世(よ)の誕生

この記事は、水が陸に上がって思いもよらぬ展開にの記事および「生きる」の語源の記事の内容を前提としています。

古代北ユーラシアの巨大な言語群で水を意味したjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語が、日本語の*ika(池)やiki(息)になったり、yuka(床)やyuki(雪)になったりしたという話をしました。上記の水を意味したjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語は、yak-またはyok-という形でも日本語に入った可能性があります(かつての日本語にはエ列はなかったと考えられるので、yek-はここに含まれません)。少なくとも、yok-という形で日本語に入ったことは間違いなさそうです。

水が陸に上がって思いもよらぬ展開にの記事で、水・水域を意味することができなかったyukaという語が、隣接する陸の部分、特に傾斜した部分を意味するようになったと述べました。どうやら、水・水域を意味することができなかったyokoという語も、似た運命を辿ったようです。

yokoもまず、隣接する陸の部分を意味するようになったと見られます。これがwaki(脇)などと同じ意味を持つyoko(横)です(yoku(避く)は同類でしょう)。yokoも特に、傾斜した部分を意味するようになったと見られます。yukaと同じ展開です。yokoの場合はおそらく、傾いた状態、斜めになった状態を意味していたところからさらに、完全に倒れた状態を意味するようになったと見られます。これがtate(縦)と対を成すyoko(横)です。

奈良時代のyokoおよびこれから作られたyokosama/yokosimaは、概ね水平な状態を意味していましたが、注目すべきことに、不正を意味しているケースもありました。現代の日本語のyokosima(邪)はここから来ています。奈良時代より前には、yokoとyokosama/yokosimaは、傾いた状態、斜めになった状態を意味していたと考えられます(傾斜を意味していたyukaからyugamu(歪む)ができたケースを思い出してください)。

※yokosama/yokosimaのsamaとsimaは、向き・状態を意味しています。yokosama/yokosimaだけでなく、yokosa/yokosiと言うこともありました。ここに出てくるsama、sima、sa、siが、takasa(高さ)/takasi(高し)のような言い方を生み出したと見られます。

yokoに関係がある語として、yogoru(汚る)/yogosu(汚す)も挙げられます。水が泥水を意味するようになる、あるいは水がかかることが泥水がかかることを意味するようになるという意味変化があったのでしょう。

水を意味したjuk-のような語は、日本語のyuka(床)やyuki(雪)になっただけでなく、yu(湯)にもなりました。水を意味したjok-のような語も、日本語のyoko(横)になっただけでなく、yoにもなったかもしれません。昔の日本人は、midu(水)という形とmi(水)という形の両方を使用していました。mi(水)と始まりを意味するmoto(もと)をくっつけたのがminamoto(源)で、mi(水)と出入りするところを意味するto(門、戸)をくっつけたのがminato(港)です。このようなことが普通に行われていたので、yokoという形だけでなく、yoという形も考えなければならないのです。

ここで、大変気になる語があります。それは、奈良時代のyo(節)という語です。皆さんもご存じのように、竹は以下のような外見をしています(写真は1分で読める!![違いは?]様のウェブサイトより引用)。

切れ目(つなぎ目)の部分をɸusi(節)と言い、切れ目と切れ目の間(つなぎ目とつなぎ目の間)の部分をyo(節)と言っていました。なぜこのyo(節)が気になるかというと、切れ目の部分を意味していた語が切れ目と切れ目の間の部分を意味するようになることは多いからです。古代中国語のtset(節)ツェトゥにも、この傾向がありました。yo(節)はもともと切れ目(つなぎ目)の部分を意味していたが、ɸusi(節)と衝突して切れ目と切れ目の間(つなぎ目とつなぎ目の間)の部分を意味するようになった可能性があるのです。

もしそうだとすると、切れ目(つなぎ目)を意味していたyoはどこから来たのでしょうか。遼河文明が始まる前と始まった後、大きく変わり始めた東アジアの記事でお話ししたsaka(境)などを思い出してください。水を意味していた語が水と陸の境を意味するようになり、水と陸の境を意味していた語が一般に分かれ目を意味するようになる話です。yoの場合はどうでしょうか。結論を先に言うと、yoも(yokoとともに)水と陸の境を意味していたようです。

水と陸の境を意味していた語が分かれることを意味するようになるのは、一つのパターンです。水と陸の境を意味していた語がつながりを意味するようになるのは、もう一つのパターンです。実はこのほかに、第三のパターンがあります。それは、水と陸の境を意味していた語が線(特に糸など)を意味するようになるパターンです。私たちも海岸線とか境界線とか言っているので、容易に理解できるでしょう。

日本語で水を意味することができなかったamaは、ama(雨)やama(天)になりましたが、水と陸の境を意味していたこともあったようです。amaは線・糸を意味するようになったが、ito(糸)に圧迫されて、amu(編む)という形で残ったようです(ami(網)は同類でしょう)。同じように、yoは線・糸を意味するようになったが、ito(糸)に圧迫されて、yoru(縒る)という形で残ったようです。yoru(縒る)というのは、何本かの糸をねじり合わせて一本にする作業です。ito(糸)自身の語源も「水」のようですが、これについては別のところで説明します。

やはり、水と陸の境を意味するyoという語があって、それが切れ目(つなぎ目)を意味するyoになったようです。ちなみに、奈良時代の時点では、単純に区切りを意味するyo(節)が、時間的区切り(人の一生、代、時代など)を意味するyo(代、世)に取って代わられつつありました。yo(代、世)はある期間の人間社会・人間世界、さらに一般に人間社会・人間世界を意味するようになっていきました。こうして、現代の日本語のyo(世)に至ります。

「生きる」の語源

ikiru(生きる)の語源を説明する前に、kiri(霧)の話をはさみます。

水を意味していた語が「雨、氷、雪」を意味するようになるパターンはこれまでにたくさん出てきましたが、水を意味していた語が「水蒸気、湯気、霧、雲」を意味するようになるパターンも多いです。気体になったり、液体になったり、固体になったりするH2Oの話です。

細かいことを言うと、水蒸気は気体で目に見えません。空気には水蒸気が含まれていますが、空気の温度によって含むことのできる水蒸気の量が変わります。温度の高い空気は多量の水蒸気を含むことができますが、温度の低い空気は少量の水蒸気しか含むことができません。温度の高い空気が冷やされると(空気は常に限界量の水蒸気を含んでいるわけではありません。限界量の50パーセントの水蒸気を含んでいれば湿度50%、限界量の30パーセントの水蒸気を含んでいれば湿度30%と言います)、今まで含んでいた水蒸気を含みきれなくなってきます。含みきれなくなった水蒸気は、微細な水の粒になって(つまり気体から液体になって)空気中に現れます。この微細な水の粒が、湯気、霧、雲の正体です。湯気、霧、雲は、根本的に同じものです。

日本語のkiri(霧)の語源も「水」のようです。かつてアムール川・遼河周辺に存在した様々な言語は、日本語に非常に大きな影響を与えています。これらの言語は、日本語だけでなく、ツングース系言語にも大きな影響を与えているので、ツングース系言語にも目を向けることが大事です。

ツングース諸語に、エヴェンキ語giri(岸)、ナナイ語giria(森林)(このほかにkira(岸)という語もあります)、満州語girin(地帯)などの語があります。意味にばらつきがありますが、水・水域を意味することができなかった語が陸に上がったのではないかと思わせるところがあります。日本語の語彙も考え合わせると、水・水域を意味するkir-のような語が存在したと見られます。水・水域を意味することができなかった語が端の部分、境界の部分を意味するようになれば、girigiri(ぎりぎり)やkiru(切る)などの語が生まれます。kiri(霧)の語源も「水」でしょう。

水を意味するkir-のような語が広く存在したのであれば、本ブログで再三示しているキチ変化を通じてtʃir-、ʃir-のような語が生じる可能性が高いです。日本語のsira(白)とsiru(汁)は関係があるでしょう。以前にウラル語族のサモエード系にネネツ語のsɨra(雪)スィラのような語があることをお話ししましたが、日本語のsira(白)は、水を意味していた語が雪を意味しようとしたが、最終的にそれが叶わず、白を意味するようになったものと考えられます。日本語のsiru(汁)は、水を意味していた語が水以外の液体を意味するようになったものと考えられます。

水を意味した語は、sir-という形だけでなく、tir-という形でも日本語に入ったかもしれません。怪しいのがtiri(塵)とtiru(散る)です。これらもかつては霧の類を意味し、そこから意味が若干ずれながら、空気中に広がるもの、広がることを意味するようになったのかもしれません。英語のdust(塵)とドイツ語のDunst(霧)が対応しているので、ありえそうな話です。ウラル語族のサモエード系には、ネネツ語のtir(雲)のような語があります。

これらの例からして、北ユーラシアに水を意味するkir-のような語、そしてキチ変化を起こしたtʃir-、ʃir-のような語が存在したことは確実です。水を意味する語が水蒸気、湯気、霧、雲の類を意味するようになることがわかれば、ikiru(生きる)の語源はもうすぐそこです。謎を解く鍵は、人間が吐き出す白い息にあります。遼河のあたりは日本の北海道なみに寒いので、十分に白い息を見ることができます。気温が10°Cぐらいまで下がれば、はっきりと白い息が見えます。

古代北ユーラシアの巨大な言語群で水を意味したjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語が、yuk-という形だけでなく、yik-またはik-という形でも日本語に入ってきたようです。これに該当するのが、*ika→ike(池)やiki(息)/iku(生く)です。iki(息)は、霧の類を意味していたところから息を意味するようになったのでしょう。そしてiku(生く)は、息をすることを意味していたところから生きることを意味するようになったのでしょう。

※息のことをiki(息)と言うこともあれば、*iko(息)と言うこともあったかもしれません。古代中国語では、sik(息)が息をすることだけでなく、休むことを意味する場合がありました。現代の日本語でも、「一息つく」と言って、休むことを意味する場合があります。*iko(息)からikoɸu(憩ふ)が作られたのかもしれません。

意外ですが、ikaru(怒る)も関係がありそうです。インディアンと日本語の深すぎる関係の記事で、amaru(余る)、aburu(溢る)、abaru(暴る)は「水」から来たのではないかと述べましたが、ikaru(怒る)も「水」から来たと思われます。abaru(暴る)と同様に、ikaru(怒る)ももともと水・水域が荒れ狂うことを意味したのでしょう。同じようなことは、midu(水)とmidaru(乱る)からも窺えます。midu(水)はかつては*mida(水)だったと考えられます。midu(水)が*mida(水)だったとすると、インド・ヨーロッパ語族とウラル語族に一層近づきます(「水(みず)」の語源、日本語はひょっとして・・・を参照)。midara(淫ら)のような語もできました。abaru(暴る)、ikaru(怒る)、midaru(乱る)のような語はどのようにして生まれたのだろうと考えてしまいますが、水のことだったのです。水道などがない遠い昔の人々は、水域の近くに住み、水域に通っていたはずで、水域の様子は大きな関心事だったにちがいありません。

最後に、ama(天)にも言及しておきましょう。インド・ヨーロッパ語族のラテン語nebula(霧)、古代ギリシャ語nephele/nephos(雲)、サンスクリット語nabhas(霧、雲、空)、ロシア語nebo(空)などからわかるように、霧・雲から空への意味変化はよく起きます。インディアンと日本語の深すぎる関係の記事で、北ユーラシアで水を意味したam-、um-、om-のような語が日本語のama(雨)になったとお話ししました。水を意味することができないamaは、雨を意味したり、霧・雲を意味したりしていたと考えられます。その結果が日本語のama(雨)とama(天)です。

水が陸に上がって思いもよらぬ展開に

この記事は前回の記事への補足です。

水・水域を意味していた語がその隣接部分を意味するようになるというのは一見些細なことに思えますが、結果的にこのことが人類の言語に思いもよらぬ展開を生み出します。

日本語のyuka(床)とtoko(床)もこの話に関係があるので、ここで取り上げておきます。古代中国語のdzrjang(床)ヂアンは、寝る場所を意味することも、座る場所を意味することも、それ以外の場所を意味することもありましたが、いずれにせよ、高くなった場所を意味していました。日本語のyuka(床)とtoko(床)も、もともとそのように高くなった場所を意味していました。

昔の日本語はよく母音を替えることによって新しい語を作り出していたので、taka(高)からtuka(塚)が作られたり、toko(床)が作られたりしたと見られます。toko(床)がそうなら、yuka(床)はどうでしょうか。yuka(床)も、taka(高)などと同様に、水・水域から陸に上がってきたようです。古代北ユーラシアの巨大な言語群で水を意味したjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語がyukaという形で日本語に入り、水・水域を意味しようとしたが、それが叶わず、陸に上がってきたということです。yukaが水・水域の隣接部分の盛り上がり、坂、丘、山を意味していたことは、高くなった場所を意味していたyuka(床)からも窺えるし、yugamu(歪む)からも窺えます。古代中国語のkhwaj(歪)クアイはもともと傾いた状態、斜めになった状態を意味していた語で、日本語のyugamu(歪む)も傾斜から来ていると考えられるのです。

このように、yukaは水・水域から陸に上がってきたと考えられますが、この語には謎めいたところもあります。水・水域から陸に上がってきたのであれば、水と陸の境を意味する時もあったでしょう。saka(境)とsaka(坂)の話を思い出してください。境というのは二面性を持っていて、分かれているところという見方もできれば、つながっているところという見方もできます。境を意味するsakaからsaku(割く)/saku(裂く)が生まれたのは一つのパターンで、もう一つ別のパターンがあります。古代中国語にywen()イウエンという語がありました。ywen()はもともと、ふち、へり、周縁部を意味していました。しかしそれだけでなく、つながりも意味するようになりました。例えば、国境を考えてみてください。あれは、他国と分かれているところでもあり、つながっているところでもあるのです。境を意味する語から、分かれることを意味する語が生まれてもおかしくないし、つながりを意味する語が生まれてもおかしくないわけです。境を意味するsakaから分かれることを意味する語が生まれて、境を意味するyukaからつながりを意味する語が生まれることだってありえます。

ここで怪しいのが、日本語でつながりを意味しているyukari(ゆかり)です。漢字で「縁」または「所縁」と書かれることもあります。ただし、問題があります。日本の様々な古語辞典を調べると、一貫してyukari(ゆかり)という名詞からyukaru(ゆかる)という動詞が作られたと書かれています。これは当然、yukaru(ゆかる)という動詞よりyukari(ゆかり)という名詞のほうが文献で古くから確認できるということでしょう。しかし、yukaruからyukariが作られるのではなく、yukariからyukaruが作られるというのは、非標準的です。ちなみに、三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)では、土地の盛り上がりを意味するsakaから作られたと考えられるsakaru(盛る)という動詞とsakari(盛り)という名詞を調べていますが、奈良時代の日本語にはsakari(盛り)という名詞はたくさん出てくるのに、sakaru(盛る)という動詞は全くと言ってよいほど出てきません。最初からyukariという名詞のみが存在したのか、それともほとんど使われることのないyukaruという動詞もあったのか不明ですが、先ほどの古代中国語のywen()の例を考えると、水と陸の境を意味したであろうyukaとつながりを意味するyukari(ゆかり)/yukaru(ゆかる)の間は怪しげです。

※古代中国語のywen()は日本語のyuwe(故)になったと思われます。つながりが因果関係である場合が多く、つながりを意味していた語が原因・理由を意味するようになったと考えられます。このことは、yuwe(故)だけでなく、wake(訳)にも言えるかもしれません。アイヌ語のwakka(水)のような語が*wakaという形で日本語に入り、水と陸の境を意味していた可能性が高いです。この境を意味していた*wakaからwaku(分く)、wakatu(分かつ)、wakaru(分かる)などが生まれたと考えられます。wake(訳)の成立は微妙ですが、つながりという意味と分別などの意味が合わさって成立したのかもしれません。

yukari(ゆかり)の問題は不確かですが、yuka(床)とyuki(雪)の存在、そしてツングース諸語のエヴェンキ語djuke(氷)デュク、ナナイ語dӡuke(氷)ヂュク、満州語tʃuxe(氷)チュフなどの存在からして、日本語のそばに水を意味するjuk-のような語が存在したことは確実であり、おそらくここからyu(湯)も来ていると思われます。

ヨーロッパ方面のように東アジア方面でも先頭の子音jが消えることはあったでしょう。水を意味するjuk-のような語だけでなく、uk-のような語も存在したことは、日本語のuku(浮く)、ukabu(浮かぶ)が物語っています。

古代北ユーラシアの巨大な言語群で水を意味したjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語、あるいは先頭の子音jがdӡ、ӡ、tʃ、ʃなどに変化した語から、日本語に大量の語彙が入っています。なんと日本語のikiru(生きる)もここから来ているようです。以前にsinu(死ぬ)とkorosu(殺す)の語源を明らかにしたので(「死ぬ」と「殺す」の語源を参照)、今度はikiru(生きる)の語源を明らかにします。「水」がどのようにして「生きる」になるのか説明しましょう。

 

参考文献

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。