日本語の意外な歴史

これまで知られてこなかった日本語の起源、日本語の歴史について語っていきます。私たちが使っている言葉には、驚くべき人類の軌跡が隠されています。

2018年10月

以下のようなシリーズ記事になっています。

「男」と「女」の語源(1)
► 古代中国語の「君」(2)
► 「父」の正体(3)
► 追いやられた男と女(4)
► 複雑な母と女の間(5)
► モンゴル語や満州語からのヒント(6)
► 春秋戦国時代が終わり、秦・漢の時代へ(7)
► 性転換をした「母」(8)


日本語の「死ぬ」と「殺す」の語源を明らかにしました(「死ぬ」と「殺す」の語源を参照)。そこには、日本語が昔から持っていたウラル語族との共通語彙が、新しく入ってきたシナ・チベット語族の語彙によって押しのけられるという構図がありました。「死ぬ」と「殺す」の語源に続いて、「男」と「女」の語源について考えます。

日本語のotoko(男)とonna(女)は基本語彙かと言われれば、間違いなく基本語彙でしょう。しかし、「男」と「女」を意味する語は、わりと変わりやすいものです。現代の日本語ではotoko(男)とonna(女)が対になっていますが、昔はそうではありませんでした。otokoの古形はwotokoで、onnaの古形はwominaです。wotokoはwominaではなくwotomeと対になっていました。

例1. wotoko(をとこ)とwotome(をとめ)

wotoの部分は、「若い盛りの、結婚適齢期の、壮年の」ぐらいの意味です。そのうしろにkoが付けば「若い盛りの男性」、meが付けば「若い盛りの女性」です(特定の年齢帯の男・女を意味していた語が、一般に男・女を意味するようになるのは、珍しいことではありません)。

昔の日本語には、これとはまた意味の違う男女の対がありました。もう現代では使われないものも多いですが、日本語の歴史を考えるうえで非常に重要なので、以下にいくつか挙げます。できるだけ、ひらがなではなくローマ字のほうを見てください。

例2. okina(おきな)とomina(おみな)

okinaは「年をとった男性」、ominaは「年をとった女性」です。

例3. woguna(をぐな)とwomina(をみな)

wogunaは「男の子」、wominaは「若い娘」です。wogunaとwominaは当初はきれいに対を成していたと思われますが、奈良時代の時点ですでに対称性は崩れており、wominaは例1のwotomeに近くなっていました。このwominaが時代とともに形を変えてonnaになりました。

例4. izanaki(イザナキ)とizanami(イザナミ)

日本神話に登場する神の名前です。初代天皇とされる神武天皇の先祖にアマテラスがおり、アマテラスの父がイザナキです。そして、イザナキの妻がイザナミです。イザナキとイザナミによる国生みの話は、ご存知の方も多いでしょう。

上に挙げた例1~例4は奈良時代の語彙ですが、どうでしょうか。筆者以外の方も感じると思いますが、男女のそれぞれの呼び方がややこしいです。ややこしさの原因は、男女の区別を示す部分の形が一定していないことにあります。kがgに濁ることを差し引いても、例1はkoとme、例2はkinaとmina、例3はkunaとmina、例4はkiとmiです。ばらばらなようでいて、無関係とも思えない、というのが率直な感想ではないでしょうか。

この問題を論じる前に、昔の日本語に以下のような制約があったことを思い出してください。

・語頭に濁音が来ない
・語頭に流音(l、rの類)が来ない
・母音が連続しない
・子音が連続しない
・語が子音で終わらない

筆者は、研究を進めるうちに、例1のko/me、例2のkina/mina、例3のguna/mina、例4のki/miはシナ・チベット系の語彙ではないかと考えるようになりました。

古代中国語のkjun(君)

古代中国語のkjun(君)キウンのもともとの意味は、「統治者、支配者、おさ、あるじ、ぬし」といったところです。ある空間あるいは集団を支配している人というイメージです。くだけた言い方をすれば、「偉い人」といったところでしょう。kjun(君)という語には、重要な用法がありました。祖父、父、その他の年長者のことをkjun(君)と呼んでいたようなのです。

ウラル語族にも、「統治者、支配者、おさ、あるじ、ぬし」のような意味を持つ語があって、その語を祖父、父、その他の年長者に対して使っていた形跡があります。東アジアのかなり広い範囲でそのようなことが行われていたと見てよさそうです。

ここで注意したいのは、上のように使われていた古代中国語のkjun(君)などは、「男」という一般的な意味を獲得する一歩手前の状態にあるということです。

古代中国語のkjun(君)を昔の日本語に取り入れようとすると、どのようになるでしょうか。まずはkinまたはkunと変形したいところですが、子音で終わることはできないので、さらにkinV、kunV、ki、kuのような形にする必要があります。前にも、「布切れ、布、織物」を意味した古代中国語のkin(巾)が日本語のkinu(衣、絹)とki(着)になった例がありましたが、昔の日本語では必須の作業です。以上のことを踏まえたうえで、例1~例4のwotoko(をとこ)、okina(おきな)、woguna(をぐな)、izanaki(イザナキ)について考えましょう。


► 古代中国語の「君」(2)へ

ごはんだけでなく、おかずにも少し目を向けましょう。奈良時代の日本語のiwo(魚)(のちにuo)は古代中国語のngjo(魚)ンギオから来たようだと述べました。昔の日本人が、不慣れなngという子音を落とし、ioという母音連続を避けてiwoとしたのは、当然の展開といえます。

これは単純な話ですが、ややこしいのが奈良時代の日本語のnaです。現代のna(菜)につながる語ですが、奈良時代のnaはもっと意味が広く、「ごはんといっしょに食べるもの、おかず、副食物」を意味していました。そのため、奈良時代の日本語のnaは、「菜」と書かれたり、「魚」と書かれたりしました。さらに、naの前にma(真)を付けたmanaという語もあり、これは「魚」を意味していました。要するに、naと言えば「ごはんといっしょに食べるもの、おかず、副食物」、manaと言えば「魚」という具合でした。

奈良時代の日本語のnaはどこから来たのかというと、どうやらこれもシナ・チベット語族から来たようです。「魚」のことを、例えばチベット語ではnyaニャ、ミャンマー語ではngaンガと言いますが、このような語が昔のシナ・チベット語族に少しずつ違う形で存在し、そこから日本語のnaが来たものと見られます。当初は「魚」を意味していたでしょう。

こうなると、iwoもnaも「魚」を意味することになって、衝突が起きます。ここで、naのほうが折れて、「おかず、副食物」を意味するようになっていったと見られます。このような変化の中で、「本来のnaはこれだ」と言いたい人がmanaと言って魚を指していたと思われます。このmanaは、現代の日本語のmanaita(まな板)に組み込まれて残っています。

iwoとnaの衝突から、iwo、na、manaという三つの語が存在することになりましたが、「魚」を意味したiwo(のちにuo)もmanaも結局のところ廃れてしまいました。代わって一般的になった言い方が、sakana(魚)です。sakanaは、「おかず、副食物」を意味していたnaの前にsaka(酒)を付けてできた語で、酒を飲みながら食べるものを意味していましたが、意味が限定されて、「魚」を意味するようになりました。その一方で、naは「食用の草本植物」を意味するようになりました。入り組んだ話ですが、このような歴史がありました。

「乳」の語源

日本語のniku(肉)は、古代中国語のnyuwk(肉)ニュウクから来ていますが、比較的新しい言い方です。奈良時代には、sisi(肉)という語が使われていました。

ここで、注目すべき語があります。ベトナム語のthịt(肉)ティです。ベトナム語では「ティ」のような発音ですが、ベトナム語に近い言語(チュット語など)では「スィ」のような発音も観察されます。

※ベトナム語のthịt(肉)の末子音tは、発音しません。口の形をそのようにするだけで、発音しません。ちなみに、中国語の標準語では、末子音tは完全に消滅してしまいました。広東語(香港などで話される中国語の方言)や朝鮮語では、ベトナム語と同じで、末子音tは、口の形をそのようにするだけで、発音しません。東アジアから東南アジアにかけての地域で、かなり前から末子音tの弱化が始まっていたと見られます。末子音kとpも、上と同様の事情にあります。

先に挙げた古代中国語ngjo(魚)、チベット語nya(魚)、ミャンマー語nga(魚)などは同源です。シナ・チベット語族の内部に発音が少しずつ違う語が分布し、そこから日本語にiwoとnaという語が入ったのです。

同じように、ベトナム系言語の内部に発音が少しずつ違う語が分布し、そこから日本語に*siとtiという語が入ったようです。「魚」を意味したiwoとnaに衝突があったように、「肉」を意味した*siとtiにも衝突があったと見られます。*siのほうは、重ねられて、奈良時代の日本語のsisi(肉)になったと考えられます。tiのほうは、どうなったのでしょうか。

奈良時代には、女性の乳房を意味するmunatiという語が残っていました。「胸」を意味するmunaと「肉」を意味するtiがくっついたものでしょう。ここから次第に、munatiと言わず、tiと言うだけで、女性の乳房を指すようになっていったと思われます。「肉」を意味した*siとtiが、sisi(肉)、ti(乳)、そしてこれが重ねられたtiti(乳)になったというわけです。

※現代の日本語のoppai(おっぱい)は、古い語ではないと思います。世界的に見て女性の胸を「膨らんでいるもの、はち切れそうなもの」と捉えている例はよくあるので、oppai(おっぱい)はippai(いっぱい)に似せて作られた可能性が高いです。

「物」の語源

現代のベトナム語には、例えば món ăn モンアンや món chiên モンチエンのような語があります。 món ăn は「食べ物、料理」、 món chiên は「炒め物、揚げ物」という意味です。ăn(食べる)がmónを修飾して món ăn 、chiên(炒める、揚げる)がmónを修飾して món chiên です。ベトナム語は、日本語と違って、うしろから修飾します。

現代のベトナム語では、mónは上のように複合語の中に出てくることが圧倒的に多いですが、もともと、món自体に「食べ物、料理」という意味がありました。このベトナム語のmónのような語が日本語のmono(もの)になった可能性があります。

古代中国語にmjut(物)ミウトゥという語があり、「もの」を意味していました。しかし、最初からそのような極度に一般的な意味を持っていたはずはありません。「物」という漢字を見てください。牛へんが含まれていて、最初は非常に限定的な意味を持っていたのだろうなと思わせます。どうやら、古代中国語のmjut(物)は、「神に捧げる牛」→「供え物」→「もの」という具合に意味が一般化したようです(小川1994、鎌田2011)。

これと同じように、日本語のmono(物)にも、もっと限定的な意味を持っていた前段階があったと考えられます。奈良時代のmonoはすでに、現代と変わりないような極度に一般的な意味を持っていました。しかし、かつての意味を思わせるようなところもあります。例えば、oɸomonoという語がありました。有力な政治家などを意味していた語ではありません。「(天皇などのための)食事、米」を意味していた語です。このような日本語のmonoは、ベトナム語のmónだけでなく、古代中国語のbjon(飯)ビオンとも関係があると見られます。bjonは隋・唐の頃の形で、さらに昔は*bonsのような形をしていたと推定されています( Baxter 2014 )。

日本語では、「物」にmoti/butuという音読みを与えたほか(motuは後の時代に生じた読み方です)、「馬」にma/me/baという音読みを与えたり、「美」にmi/biという音読みを与えたり、「武」にmu/
buという音読みを与えたりしましたが、これらは日本の周辺地域でb–m間の発音の変化が起きていたことを示しています。

以上のことを考慮に入れると、ベトナム語のmónと古代中国語のbjon(飯)(ある時代にbonとɸanという音読みで日本語に取り入れられたことも忘れてはなりません)は同源で、奈良時代の日本語のmonoはベトナム系言語か古代中国語から入ったものと見られます。古代中国語のmjut(物)の場合は、「供え物」という意味が広がり、日本語のmono(物)の場合は、「食べ物」という意味が広がったということです。

ちなみに、英語のthingも最初から「もの」という意味を持っていたわけではありません。英語のthingはもともと「集会、会議」を意味していました。そこから「集会・会議で扱われる議題」を意味するようになり、やがて一般的に「こと、もの」を意味するようになりました。やはり、英語のthingにも、もっと限定的な意味を持っていた前段階があったのです。

「牛」の語源

古代中国語のmjut(物)はもともと「神に捧げる牛」を意味していたようだという話が出てきました。ここで、もう少し牛について解説しておきます。

牛は、肉・乳・皮を提供したり、農耕・運搬に使われたりと、人類の歴史において大きな存在感を示してきました。そもそも人間が家畜化した大型動物は少なく、牛はその中でも特別な存在です。神に牛が捧げられたのも、偶然ではありません。

私たちがウシと呼んでいる動物は、野生のオーロックスが家畜化されて生まれた動物です。オーロックス自体はすでに絶滅しています。オーロックスの家畜化は、10000年ぐらい前に始まり、中東とインド亜大陸で行われたことがわかっています( McTavish 2013 )。中東で家畜化されたのがTaurine牛、インド亜大陸で家畜化されたのがIndicine牛です。Taurine牛とIndicine牛は、現在では以下のように世界に広がっています(図は McTavish 2013 より引用)。

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日本にいる牛もはるか西方からやって来たのです。日本で支配的なのは、ヨーロッパと同じで、Taurine牛です。

英語の語彙を見ればわかりますが、ウシの集団を家畜として維持しながら、その肉と乳を重要な食料としてきた人々は、ウシを細かく呼び分けてきました。英語のcattle(牛全体)、bull(去勢していない雄牛)、ox(去勢した雄牛)、cow(雌牛)、calf(子牛)などはその例です。意味のずれはありますが、英語のoxとcowに対応する語はインド・ヨーロッパ語族の内部にある程度広がっています。

英語のoxに対応する語として、古代インドにもサンスクリット語のukshan(雄牛)のような語がありましたが、このような語が東アジアに伝わり、日本語のusi(牛)になったと見られます。日本語のusiは、uとsの間にあったkが消滅した形ということです。

中東とインド亜大陸よりかなり遅れますが、古代中国(黄河流域)にも4000~5000年前頃に家畜化された牛が現れます。 Cai 2014 では、黄河流域およびその北側にいた古代中国の家畜牛のDNAを分析していますが、いずれも中東から伝来したものであるという結果が出ています。古代中国語のngjuw(牛)ンギウウは、インド・ヨーロッパ語族の英語のcow(古形cu)などとならんで、メソポタミア文明のシュメール語のgu(雄牛)のような中東の語彙と関係がありそうです(英語のcowは「雌牛」を意味していますが、インド・ヨーロッパ語族全体を見渡すと、必ずしもそのようになっていません)。

数の多い少ないはともかく、西方から東アジアに人がやって来ていたことは確実です。家畜化された牛を連れてきた人々が東アジアに牛と同時にどのようなものをもたらしたのか、東アジアの言語にどのような影響を与えたのかという問題は、大いに検討する必要があります。古代中国(黄河流域)に家畜化された牛が現れたのが4000~5000年前頃で、この後まもなく古代中国は夏・殷・周の時代に入っていくのです。



参考文献

日本語

小川環樹ほか、「角川 新字源 改訂版」、角川書店、1994年。

鎌田正ほか、「新漢語林 第二版」、大修館書店、2011年。

英語

Baxter W. H. et al. 2014. Old Chinese: A New Reconstruction. Oxford University Press.

Cai D. et al. 2014. The origins of Chinese domestic cattle as revealed by ancient DNA analysis. Journal of Archaeological Science 41: 423-434.

McTavish E. J. et al. 2013. New World cattle show ancestry from multiple independent domestication events. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 110(15): E1398-E1406.

古代中国語のkhuw(口)クウがkuɸu(食ふ)になり、ベトナム語のhàm(あご)ハムのような語がkamu(噛む)とɸamu(食む)になり、さらにタイ語のpaak(口)のような語がpakupaku(パクパク)、pakuʔ(パクッ)などになったようだという話をしました(大和言葉(やまとことば)はベトナム語やタイ語とも関係が深いを参照)。

※古代中国語のzyik(食)ジクはzikiとsyokuという音読みで日本語に取り入れられました。zyikは中国語の一時代の一方言の形ですが、日本語のsyokuという音読みを見れば、zyikとは違う形が中国語の内部にあったことがはっきりわかります。このようなバリエーションを考慮に入れると、奈良時代の日本語のsuku(食く)も無関係でないと思われます。zyikのiの部分がuあるいはそれに近い音になっていたのでしょう。奈良時代の日本語のsuku(食く)は、その後もしばらく使われていましたが、やがて廃れてしまいました。

これらの例を見ると、日本語の食に関する語彙は、シナ・チベット語族、ベトナム系言語、タイ系言語の語彙に大きく支配されているのではないかと考えたくなりますが、案の定、その通りになっています。

日本語のgohan(ごはん)は、米を意味したり、食事を意味したりする日常頻出語です。この語は、古代中国語のbjon(飯)ビオン(日本語にはbon、ɸanという音読みで取り入れられ、後者が一般的になって、現代ではhanになっています)から来ています。ベトナム語とタイ語にも、米を意味したり、食事を意味したりする、日本語のgohan(ごはん)のような日常頻出語があります。ベトナム語のcơmとタイ語のkhaawです。ベトナム語のcơmは、曖昧母音[ə]を含む語で、クムのように聞こえたり、コムのように聞こえたりします。タイ語のkhaawは、カーウのように聞こえます。このような語が日本語に入ったようです。

「米、ごはん、食事」を意味するタイ語のkhaawのような語は、「(動物に)食べ物を与えること」を意味した奈良時代の日本語のkaɸu(飼ふ)になったと見られます。古代中国語kæw(交)カウ→kaɸu(交ふ)などと同様の変化です。現代の日本語のkau(飼う)は意味が抽象化していますが、もとの意味からかけ離れてはいません。英語のfood(食べ物)とfeed(食べ物を与える)のような語彙を考えても、上の話はうなずけるでしょう。

ちなみに、人類が最も古くから飼ってきた動物といえば犬ですが、三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)には、奈良時代の人々が犬のことをmaとも呼んでいたことが書かれています。タイ語では、犬のことをmaaと言います。このような語も日本語に入り、奈良時代の時点ではまだ残っていたようです。

ベトナム語のcơmのほうはどうでしょうか。こちらはズバリ明確でしょう。「米、ごはん、食事」を意味するベトナム語のcơmのような語は、日本語のkome(米)になったと見られます(子音で終わることができないので母音が補われていますが、母音eが補われているところに大きな特徴があります。後で詳述しますが、このようなケースは非常にまれで、とりわけベトナム系言語からの外来語に認められます)。ただ、奈良時代にはyone(米)という語もあり、むしろこっちのほうがよく使われていたので、日本への稲作の伝来ルートは一つでなかった可能性があります。実際のところ、稲作の伝来ルートに関しては、過去に複数の説が出されてきました。以下の図は、農学者の佐藤洋一郎氏の著作からの引用です(佐藤1995)。朝鮮半島経由説、江南説、南方説の三つに大別されています。

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稲作の伝来は日本の歴史を語るうえで外せない重要な問題ですが、これについては別の機会に本格的に論じることにします。

食に関する語彙をもう少し見てみましょう。私たちがkau(飼う)やkome(米)よりはるかによく使う意外な語が日本語に入ってきたようです。



補説

現代の日本語の「食べる」

現代の日本語ではtaberu(食べる)という語が一般的になっていますが、この語はもともと食に関する語ではありませんでした。

昔の日本語には、tabu(四段活用)、tabu(下二段活用)、tamaɸu(四段活用)、tamaɸu(下二段活用)という動詞がありました。これらは、目上の者と目下の者の間で行われる授受に関する語でした。上の順で活用を示します。

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目上の者から目下の者へなにかが渡ったとしましょう。その時の目上の者の動作をいうのがtabu(四段活用)とtamaɸu(四段活用)で、「お与えになる」という意味です。そして、その時の目下の者の動作をいうのがtabu(下二段活用)とtamaɸu(下二段活用)で、「頂く」という意味です。tabu(四段活用)とtamaɸu(四段活用)の意味は同じで、tabu(下二段活用)とtamaɸu(下二段活用)の意味も同じです。

上の四つの動詞のうちのtabu(下二段活用)が、現代の日本語のtaberu(下一段活用)になりました。意味も、「受け取る」→「受け取って食べる」→「食べる」のように変化しました。授受に関する語が食に関する語になったのです。



参考文献

佐藤洋一郎、「稲のきた道」、裳華房、1995年。

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。

「足りる」と「足す」になぜ「足」という漢字が使われているのか、疑問を持たれた方もいるかもしれません。昔の日本語にtaruとtasuという語があり、これらに「足」という漢字を当てたわけですが、なぜそんなことをしたのかといえば、古代中国語のtsjowk(足)ツィオウクが下肢を意味するだけでなく、taruとtasuと同じような意味も持っていたからです。

古代中国語のtsjowk(足)の意味・用法には、中国の歴史が関係しています。東アジアでは、非常に古くから土器が作られ、すでに15000年ぐらい前には、様々な場所に土器が存在しました(Kuzmin 2017)。土器も時代によって変化し、やがて3本の足が付いた土器が現れます。それに続いて、3本の足が付いた青銅器も現れます。いかにも中国らしい器です(写真はWikipediaより引用)。

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このような器は、古代中国語でteng(鼎)テンと呼ばれました。teng(鼎)はもともと料理用ですが、祭り事で使われるうちに権力の象徴にもなりました。下肢を意味していた古代中国語のtsjowk(足)は、まずは土器・青銅器などに足を付けることを意味するようになり、そこから一般になにかを加えることを意味するようになっていったと見られます。昔の日本語のtaruとtasuに「足」という漢字が当てられる前に、古代中国側のこのような事情があったのです。

※上のような発想からして、奈良時代の日本語のtuku(付く)(自動詞は四段活用、他動詞は下二段活用)も究極的には古代中国語のtsjowk(足)と同源と見られます。

taruとtasu自体はどこから来たのか

昔の日本語のtaruとtasuになぜ「足」という漢字が当てられたのかは上の説明で納得できますが、昔の日本語のtaruとtasu自体がどこから来たのかというのは別問題です。

奈良時代の日本語の動詞は「―ru」という形と「―su」という形が対になっていることが多く、taruとtasuもその一例です。taruとtasuについて考える前に、よりわかりやすいaraɸaruとaraɸasuについて考えましょう。

taruとtasuのtaがピンとこなくても、araɸaruとaraɸasuのaraɸaは明らかでしょう。「隠れずに見えている状態」を意味するaraɸaという語があり、そのような状態になることをaraɸaru、そのような状態にすることをaraɸasuと言っていたのです。このような例を見ると、ある状態を意味するtaという語があって、そのような状態になることをtaru、そのような状態にすることをtasuと言っていたのかなと考えたくなります。しかし、このtaは一体なんでしょうか。

奈良時代の日本語の動詞は「―ru」という形と「―su」という形が対になっていることが多いと述べましたが、やはり目立つのは古代中国語から入ったと見られる語です。そのような例は、これまでにもいくつかありました。ここでは、taw(倒)タウとkæ(假)の例を追加しておきます(後者の漢字は日本語では「仮」になっています)。

古代中国語のkæw(交)カウがkaɸu、kaɸasu、kaɸaruという形で日本語に入ったのに似ていますが、古代中国語のtaw(倒)はtaɸuru(倒る)とtaɸusu(倒す)という形で日本語に入りました(今ではtaoreru(倒れる)とtaosu(倒す)になっています)。

古代中国語のkæ(假)は、もともと「仮の、本来のものではない、本物ではない」という意味を持っていました。そこから、なにかが一時的に持ち主の手を離れて、別の人の手に移ることも意味するようになりました。つまり、貸し借りも意味していたのです。この古代中国語のkæ(假)がkaru(借る)とkasu(貸す)という形で日本語に入りました(今ではkariru(借りる)とkasu(貸す)になっています)。

日本語はこのようなことを古代中国語に対してたくさん行っています。昔の日本語のtaruとtasuのtaはなんでしょうか。「いっぱいある状態」を意味するtaという語があって、そのような状態になることをtaru、そのような状態にすることをtasuと言っていたと見られます。このtaはなにかというと、古代中国語のta(多)だったのです。



参考文献

Kuzmin Y. V. 2017. The origins of pottery in East Asia and neighboring regions: An analysis based on radiocarbon data. Quaternary International 441: 29-35.

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