朝鮮語、ツングース諸語、モンゴル語などの「ある、いる」

朝鮮語の「ある、いる」

日本語のaru(ある)/iru(いる)に相当する朝鮮語はitta(ある、いる)イッタです。日本語のaru/iruが語形変化するように、朝鮮語のittaも語形変化します。

ある → あれば
itta → issɯmjɔnイッスミョン

ある → あるので
itta → issɔsɔイッソソ

ある → あった
itta → issɔttaイッソッタ

このように、ittaは組み込まれたiss-という形を見せます。この形は、昔の姿をよく示していると考えられます。うしろに子音が来た場合には、同化現象が起きて、itta(ある)になったり、ikko(あって)になったり、itʃtʃiman(あるけれど)イッチマンになったりしています。韓国語を学習して文字(ハングル)を見ている方にとっては自明のことですが、一応指摘しました。

朝鮮語のiss-のことを頭に入れながら、ツングース諸語とモンゴル語を見てみましょう。

ツングース諸語とモンゴル語の「ある、いる」

ツングース諸語では、日本語のaru(ある)/iru(いる)に相当するのは、エヴェンキ語bimī、ナナイ語bī/biuri、満州語bi/bimbiなどです。

モンゴル語では、日本語のaru(ある)/iru(いる)に相当するのは、bijビイ/bajxバイフです。

日本語のaru(語幹ar-)、朝鮮語のitta(語幹iss-)、そして上のツングース諸語・モンゴル語の各語には、どこか英語のare、is、beを思わせるところがあります(英語のamがisと同じもとから生まれたことは前回の記事に記しました)。テュルク諸語では、どうなっているでしょうか。

テュルク諸語の「ある、いる」

テュルク諸語には、日本語のaru(ある)/iru(いる)と用法が完全には一致しませんが、存在することを意味するトルコ語var、カザフ語bar、ウイグル語bar、ヤクート語baarなどの語があります。これらの語も、以下の表に示した英語のwas、wereの類を思い起こさせます。

例えば、中国語には存在することを意味する語として「在(ツァイ)」と「有(イオウ)」がありますが、これらは英語のbe、am、are、is、was、wereからかけ離れています。やはり、上に示した日本語、朝鮮語、ツングース諸語、モンゴル語、テュルク諸語の各語と英語のbe、am、are、is、was、wereとの類似性は目を引きます。少なくとも、なんの関係もないということはなさそうです。インド・ヨーロッパ語族と東アジアの言語の関係と言われると、意外に感じるかもしれません。もちろん、筆者にとってもそうでした。

ユーラシア大陸の南のほうには、ヒマラヤ山脈という巨大な山脈があります。世界最高峰のエベレストもヒマラヤ山脈の一部です。ヒマラヤ山脈は、大きな障壁として西と東の間の通行を著しく妨げてきました。インド側と中国側で人々の容姿が顕著に異なるのも、そのためです。

しかし、ユーラシア大陸の北のほうは、事情が違います。人口は希薄ですが、ヒマラヤ山脈ほどの障壁は存在せず、西から東あるいは東から西への移動が比較的自由です。ユーラシア大陸の北のほうは、ウラル山脈が南北に走り、ウラル山脈の西側がヨーロッパ方面、ウラル山脈の東側がアジア方面です。ウラル山脈は、一番高いところでも2000mに満たないなだらかな山脈で、半ば丘のようでもあります。加えて、ウラル山脈の南側(現在のカザフスタンのあたり)は大きく開けています。距離は長いですが、ヨーロッパから極東まで大々的につながった状態なのです。

上に挙げた一連の例は、北ユーラシアの言語の歴史を明らかにするために、インド・ヨーロッパ語族と東アジアの言語の両方を見据えなければならないことを示唆しています。現在残っている言語が一部の生き残りなのだということも認識しておく必要があります。

北ユーラシアの諸言語に目を配りながら、日本語のaru(ある)とiru(いる)の語源について考察します。