「言(こと)」と「事(こと)」の関係

ウラル語族のフィンランド語のasia(こと)やハンガリー語のügy(こと)ウジは「足・脚」から来ているようだとお話ししましたが、日本語のkoto(こと)は「口」から来ているようです。

*kutu(口)から始まる

岩波古語辞典(大野1990)が述べているように、馬を制御するために馬にくわえさせる道具をkutubami(轡)あるいはkutuwa(轡)と呼んでいましたが、ここに組み込まれているkutu-がkuti(口)の古形を示していると考えられます。

前に、古代中国語のkhuw(口)クウが日本語のkuɸu(食ふ)になったことをお話ししました(詳細については、大和言葉(やまとことば)と古代中国語の密接な関わりおよび大和言葉(やまとことば)はベトナム語やタイ語とも関係が深いを参照してください)。口が果たす重要な機能の一つは「食べる」ことなので、これは理解できます。しかし、口が果たす重要な機能がもう一つあります。それは「話す」ことです。古代日本語の*kutu(口)は、話すことを意味するkataruと、話を意味するkotoという語を生み出したようです。

ここでの重要なポイントは、昔の日本語が、*kutu(口)からkataruを作ったり、kotoを作ったりというように、時に母音を変えながら語彙を構築していたということです。少しほかの例も見ておきましょう。

タイ語のnaam(水)と日本語のnomu(飲む)

前に、タイ語のnaam(水)のような語が日本語に入ったことをお話ししました(不思議な言語群を参照)。日本語にはmidu(水)という語があったので、タイ語のnaam(水)のような語は「水」を意味することができず、nami(波)やnama(生)のような形で日本語に入りました。タイ語のnaam(水)のような語は、ツングース諸語では満州語のnamu(海)などになり、日本語ではnami(波)になりました。nama(生)は、「(焼いたり、干したりしておらず)水っぽい、水分を含んでいる」という意味です。

タイ語のnaam(水)のような語は、日本語では「水」を意味することができず、nami(波)やnama(生)になりましたが、それだけでなく、母音交替を通じて、numa(沼)やnomu(飲む)にもなったと見られます。世界の言語を見渡すと、「水」と「水域(川、海、湖、沼など)」の間に密接な関係があるのはもちろんですが、「水」と「飲む」の間にも密接な関係があります。

例えば、インド・ヨーロッパ語族には、英語のwater(水)のような語とラテン語のaqua(水)アクアのような語があります。英語のwater(水)とラテン語のaqua(水)は同源ではありません。英語ともラテン語とも非常に遠い関係にあるヒッタイト語を見ると、watar(水)という語とekuzi(飲む)という語があります。ヒッタイト語のwatar(水)は英語のwater(水)と同源で、ヒッタイト語のekuzi(飲む)はラテン語のaqua(水)と同源です。

現代の私たちはいろいろな飲み物を飲んでいますが、遠い昔は飲み物といえば水だったでしょう。「水」と「飲む」の間の密接な関係は当然といえます。タイ系言語のほうにすでにタイ語のnaam(水)に似たnuumやnoomのような形が存在した可能性もゼロではありませんが、いずれにせよタイ語のnaam(水)が日本語のnomu(飲む)に関係していることは間違いないと思われます。

岩波古語辞典(大野1990)が述べているように、*ta(手)→toru(取る)という母音交替もあったでしょう。ひょっとしたら、*ma(目)→miru(見る)やya(矢)→*yiru(射る)も母音交替の一種として考えられるかもしれません。

昔の日本語では、このようなことが行われていたようなのです。

再び*kutu(口)へ

*kutu(口)から作られたと考えられるkataruは意味があまり変わりませんでしたが、kotoは意味が明らかに変わりました。下の説明では、昔の日本語を「koto」と書き、今の日本語を「コト」および「ハナシ」と書きます。kotoはもともと現代の日本語のハナシのような語だったが、そこから現代の日本語のコトのような語に変わっていったようです。下の図のような変化が起きたのです。言い換えれば、kotoは英語のspeech/storyのような語だったが、そこから英語のthing/matterのような語に変わっていったということです。

例えば、日本語では(A)のように言うこともできるし、(B)のように言うこともできます。

(A)佐藤さんが亡くなったハナシは聞きました。みんなにはもう知らせました。
(B)佐藤さんが亡くなったコトは聞きました。みんなにはもう知らせました。

このように、現代の日本語のハナシの意味領域と現代の日本語のコトの意味領域にはつながりがあります。昔の日本語のkotoはハナシの意味領域(speech/storyの意味領域)からコトの意味領域(thing/matterの意味領域)に移っていったのです。奈良時代のあたりは移行期で、そのために当時の日本語のkotoは漢字で「言」と書かれたり、「事」と書かれたりしていたと考えられます。

奈良時代のkotoがこのようなものであるとわかったところで、今度は同じ奈良時代のkotobaという語をどのように解釈したらよいか考えましょう。

 

参考文献

大野晋ほか、「岩波 古語辞典 補訂版」、岩波書店、1990年。