日本語の意外な歴史

これまで知られてこなかった日本語の起源、日本語の歴史について語っていきます。私たちが使っている言葉には、驚くべき人類の軌跡が隠されています。

2019年08月

大きく間が空いてしまいましたが、この記事は以下の三つの記事の続きです。

とても古い東西のつながり1—ユーラシア大陸の北方でなにがあったのか
とても古い東西のつながり2
とても古い東西のつながり3

本ブログで着々と示しているように、ウラル語族の言語は東アジアの遼河流域からやって来たと考えられる言語です。ウラル語族というのはウラル山脈にちなんで付けられた名称ですが、実はウラル語族の言語の中で特にウラル山脈の周辺で話されている言語(コミ語、ウドムルト語、マンシ語、ハンティ語)はウラル語族らしくないところがかなりあります。コミ語、ウドムルト語、マンシ語、ハンティ語に、近くで話されているインド・ヨーロッパ語族の言語とテュルク系の言語から語彙が入ってくるのはわかります。しかし、コミ語、ウドムルト語、マンシ語、ハンティ語には、インド・ヨーロッパ語族のものともテュルク系言語のものとも思えない謎の語彙もかなり入っているのです。

例えば、前に示しましたが、足・脚を意味するコミ語kok、ウドムルト語kuk、マンシ語lāɣilラーギル、ハンティ語kurという語があります。いずれもウラル語族では非標準的な語です。ここでは、前の二語に注目しましょう。足・脚を意味するコミ語kokとウドムルト語kukはウラル語族の標準的な語彙ではありませんが、ウラル語族の近くで話されていた言語群にそのような語があったと考えることはできます。フィンランド語kulkea(進む)(語幹kulk-)、サーミ語golgat(流れる)(語幹golg-)、ハンガリー語halad(進む)(ハンガリー語は過去にk→hという発音変化を起こしており、さらに、ハンガリー語では-adを付加して動詞を作ることがよくありました)などの語があるからです。ウラル語族の近くに、足・脚のことを「kalk、kulk、kolk」のように言う言語群があったと考えられます。

足・脚のことを「kalk、kulk、kolk」のように言う言語群の存在は、インド・ヨーロッパ語族のほうからも窺えます。前にラテン語のcalx(かかと)カルクス、calceus(靴)カルケウス、calcare(踏む)カルカーレ、calcitrare(蹴る)カルキトゥラーレという語を挙げました。ラテン語にはpes(足、脚)という語があったので、calxは「足、脚」を意味することができず、「かかと」を意味したのでしょう。ゲルマン系の英語calf(ふくらはぎ)、スラヴ系のセルビア語kuk(尻)、スロベニア語kolk(尻)、バルト系のリトアニア語kulšis(尻)クルシスのような語もあります(セルビア語kuk、スロベニア語kolk、リトアニア語kulšisは「もも」を意味していた語が「尻」を意味するようになったと見られます。ヒッタイト語ker(心臓)や古代ギリシャ語kardia(心臓)にリトアニア語širdis(心臓)シルディスが対応しているように、リトアニア語では一定の条件のもとでkがšになっています)。いずれの語も、「足、脚」を意味することができず、意味を少しずらされた感じになっているのが特徴的です。

インド・ヨーロッパ語族のラテン語calx(かかと)、英語calf(ふくらはぎ)の類はもともとインド・ヨーロッパ語族にあったものでしょうか。筆者は違うと思います。ウラル語族のフィンランド語kulkea(進む)やハンガリー語halad(進む)を思い出してください。「かかと」を意味する語から「進む」という動詞が作られるでしょうか。「ふくらはぎ」を意味する語から「進む」という動詞が作られるでしょうか。違うでしょう。足・脚のことを「kalk、kulk、kolk」のように言う言語群があって、それらがインド・ヨーロッパ語族ではラテン語calx(かかと)、英語calf(ふくらはぎ)のようになり、ウラル語族ではフィンランド語kulkea(進む)、ハンガリー語halad(進む)のようになったのでしょう。

足・脚のことを「kalk、kulk、kolk」のように言う言語群とは一体どんな言語群だったのだろうと考えながら、筆者は目をヨーロッパからアジアに移しました。そこで最初に目に留まったのが、意外なことに古代中国語のkjak(腳)キアク
でした(「腳」は現在では「脚」と書かれています)。少し混乱しながら、黄河文明の言語が大きく西に伸びていたのかと一瞬考えました。遼河文明の言語は北欧・東欧まで達したし、長江文明の言語はインドまで達したからです(ベトナム語が属するオーストロアジア語族の言語はインドでも少数民族によって話されています)。しかし、このように説明するのは無理があります。そもそも、古代中国語のkjak(腳)はシナ・チベット語族の標準的な語彙ではないからです。

前に「尻(しり)」の語源の記事で、ウラル語族のフィンランド語selkä(背)セルカなどの祖形である*sjelkV(sjeの発音はスィエに近いです)と、古代中国語で背骨を意味したtsjek(脊)ツィエクを取り上げたことがありました。ウラル語族の*sjelkVと古代中国語のtsjekを比べると、古代中国語のほうで子音lが欠けています。tsjek(脊)の古形が*tsjelkツィエルクのような形をしていた可能性は十分にあります。

同じように、kjak(腳)の古形が*kjalkキアルクのような形をしていた可能性は十分にあります。古代中国語のkjak(腳)は足・脚のことを「kalk、kulk、kolk」のように言っていた言語群から来たのかもしれないということです。ちなみに、モンゴル語にxөl(足、脚)フル(古形はkölコル)という語があり、エヴェンキ語にxalgan(足、脚)ハルガンという語があります。ヨーロッパ方面と異なり、古代中国語kjak(腳)、モンゴル語xөl(足、脚)、エヴェンキ語xalgan(足、脚)はもろに足・脚を意味しています。筆者はどうやら非常に大きな問題に足を踏み入れたようだという感触を得ました。

前回の記事では、竪穴式住居の話をしました。「家」と「山」(積み重ね、堆積、蓄積)の間に密接な関係があることがおわかりいただけたと思います。「家」は様々な意味領域とつながっています。「山」も様々な意味領域とつながっています。その「家」と「山」の間に強いつながりがあると知っておくことは、人類の言語の歴史を研究するうえで極めて重要です。ここで、インド・ヨーロッパ語族のロシア語dom(家)ドームの類に話を戻しましょう。

インド・ヨーロッパ語族のロシア語dom(家)の類は、tum-、tom-、tam-という不揃いな形で日本語に入り、「家の人、一族、家族、いっしょに暮している人、配偶者」を意味するようになったと述べました(詳しくはインド・ヨーロッパ語族の「家」、houseそれともhome?を参照)。ここから来たのが、tuma(妻)、tomo(友)、tami(民)です。

「家」と「山」(積み重ね、堆積、蓄積)の間に密接な関係があるということは、インド・ヨーロッパ語族のロシア語dom(家)の類は、日本語に入って、「山、積み重ね、堆積、蓄積」を意味するようになった可能性もあるということです。考えなくてはいけません。インド・ヨーロッパ語族のロシア語dom(家)の類が、上のようにtum-、tom-、tam-という不揃いな形で日本語に入り、「山、積み重ね、堆積、蓄積」を意味するようになることはなかったのでしょうか。

該当しそうなのが、tumu(積む)/tumoru(積もる)、tomu(富む)/tomi(富)、tamu(貯む)/tamaru(貯まる)です。tomu(富む)/tomi(富)は抽象的な語ですが、もともと積み重ね、堆積、蓄積を意味していたと思われます。細かいことを言えば、tomo(友)のtoはto乙類で、tomu(富む)/tomi(富)のtoはto甲類ですが、これらに限らず、上に記した一連の語はすべてインド・ヨーロッパ語族から違う時代に違う場所で取り入れられたと見られます。前にインド・ヨーロッパ語族のロシア語usta(口)の類が不揃いな形で日本語に入っているのを見ましたが、それとよく合います(嘘になった言葉を参照)。

現代の日本語で「ためになる本」などと言いますが、このtame(ため)も無関係でないでしょう。tame(ため)は、もともと蓄え・蓄積を意味し、そこから意味が抽象的になっていったと見られます。インド・ヨーロッパ語族のロシア語dom(家)の類が、思わぬ意味で日本語に入っているわけです。

※もう現代ではほとんど使われませんが、toma(苫)という語もありました。toma(苫)は、草を編んで作った屋根材料です。竪穴式住居があのような形をしているため、「家」と「山」の間だけでなく、「家」と「屋根」の間にも密接な関係があります。インド・ヨーロッパ語族のロシア語dom(家)の類は、日本語のtoma(苫)にもなったと見られます。苫その他による屋根作りで使われたɸuku(葺く)という語は、覆うことを意味する古代中国語の「覆」から来たものでしょう。



補説

takuɸaɸu(蓄ふ)という動詞

話が蓄え・蓄積に及んだので、ついでにtakuɸaɸu(蓄ふ)などついても考察しておきましょう。

adi(味)からadiɸaɸu(味はふ)という動詞が作られ、saki(幸)からsakiɸaɸu(幸はふ)という動詞が作られましたが、takuɸaɸu(蓄ふ)も同じように作られた動詞でしょう。takuɸaɸu(蓄ふ)は四段活用する場合と下二段活用する場合がありましたが、下二段活用のほうが残って現代のtakuwaeru(蓄える)になりました。

山や高さを意味する*takaという語があって、この*takaが一方では組み込まれたtaka(高)として、他方では単独のtake(岳)やtake(丈)として残ったと考えられます。*takaには母音が異なる類義語があって、それがtuka(塚)や*takuだったと思われます(ama(甘)―uma(うま)、asa(浅)―usu(薄)、asa(朝)―asu(明日)のような具合です)。この*takuからtakuɸaɸu(蓄ふ)という動詞が作られたのでしょう。

ひょっとしたら、*takuは「山、積み重ね、堆積、蓄積」だけでなく、「家」(ひいては一族や家族)を意味することもあったかもしれません。人がいっしょにいることをtaguɸuと言っていたからです。名詞形のtaguɸiは人の集まりだけでなく、ものの集まりも意味するようになり、現代のtagui(類)に至ります。

印欧祖語では「家」のことをロシア語のdom(家)ドームのように言っていたようだとお話ししました。ロシア語のdom(家)は、インド・ヨーロッパ語族らしい語です。これに対して、インド・ヨーロッパ語族らしくないのが、英語のhouse(家)です。英語と同じゲルマン系の言語には、ドイツ語Haus(家)、オランダ語huis(家)、スウェーデン語hus(家)、アイスランド語hús(家)フースのような語が見られますが、ゲルマン系以外の言語には、それらしき語が見当たりません。

ひょっとしたら関係があるかなと思えるのは、イタリック系のラテン語のcasa(小屋)カサ
ぐらいです。ラテン語では、domus(家)が重要で、casa(小屋)はあまり存在感がありませんでしたが、ラテン語の後継言語であるイタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語では、このcasaが一般に家を意味するようになりました。ゲルマン系の言語はk→hという発音変化を起こしているので、ラテン語のcasa(小屋)はゲルマン系の英語のhouse(家)などとかろうじて関係を考えることができます。

とはいえ、発音的に、イタリック系言語からゲルマン系言語にkasaのような語が入った、あるいはゲルマン系言語からイタリック系言語にkasaのような語が入ったと考えるのはかなり困難です。インド・ヨーロッパ語族の外にkasaのような語が少しずつ違う形で広がっていて、そこからゲルマン系言語とイタリック系言語に語が流入したと考えるほうがはるかに自然です。そうすれば、ゲルマン系・イタリック系以外の言語にそれらしき語が見当たらないことにもすんなり説明がつきます。

筆者にヒントを与えてくれたのは、ウラル語族のフィンランド語のkasaという語でした。フィンランド語のkasaは、家を意味する語でも、小屋を意味する語でもありません。フィンランド語のkasaは、積み重ね、堆積、蓄積を意味する語です。ゴミの山とか、宝の山とか、そういうものを指します。「家」と「山」になにか関係があるだろうかと考えた時に、筆者の頭に浮かんだのが、竪穴式住居でした(写真はWikipediaより引用)。

Picture 108

竪穴式住居は、地面に穴を掘って空間を設け、その上に覆いを作ります。日本の縄文時代や弥生時代に竪穴式住居が作られたという話を聞いたことがあると思いますが、竪穴式住居は世界各地で作られたものです。半地下構造の竪穴式住居の外見は、まさに山のようです。そういうことだったのかと思いながら世界の様々な言語を調べると、やはり「家」と「山あるいは山状のもの」の間に強いつながりが認められます。

日本語はどうでしょうか。「家、山あるいは山状のもの」を表すkasaと聞いて、なにか思い当たる節はないでしょうか。頭にかぶるkasa(笠)、雨の日にさすkasa(傘)、キノコのkasa(かさ)は関係がありそうです。積み重ね、堆積、蓄積も考慮に入れると、kasaneru(重ねる)/kasanaru(重なる)も関係がありそうです。なにかが蓄積していくところを想像してください。

Picture 109

高さ、大きさ、体積などを意味するkasa(嵩)も関係があるでしょう。今挙げた語に比べると大変わかりづらいですが、kazaru(飾る)も関係があるようです。三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)には、kazaru(飾る)という語は特に建造物の装飾に関して用いられることが多かったと書かれています。おそらく、kazaru(飾る)はもともと家を建てることを意味し、そこから家を整えること、家を装飾することを意味するようになっていったと思われます。

インド・ヨーロッパ語族のラテン語casa(小屋)やウラル語族のフィンランド語kasa(堆積)と同源と見られる語が日本語に存在するわけですが、このことをどう捉えたらよいかというのは深遠な問題です。ラテン語のcasa(小屋)はインド・ヨーロッパ語族の標準的な語彙ではないし、フィンランド語のkasa(堆積)もウラル語族の標準的な語彙ではないのです。フィンランド語のkasa(堆積)がウラル語族の標準的な語彙でないということは、ウラル祖語にkasa(堆積)のような語はなかった、さらには遼河文明の初期の言語にkasa(堆積)のような語はなかったということです。日本語のkasa(笠、傘)、kananeru(重ねる)/kasanaru(重なる)、kasa(嵩)、kazaru(飾る)はどこから来たのでしょうか。

考えられるシナリオを描いてみます。インド・ヨーロッパ語族の拡散にしろ、遼河文明の言語の拡散にしろ、せいぜい過去1万年以内の出来事です。しかし、すでに3~4万年前には、北ユーラシアにいくつもの遺跡が現れています(Graf 2009)。2万年ちょっと前にLast Glacial Maximum(最終氷期最盛期)と呼ばれる厳しい時代があり、遺跡の数は落ち込みますが、LGMが終わると、急増します。インド・ヨーロッパ語族の拡散および遼河文明の言語の拡散が始まる前に、北ユーラシアを覆っていた言語群があったのです。

インド・ヨーロッパ語族のラテン語casa(小屋)、ウラル語族のフィンランド語kasa(堆積)、日本語のkasa(笠、傘、かさ)、kananeru(重ねる)/kasanaru(重なる)、kasa(嵩)、kazaru(飾る)などは外来語で、かつて北ユーラシアに家や山のことをkasaのように言う言語群があったと思われます。この家や山のことをkasaのように言う言語群は、ヨーロッパ方面でも東アジア方面でも語彙を提供していることから、北ユーラシアに大きく広がる言語群であったと見られます。遠い昔に北ユーラシアに大きく広がっていた言語勢力が、新しく台頭してきた言語勢力(インド・ヨーロッパ語族や遼河文明の言語など)に取って代わられた、そんな壮大な交代劇があった可能性が出てきました。



参考文献

日本語

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。

英語

Graf K. E. 2009. Modern human colonization of the Siberian mammoth steppe: A view from south-central Siberia. In Sourcebook of Paleolithic Transitions, edited by M. Camps and P. Chauhan, p.479-501, Springer Science+Business Media.

現代のインド・ヨーロッパ語族の各言語では、「家」を意味する語はかなりばらばらです。それでも、家に関する語彙を詳しく調べると、印欧祖語では家のことをロシア語のdom(家)ドームのように言っていたことが窺えます。ラテン語domus(家)、古代ギリシャ語domos(家)、サンスクリット語damah(家)は同源です。驚くべきことに、日本語のtuma(妻)とtomo(友)は、インド・ヨーロッパ語族のロシア語dom(家)の類から来たようです。なぜこのようなことが起きるのでしょうか。

英語にhome(家)という語があります。英語のhomeはドイツ語Heim、リトアニア語šeimaシェイマ、ロシア語semjjaスィミヤーと同源です。しかし、英語homeとドイツ語Heimは「家」を意味する語ですが、リトアニア語šeimaとロシア語semjjaは「家族」を意味する語です。ちなみに、フィンランド語にはheimo(部族、種族)という外来語が入っています。「家」を意味していた語が「家の人、つまり一族、家族、いっしょに暮らしている人、配偶者」を意味するようになることがあるのです。日本語でも、「○○家」と言って一族を指したり、kanai(家内)と言って女性配偶者を指したりするので、それほど違和感はないでしょう。uti(内)とuti(家)もudi(氏)と無関係でないと思われます。

前回の記事で、インド・ヨーロッパ語族のロシア語usta(口)の類がuta(歌)、oto(音)、asobu(遊ぶ)のような不揃いな形で日本語に入ってきたようだと述べました。インド・ヨーロッパ語族のほうに発音のバリエーションが存在するために、このようなことが起きます。どうやら、インド・ヨーロッパ語族のロシア語dom(家)の類も、tum-、tom-、tam-という不揃いな形で日本語に入ってきたようです。

日本語のtuma(妻)は、現代では女性配偶者を意味していますが、もともと性別によらず配偶者を意味していた語です。今では形も意味もすっかり異なっていますが、tuma(妻)、tomo(友)、tami(民)は、インド・ヨーロッパ語族のロシア語dom(家)の類に語源を持ち、「いっしょに暮らしている人あるいは人々」を指していたと見られます。根拠は後続の二つの記事で固めます。tomo(友)とtami(民)は、家族や一族のような意味が消えて、単にいっしょにいる人、集まっている人を意味するようになったと見られます。tuma(妻)、tomo(友)、tami(民)のような不揃いな形は、日本語がインド・ヨーロッパ語族の様々な言語に接していたことを裏づけています。

上記の語に加えて、インド・ヨーロッパ語族のロシア語dom(家)の類から来たと思われるのが、昔の日本語のtomu(泊む)(現代ではtomeru(泊める))です。英語のhouseも、名詞として「家」という意味を持ち、動詞として「泊める」という意味を持っています。現代の日本語に「泊める/泊まる、止める/止まる、停める/停まる、留める/留まる」という語がありますが、もとの意味は宿泊だったようです。

インド・ヨーロッパ語族のロシア語dom(家)の類は日本語に大きな影響を与えており、上に挙げたtuma(妻)、tomo(友)、tami(民)やtomu(泊む)だけにとどまりません。この話を続ける前に、昔の人々が住んでいた住居について考えなければなりません。昔の人々が住んでいた住居というのは、竪穴式住居のことです。



補説 1

英語のhouseとhomeの違い

英語のhouseとhomeはどう違うのかと思われている方もいるかもしれないので、簡単に説明しておきます。

英語のhouseとhomeが類義語であることは間違いありませんが、houseは「建物」という意味が強く、homeは「本拠、家庭生活が営まれる場、家庭」という意味が強いのです。英語のhouseとhomeの違いは、日本語のie(家)とuti(家)の違いと同じではありませんが、少し似ているところもあります。日本語で「うちは、うちの子どもは、うちの主人は」などと言いながら自分の家族・家庭について語ったりしますが、このような使われ方をするuti(家)のほうがhome寄りで、ie(家)のほうがhouse寄りです。

補説 2

「ドア」だけなく、「戸」と「扉」も外来語だった

英語にdoor(ドア)という語があり、同源の語はインド・ヨーロッパ語族全体に広がっています。ゲルマン系の言語では、英語door、ドイツ語Türテュア、オランダ語deurドア、スウェーデン語dörrドル、アイスランド語dyrティールという具合で、昔の発音がかなり崩れています。昔の発音をよく保存しているのは、ロシア語dverjドゥヴィエーリ、サンスクリット語dvara、トカラ語twereなどです。

実は、日本語のto(戸)とtobira(扉)も遠い昔にインド・ヨーロッパ語族から入った語なのです。インド・ヨーロッパ語族のロシア語dom(家)の類が日本語に入ったことをお話ししましたが、それと完全に合致します。

インド・ヨーロッパ語族のラテン語inter/intra、英語underの類が日本語のinoti(命)、uti(内)および心に関係する様々な語になったようだと述べました。ここで、インド・ヨーロッパ語族のラテン語inter/intra、英語underの類が「中、真ん中、間」を意味するだけでなく、「下」も意味したことを思い出しましょう。インド・ヨーロッパ語族のラテン語inter/intra、英語underの類は、「中、真ん中、間」という意味だけでなく、「下」という意味でも日本語に入ったようです。

utumuku(うつむく)から話を始めましょう。utumukuに組み込まれているutuはなんでしょうか。「下」を意味する*utuという語があったのでしょう。*utu(下)とmuku(向く)がくっついて、utumuku(うつむく)です。sita(下)がsidumu(沈む)と同類であるように、*utu(下)はudumu(埋む)、udumoru(埋もる)と同類であると考えられます(これらは現代のuzumeru(埋める)、uzumoreru(埋もれる)につながります)。

日本語でも他言語でもuとoの間で発音が揺れることは非常に多く、上記の*utu(下)はotouto(弟)の古形であるotoɸito(弟)のotoやotu(落つ)、otosu(落とす)、otoru(劣る)とも関係があると思われます。otoɸito(弟)は男にも女にも使われていた語で、otoは「(年が)下」という意味でしょう。

uとoの間の発音の揺れに関して気になった語がほかにもあります。ここではuta(歌)とoto(音)、そしてtuma(妻)とtomo(友)を取り上げます。

uta(歌)とoto(音)

古代中国語のkhuw(口)クウが日本語のkuɸu(食ふ)になったり、朝鮮語のip(口)が日本語のiɸu(言ふ)になったように、インド・ヨーロッパ語族の「口」もなんらかの形で日本語に入ったと思われます。

英語にmouth(口)という語があり、同じゲルマン系の言語にもドイツ語Mund(口)、オランダ語mond(口)、スウェーデン語mun(口)、アイスランド語munnur(口)などの語があります(英語では子音nが消えています)。

しかし、スラヴ系の言語を見ると、様子が違います。スラヴ系の言語では、ロシア語usta(口)、ポーランド語usta(口)、チェコ語ústa(口)ウースタ
、ブルガリア語usta(口)、セルビア語usta(口)のようになっています(ロシア語のusta(口)は現代ではrot(口)に取って代わられました)。

印欧祖語では「口」のことを英語のmouthのように言っていたのか、ロシア語のustaのように言っていたのかということが問題になりますが、どうやらロシア語のustaのように言っていたようです。ゲルマン系・スラヴ系以外の言語を調べると、英語のmouthなどは印欧祖語の「あご」から、ロシア語のustaなどは印欧祖語の「口」から来たようです。例えば、イタリック系のラテン語では、mentumが「あご」を意味し、osが「口」を意味しています。

インド・ヨーロッパ語族のロシア語usta(口)の類を日本語に取り入れようとすると、どうなるでしょうか。日本語ではust-という形は不可能なので、us-またはut-という形にすることが考えられます。人間の口から出てくるものといえば、まず言葉や話が思い浮かびますが、嘘や歌も無視できません。インド・ヨーロッパ語族のロシア語usta(口)の類は、日本語のuso(嘘)やuta(歌)になったと見られます(昔の日本語を見ると、usoは息を吹いたり、口笛を吹いたりする場面で用いられているので、虚言は後から生じた意味かもしれません。世界的に見て、「口」と「嘘」のつながりは非常に強いです)。

インド・ヨーロッパ語族のロシア語usta(口)の類も、言語によって発音が少しずつ違います。ロシア語ではusta(口)ですが、リトアニア語ではuostas(港)、ラトビア語ではosta(港)、ラテン語ではos(口)、サンスクリット語ではas(口)という具合です(リトアニア語とラトビア語では「河口」→「港」という意味変化が起きています)。特にuとoの間で発音が揺れやすいことを考えると、インド・ヨーロッパ語族のロシア語usta(口)の類は、日本語のuta(歌)だけでなく、oto(音)にもなったと見られます。サンスクリット語のas(口)のような形も見られるので、三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)や岩波古語辞典(大野1990)の見方の通り、asobu(遊ぶ)ももともと歌・音楽に関する語彙だったのかもしれません。uta(歌)、oto(音)、asobu(遊ぶ)のような不揃いな形は、日本語がインド・ヨーロッパ語族の様々な言語に接していたことを示唆しています。

※フィンランド語にääniアーニ
という語があり、声も音も意味します。朝鮮語にもsoriという語があり、声も音も意味します。考えてみれば、声は音の一種です。現代の日本語では、人が歌えばkoe(声)と言い、楽器を鳴らせばoto(音)と言う使い分けがありますが、かつては日本語でもひとまとめにしていたと考えられます(koe(声)の語源は前に日本語を改造したのはだれか?の記事に記しました)。

このように、日本語のuta(歌)とoto(音)はインド・ヨーロッパ語族から来た語彙と考えられます。同じように、tuma(妻)とtomo(友)もインド・ヨーロッパ語族から来た語彙のようです。tuma(妻)とtomo(友)の語源が大変意外なので、お話ししましょう。



補説

再びwotoko(をとこ)とwotome(をとめ)

「男」と「女」の語源から始まる一連の記事で、奈良時代のwotoko(をとこ)やwotome(をとめ)などの語を取り上げました。wotoko(をとこ)は「若い盛りの男性」、wotome(をとめ)は「若い盛りの女性」という意味です。つまり、wotoの部分が若い盛りの状態を意味し、koの部分が男を意味し、meの部分が女を意味しているわけです。*koは、もともと統治者を意味し、さらに目上の男に対して用いられた古代中国語のkuwng(公)クウン(日本語での音読みはku、kou)を取り入れたものであり、meは、妹、年下の女性、妻に対して使われた古代中国語のmwoj(妹)ムオイ(日本語での音読みはmai、bai)を取り入れたものであるという筆者の考えを示しました。古代中国語のkuwng(公)が日本語に入って、*koという形で男一般を指し、古代中国語のmwoj(妹)が日本語に入って、meという形で女一般を指していたということです。

若い盛りの状態を意味したwotoの部分にもう少し踏み込みましょう。一般に、若さを意味する語は、「未熟な」という方向にも、「盛りの」という方向にも通じており、位置づけが微妙です。「下」を意味したインド・ヨーロッパ語族のラテン語inter/intra、英語underの類は、utumuku(うつむく)に見えるutuという形、otoɸito(弟)に見えるotoという形に加えて、wotoという形でも日本語に入った可能性があります。wotoも当初は下を意味し、そこから年が若いこと、さらに盛りであることを意味するようになっていったのではないかということです。日本語にutu、oto、wotoという発音のバリエーションが存在したことになりますが、このような発音のバリエーションはインド・ヨーロッパ語族のほうにしばしば見られるのです。

先ほどインド・ヨーロッパ語族のロシア語usta(口)の類を取り上げました。ロシア語ではusta(口)ですが、リトアニア語ではuostas(港)、ラテン語ではos(口)になっていました。このようなところから日本語のuso(嘘)、uta(歌)、oto(音)などが来たようだと述べましたが、実は奈良時代にはwosu(食す)という語もありました。完全に廃れてしまいましたが、wosu(食す)はkuɸu(食ふ)などの尊敬語でした。古代中国語のkhuw(口)からkuɸu(食ふ)が作られたように、インド・ヨーロッパ語族のロシア語usta(口)の類からwosu(食す)が作られたのでしょう。インド・ヨーロッパ語族のほうに発音のバリエーションが存在するために、日本語のほうに不揃いな語が生まれるのです。

utumuku(うつむく)のutu、otoɸito(弟)のoto、wotoko(をとこ)/wotome(をとめ)のwotoも、同様の事情によるものと考えられます。



参考文献

大野晋ほか、「岩波 古語辞典 補訂版」、岩波書店、1990年。

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。

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