日本語の意外な歴史

これまで知られてこなかった日本語の起源、日本語の歴史について語っていきます。私たちが使っている言葉には、驚くべき人類の軌跡が隠されています。

2019年04月

隋(AD581~AD618)の頃に、当時の中国語の漢字音を細かく整理した切韻(せついん)という書物が作られました。この切韻のおかげで、隋の頃の中国語の漢字音はほぼ正確に知られています。

しかし、それ以前の中国語の漢字音は不確かな部分がかなりあります。切韻は隋の頃のある方言について記されたにすぎません。現代の中国語の全方言も調べると、精度は落ちますが、隋よりいくらか前の漢(BC206~AD220)の頃の中国語の漢字音を窺うことができます。

漢より前の時代(殷、周、春秋戦国)の中国語の漢字音の研究は、難易度が一気に上がります。それでも、少しずつ進歩しています。漢字は西洋の言語のアルファベットと違って直接的に発音を教えてくれないため、この漢字とこの漢字は発音が同じだったらしい、この漢字とこの漢字は発音が似ていたらしい、この漢字とこの漢字は発音の一部が共通していたらしいというような情報を蓄積していかなければならず、ここに独特の難しさがあります(例えば、周の時代に編集された詩経(しきょう)は、詩が韻を踏んでおり、貴重な資料になっています。韻を踏むというのは、発音上共通点のある語を繰り返すことです)。

隋の頃の中国語に太陽を意味するnyit(日)ニトゥという語があり、nyitのtの部分がかつてkだったらしいとお話ししました。そして、その太陽を意味する中国語から日本語のnikoyaka(にこやか)、nikoniko(にこにこ)、nikkori(にっこり)などが来ているらしいとお話ししました(人間の笑い—ニコニコ、ニヤニヤ、ニタニタにも語源があるを参照)。
中国語のほうで遠い昔に失われてしまった姿が日本語のほうに残っているケースがあるのです。

隋の頃の中国語にkan(乾)とkan(幹)という語がありましたが、kanのnの部分がかつてrだったらしいということがわかってきました( Baxter 2014 )。Baxter氏らは豊富な例を挙げており、多くの漢字でrがnになる変化が起きたようです。

乾燥を意味した古代中国語のkan(乾)のnの部分がrだったとすると、日本語の「喉がカラカラ」のkarakara(カラカラ)とよく合います。kareru(枯れる)の古形であるkaru(枯る)ともよく合います。

同様に、樹木の幹や人間・動物の胴体または一般に体を意味した古代中国語のkan(幹)のnの部分がrだったとすると(英語のtrunkやそのもとになったラテン語のtruncusトルンクスも樹木の幹を意味したり、人間・動物の胴体を意味したりしており、これらは非常に近い意味領域と考えられます)、奈良時代の日本語のkara(幹、茎、柄)とよく合います。奈良時代の日本語のkara(幹、茎、柄)は、植物の幹・茎を意味していました。

この奈良時代の日本語のkara(幹、茎、柄)が、古代中国語、ラテン語、英語などのように、樹木の幹を意味するだけでなく、人間・動物の胴体、さらに一般に体を意味するようになっていったと思われます。奈良時代のye(枝)からyeda(枝)という形が生まれましたが、それと同じように、上記のkaraからkaradaという形が生まれたと見られます。

奈良時代の日本語のkara(幹、茎、柄)は、一般に体を意味するようになっていくなかで、kara(殻)という語も生み出したと見られます。精霊信仰・アニミズムのところでお話ししたように、昔の人々は肉体に霊魂が宿っていると考えており、前者は後者を収める容器のように見られていました。このような見方が、kara(殻)という語を生み出したと見られます。

ちなみに、Baxter氏らは古代中国語のhan(韓)のnの部分もかつてrだったと考えています。昔の日本人は朝鮮半島南部、のちに朝鮮半島全体をkaraと呼んでいましたが、なんらかの関係があるかもしれません。昔の日本語にはhという子音がなく、他言語のhはɸ(またはその前身のp)にしたり、kにしたりしていました。多くの漢字でrがnに変化したとするBaxter氏らの考えは、的を外していないように見えます。

中国の春秋戦国時代は激動の時代で、日本語の複雑な歴史、インド・ヨーロッパ語族はこんなに近くまで来ていたの記事で示したように、様々な言語がひしめいていた地域が中国語一色に染まりました。この戦乱の時代に、多くの言語が消えましたが、中国語自体の方言(あるいは方言よりほんの少し隔たった言語)もかなり消えたと見られます。

日本語とベトナム系言語は、中国東海岸地域から追い出されてしまいましたが、春秋戦国時代以前の中国語と接していたと考えられ、殷の時代~周の時代~春秋戦国時代の中国語の研究で重要になってくると思われます。



参考文献

Baxter W. H. et al. 2014. Old Chinese: A New Reconstruction. Oxford University Press.

この記事は「面白い(おもしろい)」の怪しい語源説明への補足です。

omosirosi(おもしろし)は、かつて日本語で心を意味していた*omoと、従来の説の通り明るいことを意味していたsirosiがくっついた語で、心が明るいこと、晴れやかなこと、晴れ晴れとしていることを意味したと述べました。そして、心を意味していた*omoは、現代では中心部分・主要部分・重要部分を表すomona(主な)や思考を表すomou(思う)などの形で残っていると述べました。

景色を見て風情や味わいを感じた時などにomomuki(趣)という言葉が使われますが、これも心がなにかに引かれることと解釈するのが自然でしょう。omomuki(趣)のomoも、かつて心を意味していた*omoと考えられるのです。こうなると、omosirosi(おもしろし)やomomuki(趣)の語源を説明する際に頻繁に引っ張り出されてきた奈良時代の日本語のomo(面)とはなんだったのかということになります。奈良時代の日本語のomo(面)は、顔、正面、前を意味していた語です。

ここから話が少し複雑になります。omosirosi(おもしろし)のomoはかつて日本語で心を意味していた*omoであり、顔・正面・前を意味したomo(面)ではない、omomuki(趣)のomoもかつて日本語で心を意味していた*omoであり、顔・正面・前を意味したomo(面)ではないというのが筆者の主張ではありますが、筆者はかつて日本語で心を意味していた*omoと奈良時代の日本語で顔・正面・前を意味していたomo(面)が無関係であるとは思っていないのです。

*omoは、*muna(胸)とkokoro(心)という新しく入ってきた語によって大きく押しのけられてしまいましたが、その前は心を意味したり、胸を意味したりしていたと思われます。心を意味していた*omoは、kokoro(心)に圧迫されて、中心部分・主要部分・重要部分を表す語や思考を表す語になり、胸を意味していた*omoは、*muna(胸)に圧迫されて、正面・前(さらに顔)を意味する語になったと見られます(人間の体の前側のどこかを意味していた語が一般に正面・前を意味するようになるのはよくあることです。英語のfront(正面、前)も昔は主にひたいを意味していました)。ちなみに、omoからomoteが作られ、uraからurateが作られましたが、現代の日本語ではomote(表)とura(裏)が対を成しています。

*omoは心・胸を意味していたが、新しく入ってきた語に意味を奪われていき、胸を意味していたところから、正面・前・顔という意味が生じてきたと考えると、風情や味わいを意味するomomuki(趣)も、ある場所に向かうことを意味するomomuku(赴く)もよく理解できるかと思います。

kokoro(心)の話をしてきたので、karada(体)のほうにも少し触れておきましょう。



補説

maɸe(前)を分解すると・・・

人間の体の前側のどこかを意味していた語が一般に正面・前を意味するようになるのはよくあることだと述べましたが、奈良時代の日本語のmaɸe(前)はma(目)とɸe(方)からできた語です。目のほうという意味です。ɸe(方)は方向を意味する語で、yukuɸe(行方)などにも現れます。このɸe(方)は一体なんでしょうか。

古代中国語にpjang(方)ピアンという語がありました。この語はある時代にɸauという音読みで日本語に取り入れられましたが、それよりも前の時代に別の読みで日本語に取り入れられていたようです。古代中国語のpjang(方)は、現代の日本人ならpianという読みで取り入れそうですが、昔の日本人はpianとも、piaともできないので、peにしそうです(aiとiaがeのようになりやすいことは本ブログでも再三示しています)。

maɸe(前)やyukuɸe(行方)のɸeは、古代中国語のpjang(方)から来ていると考えられます。それだけでなく、助詞のɸe(へ)も、古代中国語のpjang(方)から来ていると考えられます。「東京へ行く」と言う時の「へ」は中国語由来なのです。

usiro(うしろ)の語源は「尻(しり)」の語源を参照してください。

他の言語で心を意味していた語あるいは昔の日本語で心を意味していた語から、yorokobu(喜ぶ)、uresi(うれし)、omosirosi(おもしろし)が作られたようだとお話ししました(詳しくは「心(こころ)」の語源「面白い(おもしろい)」の怪しい語源説明を参照)。yorokobu(喜ぶ)、uresi(うれし)、omosirosi(おもしろし)がそうなら、tanosi(楽し)も心を意味する語から作られたのではないかと考えたくなります。tanosi(楽し)の語源は難解です。

この考察に入る前に、uramu(恨む)、nikumu(憎む)、kiraɸu(嫌ふ)の話をはさみます。uramu(恨む)が昔の日本語で心を意味していたuraから作られたことは述べましたが、nikumu(憎む)とkiraɸu(嫌ふ)も同じように作られたようです。

nikumu(憎む)の語源

シナ・チベット語族の古チベット語には、snying(心臓、心)スニンという語がありました。古代中国語の sim dzang (心臟)スィムヅァン、sim(心)スィムとは別の語です。古チベット語のsnying(心臓、心)のような語は、他のシナ・チベット系言語にも認められます。

どうやら、シナ・チベット語族の古チベット語のsnying(心臓、心)のような語が日本語に入ったようです。古チベット語のsnying(心臓、心)のような語が日本語に入ろうとすると、どのようになるか考えてみてください。snyingは不可なので、nyingならどうでしょうか(現代のチベット語でもsnyingの語頭のsが発音されなくなりました)。まだ駄目ですが、もう一歩です。どうやら、古チベット語のsnying(心臓、心)のような語は、日本語にnikuという形で入り、nikumu(憎む)やnikusi(憎し)になったようです。昔の日本語で心を意味していたuraからuramu(恨む)が作られたのと同様に、シナ・チベット語族の古チベット語のsnying(心臓、心)のような語からnikumu(憎む)が作られたということです。ngの部分がgではなくkになりましたが、テュルク系言語のウイグル語のköngül(心)コングルのような語が日本語でkokoro(心)になったりしているので、これは無理がありません。シナ・チベット語族の古チベット語のsnying(心臓、心)のような語がnikumu(憎む)になったと考えるのは、意味面でも発音面でも穏当です。ちなみに、「恨」と「憎」に含まれているりっしんべん忄は、「心」が偏になったものです。

本当にシナ・チベット語族の古チベット語のsnying(心臓、心)のような語がnikumu(憎む)になったのか、もう少し根拠を補強しましょう。

kiraɸu(嫌ふ)の語源

心臓や心を意味する英語のheartはおなじみでしょう。英語のheartと同源の語は、インド・ヨーロッパ語族全体に広がっています。ラテン語にはcorコル、古代ギリシャ語にはkardia、サンスクリット語にはhṛtフルトゥ、ヒッタイト語にはkerという語がありました。印欧祖語の段階では、*kerのような語があって、語形変化の際にうしろにdのような音が現れていたようです。ロシア語のserdtseスィエールツェやリトアニア語のširdisシルディスは一見別物に見えますが、これはキチ変化(「キ」が「チ」や「シ」になったり、「ケ」が「チェ」や「シェ」になったりする変化)を起こしたからです。

日本語の話者は、インド・ヨーロッパ語族の言語と広く接し、そこで心臓・心がkerやkirのように呼ばれるのを聞いていたでしょう。当時の日本語にはエ列の音がなかった可能性が高いです。日本語のkiraɸu(嫌ふ)は、インド・ヨーロッパ語族で心臓・心を意味していた語から来ていると見られます。uramu(恨む)のもとになったのは昔の日本語で心を意味していた語、nikumu(憎む)のもとになったのはシナ・チベット語族で心臓・心を意味していた語、kiraɸu(嫌ふ)のもとになったのはインド・ヨーロッパ語族で心臓・心を意味していた語ということです。ɸuがくっついて動詞になっているという点では、kiraɸu(嫌ふ)はすでに見たomoɸu(思ふ)やsinoɸu(思ふ)と同じです。

心を意味する語からomoɸu(思ふ)のような中立的な語が作られるとは限らず、よい感情あるいは悪い感情を表す語が作られることもあります。昔の日本語はこの傾向が非常に強いです。tanosi(楽し)の語源もそのような文脈において考える必要があります。

tanosi(楽し)の語源

古代中国語にzyin(神)ジンという語がありました。この語は現代の日本語のkami(神)よりもずっと広い意味を持っていました。精霊信仰・アニミズムのところでお話ししたように、古代人は人の体およびその他のすべてのものになにかが宿っているという見方をしていました。古代中国語のzyin(神)もそのように宿っているなにかを意味する語で、現代の日本語のkami(神)だけでなく、現代の日本語のkokoro(心)、seisin(精神)、ki(気)、kimoti(気持ち)、tamasii(魂)、rei(霊)などにも通じる語だったのです。例えば、精神、神経、失神のように「神」が出てくるのはそのためです。

zyin(神)ジンというのは隋・唐の時代のある方言の形で、それよりも前の時代からかなり異なる形があったと見られます。「神」は現代の中国の標準語ではshenシェン、広東語ではsanサン、ベトナム語ではthầnタンと読まれています。現代の中国の標準語のshenも、広東語のsanも、ベトナム語のthầnも、心・精神・気のような意味を残しています。古代中国語かベトナム系言語に現代のベトナム語のthầnのような形が存在し、それが日本語のtanosi(楽し)のもとになったのではないかと思われます(奈良時代にはtanusi(楽し)という形もありました)。古代中国語の「神」が日本語のkami(神)のような意味から日本語のkokoro(心)、seisin(精神)、ki(気)のような意味まで持っていたというのが重要なポイントです。

tanosi(楽し)の語源は難解であり、筆者は最終的な見解を固めていませんが、tanosi(楽し)は気持ち・気分に関する語彙であり、すでに説明した日本語のyorokobu(喜ぶ)、uresi(うれし)、omosirosi(おもしろし)などの作られ方から見て、やはり心・精神・気を意味する語がもとになっている可能性が高いと考えています。

※発音面で上の話に関係しますが、「水」は現代の中国の標準語ではshuiシュイ、広東語ではseoiソイ、ベトナム語ではthuỷ/thủyトゥイと読まれています。古代中国語かベトナム系言語に現代のベトナム語のthuỷ/thủyトゥイのような形が存在し、それが日本語のtuyu(露)のもとになったのではないかと思われます。古代中国語から直接入ってきた語なのか、古代中国語からベトナム系言語を介して入ってきた語なのかというのは、よく考えなければならない問題です。

古代中国語からseisin(精神)という言葉が取り入れられ、kokoro(心)と同じようによく使われています。日本人の普通の感覚では、「精神」は完全に一語であり、その内部構造を考えることはまずないと思いますが、なぜここに「神」が出てくるのかということは考える必要があります。人類の言語の歴史を遠く遡る際には、現代とは違う時代を生きた古代人の感覚や考えを理解することが必須になってきます。

現代の日本語にkarada(体)、nikutai(肉体)という語がありますが、これらと対になるような語を思い浮かべてください。どのような語が思い浮かぶでしょうか。kokoro(心)、seisin(精神)、tamasii(魂)、reikon(霊魂)、rei(霊)などの語が思い浮かぶでしょう。これらの語は、karada(体)/nikutai(肉体)と対になるという点で、ゆるやかではありますが、意味的なまとまりを感じさせます。

このkokoro(心)、seisin(精神)、tamasii(魂)、reikon(霊魂)、rei(霊)という一群の横に、kami(神)を並べるとどうでしょうか。現代人なら、kami(神)は異質だと思うのではないでしょうか。しかし、古代人には古代人の見方がありました。古代人は、人の体があって、そこになにか(霊)が宿っている、山があって、そこになにか(霊)が宿っている、海があって、そこになにか(霊)が宿っている、そういう見方をしていたのです。この人の体およびその他のすべてのものになにか(霊)が宿っているとする信仰は、精霊信仰あるいはアニミズムと呼ばれ、人類の歴史に普遍的に認められます。

古代中国語のleng(靈)レンも、tsjeng(精)ツィエンも、hwon(魂)フオンも、zyin(神)ジンも、そのように宿るなにかを意味する類義語だったのです。精+靈→精靈、精+魂→精魂、精+神→精神のように似た語をくっつけて新しい語を作るのは、中国語のお得意のパターンです。

上にkokoro(心)、seisin(精神)、tamasii(魂)、reikon(霊魂)、rei(霊)、kami(神)という語を並べましたが、このような意味領域に属する語は、当然ベトナム語にもいくつかあります。実は、ここに興味深い語があるのです。tâmタム、tríチー、そして tâm trí タムチーです。tâmは心を意味し、tríは精神、思考を行う部分、知性、知能などを意味します。両者が組み合わさったのが tâm trí です。

なぜベトナム語のtâm
タム、tríチー、 tâm trí タムチーが興味深いかというと、奈良時代の日本語のtama、ti、tamasiɸiによく一致するからです。奈良時代の日本語のtamaとtiについて、三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)は以下のように述べています。先ほど言及した精霊信仰・アニミズムのことを頭に入れながら読んでください。

「古代日本人を支配した超自然的霊格におおよそチ・タマ・カミの三種があり、チの観念が最も古く発生し、タマはこれに次ぎ、カミが最も新しいという。万葉では、その中、チはほとんど痕跡を止めず、タマもその観念をカミに吸収され、ひとりカミと呼ばれる霊格が、宗教的崇拝ならびに祭儀実修の対象のほとんどであった。」

「霊」と書き表されたtiは現代の日本人に全然なじみがありませんが、tamaはhitodama(人魂)などの形で残っています。現代の日本語のtamasiiは「魂」と書かれますが、奈良時代の日本語のtamasiɸiは「魂」と書かれるだけでなく、「心」と書かれたり、「精神」と書かれたり、「識性」と書かれたりもしました。

上に挙げたベトナム語のtâm、trí、 tâm trí と日本語のtama、ti、tamasiɸiを比べると、発音がよく一致していますが、tamasiɸiに含まれているɸが気になるところです。このɸは挿入されたものと考えられます。tamasiiと母音が連続するのを嫌って、ɸを挿入したということです(pを挿入して、それがɸに変化した可能性もあります)。

例えば、奈良時代の日本語のtiɸisasi(小さし)も同様です。「細かいこと」を意味した古代中国語の tsi sej (子細、仔細)ツィーセイまたはこれに近い形を取り込む時に、tiisa-とせずにtiɸisa-としたと見られます(pを挿入して、それがɸに変化した可能性もあります)。

このようなことを考慮に入れると、ベトナム語のtâm、trí、 tâm trí と日本語のtama、ti、tamasiɸiはやはりよく一致します。ベトナム語のtríのような語を取り込む時に、日本語に全く同じ子音がなく、tを用いたり、sを用いたりしていたと思われます。

ちなみに、ベトナム語のtríチーは古代中国語のtrje(智)ティエおよびtrje(知)ティエと関係があるとされている語です。これらと日本語のsiru(知る)は関係があるのかということも問題になりますが、筆者はその可能性は微妙だと考えています。古代中国語にはtrje(知)の類義語としてsik(識)という語があり、この語はsiki、syoku、siという音読みで日本語に取り入れられました。日本語のsiru(知る)は古代中国語のsik(識)から来ている可能性のほうが高いように思います。古代中国語のak(惡)をaにし、これにsiを付けてasi(悪し)という形容詞を作ったのと同じように、古代中国語のsik(識)をsiにし、これにruを付けてsiru(知る)という動詞を作ったのではないかということです。

古代中国語とベトナム系言語と日本語の間はなかなか複雑で、「古代中国語→ベトナム系言語→日本語」という語の流れも考える必要がありそうです。

それでは、棚上げしていたtanosi(楽し)の語源の考察に入りましょう。



補説

tama(魂)とtama(玉)

「霊」という漢字は、昔の中国では「靈」と書かれていました。「靈」の異体字として、以下の漢字も見つかっています。

Picture t-62

どうやら、古代人の世界では、霊と玉の間になんらかの結びつきがあったようです。霊が玉に依りつくようにしていたのかもしれません。三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)では、奈良時代の日本語のtama(魂)とtama(玉)は同源であろうと推測していますが、正しそうです。東アジアの一部に限られた話かもしれません。



参考文献

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。

日本語のomosiroi(おもしろい)は、「面白い」と書かれます。この背後には、omosiroiのomoはomo(面)であるという見方があります。しかし、これはいささか怪しい見方です。

前回の記事の中で、テュルク系言語のトルコ語のyürek(心)ユレク
のような語からyorokobu(喜ぶ)が作られたり、昔の日本語で心を意味していたuraからurayamu(羨む)、uramu(恨む)、uresi(うれし)が作られたりしたようだとお話ししました。日本語はこのような傾向が特に顕著です。他の言語で心を意味していた語や昔の日本語で心をしていた語から様々な語が作られているのです。

古代中国語のsim(心)はどうでしょうか。この語はある時代にsinという音読みで日本語に取り入れられましたが、この子音で終わる形はそれ以前の日本語では不可能です。ここで気になるのが、奈良時代の日本語のomoɸu(思ふ)とsinoɸu(思ふ)です。現代では、omoɸuはomouになり、sinoɸuはsinobuになって「偲ぶ」と書かれています。奈良時代の日本語のomoɸu(思ふ)は、現代のomou(思う)と同じように最重要語の一つで、sinoɸu(思ふ)は、遠く離れた人や物事に思いをはせることを意味していました。漢字を見ても明らかですが、omoɸu(思ふ)とsinoɸu(思ふ)は心と密接に関係している語です。心を意味していた語からomoɸu(思ふ)とsinoɸu(思ふ)という語が作られた可能性も十分にあるわけです。

yorokobu(喜ぶ)はテュルク系言語のトルコ語のyürek(心)ユレク
のような語から来ているらしい、uresi(うれし)は昔の日本語で心を意味していたuraから来ているらしいと知った筆者は、omosirosi(おもしろし)やtanosi(楽し)もひょっとして心を意味していた語から来ているのではないかと考えるようになりました。tanosi(楽し)はひとまず置いておき、omosirosi(おもしろし)について考えましょう。

omosirosi(おもしろし)はomoとsirosiからできており、sirosiの部分が明るいことを意味していると考える点では、筆者も従来の説(例えば、岩波古語辞典(大野1990)、ベネッセ古語辞典(井上1997)など)と同じです。問題は、omoの部分です。筆者は、従来の説と違って、omoの部分が心を意味し、sirosiの部分が明るいことを意味している可能性もあると考えています。

インド・ヨーロッパ語族から*muna(胸)などの語がまだ入ってきていない、テュルク系言語からkokoro(心)という語がまだ入ってきていない(「胸(むね)」の語源「心(こころ)」の語源を参照)、古代中国語からsinzau(心臓)という語がまだ入ってきていない遠い昔の日本語にも、なにかしらこれらに似た意味を持つ語があったはずです。その有力候補が*omoです。*omoが中心、心臓、心を意味していたと考えると、つじつまが合います。新しい語彙が次々に入ってきましたが、この*omoは消えていません。中心部分、主要部分、重要部分を表すomona(主な)や、思考を表すomou(思う)として残っているのです。少し意味的な隔たりはありますが、omoi(重い)も同源でしょう。

omosirosi(おもしろし)は心が明るいこと、晴れやかなこと、晴れ晴れとしていることを意味していたと思われます。昔の日本語で心を意味していた*omoはomoɸu(思ふ)になり、古代中国語の「心」はsinɸuになれないので、sinoɸu(思ふ)になったと見られます(奈良時代にはsinuɸu(思ふ)という形もありました)。

日本語の精神、思考、感情に関する語彙も様々なところから来ています。次は、古代中国語の「心」に対応するベトナム語のtâm
タムに目を向けます。



補説

英語のinterestingの語源

日本語のomosiroi(おもしろい)の訳語としてよく使われる英語のinterestingの語源にも触れておきます。

英語のinterestingは、「興味を引く」という意味を持つinterestという動詞のing形です。このinterestという動詞は、ラテン語のinteresseという動詞から来ています。

ラテン語のinteresseのinterの部分は「間、中」を意味し、esseの部分は「あること」を意味しています。interesseの原義は、「中にあること」であったと考えられます(この中というのが、真ん中、中心あるいは心であることもあったかもしれません)。古代ローマの時点ではすでに、「重要である、重要な関心事である、関心事である」という意味になっていました。

英語のinterestingは、「重要である、重要な関心事である、関心事である」→「興味を引く、興味深い、おもしろい」という若干の意味のずれを経て、現在に至っています。



参考文献

井上宗雄ほか、「ベネッセ古語辞典」、ベネッセコーポレーション、1997年。

大野晋ほか、「岩波 古語辞典  補訂版」、岩波書店、1990年。

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