日本語の意外な歴史

これまで知られてこなかった日本語の起源、日本語の歴史について語っていきます。私たちが使っている言葉には、驚くべき人類の軌跡が隠されています。

2019年06月

日本語のasi(足、脚)がウラル語族との共通語彙で、日本語のsune(脛)がベトナム系言語からの外来語であることを示しました。次はmata(股)の語源を論じますが、その前にまずmotoの語源を明らかにしなければなりません。motoというのは、ひらがなで「もと」と書かれたり、漢字で「元、本、基、下、許、素」などと書かれている語です。

少し意外かもしれませんが、moto(もと)は木に関係のある語だったようです。木の成長を思い浮かべてください。幹から枝が出て、その枝からさらに枝が出て・・・。理解に難くないと思いますが、人類の言語では木の幹または根を意味していた語が物事の始まりを意味するようになることがよくあります。「日本人のルーツを探る」などと言ったりしますが、これは英語のroot(根)を取り入れた言い方です。

前に、古代中国語のkan(幹)のnの部分がかつてはrだったらしいという話をしました(「体(からだ)」の語源、春秋戦国時代以前の中国語を参照)。その古い形を取り入れたのが奈良時代の日本語のkara(幹、茎、柄)です。三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)でも推測していますが、木の幹などを意味していたkaraが物事の始まりも意味するようになり、起点を表す助詞のkara(から)を生み出したと考えられます。iegara(家柄)やhitogara(人柄)などの言い方も、「始まり、起源、由来」のような意味から「素性、性質、性格」のような意味が生まれたのでしょう。「柄に合わない、柄じゃない」とも言います。「素性、性質、性格」のような意味からさらに「感じ、ありさま、模様」のような意味につながっていきます。

kara(幹、茎、柄)の例を頭に入れたうえで、moto(もと)の話に戻りましょう。モンゴル語にmod(木)という語があります。ツングース諸語にも、エヴェンキ語mō(木)、ナナイ語mō(木)、満州語moo(木)などの語があり、ウラル語族のサモエード系にも、ネネツ語mo(枝)、ガナサン語muodje(枝)ムオディエ、セリクプ語mo(枝)などの語があります。出所はどこかという問題はともかく、モンゴル語のmod(木)のような語が古くから北ユーラシアに存在するのは確かです。

モンゴル語のmod(木)のような語が日本語に入ろうとすれば、*ko(木)と衝突することが考えられます(kodati(木立ち)、kozue(梢)、kogarasi(木枯らし)などの語が残っているように、ki(木)の古形は*ko(木)です)。「木」を意味することができなくなった語が向かいやすい先が「枝」や「幹」です。モンゴル語のmod(木)のような語はmotoという形で日本語に入り、木の下のほう、幹から根のあたりを指していたと見られます。そこから、先ほどのkara(幹、茎、柄)の場合と同様に、物事の始まりを意味するようになったというわけです。奈良時代の時点ではまだ、植物の幹や茎をkaraと呼んだり、motoと呼んだりしており、もとの意味が十分窺えます。motoは、「はじめの状態になること」を意味するmodoru(戻る)、「はじめの状態にすること」を意味するmodosu(戻す)、「本拠を探し出すこと」を意味するmotomu(求む)なども生み出したと見られます。

motoとひょっとしたら関係があるのではないかと思われるのがmataです。足の付け根のことをmata(股)と言いますが、mataはもともと身体部位というより一本だったものが二本に分岐する箇所を指していた語です。木が枝分かれしている箇所でもよいし、川が枝分かれしている箇所でもよかったのです。

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motoに「1」の意味が感じられ、mataに「2」の意味が感じられる点は見逃せません(この話には、「1」を意味するベトナム語のmộtモ(トゥ)のような語が関係しているかもしれません)。

現代の日本語では、「一番大きい」と言うこともできるし、「最も大きい」と言うこともできます。意味を考えると、mottomo(最も)の古形であるmotomo(最も)は、「1」を意味したmotoから作られたのではないかと考えたくなります。この場合、motomo(最も)の末尾のmoは、itomo(いとも)などのmoと同じものでしょう。

mataに目を向けると、もっとはっきりします。「またの名」と言うのは、まず一つ名がある場合です。「また来た」と言うのは、すでに一回来ている場合です。「AまたはB」という言い方も、一番目の要素としてAを挙げ、二番目の要素としてBを挙げる言い方です。

話が複雑になりましたが、モンゴル語のmod(木)のような語がmotoという形で日本語に入り、木の幹から根のあたりを指しているうちに、物事の始まりを意味するようになったことから(あるいはベトナム語のmột(1)のような語がmotoという形で日本語に入ったことから)、母音交替を介するmoto(1)―mata(2)というペアが作り出されたのかもしれません。昔の日本語のɸito(1)―ɸuta(2)、mi(3)―mu(6)、yo(4)―ya(8)というペアを見ると、いかにもありえそうです。motoとmataは最終的には数詞にならなかったが、「1」と「2」を思わせる上のような用法を残したのかもしれません。

英語のtwo(2)とtwig(小枝)が同源であるように(英語のbranch(枝)はフランス語からの外来語です)、「2」と「枝分かれ」の間には密接な関係があり、「2」を意味していたmataが「枝分かれ」を意味するようになった可能性が高そうです。



補説

timata(巷)とは?

前にお話ししたように、昔の日本語で「道」を意味していたのは*tiです。これにmiを冠して、miti(道)という語が作られました。形は変わってしまいましたが、iezi(家路)やtabizi(旅路)の中にも残っています。

今でも人口が少ない地方ではそうですが、人が住んでいないところは、長い道が一本伸びていて、人が集まっている集落に入ると、その道が細かく分かれ始めます。「道」を意味する*tiと「枝分かれ」を意味するmataがくっついて、人々が暮らしている場所を意味するようになりました。これがtimata(巷)です。



参考文献

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。

前に、ベトナム語のtay(手)のような語が日本語に入り、まずは*ta(手)になり、のちにte(手)になったことをお話ししました(詳細については、「手(て)」の語源、なんと外来語だった!および「背(せ)」の語源を参照してください)。ベトナム系言語から、「手」を意味する語だけでなく、「足」を意味する語も入ったのではないかと考えたくなるところです。

奈良時代の日本語にsuneという語がありました。この語は漢字で「髄」と書かれていました。骨は外側は硬いですが、中には柔らかい組織が詰まっています。この柔らかい組織は、赤血球、白血球、血小板などを作り出して造血を担っている場所で、髄(ずい)と呼ばれます。これを奈良時代の日本語ではsuneと言っていたわけです。

奈良時代の日本語のsune(髄)は、意味を考えると、現代の日本語のsune(脛)に結びつけるのはちょっと難しいです。では、現代の日本語のsune(脛)はどこから来たのかということになりますが、奈良時代に完成した日本書紀と古事記に、ナガスネヒコという人物が出てきます。ナガスネヒコは、神武天皇の最大の敵として記述されています。三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)は、ナガスネヒコのスネは、「髄」を意味しているとは考えにくく、「脛」を意味しているのではないかと推測しています。確かに、「髄(ずい)が長い」というのは明らかに不自然です。しかし考えてみると、「脛(すね)が長い」というのも少し奇妙です。人の描写として、普通は「脛(すね)が長い」ではなく、「足・脚(あし)が長い」と言うのではないでしょうか。

実は、ベトナム語にchânチュンという語とxươngスーンという語があります。chânは「足・脚」を意味し、xươngは「骨」を意味します。仮にこれらの語を現代の日本語に取り入れるとすれば、chânはtyunになり、xươngはsūnになりそうですが、奈良時代より前の日本語ではそうはいきません。

現代の
日本人はチャンス、チーズ、チューリップ、チェック、チョコレートなどの語に慣れていますが、「チャ、チ、チュ、チェ、チョ」の類はもともと日本語にはなかったものです。他言語の語彙を取り入れる際には、現代の日本人が「チャ、チ、チュ、チェ、チョ」の類を用いそうなところで、昔の日本人は「サ、スィ、ス、セ、ソ」の類を用いたり、「タ、ティ、トゥ、テ、ト」の類を用いたりしていました。このようにして、昔の日本語ではベトナム語のchân(足、脚)のような語をtyunではなくsuneという形で取り入れ、ベトナム語のxương(骨)のような語をsūnではなくsuneという形で取り入れたと見られます。ベトナム系言語で「足・脚」を意味していた語と「骨」を意味していた語が、日本語ではsuneという同じ形になってしまったのです。違う音が日本語で同じ音にされてしまうケースは、中国の個々の漢字に音読みを与えた時にも大量に発生しました。

日本語にはasi(足、脚)とɸone(骨)という語があったので、「足・脚」を意味していたsuneも「骨」を意味していたsuneも意味の変更を迫られ、「足・脚」を意味していたsuneは膝から足首までの部分を意味するようになり、「骨」を意味していたsuneは骨の中心部分を意味するようになったと考えられます。こう考えると、奈良時代およびそれ以降の日本語のsuneに完全に説明がつきます。

昔の日本語ではsunという形は認められないので、sunではなくsuneという形になっていますが、うしろにeという母音が補われているのが大きなポイントです。昔の日本語では、子音で終わる語を取り入れる時にうしろに母音を補っていましたが、a、i、u、oを補っているケースに比べて、eを補っているケースは極端に少ないのです。sune以外には、例えば「米、ごはん、食事」を意味するベトナム語のcơm
クム/コムような語が日本語のkome(米)になったり(「米(こめ)」の語源、中国とベトナムとタイのごはんを参照)、中国語の「常」に当たるベトナム語のthườngトゥーンのような語が日本語のtune(常)になったりしています。

母音eを補ってできたと見られる語彙は、大変気になるところです。ベトナム系言語の単語に母音eを補って日本語に取り込んだのなら、その時すでに日本語は母音e(あるいはエ列の音)を持っていたことになります(奈良時代の日本語のine(稲)とyone(米)は組み込まれたina-、yona-という形を見せますが、kome(米)は組み込まれたkoma-という形を見せず、対照的です。たとえkome(米)の古形として*komaが存在したとしても、その歴史が浅いことは明白です)。日本語とベトナム系言語の接触は、奈良時代から見てそう遠くない過去まで続いていた可能性があります。日本語は中国東海岸地域だけでなく、日本列島でもベトナム系言語に接していたかもしれないということです。もしそうであれば、中国東海岸地域で話されていたベトナム系言語が日本列島に入ってきていたことを意味します。



補説

廃れてしまったɸagi(脛)

ɸagi(脛)は膝から足首までの部分を指す語でしたが、sune(脛)に取って代わられてしまいました。今では、hukurahagi(ふくらはぎ)という言い方の中に残っています。

奈良時代の日本語のɸagi(脛)は、古代中国語のheng(脛)
ヘンから来たと考えられます。昔の日本語にはhという子音がなく、当時の日本語の傾向からして、hengの先頭のhはp-かk-になりそうで、末尾のngは-nVか-gVになりそうです(Vは母音です)。

古代中国語のheng(脛)は*pagiという形で日本語に入り、ɸagiという形に変化したと見られます。昔の日本語でhengiとできないことを考えれば、自然な展開です。もしかしたら、古代中国語のheng(脛)が日本語に入った時には、日本語にまだ母音e(あるいはエ列の音)がなかったのかもしれません。



参考文献

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。

「言(こと)」と「事(こと)」の関係でお話ししたように、古代日本語のkotoが話を意味していたとすると、kotobaという語もよく理解できます。岩波古語辞典(大野1990)が述べているように、kotoにɸa(端)をくっつけたのがkotobaと考えられます。kotoは口から発せられるもの全体、kotobaはその断片といったところでしょう。現代ではkotobaに「言葉」という漢字が当てられていますが、kotobaの語源は上の通りです。

※物の端部はɸa(端)ともɸasi(端)とも呼ばれました。人類の言語では物の端部を意味する語は開始または終了を意味する語と関係していることが多く、ɸasi(端)はɸazimaru(始まる)とɸazimu(始む)(前者が自動詞で、後者が他動詞です)と関係があると見られます。物の端部を意味したり、終了を意味したりしている英語のendとは逆のケースです。

*kutu(口)から、話すことを意味するkataruと話を意味するkotoが作られたと述べましたが、奈良時代の日本語には、kataru(語る)という語はありますが、ɸanasu(話す)という語はありません。おそらく、後の時代にhanatu(放つ)の別形であるhanasu(放す)からhanasu(話す)が作られたと思われます。古代中国語に「放言」(好き勝手な発言を意味します)という言い方があったり、日本語に「言い放つ」という言い方があったりするのを見ると、その可能性が高いです。hanasuはもともと、「話す」のほかに「咄す」とも書かれ、おしゃべりしたり、雑談したりすることを意味していました。

※古代中国語のpjang(放)ピアン(現代の中国語ではfang(放)ファン)が日本語のɸanatu(放つ)/ɸanasu(放す)、さらにhanatu(放つ)/hanasu(放す)になったと見られます。

kataru(語る)とhanasu(話す)に言及したからには、iu(言う)にも言及しないといけないでしょう。iu(言う)は奈良時代の時点ではiɸu(言ふ)です。古代中国語のkhuw(口)クウ
からkuɸu(食ふ)が作られたことや、古代日本語の*kutu(口)からkataru(語る)が作られたことを思えば、まず「口」からiɸu(言ふ)が作られた可能性を考えたくなります。ここで注目されるのが、朝鮮語のip(口)です。定説となっている日本語のハ行のp→ɸ→hという変遷を考慮に入れると、朝鮮語のip(口)は奈良時代の日本語のiɸu(言ふ)と完全に合致します(日本語のハ行のp→ɸ→hという変遷については、消えた語頭の濁音の補説を参照してください)。

すことは口で行う重要な動作で、古代日本語の*kutu(口)からkataru(語る)が作られたことは十分理解できます。食べることも口で行う重要な動作で、古代中国語のkhuw(口)からkuɸu(食ふ)が作られたことも十分理解できます。朝鮮語のip(口)は日本語に入って、「話す」のような語になることも、「食べる」のような語になることもあったのではないかと思われます。

筆者がなぜそう考えるかというと、奈良時代の日本語にiɸi(飯)という語があったからです。mesi(飯)やgohan(ご飯)が一般的になり、iɸi(飯)は廃れてしまいました。mesi(飯)は、kuɸu(食ふ)などの尊敬語であるmesu(召す)から作られた語ですが、同じように、奈良時代の日本語のiɸi(飯)も、食べることを意味したiɸuのような動詞から作られた可能性があります。iɸuのような動詞が「話す」のような意味と「食べる」のような意味を両方持つのは都合が悪く、iɸi(飯)という語を残しつつ、「食べる」のような意味は捨てられたのかもしれません(kuɸu(食ふ)などによる圧迫があったかもしれません)。こうすれば、iɸu(言ふ)とiɸi(飯)が残ります。

朝鮮語のip(口)が日本語に入ったことは間違いないでしょう。こうなると、朝鮮語と日本語の間にいつどこでなにがあったのかと考えたくなりますが、ここではその問題に立ち入らず、先に進むことにします。



補説

「吐く」と「吸う」


「食べる」と「話す」は口で行う代表的な動作ですが、「吐く」と「吸う」も無視できません。「吐」と「吸」という漢字にもちゃんと「口」が入っています。日本語のhaku(吐く)(古形ɸaku(吐く))とsuu(吸う)(古形suɸu(吸ふ))が「口」から来ている可能性も考えなければなりません。

ɸaku(吐く)のほうは、タイ系言語のタイ語のpaak(口)のような語から来たものでしょう。タイ語のpaak(口)のような語は、一方でpakupaku(パクパク)、pakuʔ(パクッ)、pakkuri(パックリ)のような擬態語になり、他方でɸaku(吐く)になったと見られます。aをuに変える母音交替によって作られた類義語はこれまでにもいくつか見てきましたが、ɸaku(吐く)とɸuku(吹く)もそうでしょう。

suɸu(吸ふ)のほうは、ウラル語族のフィンランド語のsuu(口)のような語も含めて、直接あるいは間接的に関係のありそうな語が北ユーラシアに大きく広がっており、状況が単純でないため、別のところで考察することにします。

古代中国語khuw(口)、朝鮮語ip(口)、タイ語paak(口)、フィンランド語suu(口)のように並べてみると、印象的です。



参考文献

大野晋ほか、「岩波 古語辞典 補訂版」、岩波書店、1990年。

ウラル語族のフィンランド語のasia(こと)やハンガリー語のügy(こと)ウジは「足・脚」から来ているようだとお話ししましたが、日本語のkoto(こと)は「口」から来ているようです。

*kutu(口)から始まる

岩波古語辞典(大野1990)が述べているように、馬を制御するために馬にくわえさせる道具をkutubami(轡)あるいはkutuwa(轡)と呼んでいましたが、ここに組み込まれているkutu-がkuti(口)の古形を示していると考えられます。

前に、古代中国語のkhuw(口)クウが日本語のkuɸu(食ふ)になったことをお話ししました(詳細については、大和言葉(やまとことば)と古代中国語の密接な関わりおよび大和言葉(やまとことば)はベトナム語やタイ語とも関係が深いを参照してください)。口が果たす重要な機能の一つは「食べる」ことなので、これは理解できます。しかし、口が果たす重要な機能がもう一つあります。それは「話す」ことです。古代日本語の*kutu(口)は、話すことを意味するkataruと、話を意味するkotoという語を生み出したようです。

ここでの重要なポイントは、昔の日本語が、*kutu(口)からkataruを作ったり、kotoを作ったりというように、時に母音を変えながら語彙を構築していたということです。少しほかの例も見ておきましょう。

タイ語のnaam(水)と日本語のnomu(飲む)

前に、タイ語のnaam(水)のような語が日本語に入ったことをお話ししました(不思議な言語群を参照)。日本語にはmidu(水)という語があったので、タイ語のnaam(水)のような語は「水」を意味することができず、nami(波)やnama(生)のような形で日本語に入りました。タイ語のnaam(水)のような語は、ツングース諸語では満州語のnamu(海)などになり、日本語ではnami(波)になりました。nama(生)は、「(焼いたり、干したりしておらず)水っぽい、水分を含んでいる」という意味です。

タイ語のnaam(水)のような語は、日本語では「水」を意味することができず、nami(波)やnama(生)になりましたが、それだけでなく、母音交替を通じて、numa(沼)やnomu(飲む)にもなったと見られます。世界の言語を見渡すと、「水」と「水域(川、海、湖、沼など)」の間に密接な関係があるのはもちろんですが、「水」と「飲む」の間にも密接な関係があります。

例えば、インド・ヨーロッパ語族には、英語のwater(水)のような語とラテン語のaqua(水)アクアのような語があります。英語のwater(水)とラテン語のaqua(水)は同源ではありません。英語ともラテン語とも非常に遠い関係にあるヒッタイト語を見ると、watar(水)という語とekuzi(飲む)という語があります。ヒッタイト語のwatar(水)は英語のwater(水)と同源で、ヒッタイト語のekuzi(飲む)はラテン語のaqua(水)と同源です。

現代の私たちはいろいろな飲み物を飲んでいますが、遠い昔は飲み物といえば水だったでしょう。「水」と「飲む」の間の密接な関係は当然といえます。タイ系言語のほうにすでにタイ語のnaam(水)に似たnuumやnoomのような形が存在した可能性もゼロではありませんが、いずれにせよタイ語のnaam(水)が日本語のnomu(飲む)に関係していることは間違いないと思われます。

岩波古語辞典(大野1990)が述べているように、*ta(手)→toru(取る)という母音交替もあったでしょう。ひょっとしたら、*ma(目)→miru(見る)やya(矢)→*yiru(射る)も母音交替の一種として考えられるかもしれません

昔の日本語では、このようなことが行われていたようなのです。

再び*kutu(口)へ

*kutu(口)から作られたと考えられるkataruは意味があまり変わりませんでしたが、kotoは意味が明らかに変わりました。下の説明では、昔の日本語を「koto」と書き、今の日本語を「コト」および「ハナシ」と書きます。kotoはもともと現代の日本語のハナシのような語だったが、そこから現代の日本語のコトのような語に変わっていったようです。下の図のような変化が起きたのです。言い換えれば、kotoは英語のspeech/storyのような語だったが、そこから英語のthing/matterのような語に変わっていったということです。

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例えば、日本語では(A)のように言うこともできるし、(B)のように言うこともできます。

(A)佐藤さんが亡くなったハナシは聞きました。みんなにはもう知らせました。
(B)佐藤さんが亡くなったコトは聞きました。みんなにはもう知らせました。

このように、現代の日本語のハナシの意味領域と現代の日本語のコトの意味領域にはつながりがあります。昔の日本語のkotoはハナシの意味領域(speech/storyの意味領域)からコトの意味領域(thing/matterの意味領域)に移っていったのです。奈良時代のあたりは移行期で、そのために当時の日本語のkotoは漢字で「言」と書かれたり、「事」と書かれたりしていたと考えられます。

奈良時代のkotoがこのようなものであるとわかったところで、今度は同じ奈良時代のkotobaという語をどのように解釈したらよいか考えましょう。



参考文献

大野晋ほか、「岩波 古語辞典 補訂版」、岩波書店、1990年。

語根aj-

ast-、as-、at-およびjalk-、jal、jak-という語根から、ウラル語族と日本語で足・脚に関係する様々な語が作られているのを見ました。ウラル語族と日本語の足・脚に関係する語彙を見渡すと、もう一つ見逃せない語根があります。それは、aj-という語根です(jは日本語のヤ行の子音です)。

例えば、フィンランド語にはajaaという動詞があります。名詞形はajoです。ajaa/ajoは単純に訳しづらいですが、基本的に進むこと、進ませることを意味する語です。ただ、普通は人間の歩行を意味することはなく、乗り物や物事の進行を意味します。現代のフィンランド語では、車の運転を言うことが多いです。「 ajaa autoa 」は「車を運転する」という意味です。

サモエード系の言語では、aj-という語根がもっと具体的な語に現れます。足・脚を意味するネネツ語ŋe
ンゲ、エネツ語ŋoンゴ、ガナサン語ŋojンゴイ、カマス語ujyウイ/yjyイイは最たるものです。ネネツ語、エネツ語、ガナサン語には、語頭に母音が来るのを避けるために子音を前に補う傾向があるので、これらの頭子音は差し引いて考える必要があります。つまり、ネネツ語ではe、エネツ語ではo、ガナサン語ではojオイのような形を考える必要があります。上記の足・脚を意味する語は、かつて*ajまたは*ajVのような形をしていたと考えられます。

人間の言語の進化、足・脚から始まる語彙形成の記事で説明したように、「足・脚」からは、歩いて行かせること、進めることを意味する語、さらに抽象化して、「使う」や「する」のような語が生まれてきます。ウラル語族では、足・脚に関係する語を生み出す(1)ast-、as-、at-、(2)jalk-、jal-、jak-、(3)aj-という語根から、「お使い、用事、仕事、こと」のような語が生まれているケースが目立ちます。フィンランド語のasia(こと)は(1)から来ていると考えられるもので、ハンガリー語のügy(こと)ウジは(3)から来ていると考えられるものです(前にフィンランド語のjalka(足、脚)ヤルカとハンガリー語のgyalog(歩いて、徒歩で)ジャログという語を挙げましたが、ハンガリー語のügy(こと)のgyの部分もかつてjであったと考えられます)。

このように、aj-という語根から、ウラル語族では足・脚に関係する様々な語が作られています。では、この語根から、日本語ではどのような語が作られたのでしょうか。該当しそうなのは、ayumu(歩む)です。

ただ、上記のaj-という語根には、気がかりな点があります。中央アジアを中心として中東方面、ウラル山脈方面、ヤクート地方方面、中国方面に広がっているテュルク系言語に、トルコ語ayak、タタール語ayak、バシキール語ayaqアヤク、カザフ語ayaqアヤク、ウイグル語ayaqアヤクのような語があり、足・脚を意味しているのです。テュルク系言語の現在の分布域はあくまで現在の分布域であり、「心(こころ)」の語源の記事で示したように、テュルク系言語はかつては中国東海岸近くにも分布し、同地域にいた日本語に影響を与えていたと見られます。

なにが言いたいかというと、日本語のayumu(歩む)は、上に示したフィンランド語ajaa(進む、進ませる)、ハンガリー語ügy(こと)、ネネツ語ŋe(足、脚)などと同源である可能性が高いが、日本語とウラル語族のこれらの語は、遼河文明の言語から来ているのではなく、テュルク系言語から来ているかもしれないということです。広く分布していたテュルク系言語が一方でウラル語族に、他方で日本語に語彙を提供したということも考えられるのです。インド・ヨーロッパ語族ほどではないにせよ、テュルク系言語もウラル語族と日本語の両方に影響を与えていたようです。ウラル語族と日本語に目を向けているだけでは駄目で、並行して周囲の言語にも目を向けなければならないことを示すよい例といえるでしょう。

※フィンランド語のaika(時、時間)も、テュルク系言語で「足・脚」を意味しているトルコ語ayakのような語から来ていると見られます。その一方で、ハンガリー語のidő(時、時間)イドーも、インド・ヨーロッパ語族で「歩いて進むこと」を意味しているロシア語idtiイッチー(語幹id-)のような語と関係があると見られます。やはり、「足・脚」と「時」の間には密接なつながりがあるようです。古代中国語のtsjowk(足)ツィオウクが日本語のtoki(時)になったのは、ごくありふれた現象といえそうです(「時(とき)」と「頃(ころ)」の語源を参照)。

このブログは、漢語流入前の日本語(大和言葉)の大部分が遼河文明の言語の語彙、黄河文明の言語の語彙、長江文明の言語の語彙でできているというところから話を始めたので、これまでテュルク系言語とモンゴル系言語を取り上げる機会があまりありませんでしたが、
どちらも東アジアの言語の歴史、北ユーラシアの言語の歴史を考えるうえで非常に重要なので、これからはテュルク系言語とモンゴル系言語も積極的に取り上げていきます。

(1)ast-、as-、at-という語根、(2)jalk-、jal-、jak-という語根、そして(3)aj-という語根を見てきました。「足・脚」から様々な語彙が生まれてくることを示しましたが、フィンランド語のasia(こと)やハンガリー語のügy(こと)のような語が生まれてくるのはなんとも驚きです。考えてみれば、「こと」のような極度に抽象的な語が最初からあったはずはなく、具体的ななにかが語源になっているはずです。フィンランド語のasia(こと)やハンガリー語のügy(こと)は「足・脚」から来ているようですが、日本語のkoto(こと)はどうでしょうか。どうやら、日本語のkoto(こと)は「足・脚」から来ているわけではないようです。



日本語のmono(もの)の語源については、以下の記事に記されています。

「物(もの)」と「牛(うし)」の語源、西方から東アジアに牛を連れてきた人々

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