日本語の意外な歴史

これまで知られてこなかった日本語の起源、日本語の歴史について語っていきます。私たちが使っている言葉には、驚くべき人類の軌跡が隠されています。

2019年03月

現代の日本人の普通の感覚では、mune(胸)は目に見えるもので、kokoro(心)は目に見えないものでしょう。しかし、mune(胸)はもともと目に見えないものを意味していたようです。日本語のmune(胸)は、インド・ヨーロッパ語族の語彙に通じているようです。

インド・ヨーロッパ語族には、mVn-という語根があり、この語根から「考える、思う、考え、思い、人間が考え・思いを抱く場所」あるいは「覚えている、記憶、人間が記憶を抱く場所」を意味する語が作られています。「考える、思う」と「覚えている」では、意味の違いはありますが、なにかが心・頭に存在するという点は共通しています(実は、日本語のoboeru(覚える)も、もとを辿ればomoɸu(思ふ)に行き着きます。omoɸu(思ふ)に昔の自発の助動詞のyu(ゆ)がくっついたのがomoɸoyu(思ほゆ)(思われるという意味)で、このomoɸoyu(思ほゆ)の形と意味が変化してoboeru(覚える)ができた経緯があります。昔の自発の助動詞のyu(ゆ)はなじみがないかもしれませんが、かつてのmiyu(見ゆ)が現代のmieru(見える)になったり、かつてのkikoyu(聞こゆ)が現代のkikoeru(聞こえる)になったりしています)。

英語のmean(意味する)は、同じゲルマン系のドイツ語meinen、バルト系のリトアニア語manyti、スラヴ系のロシア語mnitjムニーチなどと同源で、これらの語は、意味は少しずつ違いますが、「考える、意図する、意味する」という意味を持ち、上記のインド・ヨーロッパ語族のmVn-という語根から来ています。ドイツ語のmeinen、リトアニア語のmanyti、ロシア語のmnitjは、辞書の見出しになる不定形という形(英語でいう原形)で、主語が1人称単数、2人称単数、3人称単数、1人称複数、2人称複数、3人称複数のいずれであるかによって、以下のように活用します。

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ロシア語のmnitj(考える)ムニーチ自体はもう死語になっていますが、名詞形のmnenie(考え)ムニェーニヤや派生語のpomnitj(覚えている)ポームニチ、vspomnitj(思い出す)フスポームニチなどは普通に使用されています。英語のremember(覚えている、思い出す)はフランス語からの外来語で、英語でもかつてはインド・ヨーロッパ語族のmVn-という語根から作られたgemunan(覚えている、思い出す)という語を使っていました。

このように、インド・ヨーロッパ語族では、mVn-という語根から「考える、思う、考え、思い」を意味する語が作られましたが、それだけでなく、「人間が考え・思いを抱く場所」を意味する語も生まれました。

人間の体を解剖すれば、脳、心臓、肝臓などの器官を見ることができますが、そういう目に見える器官を指す語とは別に、「人間が考え・思いを抱く場所」を意味してきた語があります。日本語のkokoroや英語のmindのような語です(この類の語は、「人間が考え・思いを抱く場所」を指す働きと「考え・思いそのもの」を指す働きを併せ持っていることが多いです)。

インド・ヨーロッパ語族のサンスクリット語では「心」のことをmanasと言い、ラテン語では「心」のことをmensと言いました。現代語にも、ヒンディー語man(心)、イタリア語mente(心)などの語があります。これらも、mVn-という語根から生まれた語です。英語のmindはいくぶん複雑な過程を経ていますが、やはりmVn-という語根から来ています。

インド・ヨーロッパ語族のmVn-という語根、そしてそこから生まれた「考える、思う、考え、思い、人間が考え・思いを抱く場所」を意味する語と関係がありそうなのが、日本語のmune(胸)、mune(旨)、mana-(愛)です。

mune(旨)は、現代の日本語では決まった言い方の中で使われることが多いと思いますが、「考え、考えの内容、意向、言わんとすること、こと」という意味です。かつて日本語にインド・ヨーロッパ語族と同じように考え、思い、人間が考え・思いを抱く場所を意味する*munaという語があって、これが現代の日本語のmune(胸)とmune(旨)になっていると見られます。おそらくmune(胸)は、kokoro(心)との意味的な衝突を経て、現在の位置づけになっていると思われます。

mune(胸)/mune(旨)(古形*muna)だけでなく、mana-(愛)(古形*mana)もインド・ヨーロッパ語族の語彙に関係があるでしょう。mana-(愛)は、「思い」という意味が限定されて、「愛」という意味になったと見られます。ウラル語族にも、ネネツ語menjesj(愛する)メニェスィ、menjewa(愛)メニェワ、ガナサン語mənjunsja(愛する)ムニュンシャ、mənjubsja(愛)ムニュブシャなどの語があり、「思い」→「愛」という流れは自然にありそうです。現代の日本人も、ryōomoi(両想い)、kataomoi(片想い)のような言葉を使っているので、しっくりくるでしょう。mana-(愛)は、中国語からai(愛)という語が入ってきたので、もうほとんど出番がありません。

日本語のmune(胸)/mune(旨)とmana-(愛)に対応していると考えられる語は、インド・ヨーロッパ語族には広く見られますが、ウラル語族にはあまり見られません。上に挙げたネネツ語やガナサン語のような例が少しあるだけで、これらも外来語である可能性が高いです。日本語のmune(胸)/mune(旨)とmana-(愛)は、インド・ヨーロッパ語族から来たようです。

mune(胸)と意味的に衝突したと見られるkokoro(心)はどこから来たのでしょうか



乳(ちち)の語源は、以下の記事に記されています。

魚と肉と野菜の入り組んだ話

前に、朝鮮半島でなにかあったのかの記事の中で、遼河流域から南下してきた言語がシナ・チベット語族の言語、ベトナム系の言語、そしてタイ系の言語に出会う構図を示しました。当面の間に合わせとして示した図だったので、ここで更新することにします。当時の中国東海岸地域の実際の状況はさらに複雑で、以下のようになっていたようです。

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遼河流域で話されていた言語とシナ・チベット語族の言語があり、その間の領域にインド・ヨーロッパ語族の言語、テュルク系の言語、モンゴル系の言語が入り込んでいたようなのです。日本語の中には、テュルク系の言語とモンゴル系の言語から取り入れたと見られる語彙もありますが、インド・ヨーロッパ語族の言語から取り入れたと見られる語彙のほうが明らかに多く(「上(うえ)」と「下(した)」の語源「上(うえ)」と「下(した)」の語源(続き)などを参照)、今日の東アジアの状態からは想像しづらいですが、かつてインド・ヨーロッパ語族の言語が東アジアで大きな影響力を持っていた時代があったと見られます。以下の地図は、中国国家観光局駐大阪代表処のウェブサイトから引用したものです。

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すでに述べたように、新疆ウイグル自治区にあるタリム盆地周辺でトカラ語が発見されたことによって、インド・ヨーロッパ語族の言語がかなり東のほうでも話されていたことが明らかになり、驚きの声が上がりました。しかし、実際はそれどころではなく、インド・ヨーロッパ語族の言語はもっともっと東の山東省のあたりまで達していたようです。同地域で注目すべき発見が相次いでいるのです。

中国の春秋戦国時代には、斉(せい)という国が山東省のあたりで栄えていました。この斉の首都であった臨淄(りんし)の住民のDNAを調べた興味深い研究があります(Wang 2000)。Wang氏らの研究が優れているのは、2500年前の臨淄の住民だけでなく、2000年前の同地域の住民、そして現代の同地域の住民も調べている点です。2500年前は春秋戦国時代、2000年前は春秋戦国時代が終わった後の漢の時代です。2500年前、2000年前、そして現代と、山東省が経てきた変化を垣間見ることができるのです。Wang氏らの研究はミトコンドリアDNAを調べたものですが、その結果はどうだったでしょうか。

驚くべきことに、2500年前の臨淄の人間集団のミトコンドリアDNAは、今日の東アジアの人間集団のミトコンドリアDNAではなく、今日のヨーロッパの人間集団のミトコンドリアDNAに明らかに近いという結果が出ました。少なくとも、ヨーロッパ方面からやって来た人間が集まっている場所が東アジアにあったということです。「驚くべきことに」と言いましたが、筆者としては「やはり」という感じでした。日本語の中に、インド・ヨーロッパ語族の言語から取り入れたと見られる、しかも日本語が日本列島に入るいくらか前に取り入れたと見られる語彙が数多くあるからです。

数年前に山東省で5000年ほど前のものと見られる180センチ以上の人々の骨が出土し、ニュースになったことがありました( China Daily 2017 )。時代を考えれば、東アジアで180センチ台というのは異様に高いのです。人骨が出土したのは黄河文明の一角を成す山東龍山文化(さんとうりゅうざんぶんか)の圏内であり、この点も注目されます。ちなみに、山東省のあたりには、斉のほかに魯(ろ)という小さな国もありました。孔子は、この魯の出身で、史記に身長が九尺六寸あったという記述があり、2メートルぐらいある巨人だったようです。孔子の先祖にも、はるか西方からやって来た長身の人々がいたのかもしれません。現代でも、山東省の中国人は他の地方の中国人よりいくらか背が高くなっています( China Daily 2017 )。

当然のことながら、西方からやって来た人々は山東省だけでなく、近隣地域にも広がっていたようです。例えば、遼河流域に栄えた遼河文明では女神像が作られ、同文明の大きな特徴になっていますが、青い目の女神像も見つかっており、西方からの人々の流入を示唆しています鳥越2000p.42~46。日本語がインド・ヨーロッパ語族の言語から取り入れたと見られる語彙は幅広いので、日本語はインド・ヨーロッパ語族の言語と幅広く接していたと考えられます。

日本語の起源・歴史について考える際に、ウラル語族とインド・ヨーロッパ語族はあまり注目されてきませんでした。なんといっても、ウラル語族とインド・ヨーロッパ語族の分布域が日本から遠く離れていることが主な理由でしょう。日本語の起源を明らかにする手順—ウラル語族の秘密変わりゆくシベリアの記事でお話ししたように、テュルク系言語とモンゴル系言語の勢力拡大が著しく、ウラル語族の言語、インド・ヨーロッパ語族の言語あるいはそれらに近縁の言語は東アジアに存在を残すことができなかったようです。新疆ウイグル自治区にあるタリム盆地周辺で発見されたインド・ヨーロッパ語族のトカラ語も、テュルク系言語の一つであるウイグル語によって消し去られたと見られます。

冒頭の図に示した状況は、まさに「言語のるつぼ」という感じです。現在中国語一色に染まっている地域が、かつてそうだったのです。遼河文明の言語と黄河文明の言語と長江文明の言語が交わるだけでも複雑なのに、そこへインド・ヨーロッパ語族の言語まで入り込んできました。互いに大きく異なる有力な言語群がここまでひしめき合うというのは、なかなか珍しいことでしょう。しかし、これこそが日本語が形成された環境なのです。日本語の起源をめぐる議論が迷走したのも当然です。日本語の成り立ちは、一つまたは二つの源があると仮定して説明できるほど単純ではなかったということです。

「日本語の意外な歴史」では、kosi(腰)の語源、hara(腹)の語源、se(背)の語源、siri(尻)の語源についてお話しした後、この話を長らく中断していました。しかし、インド・ヨーロッパ語族の言語、テュルク系の言語、モンゴル系の言語を本格的に導入できるところまで来たので、ようやく話を続けることができます。kosi(腰)、hara(腹)、se(背)、siri(尻)に続いて、mune(胸)の語源、そしてkokoro(心)の語源についてお話しします。



参考文献

日本語

鳥越憲三郎、「古代中国と倭族 黄河・長江文明を検証する」、中央公論新社、2000年。

英語

China Daily. 2017. Archeologists find 5,000-year-old giants (http://www.chinadaily.com.cn/china/2017-07/04/content_29985498.htm).

Wang L. et al. 2000. Genetic structure of a 2,500-year-old human population in China and its spatiotemporal changes. Molecular Biology and Evolution 17(9): 1396-1400.

kirakira(きらきら)の語源

奈良時代の日本語には、kirakirasi(きらきらし)という形容詞がありました。そして、この形容詞には、「端正」という漢字が当てられていました。どうやら、現代の日本語のkirakira(きらきら)は、もともと光というより美しさを意味していたようです。宝石や貴金属などが好まれるのを見ればわかるように、「光、輝き、光沢」と「美しさ」の間には強いつながりがあります。

kirakira(きらきら)が美しさを意味していたとなると、俄然気になる語があります。古代中国語の khje lej (綺麗)キエレイです。khje(綺)はkiという音読みで、lej(麗)はraiとreiという音読みで日本語に取り込まれました。古代中国語の khje lej (綺麗)を日本語でkiraiと読むにせよ、kireiと読むにせよ、母音が連続していて、昔の日本人にとっては不慣れな形です。

例えば、日本語で「猛者」がmosaと読まれますが、このようになじみのCVCVという形で発音しようとする傾向はあったはずです。古代中国語に kan saw (乾燥)カンサウという語がありましたが、日本人はこれをkansauと読んだだけでしょうか。慣れたCVCVの形にして、kasaと読むこともあったのではないでしょうか。このkasaから作られたのがkasakasa(かさかさ)ではないでしょうか。前に、古代中国語の kɛk pek (隔壁)ケクペクが日本語のkabe(壁)になったり、ベトナム語の ánh sáng (光)アンサンのような語が日本語のasa(朝)になったりした例を挙げましたが、このようなことは普通に行われていました(「深い」と「浅い」の語源(続き)—2音節の語を取り入れるを参照)。

古代中国語の kan saw (乾燥)は、現代の日本語のkansō(乾燥)になっただけでなく、kasakasa(かさかさ)にもなっているということです。同じように、古代中国語の khje lej (綺麗)は、現代の日本語のkirei(綺麗)になっただけでなく、kirakira(きらきら)にもなっていると考えられます。

pikapika(ぴかぴか)の語源

kirakira(きらきら)がもともと美しさを意味し、そこから光ることを意味するようになったのなら、ひょっとしてpikapika(ぴかぴか)も・・・と考えてみることは重要です。実は注目すべき語があるのです。アイヌ語のpirkaです。

アイヌ語のpirkaは使用頻度の高い語で、「よい、きれい、美しい」などの意味を持ちます。日本語にこのような語を取り入れるとすれば、子音が連続している-rk-の部分をどうにかしなければなりません。すなわち、rを落としてpikaとするか、kを落としてpiraとするかしなければなりません。この一方のpikaが日本語のpikapika(ぴかぴか)、pikaʔ(ぴかっ)、hikaru(光る)、hikari(光)と合致し、他方のpiraが日本語のhirameku(ひらめく)と合致するのです(日本語のhirameku(ひらめく)はもともと雷などに関して使われていた語です。kirameku(きらめく)などと同じ作りの語です)。

「美しさ」を意味する古代中国語の khje lej (綺麗)とアイヌ語のpirkaのような語がもとになって日本語のkirakira(きらきら)とpikapika(ぴかぴか)が生まれたと考えると、筋が通ります。

「日本語の意外な歴史」では当面アイヌ語を本格的に取り上げる機会はありませんが、日本語にはアイヌ系の言語から取り入れたと見られる語彙も少ないながら認められます。中国東海岸から朝鮮半島を経由してあるいは経由しないで九州に上陸し、そこから近畿に達したと見られる日本語(奈良時代の日本語)にアイヌ系の語彙が認められるということは、かつてアイヌ系の言語が西日本のほうにまで及んでいたことを示唆しています。アイヌ語と聞けば、北海道・東北のイメージがありますが、それは、日本列島に上陸した日本語が勢力を大きく拡大した後の話です。

「日本語の意外な歴史」では、日本語が中国東海岸地域(山東省と江蘇省のあたり)で過ごした時代を十分に明らかにした後で、朝鮮半島の問題および縄文時代の問題を考えます。朝鮮半島の問題というのは、日本語が日本列島に入る時に朝鮮半島を経由したのか、しなかったのか、経由したのであれば、朝鮮半島でなにがあったのかという問題です。縄文時代の問題というのは、縄文時代の日本列島ではどのような言語が話されていたのかという問題です。

日本語の歴史上最も複雑なのは、日本語が中国東海岸地域で過ごした時代です。日本語の中にある遼河文明の言語の語彙、黄河文明の言語の語彙、長江文明の言語の語彙を中心に話を進めていましたが、そこへ突如インド・ヨーロッパ語族の語彙がたくさん現れて、日本語の歴史は一体どうなっているんだと混乱気味の読者もいるかと思います。この後さらにテュルク系言語の語彙やモンゴル系言語の語彙も出てくるので、ここで当時の中国東海岸地域の状況を再スケッチすることにします。

日本語のnikoniko(にこにこ)、niyaniya(にやにや)、nitanita(にたにた)は古代中国語で太陽を意味していた語から来ているようだとお話ししましたが、日本語のwarau(笑う)も同じような由来を持っているようです。

ウラル語族のフィンランド語では、valkoinen/valkea(白い)、valo(光)、valoisa/vaalea(明るい)、valaista(明るくする、照らす)、valaistus(照明)のように、valk-、val-という語根が明るさに関連した語彙を支配しています。vという子音はウラル語族全体では一般的でなく、かつてはwであったと推定されているので、walk-、wal-という語根について考えることになります。

上のwalk-、wal-では、先頭の子音がwですが、インド・ヨーロッパ語族では、先頭の子音がwではなくbである語根が認められます。balk-、bal-、あるいはインド・ヨーロッパ語族の言語は語頭に二重子音を好んで使うのでblak-、bla-のような語根が認められるのです。このような語根から、白さ、光、明るさに関連した語彙が作られています。

例えば、bal-のような語根から、スラヴ系のロシア語bjelyj(白い)ビェーリイ、ポーランド語biały(白い)ビャウィやバルト系のリトアニア語baltas(白い)、ラトビア語balts(白い)が作られています。blak-のような語根から来ていると見られるのが、イタリック系のフランス語blanc(白い)ブロン、スペイン語blanco(白い)ブランコ、イタリア語bianco(白い)ビアンコなどです(従来あまり注目されてきませんでしたが、このようにnが挿入される変化はヨーロッパ方面では広範に起きています。重要な問題なので、別の機会に本格的に論じます。ちなみに、ゲルマン系でb、スラヴ系でb、イタリック系でfという対応が標準的なので、フランス語blanc、スペイン語blanco、イタリア語biancoなどは、ずっと受け継がれてきた語ではなく、ある時点で非イタリック系の言語からイタリック系の言語に入った可能性があります)。blak-のような語根からは、英語のbleach(漂白する、白くする)(古形blæcanブラーカンも作られています。

悩ましいのが、英語のblack(黒い)(古形blæcブラク)です。black(黒い)は上記の一連の語と全然関係がないように思えますが、実はそうでもありません。インド・ヨーロッパ語族の言語では、balk-、bal-あるいはblak-、bla-のような語根から、燃えることを意味する語も作られているのです。燃えるというのは、明るく輝く現象ですが、その後に黒くなる現象でもあります。どうやら、物が燃えることを表しているうちに、「白さ、光、明るさ」の領域から「黒さ」の領域への劇的な移行が起きたようです。

いくつもの語を挙げましたが、要するに、インド・ヨーロッパ語族ではbalk-、bal-、blak-、bla-のような語根から、ウラル語族ではwalk-、wal-という語根から、白さ、光、明るさに関連した語が作られているということです。上に挙げたインド・ヨーロッパ語族とウラル語族の語彙に関係があると思われる語は、東アジアのほうにも広がっています。

とりわけ、朝鮮語のpakta(明るい)は注目に値します。朝鮮語のpakta(明るい)は、palgɯmjɔn(明るければ)パルグミョン、palgasɔ(明るいので)パルガソ、palgatta(明るかった)パルガッタのように、組み込まれたpalg-という形を見せます。この形が昔の姿をよく示していると考えられる形です。

ここで注意しなければならないのは、昔のウラル語族と朝鮮語には、語頭でbのような濁音を使えないという制約があるということです。ウラル語族で頭子音がbでなくwになり、朝鮮語で頭子音がbでなくpになっているのは、当然の帰結です。インド・ヨーロッパ語族のbalk-、bal-、blak-、bla-のような形は現れえないのです。

昔の日本語にも、語頭でbのような濁音を使えないという制約がありました。日本語の場合はさらに、子音が連続しないという制約もありました。インド・ヨーロッパ語族のbalk-、bal-、blak-、bla-のような形は到底不可能なのです。となると、日本語では、ウラル語族のようにwを使ってwar-という形にするか、朝鮮語のようにpを使ってpar-という形にすることが考えられます。日本語の白さ、光、明るさに関連した語彙に、war-またはpar-という形が現れているか検討しなければなりません。

まずこれに該当すると考えられるのが、奈良時代のɸaru(晴る)です。推定古形は*paru(晴る)です。形的にも意味的にもぴったり一致します。

※余談ですが、奈良時代のɸaru(晴る)は現代ではhareru(晴れる)になっており、harasu(晴らす)と対になっています。俗語のbareru(バレる)は明るみにさらされてしまうこと、barasu(バラす)は明るみにさらしてしまうことで、hareru(晴れる)/harasu(晴らす)と同源と見られます。

*paru(晴る)ほど直接的ではありませんが、nikoniko(にこにこ)、niyaniya(にやにや)、nitanita(にたにた)のところで見たように、明るさと笑いの間にはつながりがあるので、奈良時代のwaraɸu(笑ふ)も無関係でないと思われます。waraɸu(笑ふ)も白さ、光、明るさに関連した語から作られたのではないかということです。

上に挙げたインド・ヨーロッパ語族、ウラル語族、朝鮮語の語彙は、古代中国語のbæk(白)バク
などとの関係も考えなければならず、由来を容易に明らかにすることはできません。それでも、白さ、光、明るさに関する語彙が北ユーラシアの言語によって共有されており、日本語の*paru(晴る)とwaraɸu(笑ふ)もそこから来たということは言えそうです。*paru(晴る)とwaraɸu(笑ふ)では頭子音が異なるので、両方がもとから日本語にあったのではなく、少なくともどちらか一方は外来語であると考えられます。この問題は、*paru(晴る)とwaraɸu(笑ふ)だけでなく、*pとwで始まる日本語の様々な語を北ユーラシアの言語の語彙と比較しなければならないので、いずれ戻ってくることにし、先へ進みます。

次は、hikari(光)の語源を取り上げます。前に、古代中国語のkwang(光)クアンが日本語のkage(影、陰)になったり、ベトナム語の ánh sáng (光)アンサンのような語が日本語のasa(朝)になったりした話をしましたが(まだ読まれていない方は、光と影の微妙な関係「深い」と「浅い」の語源(続き)—2音節の語を取り入れるを参照してください)、肝心のhikari(光)の語源については、お話ししようと思いつつ、機会を逃してきました。

hikari(光)は、筆者が語源を突き止めるのに大変苦労した語です。様々な言語を調べても、日本語のhikari(光)に関係がありそうな語が見つからず、絶望的かと思いかけたところで、まだ「あの言語」を調べていないことに気づきました。

araemisi(麁蝦夷)という言葉が出てきたので、これに関連した補足をしておきます。

奈良時代の日本は本州ですら統一が完了しておらず、東北方面に住んでいた人々はemisi(蝦夷)と呼ばれていたという話をしました。朝廷に従わないemisi(蝦夷)はaraemisi(麁蝦夷)と言われ、朝廷に従うemisi(蝦夷)はnikiemisi(熟蝦夷)と言われました。araemisiのaraは「荒い」という意味で、nikiemisiのnikiは「温和な」という意味です。nikiは現代の日本語につながりませんが、nikiの異形として存在していたnikoは現代の日本語につながります。このnikoから作られたのが、nikoyaka(にこやか)、nikoniko(にこにこ)、nikkori(にっこり)などです。

英語のsun(太陽)とフィンランド語のaurinko(太陽)

英語では、sun(太陽)からsunnyという形容詞が作られ、さらにsunnilyという副詞が作られました。smile(笑う)にsunnilyをくっつけると、smile sunnily (にこにこ笑う)という表現ができます。

フィンランド語でも全く同じように、aurinko(太陽)からaurinkoinenという形容詞が作られ、さらにaurinkoisestiという副詞が作られました。hymyillä(笑う)ヒュミュイッラにaurinkoisestiをくっつけると、hymyillä aurinkoisesti (にこにこ笑う)という表現ができます。

日本語ならnikoniko(にこにこ)と言うところで、英語とフィンランド語は太陽を持ち出しています。一風変わった表現だと、若い時分の筆者は思っていました。

ところが、長い年月が過ぎ、そもそも日本語のnikoniko(にこにこ)とはなんなのだろうと考えるようになりました。日本語のいわゆる擬態語の多くが中国語由来であることが明らかになるにつれ、もしかしたらnikoniko(にこにこ)もそうなのかと考えるようになったのです。

古代中国語のnyit(日)

古代中国語のnyit(日)ニトゥ
は太陽(および一日)を意味する語で、日本語にはnitiとzituという音読みで取り入れられました。nyの部分は発音記号で書くと[ȵ]で、日本語のnya、nyu、nyoの類です。nyitは隋・唐の頃の形ですが、どうやら末子音のtがかつてはkだったらしいということがわかってきました(Baxter 2014、p.240~241)。話が複雑なので、先に結論を述べてしまうと、日本語のnikoniko(にこにこ)のniko、niyaniya(にやにや)のniya、nitanita(にたにた)のnitaはいずれも、古代中国語で太陽を意味していた語から来ているようです。このことを理解するには、言語の発音の変化に関する知識が必要です。説明のために、以下のようなモデルを用意します。

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nikという語が存在し、その発音がniyに変化したり、nitに変化したりするモデルです。日本語はk、y、tのような子音で終わることはないではないかと思われるかもしれません。それはその通りです。上のモデルは、日本語で起きた発音の変化を説明するためのものではなく、中国語で起きた発音の変化を説明するためのものです。日本語には、奈良時代よりも前に中国語から取り入れた語がたくさんあります。日本語の一語一語の語源を明らかにする際には、中国語で起きた発音の変化もよく知っておかなければならないのです。

前に幸(さき)と幸(さち)—不完全に終わった音韻変化の記事の中で、ki(キ)という音がtʃi(チ)のようになりやすいこと、ke(ケ)という音がtʃe(チェ)のようになりやすいことをお話しし、このような変化を「キチ変化」と呼びました(名前は筆者が勝手につけているだけなので、あまり気にしなくて結構です)。「キチ変化」のほかにも、重要な発音の変化があります。上のモデルの(1)と(2)の変化も、東アジアの言語の歴史を考えるうえで極めて重要な変化です。(1)の変化を「Day変化」、(2)の変化を「k↔t変化」と呼んでおきます。これらの変化について説明します。

(1)Day変化

英語にday(日)という語があります。ゲルマン系の他の言語にも同源の語がありますが、ドイツ語Tag(日)、スウェーデン語dag(日)、アイスランド語dagur(日)、ゴート語dags(日)のようになっています。見れば明らかですが、英語のday(日)のyの部分はかつてgだったのです。

gだけでなく、kも同じように変化することがあります。例えば、古代中国語のbæk(白)
バクは、広東語では「パー(ク)」、標準語では「パイ」になっており、古代中国語のpok(北)は、広東語では「パ(ク)」、標準語では「ペイ」になっています。

末子音のk/gがi/yになる変化は、世界に広く見られます。kやgのような子音で終わることがない日本語では実感できませんが、世界の言語を観察するとそのようになっています。末子音のk/gがi/yになる変化を「Day変化」と呼ぶことにします。

(2)k↔t変化

筆者のいう「k↔t変化」とは、末子音のkがtになるあるいは末子音のtがkになる変化です。この変化は、ヨーロッパではあまり起きていないので、注目されてきませんでした。しかし、東アジアではよく起きており、重要です。「k↔t変化」はなぜヨーロッパではあまり起きていないのに東アジアではよく起きているのか、それには理由があります。

説明のために、英語のsip(すする)、sit(座る)、sick(病気だ)の三語を取り上げます。sipの末子音は[p]、sitの末子音は[t]、sickの末子音は[k]です。[p]、[t]、[k]は破裂音と呼ばれ、空気をいったん通行止めにして、それからその通行止めを開放するところに特徴があります。英語では、基本的に、sip、sit、sickを発音する時には、最後のところで息を漏らします。

ところが、東アジアでは、かなり前から、末子音[p]、[t]、[k]を発音する時に息を漏らさなくなってしまったようなのです。例えば、現代の朝鮮語、広東語、ベトナム語では、息を全く漏らしません。sip、sit、sickの最後のところで息を漏らすのが英語流、sip、sit、sickの最後のところで息を漏らさないのが朝鮮語、広東語、ベトナム語流です。朝鮮語、広東語、ベトナム語では、末子音[p]、[t]、[k]を発音する直前で止めてしまう感じです(中国の標準語では、末子音[p]、[t]、[k]は完全に消えました)。

ある人がsip、sit、sickを発音する時に最後のところで息を漏らさなかったら、どうなるでしょうか。見ながら聞いている側からすると、sipは上唇と下唇を合わせるのではっきり別物とわかりますが、sitとsickの違いはよくわからなくなります。口の中のどこかで空気の通行を止めたことがわかるだけです。末子音[p]、[t]、[k]を発音する時の息漏れが極限まで弱まってしまったことが、東アジアで「k↔t変化」がよく起きている理由と見られます。シナ・チベット語族のある言語で末子音がk、別の言語で末子音がtになっているケースもあれば、中国語のある方言で末子音がk、別の方言で末子音がtになっているケースもあります。

日本語のnikoniko(にこにこ)のniko、そして温和であることを意味したnikiは、日本語でnikとできないために母音を補ったものと考えられます。日本語のniyaniya(にやにや)のniya、そしてnitanita(にたにた)のnitaも、日本語でniy、nitとできないために母音を補ったものと考えられます。太陽の特徴(明るい、熱い、温かい)を考えると、nigiyaka(賑やか)/
nigiwau(賑わう)のnigiやnukunuku(ぬくぬく)のnukuもnikiの仲間でしょう。

やはりBaxter氏らが主張するように古代中国語のnyit(日)の末子音tはかつてkで、このkが時代・地方によってyに変化したり、tに変化したりし、様々な時代・地方の中国語に接した日本語に上記のnikoniko(にこにこ)、niyaniya(にやにや)、nitanita(にたにた)などが蓄積したと考えるのが自然です。niyaniya(にやにや)とnitanita(にたにた)は、現代の日本語ではちょっとよこしまな感じやいやらしい感じがしますが、もともとは、nikoniko(にこにこ)と同じく、太陽のような明るさ・温かさを意味していたと思われます。

「日」が日本語でnitiと読まれたり、zituと読まれたりするのは、ご存知の通りです。「人」がninと読まれたり、zinと読まれたりするのと同様です。「生」はsyōと読まれたり、seiと読まれたりしているし、「正」もsyōと読まれたり、seiと読まれたりしています。違う時代、違う地方の中国語に接していると、このように少しずつ違う形が蓄積していくのです。nikoniko(にこにこ)、niyaniya(にやにや)、nitanita(にたにた)も一見異なりますが、おおもとは同じだということです。

nikoniko(にこにこ)、niyaniya(にやにや)、nitanita(にたにた)の語源が上の通りなら、warau(笑う)の語源はどうでしょうか。



参考文献

Baxter W. H. et al. 2014. Old Chinese: A New Reconstruction. Oxford University Press.

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