「ある」と「いる」の語源(続き)—雨とあられ

「ある」と「いる」の語源の記事の中で、かつて日本語にウラル語族の*ala(下)や朝鮮語のarɛ(下)アレと同源の*ara(下)という語があったのではないか、あったとすれば*ara(下)はどこに行ってしまったのかという話をしました。

「下」と「座る、座っている」の間に密接なつながりがあること、そして「座る、座っている」と「存在する」の間に密接なつながりがあることを考えると、上記の*ara(下)と奈良時代の日本語のari(あり)の関係は検討する必要があります。ari(あり)は、ラ行変格活用という活用パターンを示しました。

ラ行変格活用は、最も一般的な活用パターンである四段活用によく似ており、終止形がuでなくiで終わるところだけが違います。

*ara(下)と奈良時代の日本語のari(あり)の関係を検討する前に、*ara(下)という語が本当にあったのか検証しましょう。かつて日本語に*ara(下)という語があったのであれば、*ara(下)はsita(下)に追いやられて、少し違うことを意味するようになった可能性があります。

arare(あられ)

「下」が「座る、座っている」と密接につながっていること、そして「座る、座っている」が「存在する」と密接につながっていることは、様々な言語の例を挙げて示しました。実は、「下」と密接なつながりがある語がまだあります。意外かもしれませんが、あるいは意外でないかもしれませんが、「雨」です。

例えば、ハンガリー語にはesik(落ちる)(語幹es-)という動詞があり、この動詞からeső(雨)エショーという語が作られています。

フィンランド語にはsataa(降る)という動詞があり、この動詞からsade(雨)という語が作られています。英語のsit、set、settleの類に対応する日本語としてsita(下)、sizumu(沈む)(古形sidumu)、sadamaru(定まる)、sato(里)などを挙げましたが、フィンランド語のsataa(降る)も仲間でしょう。

日本語にはsita(下)のほかにsitosito(しとしと)という語があるので、「下」と「雨」の間のつながりはわかりやすいと思います。かつて日本語に*ara(下)という語があったのであれば、雨が降るのを見て*ara*araと言うこともあったでしょう。現代の日本人が「あら、あらあら、あらら、あれ、あれあれ、あれれ」と言っているように、*ara*ara→*arara→arareのような変化があった可能性は十分にあります。ちなみに、奈良時代の日本語のarareは、霰(あられ)も雹(ひょう)も含んでいました。しかし、空から降ってくるものといえば、なんといっても雨ではないでしょうか。極寒地方では、雪でしょう。これらに比べると、霰(あられ)と雹(ひょう)は非常にマイナーな存在です。*ara(下)を重ねた*ara*araは、sitosito(しとしと)がそうであるように、まず雨に対して使われそうなものです。

奈良時代の日本語には、ame(雨)という語もありました。推定古形は*ama(雨)です。おそらく、この*ama→ameと*arara→arareの間で衝突があり、前者が押し切る形、つまり前者が雨を意味し、後者がマイナーな霰(あられ)と雹(ひょう)を意味する形で決着したのではないかと思われます。奈良時代の日本語のarareが、もともと雨を意味していたにせよ、雨を意味することなく霰(あられ)と雹(ひょう)を意味していたにせよ、*ara(下)という語の存在を示唆している点は見逃せません。

arasi(荒し、粗し)

奈良時代の日本は、今のように北海道から沖縄まで統一されておらず、本州ですら統一が完了していませんでした。この頃に東北方面に住んでいた人々はemisi(蝦夷)またはebisu(蝦夷)と呼ばれていました。朝廷に従わないemisi(蝦夷)は、さげすんでaraemisi(麁蝦夷)とも言われました。奈良時代の日本語のaraはすでに、現代のarai(荒い、粗い)と同じ意味を持っていました。

異民族を蔑視する姿勢は古代からありました。奈良時代の日本語のaraも、*ara(下)がsita(下)に追いやられて、「下等」という抽象的な意味を持つようになったと考えると、合点がいくのです。人であれば、「下等」から「未開の、粗野な、野蛮な」という意味が生じ、物であれば、「下等」から「でき・質がよくない」という意味が生じたということです。後者は、arasagasi(あら探し)のara(あら)にもつながります。

やはり、かつて日本語に*ara(下)という語があったようです。それでは、この*ara(下)と奈良時代の日本語のari(あり)の関係を考察することにしましょう。

「ある」と「いる」の語源

日本語のsita(下)とsuwaru(座る)がインド・ヨーロッパ語族の「座る」と「下」に関係していることを示しました。パンチを受けたボクサーが倒れたり、尻もちをついたりするのを見て「ダウン」と言っているので、「下」と「座る」の密接な関係は比較的わかりやすかったかもしれません。

日本語のsuwaru(座る)は、すでに述べたように、suu(据う)(古形*suwu)という他動詞から作られた自動詞です。この自動詞ができる前は、wiru(ゐる)が座ること、座っていることを意味していました。現代では、wiru(ゐる)はiru(いる)になり、「(人や動物が)存在すること」を意味しています。ここで起きた「座る、座っている」→「存在する」という意味変化に注意してください。実は、この意味変化はよくあるパターンなのです。

逆のパターン、すなわち「存在する」→「座る、座っている」という意味変化もあります。例えば、ウラル語族のフィンランド語にistuaという動詞があり、座ること、座っていることを意味しています。フィンランド語のistuaは、同源の語がウラル語族のごく一部に分布しているだけなので、外来語と考えられます。インド・ヨーロッパ語族の英語is(ある、いる)、ドイツ語ist(ある、いる)、ロシア語jestj(ある、いる)イェースチ、ポーランド語jest(ある、いる)イェストゥなどと関係があると見られます。インド・ヨーロッパ語族のほうでは「存在する」という意味ですが、ウラル語族のほうでは「座る、座っている」という意味になっています。

「下」と「座る、座っている」の間に密接なつながりがあり、「座る、座っている」と「存在する」の間に密接なつながりがあるということは、つまり以下のような意味変化の経路が存在するということです。

ウラル語族の*ala(下)

前に、フィンランド語のalas(下へ)、alle(下へ)、alla(下に、下で)、alta(下から)という語を取り上げたことがありました。ハンガリー語にも、alá(下へ)アラー、alatt(下に、下で)、alól(下から)アロールという語があります。これらと同源の語は、ウラル語族全体に分布しています。今では埋没していますが、かつて「下」を意味する*alaという語があったと考えられます。ちなみに、朝鮮語にもarɛ(下)アレという語があります。フィンランド語では、「あご」はleuka、「下あご」はalaleukaです。ハンガリー語では、「あご」は állkapocs アーッルカポチュ、「下あご」は alsó állkapocs アルショーアーッルカポチュです(ちょっとわかりづらいですが、*ala(下)からalsó(下の)という形容詞が作られています)。朝鮮語では、「あご」はthɔkト(ク)、「下あご」はarɛthɔkアレト(ク)です。

日本語にも「下」を意味する*araという語があったはずだが、一体どこに行ってしまったのだろうと考えたものの、筆者はこの謎をなかなか解くことができませんでした。日本語にあったはずの*ara(下)も気になりましたが、もう一つ気になることがありました。

英語のbe動詞

英語のbe動詞の語形変化はおなじみでしょう。現在形と過去形を示します。

英語と同じゲルマン系のスウェーデン語vara(ある、いる)、アイスランド語vera(ある、いる)、ドイツ語sein(ある、いる)の語形変化も示します。



参考のために、ウラル語族のフィンランド語olla(ある、いる)の語形変化も示しておきます。

ゲルマン系言語の英語be(ある、いる)、スウェーデン語vara(ある、いる)、アイスランド語vera(ある、いる)、ドイツ語sein(ある、いる)とフィンランド語のolla(ある、いる)を見比べるとどうでしょうか。フィンランド語のほうの語形変化はまずまず整然としていますが、ゲルマン系言語のほうの語形変化はかなり雑然としています。

考えてみれば、英語のbe動詞がamに変化したり、areに変化したり、isに変化したりするのはなんとも奇妙です。主語の人称・数が変わるだけで、動詞の意味は変わりません。にもかかわらず、amに変化したり、areに変化したり、isに変化したりするのです。やはり奇妙です。

なぜ英語のbe動詞の活用表が雑然としているかというと、別々に存在していたものを合わせて一つの体系を作ったからです。インド・ヨーロッパ語族の研究者の見解は完全には一致していませんが、筆者は、 Ayto 2011 などと同様で、(1)beという形のもと、(2)amとisという形のもと、(3)areという形のもと、(4)wasとwereという形のもとという具合に、四つのもとがあると考えています(amとisが同じもとから生じたと考えられることについては後述します)。beの由来も、am/isの由来も、areの由来も、was/wereの由来も、興味深い問題です。

 

参考文献

Ayto J. 2011. Dictionary of Word Origins: The Histories of More Than 8,000 English-Language Words. Arcade Publishing.

なぜインド・ヨーロッパ語族と日本語に共通語彙が見られるのか?

筆者は、日本語の語彙の大部分が「ウラル語族との共通語彙」と「シナ・チベット語族との共通語彙」と「ベトナム系言語との共通語彙」から成っていることを見出していきましたが、その過程で「ウラル語族との共通語彙」の一部がインド・ヨーロッパ語族とも共通していることに気づいていました。

可能性の一つとして、遼河文明の初期に遼河流域で話されていた言語がウラル語族と日本語の共通祖語で、このウラル語族と日本語との共通祖語がインド・ヨーロッパ語族と同一の起源を持っているのかもしれないと考えていました。日本語にとって、ウラル語族は比較的近い親戚で、インド・ヨーロッパ語族は比較的遠い親戚であるという考えです。

しかし、仮にその通りだとしても、インド・ヨーロッパ語族は日本語にとって非常に遠い親戚です。日本語とウラル語族の共通祖語が遼河文明の開始時期である8200年前頃に遼河流域で話されていたとしても、その頃には印欧祖語は黒海・カスピ海の北(現在のウクライナ、ロシア南部、カザフスタンが続くあたり)かアナトリア(現在のトルコ)で話されていたのです。黒海・カスピ海の北にしろ、アナトリアにしろ、遼河流域からとてつもなく離れています。日本語とウラル語族の共通祖語が印欧祖語と同一の起源を持っているとしても、それは8200年前よりはるか昔のことなのです。

もし日本語にとってウラル語族が近い親戚、インド・ヨーロッパ語族が遠い親戚で、その近い・遠いの差が大きかったら、どのようなことになるでしょうか。普通に考えれば、日本語とウラル語族に見られる共通語彙は発音・意味のずれが小さく、日本語とインド・ヨーロッパ語族に見られる共通語彙は発音・意味のずれが大きいという一般的な傾向が認められるのではないでしょうか。ところが、実際に日本語とウラル語族とインド・ヨーロッパ語族の語彙を詳しく調べると、そうはなっていないのです。日本語の語彙のうちのある部分はウラル語族との共通性を強く示し、別の部分はインド・ヨーロッパ語族との共通性を強く示しているのです。語彙によって、ウラル語族との共通性が強く感じられたり、インド・ヨーロッパ語族との共通性が強く感じられたりするのはなぜなんだろうと、筆者も理解に苦しみました。

前に、「物(もの)」と「牛(うし)」の語源、西方から東アジアに牛を連れてきた人々の記事の中で、4000~5000年前頃から古代中国(黄河流域)に西方から連れてこられた家畜牛が現れることをお話ししました。同じ頃に小麦や大麦も現れており、西から大きな変化がもたらされていることが窺えます( Li 2007 )。4000~5000年前頃というと、遼河文明の開始時期である8200年前頃よりかなり後ですが、そのような時代に、中央アジア方面から東アジアに向かう人の流れがあったというのは、注目に値します。ウラル語族のもとになる言語が遼河流域を去り、その後で中央アジア方面から東アジアに向かう人の流れがあったことを示しているからです。ウラル語族のもとになる言語が去った後の東アジアで、インド・ヨーロッパ語族の言語と日本語(正確には日本語の前身言語)が接触したのではないかという考えが次第に筆者の頭に浮かんできました。こう考えると、日本語にインド・ヨーロッパ語族との共通性を強く感じさせる語彙が存在することが納得できるのです。

総じて、北ユーラシアの言語の歴史は非常に複雑です。インド・ヨーロッパ語族のゲルマン系言語に見られる英語high(高い)、ドイツ語hoch(高い)ホーフ、ゴート語hauhs(高い)などの語がインド・ヨーロッパ語族では標準的でないこと、そしてこれらの語がかつては*kauk-のような形をしていたと考えられることをお話ししました。実は、中国北西部の新疆ウイグル自治区で発見されたトカラ語にもkauc(高く、上に)という語があります(cの正確な発音はわかっていません)。そしてなんと、古代中国語にもkaw(高)カウという語があるのです。英語のhigh(高い)などと古代中国語のkaw(高)は同源である可能性が十分ありますが、これらの出所を探るのは容易ではありません。英語のhigh(高い)などがインド・ヨーロッパ語族において標準的でなく、古代中国語のkaw(高)がシナ・チベット語族において標準的でないことから、探索は難航しそうです。

英語のhigh(高い)や古代中国語のkaw(高)の話はひとまず置いておき、東アジアでのインド・ヨーロッパ語族と日本語の接触について論じることにします。

 

補説

古代日本語のwata(海)

奈良時代の日本語には、wata(海)という語がありました。その後、umi(海)に押されて、wata(海)は廃れてしまいました。特に水上の移動を意味することが多かったwataru(渡る)/watasu(渡す)は、wata(海)と同類と見られます。

前に、不思議な言語群の記事の中で、タイ語のnaam(水)のような語がツングース系言語ではエヴェンキ語lāmu(海)、ウデヘ語namu(海)、ナナイ語namo(海)、ウイルタ語namu(海)、満州語namu(海)などになり、日本語ではnami(波)になったようだと指摘しました。

当然といえば当然ですが、「水」と「海や川などの水域」の間には密接なつながりがあります。他言語で「水」を意味していた語が日本語のwata(海)になった可能性も考えなければなりません。ここで断然怪しいのが、インド・ヨーロッパ語族の英語のwater(水)などです。「水」を意味する語は長い年月が過ぎてもなかなか変わらず、インド・ヨーロッパ語族の多くの言語に英語のwater(水)と同源の語が残っています。英語から最も遠いと考えられるヒッタイト語にもwātar(水)、トカラ語にもwar(水)という語があります。

東アジアにインド・ヨーロッパ語族の言語が存在した可能性を真剣に検討しなければならないことを示唆しています。

 

参考文献

Li X. et al. 2007. Early cultivated wheat and broadening of agriculture in Neolithic China. The Holocene 17(5): 555-560.