存在動詞

朝鮮語、ツングース諸語、モンゴル諸語、テュルク諸語を調べる前に、インド・ヨーロッパ語族の存在動詞(英語のbe(ある、いる)の類)についてもう少しお話ししておきます。インド・ヨーロッパ語族の存在動詞は北ユーラシアの言語の歴史を明らかにするうえで大変重要になってくるので、耳を傾けていただければと思います。

ゲルマン系言語の英語be(ある、いる)、スウェーデン語vara(ある、いる)、アイスランド語vera(ある、いる)、ドイツ語sein(ある、いる)の活用を見たので、今度は古典語のラテン語sum(ある、いる)、古代ギリシャ語eimi(ある、いる)、サンスクリット語asmi(ある、いる)の活用を見てみましょう(活用表をたくさん示しますが、試験のための暗記ではないので、さっと目を走らせる程度で十分です。重要なポイントは後で述べます)。

※インド・ヨーロッパ語族の古典語に関しては、慣習にしたがって動詞の1人称単数現在形を見出しにしてあります。昔のインド・ヨーロッパ語族の言語には単数と複数のほかに双数というカテゴリーがありますが、それは表から省いてあります。

従来の印欧比較言語学は、ラテン語、古代ギリシャ語、サンスクリット語を中心に据え、スラヴ語派とバルト語派の言語をあまり重視してこなかった傾向があり、筆者はこれを大問題だと考えているので、以下にスラヴ系言語のロシア語byt’(ある、いる)ビーチ、ポーランド語być(ある、いる)ビチュ、ブルガリア語sɤm(ある、いる)スムならびにバルト系言語のリトアニア語būti(ある、いる)、ラトビア語būt(ある、いる)の活用も示します。

まずは、ラテン語から始めましょう。ラテン語のsum(ある、いる)の現在形は一見不揃いに見えますが、sum、sumus、suntが先頭部分を落とされた形であると考えると納得がいきます。例えば、スラヴ系のロシア語jest’(ある、いる)イェースチとブルガリア語sɤm(ある、いる)スムの現在形を比べてみてください。ブルガリア語のほうで先頭部分が落とされているのがわかります(1人称単数、2人称単数、1人称複数、2人称複数のところです)。このようなことはよくあるのです。先頭部分の脱落は、ラテン語のsum(ある、いる)の現在形だけでなく、サンスクリット語のasmi(ある、いる)の現在形でも起きています。

「ある、いる」にあたる動詞は、頻繁に使われます。発音しやすい形はそのまま残し、発音しにくい形は変形しようとする力が強く働きます。そのため、当初はよく揃っていた形がばらばらになってしまうこともあるのです。上に示した表を一通り眺めると、ロシア語jest’(ある、いる)の現在形がよく整っているのが目立ちます(ポーランド語jest(ある、いる)イェストゥの現在形もよく整っていますが、ポーランド語の現在形は、3人称単数のjestという形をもとにして作りなおされたものです。ポーランド語の現在形も、昔はロシア語の現在形と同じような姿をしていました)。

ロシア語のjest’(ある、いる)の現在形をラテン語のsum(ある、いる)およびサンスクリット語のasmi(ある、いる)の現在形と比べると、大きな違いはラテン語とサンスクリット語のほうで先頭部分がところどころ落とされていることぐらいです。また、ロシア語のjest’(ある、いる)の現在形をリトアニア語のbūti(ある、いる)およびラトビア語のbūt(ある、いる)の現在形と比べると、大きな違いはリトアニア語とラトビア語のほうで3人称単数と3人称複数のところにyra、irという全く異質な形が現れていることぐらいです。こうして見ると、ロシア語のjest’(ある、いる)の現在形は印欧祖語の姿をかなりよく映し出していると考えられます。

英語のbe動詞の活用体系は、(1)beという形のもと、(2)amとisという形のもと、(3)areという形のもと、(4)wasとwereという形のもとという四つのもとからできているようだと述べました。上に並べた他の言語の活用表を見ればわかるように、amとisという形のもとが印欧祖語の存在動詞です。amとisは、古英語の段階ではeomとisでした。eomのoの部分はかつてのsの残骸のようなものと考えられます。印欧祖語の存在動詞に同じようなあるいは似たような意味を持ついくつかの語が合流して、英語のbe動詞の活用体系ができたのです。ラテン語のsum(ある、いる)の現在形と過去形や、ロシア語のjest’(ある、いる)の現在形と過去形を見ても、異なるものを混ぜ合わせて活用体系を作っているのがわかります。インド・ヨーロッパ語族では、このようなことが平然と行われてきたのです。それぞれの言語が好き勝手に混ぜ合わせを行ってきたので、英語be(ある、いる)の過去形とラテン語sum(ある、いる)の過去形は違うし、英語be(ある、いる)の過去形とロシア語jest'(ある、いる)の過去形も違います。混ぜ合わせに使ったもとの材料が共通しているのです。

インド・ヨーロッパ語族のこうした事情を踏まえながら、朝鮮語、ツングース諸語、モンゴル諸語、テュルク諸語を調べます。