謎めく英語のhigh

英語のhigh(高い)がイタリック系のイタリア語alto(高い)アルトやスラヴ系のロシア語vysokij(高い)ヴィソーキイに結びつかないことはすでに述べました。インド・ヨーロッパ語族の他の系統の「高い」にも結びつきません。実は、この英語のhigh(高い)という語は、いわくありげなのです。

ゲルマン系言語の「高い」をもう一度並べます。

英語high
ドイツ語 ホーフ オランダ語hoog ホーフ
デンマーク語høj ホイ スウェーデン語hög ホーグ ノルウェー語høy ホイ
アイスランド語hár ハウル

今度はもう一つ言語を付け加えます。

ゴート語hauhs

ゴート語は千年以上前に死語になってしまった言語なので、ゴート語という名前すら聞いたことがない方も多いと思います。一時期は、黒海周辺(ウクライナ・ルーマニアのあたり)からイベリア半島(スペイン・ポルトガルのあたり)に至る広い地域で話されていました。ゴート語は、ゲルマン系の言語ではありますが、現在残っているゲルマン系の言語とはいくらか離れた関係にあります。現在残っているゲルマン系言語とゴート語を合わせて見ることによって、ゲルマン系言語の歴史が詳しく見えてくるので、ゴート語は非常に重要な言語です。

そのゴート語に、hauhs(高い)という語がありました。この語を見ると、ドイツ語のhoch(高い)ホーフのoやスウェーデン語のhög(高い)ホーグのöがかつてauアウという音だったことがわかります(スウェーデン語のöは、口をオの形にしてエと発音する音で、発音記号で表すと[ø]です)。このような変化はよくあるもので、日本語の「行かう」が「行こう」あるいは「行こー」になったのもこの類です。

ゴート語のhauhs(高い)のauの部分も重要ですが、それを挟んでいる二つのhの部分も重要です。英語heart(心臓)、ゴート語hairto(心臓)などが、ギリシャ語kardiá(心臓)カルズィヤやイタリア語cuore(心臓)クオーレに対応しているのを見ればわかるように、ゲルマン系の言語には、遠い昔にk→hという音韻変化が起きています。ゴート語のhauhs(高い)は、かつて*kauk-のような形をしていた可能性があるのです。つまり、英語のhigh(高い)は、かつて*kauk-のような形をしていた可能性があるということです(英語を他のゲルマン系言語と比べればわかりますが、英語は発音の崩れが著しいです)。

ゲルマン系言語の「高い」がかつて*kauk-のような形をしていたと考えられる理由があります。

まず、インド・ヨーロッパ語族の昔の特徴を非常によく残していることで有名なリトアニア語に、kaukaras(丘、小山、てっぺん)という語があります。

そして興味深いのが、Caucasus(コーカサス)という地名です。コーカサス地方は、黒海とカスピ海に挟まれたところにあります。コーカサス山脈が走っており、地形の険しいところです。現在のジョージア(旧グルジア)、アルメニア、アゼルバイジャンのあたりです。

※生物学が発達して人間のDNAが調べられるようになってからほとんど聞かなくなりましたが、ユーラシア大陸の西のほうに住む人々をコーカソイド、ユーラシア大陸の東のほうに住む人々をモンゴロイドと呼んでいた時代がありました。これらはそれぞれ、コーカサスとモンゴルに基づく呼び名です。

現在では、コーカサス地方のまわりはインド・ヨーロッパ語族の言語、アラビア語、テュルク諸語で完全に埋め尽くされていますが、コーカサス地方の言語自体はそのどれとも大きく異なっています。そして、コーカサス地方の言語同士も大きく異なっています。現代の言語学ではひとまず、コーカサス地方の言語を南コーカサスの言語群、北西コーカサスの言語群、北東コーカサスの言語群の三つに分けています。コーカサス地方は、異質な言語が密集しているところです。コーカサス地方の言語は、人類の言語の歴史を大きくさかのぼっていく時に大変重要になります。

英語のCaucasus(コーカサス)はラテン語のCaucasusから来ており、ラテン語のCaucasusは古代ギリシャ語のKaukasos(コーカサス)から来ています。地名を見る時に注意しなければならないのは、地名にも語源があるということです。普通の名詞、動詞、形容詞などに語源があるように、地名にも語源があるのです。

例えば、アフリカ大陸の「サハラ砂漠」の「サハラ」は、アラビア語のṣaḥrāʾ(砂漠)サフラーという普通名詞から来ています。人類の言語の歴史を研究するうえで、地名も侮れないのです。

Caucasus mountains (コーカサス山脈)のCaucasusは、古代ギリシャ語のKaukasos(コーカサス)から来ていることがわかっているだけで、それ以上のことはわかっていません。Ural mountains (ウラル山脈)のUralも、Altai mountains (アルタイ山脈)のAltaiも、語源が不確かです。しかし、全く想像がつかないということもないでしょう。

かつて山のことをCaucasusのように言っていたのではないか。かつて山のことをUralのように言っていたのではないか。かつて山のことをAltaiのように言っていたのではないか。そんな可能性が頭をよぎります。

この記事の内容は長い、高い、遠い、深いは似ているに続きます。

日本語を改造したのはだれか?

この記事は不思議な言語群の続きです。

日本語の頭部に関する語彙は、大変ショッキングなことになっています。まずはご覧いただきましょう。日本語とウラル語族の頭部に関する語彙です。

見ての通り、全然似ていません。日本語のatama(頭)は、昔は今のような一般的な語ではなく、赤ん坊の頭の前のほうに見られるへこみ(医学では大泉門といいます)を意味する特殊な語でした。したがって、日本語のatama(頭)がウラル語族の「頭」に結びつかないのは当然ですが、それにしてもあまりに違いすぎます。

もっとも、よく見ると、フィンランド語とハンガリー語もかなり異なっています。両者に共通しているのは、pää―fej(頭)、silmä―szem(目)、suu―száj(口)だけです(ハンガリー語のスペリングは少し風変わりで、単にsと書くと[ʃ]の音を表し、szと書くと[s]の音を表します)。ちなみに、フィンランド語silmä(目)、ハンガリー語szem(目)、ネネツ語sew(目)は同源で、ウラル語族の全言語がこのような語を持っています。「目」を意味する語はなかなか変わらないということです。しかし、フィンランド語silmä(目)、ハンガリー語szem(目)、ネネツ語sew(目)などですら、日本語のme(目)(古形*ma)には結びつきません。

日本語の頭部に関する語彙は、一体どこから来たのでしょうか。ベトナム語とタイ語の頭部に関する語彙を見ても、日本語とは全然違います。

にわかには信じがたいことですが、日本語の頭部に関する語彙は、日本語の上肢・胴体・下肢に関する語彙と全く出所が違うようです。驚くべきことに、日本語のme(目)も、mimi(耳)も、hana(鼻)も、kuti(口)も、外来語のようです。

筆者は日本語とウラル語族の語彙を研究していて、あることに気づいていました。日本語が非常に古くから持っていると考えられるウラル語族との共通語彙が、新しく入ってきた謎の語彙によって追いやられたようになっているのです。頭部に関する語彙もその例です。日本語に大きな改造が行われた形跡が認められるのです。

先ほど示した日本語とウラル語族の頭部に関する語彙を見比べると、全然違うなという印象を受けます。しかし、実を言うと、表の中のフィンランド語、ハンガリー語、ネネツ語には、日本語に関係のある語が結構含まれているのです。

ここでは一例として、フィンランド語のkorva(耳)を挙げましょう。推定される祖形は*korwaです。日本語にこれに対応する語があるかというと、あるのです。日本語では子音の連続が許されないために、*korwaは*kowaになり、*kowa→kowe→koeという変遷を辿りました。フィンランド語korva(耳)、日本語*kowa→kowe→koe(声)、朝鮮語kwi(耳)と並べれば、なにが起きたかわかるでしょうか。日本語のkoe(声)は、もともと「耳」を意味していた語なのです。

「耳」→「音・声」という意味変化は、よくあるパターンです。シナ・チベット語族には、古代中国語nyi(耳)、チベット語 rna ba (耳)、ミャンマー語na(耳)、チンポー語na(耳)、ギャロン語 tə rna (耳)トゥルナのような語があります。推定される祖形は*rnaです。このような語が、日本語に*na(音)として取り入れられたようです。この*naからnaru(鳴る)、nasu(鳴す)、naku(鳴く、泣く)という動詞が作られ、裸の*naはne(音)に変化したと考えられます(nasu(鳴す)は廃れ、narasu(鳴らす)に取って代わられました。narasu(鳴らす)という動詞は、onara(おなら)という語も生み出しました)。

そのようなわけで、フィンランド語のkorva(耳)と日本語のkoe(声)(組み込まれてkowa-)の対応は自然なものです。しかし、日本語のほうで、「耳」を意味していた語が、その座を奪われてしまったことは見逃せません。「目」を意味していた語も、「鼻」を意味していた語も、「口」を意味していた語も、同じように追いやられてしまったようです。頭部に関する語彙以外の重要語彙でも、このようなことが起きています。

目、耳、鼻、口などを意味する語はなかなか変わりそうにありませんが、日本語では頭部に関する語彙がほぼまるごと入れ替えられてしまったようなのです。日本語の頭部に関する語彙の問題は、日本語の正体を明らかにするうえで、非常に大きな山場になります。すでに見たように、日本語の頭部に関する語彙は、ウラル語族との共通語彙でもないし、ベトナム系言語との共通語彙でもないのです。

だれが日本語を改造したのでしょうか(正確には「日本語」ではなく「日本語の前身言語」と言うべきです)。およその見当をつけるため、頭部に関する語彙以外で改造が行われている例も見てみましょう。まずは、sinu(死ぬ)とkorosu(殺す)を取り上げます。

言葉の意味はこんなに変わる(続き)

フィンランド語のkorkea(高い)

ウラル語族には、kVr-、kVrk-(Vはo、ə、u、ɨなど)という語根があり、この語根から「高さ、高くなった場所」を意味する語が作られています。例えば、フィンランド語korkea(高い)、エストニア語kõrge(高い)クルゲ、マリ語kurək(山、丘)クルク、コミ語kɨr(土手、急斜面、崖)キルなどの語があります。

日本語では、奈良時代の時点ですでに、「高さ、高くなった場所」を表すのにtakaの存在が大きくなっています。しかし、かつては、kuraおよびその同類と見られるkuroも「高さ、高くなった場所」を表すのに活躍していたと思われます。物を置いたり、人が座ったりするために高くなった場所をkura(座)と呼んでいました(asi(足)とこのkura(座)から、agura(あぐら)という語ができました)。高床式倉庫をkura(倉)と呼んでいました。「高さ、高くなった場所」を表したkuraはwiru(居る)と組み合わさってkurawi(位)になり、現代ではkurai(位)としても残っています。また、田畑の境として土が盛り上がったところをkuro(畔)と呼んでいました(aze(畔)の類義語です)。日本語のkura(座)、kura(倉)、kurai(位)のkura、kuro(畔)なども、ウラル語族で「高さ、高くなった場所」を意味する語のもとになっているkVr-、kVrk-という語根から来ていると考えられます。「高さ」を表すtakaが、take(岳)、matutake(松茸)、siitake(椎茸)のようになっているのを見ると、「高さ」を表したkuraは、kurage(クラゲ)とも関係があるかもしれません。

「高さ」を表す日本語のtakaと関係がある語は大変広く分布しているようだと述べましたが、「高さ」を表した日本語のkuraと関係がある語も大変広く分布しているようです。ウラル語族だけでなく、インド・ヨーロッパ語族にも、ロシア語gora(山)、ポーランド語góra(山)グラ、ブルガリア語gora(森)、リトアニア語giria(樹林)、サンスクリット語giri(山)などの語が見られます(サンスクリット語は古代インドの言語です)。

※ウラル語族でも、インド・ヨーロッパ語族でも、「山」と「森」の間で意味がずれたり、「山」と「森」の両方を意味したりすることがあります。日本語のmori(森)も、moru(盛る)やmorimori(モリモリ)のような語があることから、「山」を意味することがあったと思われます。

日本語のtakai(高い)、ハンガリー語のmagas(高い)、フィンランド語のkorkea(高い)およびそれらの周辺の語彙をざっと見ました。おわかりになったと思いますが、日本語の語彙とウラル語族の語彙は対応していますが、その対応の仕方は単純ではありません。日本語のtakai(高い)とハンガリー語のmagas(高い)は結びつかないし、日本語のtakai(高い)とフィンランド語のkorkea(高い)も結びつかないのです。これは、よく研究されてきたインド・ヨーロッパ語族の事例に照らしても、当たり前のことです。例として、英語のhigh(高い)を取り上げます。以下に、ゲルマン系言語の「高い」を示します。

なんだ似ているじゃないかと思われるかもしれませんが、ゲルマン系以外の言語を見れば、イタリック系はイタリア語のalto(高い)アルトのような言い方であり、スラヴ系はロシア語のvysokij(高い)ヴィソーキイのような言い方です。英語のhigh(高い)とイタリア語のalto(高い)は結びつかないし、英語のhigh(高い)とロシア語のvysokij(高い)も結びつきません。

インド・ヨーロッパ語族の内部でも、類縁関係が遠くなれば、「○○○」は各言語でなんと言うか、「×××」は各言語でなんと言うか、「△△△」は各言語でなんと言うか、というような単純な比較法では結びつけられなくなってきます。ゲルマン系の言語は一般的に2000~3000年前のどこかに共通祖先(ゲルマン祖語)を持っていると考えられていますが(Fortson 2010、第15章)、そのくらい近い類縁関係がなければ、単純な比較法では結びつけられないということです。ゲルマン系の言語同士の間に見られるような関係を、日本語と他の言語の間に見つけようとしても、それは無理があります。ゲルマン系の言語同士の関係は、せいぜい日本語の本土方言と琉球方言の関係よりやや古い程度です。

これまで、人類の言語の歴史を解明しようとする時には、ラテン語(古代ローマの言語)、古代ギリシャ語、サンスクリット語(古代インドの言語)などの古典語が注目を集めてきました。筆者もこれらの言語の重要性を否定はしません。しかし、人類の言語の歴史を解明するという目的のためには、実は現代語に目を向けることも重要なのです。

インド・ヨーロッパ語族の各現代語を見ると、もう単純な比較法では結びつけられないぐらい、それぞれに大きく異なっています。「高い」は英語、イタリア語、ロシア語でなんと言うでしょうか。英語ではhigh、イタリア語ではalto、ロシア語ではvysokijヴィソーキイです。「低い」は英語、イタリア語、ロシア語でなんと言うでしょうか。英語ではlow、イタリア語ではbasso、ロシア語ではnizkijニースキイです。

インド・ヨーロッパ語族の各現代語は、遠い過去に共通祖先(印欧祖語)を持っていますが、そこからそれぞれに大きな変化を経て現代に至っています。インド・ヨーロッパ語族の各現代語は、何千年もの間に語の意味がどのように変化するかをまざまざと見せてくれているのです。筆者がインド・ヨーロッパ語族の現代語を重視する理由はここにあります。

筆者は、本ブログの冒頭で述べたようにもともと現代語のほうに慣れ親しんでいたので、インド・ヨーロッパ語族やウラル語族の現代語の語彙を詳細に研究し、よくある意味変化のパターンを見極めることに努めました。従来の歴史言語学のようにひたすら音の変化のパターンに注目するのではなく、意味の変化のパターンにも注目したのです。従来の歴史言語学が日本語や近隣地域の言語の歴史を明らかにできないのを見て、問題があると感じたからです。

長い年月が過ぎると、語の意味はかなりダイナミックに変化します。しかし、無茶苦茶な変わり方をするわけではありません。そこには、パターンがあるのです。日本語、ウラル語族の言語、それらの周辺地域の言語の語彙を調べて、「背中、背、うしろ」と「高さ」の間で意味がずれていることを指摘しましたが、これはよくあるパターンです。このような実際に起きやすい意味変化の経路を把握しておくことは、日本語とウラル語族の言語の関係を明らかにする時だけでなく、日本語とウラル語族の言語が地球のその他の言語とどのように関係しているか調べる時にも重要になってきます。

 

参考文献

Fortson IV B. W. 2010. Indo-European Language and Culture: An Introduction. Wiley-Blackwell.