日本語の意外な歴史

これまで知られてこなかった日本語の起源、日本語の歴史について語っていきます。私たちが使っている言葉には、驚くべき人類の軌跡が隠されています。

2018年05月

以下のようなシリーズ記事になっています。

► 大和言葉(やまとことば)に潜んでいた外来語、見抜けなかったトリック(1)
► 大和言葉(やまとことば)と古代中国語の密接な関わり(2)
► 大和言葉(やまとことば)はベトナム語やタイ語とも関係が深い(3)

シナ・チベット語族の言語やベトナム系の言語から取り入れられた語が、日本語の中になかなかわかりにくい形で存在していると書きました。いくつか例を挙げてみましょう。意外なものもあるかもしれません。ここでは、そんなことになっているのかと、大体のイメージを形成してもらえば十分です。まずは、古代中国語のkin(巾)から始めます。

古代中国語のkin(巾)

日本語では「頭巾」や「雑巾」などでおなじみですが、古代中国語のkin(巾)は「布切れ」を意味していました。英語で言えば、「a piece of cloth」といったところです。古代中国語のkin(巾)は原初的な語で、「巾」という字は「布」、「席」、「帆」のような形でもよく出てきます。

ベトナム語のđượcドゥー(ク)のような語が、uku(受く)という形とu(得)という形で取り入れられたことを思い出してください。日本語ではukのように子音で終わることはできないので、uku(受く)という形とu(得)という形に落ち着いたという話です。

古代中国語のkin(巾)も、そのままでは日本語に取り込めません。末子音を落とすか、末子音のうしろに母音を補うかしなければなりません。実際にそのようなことが行われたようです。日本語の織物・衣類関連の語彙を考えると、古代中国語のkinの末子音を落としたのがki(着)、kinの末子音のうしろに母音を補ったのがkinu(衣、絹)と見られます。ki(着)から作られた動詞がkiru(着る)です。

ちなみに、ベトナム語で「着る」を意味する語はmặcマ(ク)です。日本語のmaku(巻く)に通じる語でしょう。日本語のmaku(巻く)も、nemaki(寝巻き)などのように、もともと着ることを意味していたが、上記のkiru(着る)が一般的になったために、意味が少し変わったと考えられます。

ukが不可なので、u(得)またはuku(受く)という形に落ち着く、kinが不可なので、ki(着)またはkinu(衣、絹)という形に落ち着く、これは日本語の歴史を理解するうえで極めて重要な頻出パターンなので、頭に入れておいてください。

余談になりますが、先ほど例として挙げた「席」という漢字に「巾」が含まれているのはなぜでしょうか。それは、織ったものや編んだものを下に広げて、そこに座っていたからです。古代中国語のzjek(席)ズィエクは、そのようにして作った座る場所を意味していたのです。日本語のsiku(敷く)も、ここから来ていると見られます。語頭の濁音が清音になっています。

ベトナム語のanh(兄)

ベトナム語のanh(兄)アインに近い発音をローマ字で示せば、ainです。ベトナム語のanh(兄)のような語を昔の日本語に取り込もうとしても、ainとはできません。母音が連続し、子音で終わっているからです。母音iを落としてanにすればOKでしょうか、あるいは、子音nを落としてaiにすればOKでしょうか。anは子音で終わっており、aiは母音が連続しているので、まだ駄目です。

奈良時代の日本語には、ani(兄)とe(兄)という語がありました。どちらもおおもとは同じと考えられます。ainが不可、anも不可ということで落ち着いた先がani(兄)であり、ainが不可、aiも不可ということで落ち着いた先がe(兄)でしょう(現代の日本語で「いたい」が「いてっ」になったり、「でかい」が「でけー」になったりするように、aiがeに変わりやすいことは前に述べました)。

現代のベトナム語では、兄のことをanhアイン、姉のことをchịチーと言いますが、後者は古代中国語のtsij(姊)ツィイを取り入れたものです(「姊」の俗字が「姉」です)。クメール語(カンボジアの主要言語)のbɔɔngボーンやタイ語のphiiピーは兄と姉の両方を指しますが、同じようにベトナム語のanhもかつては兄と姉の両方を指していたと見られます。日本語のani(兄)だけでなく、ane(姉)も、ベトナム語のanhのような語がもとになっているようです。少なくとも中国語が広がる前に中国南部で話されていた言語では、英語のbrotherとsisterのように兄弟姉妹を男か女かで区別するのではなく、年上か年下かで区別するのが一般的だったといえそうです。

ちなみに、日本語のotouto(弟)はotoɸitoが古形で、これはotoとɸitoがくっついてできた語です。otoは、otu(落つ)やotoru(劣る)と同源で、「年が下であること、若いこと」を意味していました。この語は、現代の用法と違い、男だけでなく女にも用いられていました。日本語のimouto(妹)はimoɸitoが古形で、これはimoとɸitoがくっついてできた語です。万葉集のあちこちで男が愛する女性のことをimoと呼んでいますが、このimoの語源については別のところで論じることにしましょう。

昔の日本人がシナ・チベット語族の言語やベトナム系の言語の語彙を当時の日本語の発音体系に合うように変形しながら取り入れている点だけでなく、古代中国語から日本語への語彙の流入が従来考えられてきたよりも早い時代から始まっている点にも注目してください。ある時代に、漢字が取り入れられ、「巾」にはkinという音読み、「席」にはsekiという音読みが与えられましたが、その時すでに、古代中国語のkin(巾)はki、kinu、kiruという形で、古代中国語のzjek(席)はsikuという形で日本語に入っていたのです。例を追加していきます。


► 大和言葉(やまとことば)と古代中国語の密接な関わり(2)へ

ベトナム語のđượcドゥー(ク)のような語が日本語のuku(受く)になり、ベトナム語のgặpガ(プ)のような語が日本語の*apu→aɸu(合ふ、会ふ)になったようだという話をしました。日本語のuku(受く)やaɸu(合ふ、会ふ)は、頭子音が落ちてしまった形だということです。

似たような例はまだまだ見られます。シナ・チベット語族のほうからも、一例挙げておきましょう。日本語のuo(魚)の古形であるiwo(魚)も、頭子音が落ちてしまった形と考えられます。古代中国語にngjo(魚)ンギオという語がありましたが、日本人にとって、ngという頭子音(発音記号では[ŋ])が不慣れで、ioという母音連続も許されないことから、日本語ではiwo(魚)という形に落ち着いたようです。

シナ・チベット語族の言語も、ベトナム系の言語も、日本語と発音体系が著しく異なるため、これらの言語から語彙を取り入れる際には、一筋縄では行かなかったのです。「死ぬこと」を意味する古代中国語のsij(死)スィイあるいはそれと同源の語は、sinuという形で取り入れることができたが、「行くこと、行ってしまうこと、去ること」を意味するベトナム語のđiディーのような語は、dinuという形で取り入れることができず、inuという形で取り入れられたのだろうという筆者の考えは、上記のような頭子音の脱落例をいくつも観察しているうちに芽生えてきたものです。

この話をさらに深く掘り下げるために、ベトナム語のđi(行く)ディーだけでなく、đến(来る)デンにも登場してもらいましょう。

ベトナム語のđi(行く)とđến(来る)

ベトナム語のđiディーは「行く」を意味し、đếnデンは「来る」を意味します。言うまでもありませんが、điもđếnも頻出単語です。両者を組み合わせたđi đếnディーデンというフレーズもあります。このベトナム語のđi đếnのようなフレーズが、日本語に取り入れられた可能性があります。しかも、出かけようとする時の言葉として取り入れられた可能性があります。現代の日本人が出かける時に「いってくる」とか「いってきます」と言っていることを思い起こしてください。昔も同じようなことをしていたのではないかというわけです。

ベトナム語のđi đếnのようなフレーズをそのまま取り込むことはできません。昔の日本語では、濁音で始まることができないので、didenではなくiden、さらに子音で終わることができないので、idenではなくideとなりそうです。

奈良時代の日本語にはide(いで)という言葉があり、自分が決意する時や他人を誘う時などにこの言葉を発していました。岩波古語辞典(大野1990)では、このide(いで)とidu(出づ)の間に関係があるのではないかと考えていますが、筆者も関係があると考えています。もともと、ideは自分が出かけようとする時あるいは他人を連れて出かけようとする時に発する言葉で(現代の日本語の「行くぞ」や「行こう」に近いところがあったと思われます)、iduは出かけることを意味する動詞だったというのが筆者の見解です。iduは、idu→du→duru→deru(出る)と変化し、iduから作られたidasuは、idasu→dasu(出す)と変化しました。

ide(いで)の類義語として、iza(いざ)という言葉があったことも見逃せません。実は、ベトナム語のđiとđếnに出てくるđというアルファベット文字は、[ d ]ではなく、[ ɗ ]と発音します。ベトナム語のアルファベットは少しごちゃごちゃしているので、đi đếnを拡大しておきます。

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ベトナム語の[ ɗ ]は、英語や日本語の[ d ]に似ていますが、少し違います。言語学では、英語や日本語の[ d ]は有声歯茎破裂音と呼ばれ、ベトナム語の[ ɗ ]は有声歯茎入破音と呼ばれます。英語や日本語の[ d ]を発音する時には、舌を口内の上側に突き立てて、空気を吐き出したいんだが吐き出せない状態を軽く作ります。そうしてから、その通行止めを開放し、空気を流出させながら発音します。これに対して、ベトナム語の[ ɗ ]を発音する時には、舌を口内の上側に突き立てて、空気を吸い込みたいんだが吸い込めない状態を軽く作ります。そうしてから、その通行止めを開放し、空気を流入させながら発音します。要するに、空気の流出を伴いながら発音するところと、空気の流入を伴いながら発音するところが違うのです。ベトナム語の[ ɗ ]は比較的まれな音で、うまく発音できるようになるには練習が必要です。前述の空気の流出と流入という違いがあるために、英語や日本語の[ d ]とベトナム語の[ ɗ ]は少し音色が違います。この日本人にとって不慣れな[ ɗ ]が、[ d ]に変換されたり、[ z ]に変換されたりしたために、日本語のほうにide(いで)とiza(いざ)という異形が生じたと見られます。

ベトナム語のđi đếnのようなフレーズが頭子音を落とした形で取り込まれ、そこに「行くぞ」や「行こう」のような意味があったと考えると、昔の日本語のide(いで)、idu(出づ)、iza(いざ)、izanaɸu(率ふ、誘ふ)などがよく理解できます。

ベトナム語のđiのような語が頭子音を落として取り込まれたのがinu(往ぬ)、ベトナム語のđi đếnのようなフレーズが頭子音を落として取り込まれたのがide(いで)、idu(出づ)、iza(いざ)、izanaɸu(率ふ、誘ふ)などと考えられます。

日本語の中にはシナ・チベット語族の言語とベトナム系の言語から取り入れた語が大量に存在しますが、その多くがなかなかわかりにくい形で存在しています。発音体系が著しく異なるために、単純に取り込めなかったからです。シナ・チベット語族の言語とベトナム系の言語は日本語の成り立ちを明らかにするうえで非常に重要なので、頭子音を落とすパターンだけでなく、それ以外のパターンも見てみましょう。

その後で、日本語を改造したのはだれかという問題に戻ることにします。



参考文献

大野晋ほか、「岩波 古語辞典 補訂版」、岩波書店、1990年。

古代中国語のsij(死)スィイあるいはそれと同源の語に完了の助動詞のnuがくっついて、日本語のナ行変格活用のsinu(死ぬ)という動詞ができたようだという話をしました。もう一つのナ行変格活用動詞であるinu(往ぬ)についても、同じように考えたくなります。しかし、こちらはそこまで単純ではないようです。

結論を先に言うと、筆者は、ベトナム語のđiディーのような語に完了の助動詞のnuがくっついて、日本語のナ行変格活用のinu(往ぬ)という動詞ができたと考えています。ベトナム語のđiは、「行く、行ってしまう、去る」という意味を持つ頻出単語です。ここでのポイントは、昔の日本語では、sinuとは言えても、dinuとは言えないということです。昔の日本語は語頭に濁音が来るのを許さないからです。筆者は、昔の日本人がdinuと言えないためにinuと言っていたのではないかと考えているのです。

もちろん、この考えには根拠があります。昔の日本語では、語頭で濁音を使うことができないので、外国語の語彙を取り込む際に、語頭の濁音を落とすことが度々あったようです。少し例を挙げてみましょう。

ベトナム語には、đượcドゥー(ク)という頻出単語があります。語末のcは、発音しない[k]です。đượcは、英語のgetやreceiveのような意味を持っています。ベトナム語のđượcのような語も、dukuではなく、uku(受く)という形で日本語に取り込まれたようです。やはり、語頭の濁音が落とされています。

※ベトナム語のđượcは明らかに古代中国語のtok(得)と関係があると考えられますが、長江文明の言語と黄河文明の言語の共通語彙の問題は単純でないため、ここでは深入りしません。

興味深いことに、このベトナム語のđượcという語には、英語のgetやreceiveのような意味だけでなく、英語のcanやmayのような意味もあります。英語のcanやmayのような意味とは、「~できる、~かもしれない」という意味です。どうやら、日本語はベトナム語のđượcのような語をuku(受く)という形とu(得)という形で取り入れたようです。日本語ではukのように子音で終わることはできないので、uku(受く)という形とu(得)という形に落ち着いたのは自然な成り行きといえます。現代の日本語では、uku(受く)はukeru(受ける)に、u(得)はuru/eru(得る)になっています。

ベトナム語には、gặpガ(プ)という頻出単語もあります。語末のpは、発音しない[p]です。gặpは、英語のmeetのような意味を持っています。ベトナム語のgặpのような語も、gapuではなく、*apuという形で日本語に取り込まれ、その後aɸu(合ふ、会ふ)に変化したようです(日本語のハ行の変遷については、本記事の終わりに付した補説を参照してください)。やはり、語頭の濁音が落とされています。

※ベトナム語のgặpも古代中国語のhop(合)と関係があると思われますが、長江文明の言語と黄河文明の言語の共通語彙の問題は単純でないため、ここでは深入りしません。



補説

日本語のハ行について(1) ※こちらは再掲載です。

「が」と「か」は、濁っているかいないかの違いがあるだけで、口の中の同じ場所で作られる音です。「ざ」と「さ」についても、「だ」と「た」についても同様です。しかし、現代の日本語では、「ば」と「は」は全然違う場所で作られています。「ば」は唇のところで作られ、「は」は喉のほうで作られています。かつては、「は」も唇のところで作られていました。「ば」はbaと発音され、「は」はɸaと発音されていました。ɸaはファミレスのファの音です。英語のように上前歯と下唇で作るのではなく、上唇と下唇で作るファです。例えば、hana(花)はɸanaと発音していました。「ɸa、ɸi、ɸu、ɸe、ɸo」は、「ファ、フィ、フ、フェ、フォ」という具合です。

日本語のハ行について(2)

「日本語のハ行について(1)」では、昔の日本語のハ行が「ɸa、ɸi、ɸu、ɸe、ɸo」であったことをお話ししました。例えば、hana(花)はɸanaと発音していました。

しかし、話はここで終わりません。実は、琉球列島で話されている琉球方言の中には、panaと発音している方言が少なくないのです(亀井1997、p.324)。

日本語はまず「琉球方言」と「それ以外の方言(本土方言)」に分かれます。日本語の研究において、琉球方言の位置づけはそれだけ重いのです。日本語のもとの姿を知ろうと思えば、「琉球方言」と「それ以外の方言(本土方言)」の両方を対等に見なければなりません。

hana(花)がかつてɸanaと発音されていたというのは本土方言の話です。おおもとの日本語で本土方言のようにɸanaと発音していたか、琉球方言のようにpanaと発音していたかはさらに考える必要があるのです。

英語では、kが濁ったのがg、sが濁ったのがz、tが濁ったのがdで、さらに、pが濁ったのがb、fが濁ったのがvです。この英語のパターンは、人類の言語に一般的に見られるパターンです。普通、bはpとペアになるのです。一般言語学の立場からは、本土方言の昔のɸ–bというペアは変則的で、これはp–bが変化したものと考えるのが自然です。おおもとの日本語では、本土方言のようにɸanaとは言わず、琉球方言のようにpanaと言っていたであろうということです。

シナ・チベット語族の言語に、ミャンマー語pan(花)、チンポー語pan-(花)、-khʒaŋ(菜、すなわち食用の草本植物)クジャン、チャン語kuʂ(菜)クシュのような語があることから、黄河文明の言語から日本語に植物に関する語彙(花、草など)が入ったと見られ、日本語のhana(花)はミャンマー語のpan(花)などと同源と考えられます。日本語の歴史にp→ɸ→hという変化があったと推定されること、このことは非常に重要なので覚えておいてください。



参考文献

亀井孝ほか、「言語学大辞典セレクション 日本列島の言語」、三省堂、1997年。

「殺す」を意味する語には、主に二つの作られ方があります。一つ目のパターンは、打撃を加えたり、苦しめたりすることを意味する語がもとになるパターンです。英語のkillは、今では「殺す」を意味していますが、その前に「打つ、叩く」を意味していた時代がありました。ロシア語のubitj(殺す)ウビーチもbitj(打つ)ビーチがもとになっており、ポーランド語のzabić(殺す)ザビチもbić(打つ)ビチがもとになっています。

二つ目のパターンは、「死ぬ」を意味する語がもとになるパターンです。朝鮮語のtʃugida(殺す)チュギダはこのパターンです。朝鮮語のtʃugida(殺す)は、tʃukta(死ぬ)チュクタがもとになっています。アイヌ語のrayke(殺す)もこのパターンです。アイヌ語のrayke(殺す)は、ray(死ぬ)がもとになっています。

日本語のkorosu(殺す)はどうでしょうか。日本語のkorosu(殺す)は二つ目のパターンのようです。oku(起く)からokosu(起こす)、otu(落つ)からotosu(落とす)、oru(下る)からorosu(下ろす)が作られたのと同様に、koruからkorosuが作られたと見られます。「死ぬ」を意味するkoruから、「殺す」を意味するkorosuが作られたのです。

筆者がなぜそのように考えるかというと、フィンランド語kuolla(死ぬ)(語幹kuol-)、エルジャ語kuloms(死ぬ)、コミ語kulnɨ(死ぬ)クルニ、マンシ語xoluŋkwje(死ぬ)ホルンクイェ、ハンガリー語hal(死ぬ)のような語がウラル語族のほぼすべての言語に存在するからです。日本語にもかつて「死ぬ」を意味するkoruという自動詞が存在し、ここから「殺す」を意味するkorosuという他動詞が作られたと見られます。

サーミ語はjápmit(死ぬ)ヤープミフトゥという全く違う動詞を持っていますが、この語はネネツ語のjaʔməsj(病気である)ヤッムスィなどと同源であり、病気になることを意味していた語が死ぬことを意味するようになったと考えられます。これらの語は日本語のyamu(病む)に通じるものでしょう。

「死ぬ」を意味するkoruと「殺す」を意味するkorosuがペアになっているところへ、sinuという新しい語が割り込んできます。koruは「死ぬ」という意味を失い、痛い目にあうこと、ひどい目にあうことを意味するようになっていったようです。こうして、奈良時代のkoru(懲る)、さらに現代のkoriru(懲りる)に至ります。

sinu(死ぬ)という語はどこからやって来たのでしょうか。奈良時代の日本語において、sinu(死ぬ)はinu(往ぬ)とともに特殊な語形変化を見せており、これらはナ行変格活用動詞と呼ばれます。ナ行変格活用という特殊な語形変化を見せたのは、動詞のsinu(死ぬ)、inu(往ぬ)、そして完了の助動詞のnu(ぬ)、この三語のみです(inu(往ぬ)は「行く、行ってしまう、去る」という意味です)。

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奈良時代の日本語で一般的な四段活用なら「死な、死に、死ぬ、死ぬ、死ね、死ね」となるところですが、実際には上のように「死な、死に、死ぬ、死ぬる、死ぬれ、死ね」だったのです。このような事情からして、sinu(死ぬ)はsiに完了の助動詞のnuがくっついてできており、inu(往ぬ)はiに完了の助動詞のnuがくっついてできていると考えられます。つまり、siの部分とiの部分が実質的な意味を持っているということです。「死ぬこと」を意味するsi、「行くこと、行ってしまうこと、去ること」を意味するiとは、一体なんでしょうか。

少なくとも、前者は明らかでしょう。sinuのsiは、古代中国語のsij(死)スィイあるいは古代中国語以外のシナ・チベット系言語に存在した同源の語を取り込んだものと見られます(チベット語shi(死ぬ)、ミャンマー語the(死ぬ)を含めて、同源の語はシナ・チベット語族の内部に大きく広がっています)。外来語のsinuが、古くからあったkoruを追いやってしまったのです。シナ・チベット系の語彙がウラル語族との共通語彙を追いやる構図が窺えます。他の例を見てみましょう。

その前に、少し脇道にそれますが、もう一つのナ行変格活用動詞であるinu(往ぬ)の語源も明らかにしておきましょう。inu(往ぬ)という動詞そのものは廃れてしまったのであまり関心を引かないかもしれませんが、この語は日本語の歴史を考えるうえで重大な問題をはらんでいるようです。

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