日本語の意外な歴史

これまで知られてこなかった日本語の起源、日本語の歴史について語っていきます。私たちが使っている言葉には、驚くべき人類の軌跡が隠されています。

2018年12月

ヒッタイト語とトカラ語は、ずいぶん昔に消滅してしまった言語ですが、インド・ヨーロッパ語族の歴史、そしてインド・ヨーロッパ語族と他の言語の関係を考えるうえで、決して外せない言語です。

18世紀にイギリス人のウィリアム・ジョーンズ氏がヨーロッパの言語とインドの言語の類似性を指摘した頃から、インド・ヨーロッパ語族の研究が盛んになり始め、古代ギリシャ語、古代ローマのラテン語、古代インドのサンスクリット語などを中心に研究が行われていましたが、当時はヒッタイト語の存在もトカラ語の存在も知られていませんでした。

ヒッタイト語とトカラ語の存在が知られるようになったのは、20世紀に入ってからです。発掘調査で未知の言語で書かれた古代文献が見つかり、言語学者がそれらの言語を綿密に調べた結果、インド・ヨーロッパ語族の言語であることがわかったのです。ヒッタイト語のほうはアナトリア半島(現在のトルコ)、トカラ語のほうはタリム盆地周辺(現在の中国の新疆ウイグル自治区)で使用されていました。タリム盆地はあまりなじみがないかもしれません。Wikipediaから引用した以下の地図は、新疆ウイグル自治区の位置を示したものです。タリム盆地は、新疆ウイグル自治区の下半分ぐらいです。タリム盆地の大部分は、タクラマカン砂漠という砂漠になっています。

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中国の北西部でも、かつてインド・ヨーロッパ語族の言語が話されていたのです。

しかしながら、発見されたヒッタイト語とトカラ語は、語彙、発音、文法などの点でインド・ヨーロッパ語族の既知の言語と大きく異なっており、既知の言語とは遠い類縁関係にあると考えられました( Fortson 2010 では、ヒッタイト語とトカラ語を含め、インド・ヨーロッパ語族の言語がよく概観されています)。インド・ヨーロッパ語族のおおもとの言語である印欧祖語がどのような順序で分岐していったのかということについては、言語学者によって見解がまちまちですが、印欧祖語がまず「インド・ヨーロッパ語族のアナトリア語派」と「インド・ヨーロッパ語族のその他の言語」に分岐したという見方は有力です(アナトリア半島からはヒッタイト語だけでなく、それに近い言語もいくつか発見され、これらはアナトリア語派として括られています)。

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いずれにせよ、ヒッタイト語も、トカラ語も、現在残っているインド・ヨーロッパ語族の言語と非常に遠い類縁関係にあることは間違いないので、印欧祖語の時代のこと、さらにその前の時代のことを考える際には、非常に重要なのです。一応記しておくと、以下がインド・ヨーロッパ語族の各語派です。

消滅した語派
アナトリア語派、トカラ語派

現存する語派
ゲルマン語派、イタリック語派、ケルト語派、スラヴ語派、バルト語派、ギリシャ語派、アルバニア語派、アルメニア語派、インド・イラン語派

上記の言語群・言語は、いずれも印欧祖語から分岐したもので、なおかつ文字記録によって存在が確認されているものです。ここで注意しなければならないのは、印欧祖語から分岐したが、文字記録を残すことなく消えていった言語群・言語もあったかもしれないということです(印欧祖語自体は、文字を持たない言語でした。インド・ヨーロッパ語族の中では、アナトリア語派、ギリシャ語派、インド・イラン語派、イタリック語派の文字記録が早くから現れますが、これは中東の文明に早く触れることができたからです。スラヴ語派の文字記録が現れるのは9世紀以降、バルト語派の文字記録が現れるのは14世紀以降で、ずっと遅いです)。

印欧祖語から分岐したが、文字記録を残すことなく消えていった言語の存在などと言われても、あまりに唐突な話で、さっぱりわけがわからないかもしれません。筆者がなぜそのような言語の存在について考えるようになったのか、かいつまんでお話しすることにします。

中国北西部のタリム盆地周辺でトカラ語が発見されたことによって、インド・ヨーロッパ語族の言語がかなり東のほうでも話されていたことが明らかになり、多くの学者が驚きました。しかし、そのトカラ語よりももっと東のほうで話されていたインド・ヨーロッパ語族の言語があったようなのです。



参考文献


Fortson IV B. W. 2010. Indo-European Language and Culture: An Introduction. Wiley-Blackwell.

大きく間が空いてしまいましたが、この記事は謎めく英語のhighの続きです。

インド・ヨーロッパ語族のゲルマン系言語に見られる英語high(高い)、ドイツ語hoch(高い)ホーフ、ゴート語hauhs(高い)などの語がインド・ヨーロッパ語族では標準的でないこと、そしてこれらの語がかつては*kauk-のような形をしていたと考えられることをお話ししました。

ゲルマン系言語の*kauk-(高い)は、山がちで険しい地形が特徴的なコーカサス地方(古代ギリシャ語ではKaukasos、ラテン語ではCaucasusと呼ばれていました)となんらかの関係がありそうですが、ウラル語族にも注目すべき語があります。

ウラル語族のフィンランド語には、kaukanaという語があります。意味は「遠くに、遠くで」といったところです。例えば、以下のように使います。

Hän asuu kaukana. 彼は遠くに住んでいる。
Hänハン=彼は、asuuアスー=住んでいる、kaukanaカウカナ=遠くに

kaukanaのkaukaの部分が日本語の「遠く」、naの部分が日本語の「に」に相当します。フィンランド語のkaukanaと同類の語はウラル語族の一部にしか見られないので、フィンランド語のkaukanaは外来語と見られます。しかし、この外来語は古いです。

kaukanaのnaの部分が日本語の「に」に相当すると言いましたが、この場所を表すnaは昔のなごりとしてごく限られた表現に残っているだけです。現代のフィンランド語では、koulu(学校)+ssa(に、で)→koulussa(学校に、学校で)、asema(駅)+lla(に、で)→asemalla(駅に、駅で)という具合です。kaukanaのnaが古いということは、いっしょにくっついているkaukaも古いということです。フィンランド語のkaukana(遠くに、遠くで)のkaukaの部分は、冒頭に示したインド・ヨーロッパ語族のゲルマン系言語の*kauk-(高い)に関係があると見られます。ウラル語族とインド・ヨーロッパ語族の付き合いは古いですが、その中でフィン系言語とゲルマン系言語の付き合いも古いです。

上の話を聞いて、「高い」と「遠い」は結びつかないのではないかと思われたかもしれません。しかし、人類の言語を広く見渡すと、「高い」と「遠い」の間には密接なつながりがあるのです。それどころか、「長い」、「高い」、「遠い」、「深い」の間につながりが認められます。私たちは上を見て「高い」、前を見て「遠い」、下を見て「深い」と言っていますが、方向の違いを除けば、「高い」と「遠い」と「深い」には共通性があります。いずれも一次元の尺度の問題であり、「長い」とも共通性があります。

英語のhigh(高い)だけでなく、昔の英語に存在したberg/beorg(山)にも目を向けましょう。

古英語のberg/beorg(山)

昔の英語には、berg/beorg(山)という語がありました。フランス語から入ってきたmountain(山)が一般的になったために、berg/beorg(山)は廃れてしまいました。ゲルマン系の他の言語では、今でもドイツ語のBerg(山)のような言い方をしています。

インド・ヨーロッパ語族において、英語high(高い)、ドイツ語hoch(高い)などは標準的な語ではないとお話ししましたが、古英語berg/beorg(山)、ドイツ語Berg(山)などは標準的な語です。

ゲルマン系以外の言語を見ると、古英語berg/beorg(山)、ドイツ語Berg(山)などと同源の語は、概ね高さを意味しています。スラヴ系の言語ではロシア語bereg(岸)、ポーランド語brzeg(端、へり)ブジェクのようになっていますが、これは人間が水害等を防ぐために水際に土を盛ったりしていたためで、ロシア語bereg(岸)、ポーランド語brzeg(端、へり)なども同源です。

古英語berg/beorg(山)、ドイツ語Berg(山)、ロシア語bereg(岸)、ポーランド語brzeg(端、へり)などを見ても、特に思いあたることはないかもしれません。しかし、同じインド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語parkuš(高い)やトカラ語pärkare(長い)を見ると、どうでしょうか(šとäの正確な発音はわかっていません)。

遠い昔に死語になったヒッタイト語とトカラ語には全く触れてこなかったので、まずはこれらの言語に少し触れ、その後で筆者の気にかかった日本語のharuka(はるか)やharubaru(はるばる)について考えます。

鉄道や道路で使われる「上り(のぼり)」と「下り(くだり)」という言い方に疑問を持たれた方もいると思います。確かに、鉄道や道路が上向きまたは下向きに傾斜しているわけでもないのに「上り、下り」と言うのは妙な感じがします。一般的には、中心地に向かう方向を「上り」、中心地から遠ざかる方向を「下り」と言っています。

大昔のことを考えてみてください。人間が集まって暮らしている場所が何箇所かあり、それぞれの場所の発達・繁栄具合が同じだったら、ある場所から別の場所に行くことを上記のように「上る、下る」と言うことはなかったでしょう。格差が生じて、そのような言い方がされるようになったと思われます。「上る、下る」と言っていたということは、こっちは高い場所でこっちは低い場所という上下・高低の意識があったということです。この古代の人々の意識を知っておくことは重要です。

古代中国語の「僻」

古代中国語にphjiek(僻)ピエクという語がありました。日本語ではɸekiなどの音読みが与えられました。僻地(へきち)の「僻」です。古代中国語のphjiek(僻)はそんなによく使われる語ではありませんでしたが、実は様々な形で日本語に入り込んでいます。古代中国語のphjiek(僻)のもともとの意味は、「避ける、離れる、遠ざかる」といったところです。僻地というのは、中心地から離れたところという意味です。

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まず、わかりやすいケースから説明を始めましょう。古代中国語のphjiek(僻)は、もともと「避ける、離れる、遠ざかる」という意味を持っていたため、日本語に取り入れられて、「体を後退させること」、そしてさらに「なにかを自分のほうへ移動させること」を意味するようになったようです。これがɸiku(引く)の語源です。もっと意味が抽象的ですが、ɸikaɸu(控ふ)(現代ではhikaeru(控える))も同類です。身を引くようなbikuʔ(びくっ)、bikkuri(びっくり)、bikubiku(びくびく)や引きつるようなhikuhiku(ひくひく)、pikupiku(ぴくぴく)も無関係でないかもしれません。

次は、もう少しわかりにくいケースです。上の図が示すように、古代の人々は「中心地は高い場所、中心地から離れたところは低い場所」と意識していました(中心地には偉い人がいたでしょう)。そのため、古代中国語のphjiek(僻)が*pikiまたはɸikiという形で日本語に取り入れられて、「低さ」も意味していたようなのです。奈良時代の人々は、背の低い人をɸikiɸitoと言ったり、低い山をɸikiyamaと言ったりしていました。このɸikiは、ɸikisiからɸikusiを通じて、現代の日本語のhikui(低い)に至ります。古代の人々にとっては自然な意味変化だったと思われますが、現代の私たちにはいくらか奇異に映るのではないでしょうか。ただ、私たちも、(主たる場所からそうでない場所に)退くことを「下がる」と言ったりしているので、全く理解できないということもないと思います。hikui(低い)はtakai(高い)に比べると歴史が非常に浅いです(takai(高い)については、言葉の意味はこんなに変わる!―世界の様々な事例の記事の中で少し触れました)。

hikui(低い)よりもっとわかりにくいのが、higamu(僻む)です。古代中国語のphjiek(僻)には「中心から離れている」という意味がありましたが、さらに抽象化が進んで「正しいとされる基準・範囲から外れている」という意味もありました。要するに、「正しくない、間違っている、偏っている」という意味があったのです。日本語のɸigamu→higamu(僻む)はこの意味を受け継いで、間違ったあるいは偏った考え方、見方、捉え方をすることを意味していました。ここから、素直に受け取らないというような意味が生じるのです。

このように、古代中国語でマイナーな存在だったphjiek(僻)は、日本語で大活躍することになりました。中国語と日本語の間にはこういうケースもあるのだと、記憶しておいたほうがよいでしょう。



補説

「抜く」はとても古い

日本語には、hiku(引く)に似た語として、nuku(抜く)があります。こちらは歴史が古そうです。

ウラル語族のフィンランド語に、現代ではあまり使われなくなっていますが、nykiäニュキア(引く)という語があります。引くことや抜くことを意味するハンガリー語方言nyűニュ、ネネツ語nekəltsjネクルツィ、セリクプ語njaqqɨlqaニャッキルカなどと同源と見られます。

このような語がウラル語族全体に広がっているので、日本語のnuku(抜く)はウラル語族との共通語彙と言ってよさそうです。

現代の中国語には、父亲(フーチン)という言い方と爸(パー)/爸爸(パーパ)という言い方があります。どちらも父を意味しますが、前者は正式な言い方で、後者はくだけた言い方です。爸(パー)/爸爸(パーパ)という言い方を見ると、中国の人たちも欧米の影響を受けてこんな言い方をするようになったのかと思ってしまいそうですが、そうではありません。古代中国語に、bju(父)ビウという語とbwa(爸)ブアという語があったのです。日本語では、前者にbu、ɸuという音読み、後者にba、ɸaという音読みが与えられました。古チベット語や古ビルマ語にも父を意味する a pha アパ あるいは pha という語が認められるので、古代中国語のbwa(爸)は歴史が古そうです。

そもそも、口語的な言い方だからといって、歴史が浅いとは限りません。例えば、英語のfather(父)は、ラテン語pater、古代ギリシャ語patēr、サンスクリット語pitāなどと同源で、歴史が古いです。しかし、英語のdad(お父さん)も、ラテン語tata、古代ギリシャ語tata、サンスクリット語tātahなどと同源と見られ、歴史が古いようなのです。

インド・ヨーロッパ語族の「父」

上に英語、ラテン語、古代ギリシャ語、サンスクリット語の例を挙げましたが、インド・ヨーロッパ語族の「父」はもう少し事情が複雑です。まずは、ゲルマン系言語とスラヴ系言語の「父」を示します。

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ゲルマン系言語の「父」(ただしゴート語のattaは除く)は、スラヴ系言語の「父」と同源ではありません。印欧祖語には、くだけた口語的な言い方を抜きにしても、二つの言い方があり、その一方が英語のfatherなどになり、他方がロシア語のotetsなどになったようなのです。よく似た意味・用法を持つ二語がずっと並立するのは難しく、インド・ヨーロッパ語族の各言語ではどちらかが廃れていきました。

ちなみに、ラテン語では、paterが父を意味し、attaは一般に男の年長者に対して用いられるという状況でした。古代ギリシャ語でも、patērが父を意味し、attaは一般に男の年長者に対して用いられるという状況でした。このラテン語と古代ギリシャ語の展開は、よくわかります。しかし、サンスクリット語では意外なことが起きています。サンスクリット語では、pitāが父を意味していますが、attāは女の年長者(母、おば、姉、義母など)に対して用いられているのです。

インドではインド・ヨーロッパ語族の言語が話されていますが、インド南部ではドラヴィダ語族の言語も話されています。ドラヴィダ語族の言語は、インド・ヨーロッパ語族の言語とは全然違います。ドラヴィダ語族の主な言語として、テルグ語、タミル語、カンナダ語、マラヤーラム語が挙げられます。ドラヴィダ語族には、テルグ語atta、タミル語attai、カンナダ語atte、マラヤーラム語attanのような語があり、おばや義母を意味しています。

インド・ヨーロッパ語族とドラヴィダ語族を見渡すと、インド・ヨーロッパ語族で父あるいは男の年長者に対して使われていた語がインドに伝わり、そこで女の年長者に対して用いられるようになったのではないかと考えたくなります(「インド・ヨーロッパ語族」という名前で呼ばれていますが、言語学者も、考古学者も、生物学者も、インド・ヨーロッパ語族の言語がもともとインドまたはヨーロッパで話されていたとは考えておらず、黒海・カスピ海の北(現在のウクライナ、ロシア南部、カザフスタンが続くあたり)かアナトリア(現在のトルコ)で話されていたと考えています。インド・ヨーロッパ語族の言語は、後からインドにやって来たのです)。

上のインド・ヨーロッパ語族とドラヴィダ語族の例は、全く例外的というわけでもなさそうです。すでに述べたように、ウラル語族では、フィンランド語のisä(父)イサは標準的な語ですが、ハンガリー語のapa(父)は非標準的な語です。ハンガリー語のapaはどこから来たのだろうと思いながら、ハンガリー語がかつて話されていた中央アジアのほうに目を向けると(ウラル語族の中でハンガリー語に最も近いハンティ語とマンシ語は中央アジアのやや北側で話されています)、テュルク諸語のカザフ語apa、キルギス語apa、ウズベク語opa、トルクメン語apa、ウイグル語apaのような語が目に入ります。しかし、これらの語は母またはその他の女の年長者に対して用いられています。さらに目を進めると、モンゴル語のaav(父)アーブのような語が目に入ります。前に見た父を意味する古代中国語のbju、bwaや古チベット語・古ビルマ語の a pha 、pha も無関係とは思えません。こうして見ると、テュルク諸語において、父または男の年長者に対して使われていた語が、母または女の年長者に対して用いられるようになった可能性が考えられます。

なぜこのようなことが起きるのでしょうか。目上の者である、大きな存在である、中心的な存在であるといったことが、男か女かということより、ずっと強く意識されていたのかもしれません。それに加えて、語が全然違う文化圏・言語圏に突入していく場合には、意味・用法が大きく変わる確率が高くなります。

すでに詳しく見たように、日本語の男と女に関する語彙の大部分が古代中国語由来であり、奈良時代のtiti、oɸodi、wodiのもとになったと見られるtiが古代中国語のtsyu(主)チウから来ているとなれば、奈良時代のɸaɸa、oɸoba、wobaのもとになったと見られる*ɸaあるいは*paも古代中国語のなんらかの語から来ている可能性が高いです。当然、古代中国語のなんらかの語とは具体的にどの語かということが問題になります。

ここで筆者が思案の末に辿り着いたのが、冒頭に示した古代中国語のbwa(爸)でした。日本語ではbaとɸaという音読みが与えられましたが、語頭に濁音が来ないという制約があった時代ではpaかɸaにならざるをえません。このように、発音面では、古代中国語のbwa(爸)と、奈良時代の日本語のɸaɸa、oɸoba、wobaのもとになったと見られる*ɸaあるいは*paは、完全に合致します。漢字を学ぶ前の日本人にとっては、古代中国語はもっぱら、読むものではなく、聞くものだったはずです。中国人がbwa(爸)と言うのを聞いていたでしょう。

問題は意味面です。祖父、父、おじのような男性の領域内での意味の変化、あるいは祖母、母、おばのような女性の領域内での意味の変化ならともかく、男の年長者に対して使われていた語が、女の年長者に対して用いられるようになるということが果たしてあるのだろうかと、筆者も半信半疑でした。

しかし、古代の人々が祖父、父、おじなどに対して共通に使っていた語、祖母、母、おばなどに対して共通に使っていた語は、親族関係を正確に表すというより、敬称としての性格が強かったと考えられます。目上であることに主眼が置かれると、男女の区別はさほど重要でなくなり、男の年長者に対して使われていた語が、女の年長者に対して用いられるようになるということもありえそうです。実際に、人類の言語には先に挙げたインド・ヨーロッパ語族とドラヴィダ語族のような例が散見されるのです。

※古代の人々が祖父、父、おじ、その他の男の年長者に対して同じ言い方をしていたからといって、これらの男性を区別することができなかったということではありません。同じように、古代の人々が祖母、母、おば、その他の女の年長者に対して同じ言い方をしていたからといって、これらの女性を区別することができなかったということではありません。例えば、現代の日本語では、父母の姉・妹に対してobasanと言えますが、父母の姉・妹でなくてもそのぐらいの年齢の女性であればobasanと言えます。私たちは、父母の姉・妹である女性とそうでない女性を区別することはできますが、同じ言い方をしているのです。

古代中国語のtsyu(主)から来たtiが、父およびその他の男の年長者に対する語として地位を固めていたら、古代中国語のbwa(爸)から来た*paあるいは*ɸaは、意味が変わりやすかったでしょう。titi、oɸodi、wodiの語源は古代中国語のtsyu(主)に、ɸaɸa、oɸoba、wobaの語源は古代中国語のbwa(爸)にありそうです。まさかの性転換でした。

男と女に関する語彙の話がずっと続いたので、他のテーマに移りましょう。

シナ・チベット語族で「ぬし、所有者、支配者」を意味している語を調べることにした筆者は、この時すでに、日本語の男と女に関する語彙の大部分は古代中国語から来たものではないかと予想していました。

奈良時代には、me(女)という語が広く使われていました。奈良時代の日本語にエ列の音が少ないことは前にお話ししました。奈良時代の日本語のエ列にはエ列甲類とエ列乙類という微妙に異なる二つの列があり、奈良時代の日本語のme(女)はエ列甲類の音で、me(目)はエ列乙類の音です。

me(目)という語は、組み込まれたmaという形があり、日本語にエ列がなかった時代には*ma(目)として存在していただろうと考えられますが、me(女)という語は、そのような形がなく、日本語にエ列がなかった時代にはそもそも存在していなかったのではないかと考えられます。me(目)に比べて、me(女)は歴史が浅いということです。

日本語のne(音)は古代中国語以外のシナ・チベット系言語から来たと見られる語で(日本語を改造したのはだれか?を参照)、te(手)はベトナム系言語から来たと見られる語です(「背」の語源を参照)。そのne(音)にも組み込まれたnaという形があり(naru(鳴る)、naku(鳴く)など)、te(手)にも組み込まれたtaという形があります(tanagokoro(掌)、taduna(手綱)など)。ne(音)やte(手)と比べても、me(女)は歴史が浅そうです。

me(女)が比較的新しいということは、wotomeという語も新しいということです。wotokoという語だけが長い間存在し、その後でようやくwotomeという語ができたというのは、ちょっと考えづらいです。ということは、wotokoという語も新しいということです。

日本の奈良時代は、都が平城京に移されたAD710年から始まりました。それより少し前の時代に古代中国語が日本語に語彙を与えることはできますが、その時代に古代中国語以外のシナ・チベット系言語が日本語に語彙を与えるのは無理があります。春秋戦国時代までは、中国東海岸に近い地域に古代中国語以外のシナ・チベット系言語が存在する余地がありましたが、秦・漢の時代以降(BC221年~)は、そのような余地がなくなります。古代中国語以外のシナ・チベット系言語と日本語の接触が考えられそうなのは、春秋戦国時代までなのです。シナ・チベット語族からの外来語で、取り入れられた時期が奈良時代より少し昔となれば、出所はおのずと古代中国語に限られてきます。

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今思えば、古代中国語に注目したこと自体は間違っていなかったのですが、筆者は古代中国語のnom(男)やbju(父)ビウのような語彙にずっと目を奪われていたので、日本語のwotokoやtitiを古代中国語に結びつけることができませんでした。転機となったのは、すでにお話ししたウラル語族のフィンランド語のisäイサのような語に関する考察で、ここで初めて、古代の人々が「ぬし、所有者、支配者」を意味する語を祖父、父、その他の年長者に対して使っていたことを知りました。そうして、最終的に、古代中国語のkjun(君)キウン、kuwng(公)クウン、hjwang(王)ヒウアン、tsyu(主)チウ
が日本語の語彙形成に大きく関わったことを知ったのです。

日本語の男と女に関する語彙について論じてきましたが、突っ込まずに放置した語があります。それはɸaɸa(母)です。日本語に古くからあったと見られるomo(母)に取って代わったɸaɸa(母)です。omotiti(母父)という言い方がtitiɸaɸa(父母)という言い方になったのも、大きな変化を印象づけます。奈良時代の日本語では「titi、oɸodi、wodi」と「ɸaɸa、oɸoba、woba」がきれいに対になっており、前の三語だけでなく、後の三語も古代中国語由来と考えられます(言うまでもなく、前の三語は現代のtiti(父)、ozīsan/ozītyan(おじいさん、おじいちゃん)、ozisan/ozityan(おじさん、おじちゃん)などにつながる語であり、後の三語は現代のhaha(母)、obāsan/obātyan(おばあさん、おばあちゃん)、obasan/
obatyan(おばさん、おばちゃん)などにつながる語です)。

奈良時代の時点ではもう存在が確認できませんが、titi、oɸodi、wodiのもとになったtiという語(男の年長者に対して使う)が存在したように、ɸaɸa、oɸoba、wobaのもとになった*ɸaあるいは*paという語が存在したと思われます。もともと、祖父、父、その他の男の年長者に対してtiと言い、祖母、母、その他の女の年長者に対して*ɸaあるいは*paと言っていたのだろうということです。

titi(父)の語源もそうでしたが、ɸaɸa(母)の語源を明らかにするのは容易ではありません。まずなによりも、古代の人々の習慣や感覚を理解しようと努めなければなりません。それでは、ɸaɸa(母)の語源についてお話ししましょう。



補説

「窓」の語源

me(目)がmaという形で組み込まれている語として、manako(まなこ)やmatuge(まつげ)はわかりやすいと思います。ここに出てくる「な」と「つ」は、「の」と同じような働きをしていた助詞です。

me(目)がmaという形で組み込まれている語はほかにもあり、mado(窓)もその一つです。戸は人が出たり入ったりするところですが、窓はせいぜいそこから覗くくらいです。そこで、ma(目)+to(戸)=mado(窓)です。

世界の言語を見渡すと、「窓」を意味する語は、「目」か「風」に関係していることが多いです。英語のwindow(窓)は古ノルド語のvindauga(窓)から来ており、vindの部分は「風」、augaの部分は「目」を意味しています(古ノルド語はアイスランド語、ノルウェー語、スウェーデン語、デンマーク語などの前身です)。


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