「木(き)」の語源、木には様々な木がある(改訂版)

予告した通り、高句麗語で木を意味していた語、山を意味していた語、谷を意味していた語を見てみましょう。一番単純なので、谷を意味していた語から見ることにします。

高句麗語の「谷」

高句麗語の「旦」という語が記録されており、谷を意味する語であると中国語で説明されています(Beckwith 2004)。「旦」と書き表されているケースだけでなく、「頓」および「呑」と書き表されているケースもあります。

高句麗語の「旦、頓、呑」・・・谷を意味する

tan、tun、tonのような発音であったと見られます。Beckwith氏は、高句麗語で谷を意味していた語は*tanではないかと推測しています。この語が日本語のtani(谷)と同源であることは間違いなさそうです。

高句麗語の「木」

高句麗語で木を意味していた語はどうでしょうか。

高句麗語の「斤」という語が記録されており、木を意味する語であると中国語で説明されています。「斤」と書き表されているケースだけでなく、「斤乙」および「肹」と書き表されているケースもあります。

高句麗語の「斤、斤乙、肹」・・・木を意味する

Beckwith氏は、高句麗語で木を意味していた語は*kɨrではないかと推測しています(ɨはiに似ています。iと同じで、唇は横に広がっています。舌全体を口の中の奥の方へやや後退させて、iと発音する感じです)。しかし、高句麗が存在していた頃の古代中国語では、もちろん方言差はいくらかあったはずですが、斤はkjɨnキンのような音、乙はitイトゥのような音、肹はxjɨtヒトゥまたはキトゥのような音でした。Beckwith氏が*kɨrと推測したのは根拠のないことではありませんが、その話は複雑なので次回の記事にまわします。いずれにせよ、日本語のki(木)との関係を考える必要があります。

奈良時代の日本語にはki甲類とki乙類という微妙に異なる二つの音があり、ki(木)の発音はki乙類でした。kodati(木立ち)、kozuwe(梢)、kogarasi(木枯らし)などに組み込まれているのを見ればわかるように、ki(木)はかつて*ko(木)であったと考えられます。日本語がまだ大陸にいた頃、つまり弥生時代より前のことを考えるのであれば、ki(木)という形より*ko(木)という形のほうが重要そうです。

上記の高句麗語の「斤、斤乙、肹」という語も気になりますが、高句麗語の「仇」という語も気になります。高句麗語の「仇」は、松を意味する語であると中国語で説明されています。

高句麗語の「仇」・・・松を意味する

Beckwith氏は、高句麗語の「仇」の発音を*kuと推測しています。松は、北ユーラシアでも、東アジアでも、日本でも、代表的な樹種です。

木を意味する語について論じる時には、気をつけなければならないことがあります。例えば、インド・ヨーロッパ語族の英語tree(木)、ロシア語derevo(木)、ギリシャ語drys(オーク)、ヒッタイト語taru(木)を見てください。これらは同源の語です。ギリシャ語では、木を意味していた語がオークを意味するようになっています(オークは日本のナラやカシに相当します)。一般に木を意味していた語がある種類の木を意味するようになる、あるいはある種類の木を意味していた語が一般に木を意味するようになることがあるのです。

日本語が、水のことをmat-、mit-、mut-、met-、mot-のように言う言語群に属し、同じ言語群に属する他の言語から大量の語彙を取り入れてきたことはお話ししました。水・水域を意味していたmat-のような語が、その横に立ち並ぶ木を意味するようになり、木という意味が、のちに松という意味に限定されたと見られます。

高句麗語の*ku(松)も、同様の事情かもしれません。日本語のmatu(松)と同じように、かつて木一般を意味していた可能性があります。人類の言語全体に言えると思いますが、木一般を意味する語が集まって、木の種類が呼び分けられるようになっていったと考えるのが自然でしょう。

松を意味する「仇」という高句麗語のほかに、楊を意味する「去」という高句麗語も記録されています。

高句麗語の「去」・・・楊を意味する

※古代中国語のyang(楊)イアンとljuw(柳)リウは類義語で、yang(楊)は垂れ下がらないヤナギ(ネコヤナギなど)を意味し、ljuw(柳)は垂れ下がるヤナギ(シダレヤナギなど)を意味します。

Beckwith氏は、高句麗語の「去」の発音を*kɨまたは*küと推測しています(üもiに似ています。iと違って、唇が丸く突き出ています。この状態で、iと発音する感じです)。古代中国語の「去」は日本語ではko/kyo、朝鮮語ではkɔと読まれており、Beckwith氏の推測は正確さに問題があるかもしれません。

高句麗語で松を意味した「仇」という語と、高句麗語で楊を意味した「去」という語は、慎重な扱いを要します。かつて遼河流域で木のことをそのように言っていたことを示唆しているかもしれず、日本語の*ko(木)に通じるかもしれないからです。

ここで視線を日本語と高句麗語からウラル語族に移すと、とても気になる語があります。ウラル語族のフィンランド語には、木一般を意味するpuuという語と、シラカバを意味するkoivuという語があります。シラカバは、日本では見られるところが限られていますが、ロシアや北欧のような寒冷地方では大きな存在感を誇ります。以下のような外見をしています(写真はメディカルハーブ・アロマ事典様のウェブサイトより引用)。

樹皮が白いので、とにかく目立ちます。ロシアや北欧の植物といって筆者が真っ先に思い浮かべるのが、このシラカバです。フィンランド語のpuu(木)は明らかに違いますが、フィンランド語のkoivu(シラカバ)は日本語の*ko(木)に関係がありそうです。ウラル語族の言語では、シラカバのことを以下のように言います。

フィンランド語のkoivu(シラカバ)と同源の語は、フィン・ウゴル系のほうではほとんど置き換えられてしまっていますが、サモエード系のほうではよく残っています。ウラル語族のシラカバと日本語の*ko(木)が通じているようです。

高句麗語で松を意味した「仇」と楊を意味した「去」は日本語の*ko(木)と直接的または間接的な関係が考えられますが(ただし、Beckwith氏は高句麗語で松を意味した語が「仇」と書き表されるだけでなく「仇史」と書き表されることもあったかと考えており、この場合には高句麗語で松を意味した語は日本語の*ko(木)に結びつかなくなるかもしれません)、高句麗語で木を意味した「斤、斤乙、肹」はそのような関係が考えづらいです。高句麗語の「斤、斤乙、肹」の語源は別のところに求めるべきでしょう。

ちなみに、英語はドイツ語とオランダ語に系統的に近いですが、英語のtree(木)はドイツ語のBaum(木)とオランダ語のboom(木)に通じていません。ドイツ語のBaum(木)とオランダ語のboom(木)に通じているのは、英語のbeam(梁、桁)です。立てる木材が柱で、横に渡す木材が梁・桁です。

高句麗語で木を意味した「斤、斤乙、肹」(漢字表記からはki~kit-のような発音が予想されます)は、ひょっとしたら日本語のketa(桁)と間接的な関係が考えられるかもしれません。水を意味するkat-、kit-、kut-、ket-、kot-のような語が背後にあるのではないかということです。

※keta(桁)の類義語であるɸari(梁)も、かつて木を意味していたのでしょう。水を意味したpark-、pirk-、purk-、perk-、pork-(par-、pir-、pur-、per-、por-、pak-、pik-、puk-、pek-、pok-)のような語から来ていると考えられます。すでに説明したɸara(腹)、ɸaka(墓)、ɸari(針)などと同源ということです。ɸara(腹)、ɸaka(墓)、ɸari(針)などは、山のような地理的意味を失っていますが、盛り上がったもの、膨らんだもの、出っ張ったもの、突き出たもの、とがったものを意味していた語です。

ɸasira(柱)も、木を意味していたのでしょう。もとの形は*ɸasiで、他の語から区別するためにɸasiraという形にしたのではないかと思われます。奈良時代の日本語のɸasi(端)やɸasi(間)から、水を意味するpasiのような語がその横の部分を意味しようとしていたことが窺えます。

高句麗語の木の話はとても複雑になりましたが、高句麗語の山の話も負けず劣らず複雑です。次は、高句麗語で山を意味していた語を見てみましょう。

 

補説

高句麗人は子どものことをなんと言っていたか?

高句麗語で松を意味した「仇」という語に関連して、補足しておきたいことがあります。実は、高句麗語で松を意味する語だけでなく、高句麗語で子どもを意味する語も「仇」と書き表されていました(中国語で童・童子と説明されています)。Beckwith氏が推測するように高句麗語で松を意味する語が*kuだったのなら、高句麗語で子どもを意味する語も全く同じ*kuかそれに近かったということです。日本語のko(子)を思い起こさせます。

ウラル語族の各言語を見ても子どもを意味する語は完全にばらばらであり、日本語のko(子)もそれほど古い語ではないと考えられます。ベトナム系の言語にベトナム語con(子)コン、クメール語koon(子)、モン語kon(子)、カー語kuun(子)のような語が大変広く見られ、ここが出所と思われます。日本語と高句麗語がかつて中国東海岸地域に存在したベトナム系言語と接していた可能性を窺わせます。

 

参考文献

Beckwith C. I. 2004. Koguryo: The Language of Japan’s Continental Relatives. Brill Academic Publishers.

アルダン川、シベリアの秘境?

以下の写真は、シベリアを流れるアルダン川(Aldan River)の写真です(写真はWikipediaより引用)。

シベリアのごく普通の風景です。アルダン川は、中国東北部から北上したところにあります。アルダン川は結構大きな川ですが、もっと大きなレナ川に注いでいるため、世界的にはほとんど知られていません。

このような風景を見ると、水・水域を意味していた語がその横の部分、すなわち草、木、森、山、緑などを意味するようになるのがよくわかるでしょう。そこからさらに、「若い、新しい」という意味が生まれてくるので要注意です。奈良時代の日本人が赤ん坊のことをmidoriko(みどりこ)と呼んでいたことを思い出しましょう。

なぜ「若い、新しい」という意味が生まれてくるのでしょうか。それは、植物が最初は緑で、最後に赤、黄、茶などに変色するからでしょう。こうして、緑が早期(あるいは全盛期)を意味するようになります。

※ちなみに、常緑樹は葉を落とさないと誤解されることがありますが、常緑樹も葉を落とします。常緑樹は、落葉樹のように一気に葉を落とすことはありませんが、少しずつ葉を落としています。落ちた葉はやはり変色しています。

日本語のwakai(若い)はアイヌ語のwakka(水)のような語から来ていましたが、日本語のatarasii(新しい)はどうでしょうか。実は、atarasii(新しい)の前はatarasiで、さらにその前はaratasiでした。aratasi(新たし)、aratanari(新たなり)、aratamu(改む)などと言っていたわけです。

新しいことを意味するarataはどこから来たのでしょうか。先ほどのアルダン川(Aldan River)から窺えるように、遼河周辺で水のことをaltaのように言っていたと見られます。日本語ではaltaという形は認められないので、母音を補ってarVtaという形にするか、一方の子音を落としてaraまたはataという形にしなければなりません。日本語で新しいことを意味していたarata(新た)はここから来たのでしょう。水・水域を意味していた語がその横の植物・緑を意味するようになり、植物・緑を意味していた語が若さ・新しさを意味するようになるパターンです。

おそらく、水・水域に関係があると考えられるarasi(荒し)/aru(荒る)(abaru(暴る)、ikaru(怒る)、midaru(乱る)などが水から来ていたことを思い出してください)やaraɸu(洗ふ)も無関係でないでしょう。

ひょっとしたら、「頭(あたま)」の語源、仇(あだ)の意味に関する考察からの記事で扱った前・向かい・反対を意味するataも無関係でないかもしれません。廃れてしまいましたが、奈良時代の日本語にはatasi(他し、異し)という形容詞もありました。水・水域を意味していた語が岸を意味するようになり、岸を意味していた語が二つあるうちの両方、一方、またはもう一方(他方)を意味するようになるパターンを思わせます(実例については、「南(みなみ)」と「北(きた)」の語源、「みなみ」は存在したが「きた」は存在しなかったを参照)。

※aru(荒る)は自動詞で、他動詞はarasu(荒らす)です。tataku(叩く)とtatakaɸu(戦ふ)に関係があるように、arasu(荒らす)とarasoɸu(争ふ)にも関係があるかもしれません。

冒頭のアルダン川の写真のところで、水・水域を意味していた語がその横の部分、すなわち草、木、森、山、緑などを意味するようになることを改めて述べました。幸いなことに、高句麗語で木を意味していた語と山を意味していた語、そしてさらに谷を意味していた語が記録に残っています。前回の記事では高句麗語で水・川を意味する語について論じましたが、今度は高句麗語で木を意味する語、山を意味する語、谷を意味する語を見てみましょう。

 

補説 アルタイ山脈の語源

古代北ユーラシアで水のことをaltaのように言っていたとなると、気になるのがAltay Mountains(アルタイ山脈)です(地図はWikipediaより引用)。

Altay Mountains(アルタイ山脈)は、かつて鉱物資源が豊富だったところです。トルコ語altın(金(きん))アルトゥン、モンゴル語alt(金)、エヴェンキ語altan(金)などの語と関係があることは間違いありません。しかし、Altay Mountains(アルタイ山脈)のAltayの部分がもともとなにを意味していたのか、よく考えなければなりません。

例えば、英語にmetal(金属)という語があります。古代ギリシャ語のmetallonがラテン語のmetallumになり、ラテン語のmetallumが英語のmetalになりました。古代ギリシャ語のmetallonは、はじめ鉱山を意味し、それから(そこで採れる)金属を意味するようになった語です。

北ユーラシアおよび東アジアへの人類の拡散の中心となったアルタイ山脈地域の歴史を考慮すれば、まず水を意味するaltaのような語があって、その語が山を意味するようになり、さらに金などの金属を意味するようになったと考えるのが自然です。

日本語とウラル語族について誤解しないための補足、そして注目される高句麗語の「水」

前回の記事で土器の起源の話が出てきたので、続けて農耕の起源の話をしたいところですが、ここで別の記事をはさませてください。

本ブログでは、日本語の起源と歴史に興味を持つすべての方へという最初の記事から、いきなり多くの言語・言語群の話をしたので、一部の読者の方を混乱させてしまうケースがあったようです。筆者の言おうとすることが誤って解釈されてしまうのは残念なので、ここで少し補足させてください。

以下のストーリーが、本ブログの基本部分になっています。

(1)遼河文明の初期の頃に、遼河流域に同系統のいくつかの言語が存在した(遼河流域だけに分布していたわけではないと思われますが、そのことは今は横に置いておきましょう)。

(2)そのうちの一部の言語は北極地方に拡散し、一部の言語は遼河流域に残った。

(3)北極地方に拡散した言語のうちの一つの言語が、のちにウラル祖語になった。遼河流域に残った言語のうちの一つの言語が、のちに日本語になった。

(1)~(3)のストーリーは全然難しいものではありません。しかし、ここで注意してほしいのは、ウラル語族が日本語に影響を与えたとか、日本語がウラル語族に影響を与えたとか、そういう話ではないということです。離れ離れになった一方の中からウラル祖語が生まれ、他方の中から日本語が生まれたのであって、両者は互いに影響を及ぼせる関係にはありません。

ウラル祖語はのちに、フィン・ウゴル系の言語とサモエード系の言語に枝分かれしました。しかし、これは日本語から離れたところで起きたことです。系統的に言えば、日本語がウラル語族の中のフィン・ウゴル系の言語に特に近いということもないし、日本語がウラル語族の中のサモエード系の言語に特に近いということもないのです。

多くの読者の方にはすでに伝わっていたことだと思いますが、一部の読者の方に誤解を与えてしまったようなので、ここで改めて補足しました。

※遼河流域とウラル地方が大きく離れているのは、「遼河流域→ブリヤート地方→ヤクート地方→ウラル地方」という連なりが分断されてしまったためです。ブリヤート地方はモンゴル系言語の支配域になり、ヤクート地方はテュルク系言語の支配域になったのです(変わりゆくシベリアを参照)。

高句麗語の位置づけは?

上記の遼河流域のストーリーにおいて無視できないのが、高句麗語の存在です。高句麗語の数詞については、すでに高句麗語の数詞に注目するの記事に記しました。今度は、高句麗語の数詞以外の語彙に注目しましょう。

高句麗語は残念ながらほとんど文字記録を残さずに消滅してしまいましたが、高句麗語のわずかな文字記録をまとめたC. I. Beckwith氏の「Koguryo: The Language of Japan’s Continental Relatives」というすぐれた著作があります(タイトルは「高句麗語:大陸に存在した日本の親戚の言語」という意味です)(Beckwith 2004)。Beckwith氏の著作は、筆者が日本語の起源と歴史の研究に乗り出す一つのきっかけになりました。「日本語は弥生時代が始まる少し前まで大陸にいたようだ」と思わせてくれたのも、Beckwith氏の著作でした。

Beckwith氏の著作に、「買」という高句麗語が記録されています。高句麗人は独自の文字を持っていなかったので、高句麗語のある単語を「買」と書き表したのです。高句麗語の「買」は水・川を意味する語であると中国語で説明されています。

高句麗語の「買」・・・水・川を意味する

「買」のほかに、「内米」という語が記録されています。どうやら、同音異義語があったようです。高句麗語の一つ目の「内米」は瀑池を意味する語であると中国語で説明されています。高句麗語の二つ目の「内米」は長いことを意味する語であると中国語で説明されています。

高句麗語の「内米」・・・瀑池を意味する
高句麗語の「内米」・・・長いことを意味する

古代中国語のbuwk(瀑)ブクは滝を意味する語だったので、瀑池は水が落下して溜まっているところと考えられます。

高句麗語の「買」と「内米」の意味は明らかですが、問題はこの「買」と「内米」の発音です。Beckwith氏は、「買」の発音を*meyと推測し、「内米」の発音を*nameyと推測しています。Beckwith氏の推測は、古代中国語の発音がベースになっていますが、高句麗語の発音にどこまで近いかは不確かです。

日本語の例で考えてみましょう。日本書紀、古事記、万葉集などが記された奈良時代には、まだひらがなとカタカナがありませんでした。日本語を書き表そうと思えば、漢字を使うしかなかったのです。現代の日本語のmeという音は「め、メ」と書き表すことができますが、奈良時代の日本語のmeという音はどのように書き表していたのでしょうか。奈良時代には、me甲類とme乙類という微妙に異なる二つの音があり、me甲類はよく「売」と書き表され、me乙類はよく「米」と書き表されていました。日本人は自分たちの言語と中国語の発音体系が違うことを承知しており、me甲類と発音が似ている漢字を使えばよい、me乙類と発音が似ている漢字を使えばよいという感覚・姿勢だったのです。me甲類が「咩、馬、面、謎、迷、綿」と書き表されたり、me乙類が「梅、迷、昧、毎、妹」と書き表されたりすることもありました(上代語辞典編修委員会1967)。

高句麗人も自分たちの言語と中国語の発音体系が違うことを承知しており、日本人と同じような感覚・姿勢であったと思われます。このような事情を考慮すると、高句麗語の「買」の発音は、meiだったかもしれないし、mai、meまたはmaだったかもしれません。高句麗語の「内米」の発音は、nameiだったかもしれないし、name、namaまたはnamiだったかもしれません。

意味から考えて、高句麗語の一つ目の「内米」は、他言語で水を意味していた語から来たと考えられます。タイ系言語のタイ語naam(水)のような語から来たのでしょう。高句麗語の二つ目の「内米」がそのことを裏づけています。日本語のnagasi(長し)が、nagaru(流る)/nagasu(流す)とともに、水から来ていたことを思い出してください。水・水域を意味していた語が、その横の盛り上がった土地、丘、山、高さを意味するようになり、そこからさらに長さを意味するようになるパターンです。インド・ヨーロッパ語族のロシア語bereg(岸)、古英語berg(山)、ヒッタイト語parkuš(高い)、トカラ語pärkare(長い)などにも見られるように、頻出パターンです。

高句麗語の「内米」の語源がそうなら、高句麗語の「買」の語源はどうでしょうか。

日本語が、水のことをmat-、mit-、mut-、met-、mot-のように言う言語群に属し、同じ言語群に属する他の言語から大量の語彙を取り入れてきたことはお話ししました。日本語で水のことをmiduと言ったり、miと言ったりしていましたが、このようなことはよく起きていたようです。

日本語の様々なmata(また、又、股など)が、以下のような構図から来ていて、「2」という意味を持っていたことは説明しました(日本語が属していた語族を知るを参照)。

日本語のma(間)も、以下の構図から来ていると考えられます。

水・水域を意味していた語が境を意味するようになり、境を意味していた語が間、真ん中、中を意味するようになるパターンです。

日本語のそばで、水のことをmataと言ったり、maと言ったりしていたと考えられます。

古代中国語のmat(沫)やmjiet(滅)ミエトゥも、古代中国語の近くに水のことをそのように言う言語があったことを物語っています。古代中国語のmat(沫)は、泡やしぶきを意味する語です(新型コロナウイルス感染症のニュースに出てくる「飛沫」に含まれています)。古代中国語のmjiet(滅)は、もともと水をかけて火を消すことを意味していた語です。

高句麗語で水を意味した「買」は、ma、meあるいはいずれかに近い音であった可能性が高そうです。

ウラル語族の「水」については、「水(みず)」の語源、日本語はひょっとして・・・の記事を参照してください。

さらなる検討を要しますが、日本語と高句麗語の間に特別な関係があるというより、遼河流域から黄河下流域のほうへ同系統のいくつかの言語が残っていて、そのうちの一つの言語が日本語になり、別の一つの言語が高句麗語になったように見えます。

高句麗語の「波」という語も記録されており、海を意味する語であると中国語で説明されています。

高句麗語の「波」・・・海を意味する

Beckwith氏は高句麗語の「波」の発音を*paと推測しています。日本語の*pata/*pa(端)も高句麗語の*pa(海)も水を意味したpat-、pit-、put-、pet-、pot-のような語を思わせますが、高句麗語は日本語より一音節になる傾向が強かったのかもしれません(ちなみに、新羅語の後継言語である朝鮮語にもpada(海)という語があります)。

高句麗語の「伏」という語も記録されており、深いことを意味する語であると中国語で説明されています。

高句麗語の「伏」・・・深いことを意味する

Beckwith氏は高句麗語の「伏」の発音を*pukと推測しています。日本語の*puka(深)との共通性は指摘するまでもないでしょう。

高句麗語の数詞に注目するの記事で日本語と高句麗語の数詞があれほど似ていた時点で十分予想されたことですが、やはり日本語と高句麗語は数詞が似ているだけではありません。注目される高句麗語にさらに迫ってみましょう。

 

補説1 はさみの仕組み

上に日本語の*pata/*pa(端)が出てきましたが、水と陸が接するあたりでpata、patʃa、paʃa、pasaのように言っていたと見られます。batyabatya(ばちゃばちゃ)やbasyabasya(ばしゃばしゃ)から窺えます。

水と陸が接するあたりでpasaと言っていたら、どうなるでしょうか。pasaは境を意味するようになったり、間を意味するようになったりしそうです。

本ブログでたくさんの例を示していますが、境を意味する語から、切ることを意味する語が生まれます。basaʔ(ばさっ)、bassari(ばっさり)がそうでしょう。

そして、間を意味する語から、間に置くことを意味する語が生まれます。ɸasamu(はさむ)がそうでしょう。

物を間に置いて切る道具がɸasami(はさみ)と呼ばれたのは、このような事情があったと思われます。

※現代の日本語で、食べ物がぱさぱさしていると言ったり、ぽそぽそしていると言ったりします。同じように、水と陸の境をpasaと言ったり、posoと言ったりしていたかもしれません。境を意味していた語が線、糸、毛、髪などを意味するようになることはよくあるので、ここにɸoso(細)の語源があるかもしれません。

 

補説2 橋と箸の語源は同じだった

上の話と密接なつながりがあるので、ɸasi(橋)とɸasi(箸)の話もしておきましょう。

水と陸が接するあたりでpata、patʃa、paʃa、pasaのように言っていたと見られると述べましたが、末尾の母音aがiになったpasiという形もあったようです。

奈良時代の日本語にはɸasi(端)という語がありましたが、実はそれと並んでɸasi(間)という語もありました。この記事をここまで読んでくださった方は、ɸasiは水と陸が接するあたりを意味していた語だなと察しがつくでしょう。

ɸasi(橋)とはなにか考えてみてください。二つの陸地の間を渡すものにほかなりません。間を意味していたɸasiが橋も意味するようになったのです。

ɸasi(橋)の語源がそうなら、ɸasi(箸)の語源はどうでしょうか。

三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)に、ɸasi(箸)がピンセット状の道具を意味していたことが書かれています(ピンセットの写真はCOMFECTO様のウェブサイトより引用)。

川の両側を指していたmataが「2」という意味を帯びて股を意味するようになりましたが、それと同じで、川の両側を指していたɸasiが「2」という意味を帯びてピンセット状の道具や箸を意味するようになったと見られます。

おおもとまで遡れば、橋と箸の語源は同じようです。橋と箸の高低アクセントが異なるのは、歴史的経緯が異なるからでしょう。

 

参考文献

日本語

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。

英語

Beckwith C. I. 2004. Koguryo: The Language of Japan’s Continental Relatives. Brill Academic Publishers.