ウラル語族の秘密

以下のようなシリーズ記事になっています。

►ウラル語族の秘密(1)
►変わりゆくシベリア(2)
►遼河文明を襲った異変(3)
►高句麗語の数詞に注目する(4)

日本語の中にある、ウラル語族との共通語彙、古代中国語を含むシナ・チベット語族の言語(黄河文明の言語)から取り入れられた語彙、ベトナム系の言語(長江文明の言語)から取り入れられた語彙、そして謎めくタイ系の言語から取り入れられた語彙をどんどん明らかにしているところですが、ここで「日本語の意外な歴史」の今後のストーリー展開を軽くスケッチしておきたいと思います。

高句麗語と百済語にちらっと言及した高句麗語と百済語、その他の消滅した言語たちの記事にアクセスしてくださる方が多く、大変感謝しております。同時に、朝鮮半島への関心、特に朝鮮半島が日本・日本人・日本語の歴史にどのように関係しているのかということに対する関心の強さを感じています。

本ブログの最初の記事でお話ししたように、東アジアでは、黄河文明と長江文明のほかにもう一つ、遼河文明と呼ばれる文明が栄えていました。そして、遼河文明が栄えていた頃に遼河流域で暮らしていた人々のDNA(Y染色体DNA)を調べたところ、現在ロシアの北極地方からフィンランド方面でウラル語族の言語を話している人々と紛れもない共通性があることが明らかになりました。図1は、遼河文明において支配的だったY染色体DNAのN系統が、現代の世界でどのように分布しているか示したものです。

図1(Rootsi 2007より引用)

この図を見ると、ウラル山脈やフィンランド方面だけでなく、ユーラシア大陸の東端までを含めた北極地方全体でN系統の割合が高くなっているのがわかります。遼河流域を出た人の流れは、ひたすらウラル山脈やフィンランド方面に向かったわけではないということです。ちなみに、Y染色体DNAのN系統は、黄河流域・長江流域を含む東アジア・東南アジアで優勢なO系統に近い系統です。図2は、現代の世界におけるO系統の分布を示したものです。

図2(Rootsi 2007より引用)

Y染色体DNAのN系統とO系統を他の系統から区別したり、N系統とO系統を互いに区別したりする作業は、Y染色体DNA配列(アデニンA、チミンT、グアニンG、シトシンCという四種類の物質が作る列)のほんのいくつかの箇所の変異に注目することによって行われています。例えば、N系統とO系統の配列はM214という変異を起こしており、そこからさらに、N系統の配列はM231という変異、O系統の配列はM175という変異を起こしています。

ウラル語族の言語の話者に、Y染色体DNAのN系統、つまりM231という変異が高い率で見られることはすでに述べましたが、 Zerjal 1997 ではウラル語族の言語の話者に特徴的な別の箇所の変異を調べており、大変興味深い研究結果が出ています。この別の箇所の変異は、ウラル語族の言語の話者以外にはほとんど見られませんが、ヤクート地方でヤクート語(テュルク系言語の一つ)を話している人々とブリヤート地方でブリヤート語(モンゴル系言語の一つ)を話している人々には例外的に高い率で見られるのです(ヤクート地方では21名中18名(86%)、ブリヤート地方では111名中64名(58%)という結果になっています)。注目すべきなのは、上記のウラル語族の言語の話者に特徴的な別の箇所の変異が、ヤクート語以外のテュルク系言語の話者やブリヤート語以外のモンゴル系言語の話者にはあまり見られないことです。テュルク系言語の中でヤクート語の話者が、モンゴル系言語の中でブリヤート語の話者が、例外的な傾向を示しているのです。ヤクート地方とブリヤート地方がウラル語族となにか特別な関係を持っていることを示唆しています。

先ほどの図1をもう一度見てください。モンゴルの上にバイカル湖という湖があり、そのすぐ周辺がブリヤート地方です。そして、ブリヤート地方の右上に大きく広がっているのがヤクート地方です。現在では、ブリヤート地方もヤクート地方もロシア領で、それぞれブリヤート共和国とサハ共和国になっています。ヤクート地方は、ウラル山脈やフィンランド方面と同じくらい、あるいはそれ以上にN系統の割合が高いところです。ブリヤート地方の人々のY染色体DNAを詳細に調べた研究( Kharkov 2014 )によれば、ブリヤート地方は西部と東部で大きな差があり、東部の集団でN系統が高い率(60~80%)で観察されるという特徴があります。

ここで、遼河流域、ブリヤート地方、ヤクート地方、ウラル語族のサモエード系言語の分布域、そしてフィン・ウゴル系言語の分布域を眺めると、あることに気づきます。それは、これらの地域が概ね地理的に連続しているということです。

 

参考文献

Kharkov V. N. et al. 2014. Gene pool of Buryats: Clinal variability and territorial subdivision based on data of Y-chromosome markers. Russian Journal of Genetics 50(2): 180-190.

Rootsi S. et al. 2007. A counter-clockwise northern route of the Y-chromosome haplogroup N from Southeast Asia towards Europe. European Journal of Human Genetics 15: 204-211.

Zerjal T. et al. 1997. Genetic relationships of Asians and Northern Europeans, revealed by Y-chromosomal DNA analysis. American Journal of Human Genetics 60: 1174-1183.

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日本語の擬態語全体を再考する必要性

「はきはきと答える」のhakihakiと「はっきりと答える」のhakkiriは、使われ方にいくらか違いはありますが、十分な共通性が感じられます。タイ語のpaak(口)のような語が日本語のpakupaku、pakkuriになったのと同様に、古代中国語のbæk(白)バクが日本語のhakihaki、hakkiriになったのではないかと考えさせます。すでに説明したように、日本語にはsiro(白)という語があるので、古代中国語のbæk(白)は単純に「白」を意味することができず、「光、明るさ、明瞭さ、明確さ、明白さ」などのほうに向かいやすい状況にありました。

※ちなみに、タイ語には「はっきりした、明瞭な、澄んだ」などの意味を持つsayサイという基本語があります。このような語から、奈良時代の日本語のsayaka(さやか)やsayu(冴ゆ)が作られたようです。現代では、sayaka(さやか)はほぼ廃れていますが、sayu(冴ゆ)はsaeru(冴える)になって残っています。「頭が冴えない」と言う時のsaeru(冴える)です。

日本語にはhakihaki(はきはき)、hakkiri(はっきり)のほかに、paʔ(パッ)という擬態語もあります。日本語の発音体系では、古代中国語のbæk(白)のkをこのまま放置することはできず、このkのうしろになにか補うか、このkを取り除くかしなければなりません。古代中国語のbæk(白)がkのうしろになにか補われて日本語に入り込んだ可能性もあれば、古代中国語のbæk(白)がkを取り除かれて日本語に入り込んだ可能性もあるのです。

現代の日本語でも、光や明かりに関して「パッと光る」とか「パッとつく」のように言うことができます。筆者は、「光、明るさ、明瞭さ、明確さ、明白さ」などの意味領域に傾きつつあった古代中国語のbæk(白)がhakihaki(はきはき)、hakkiri(はっきり)という形だけでなく、paʔ(パッ)という形でも日本語に入り込んだと見ています。光や明かりによって、視界が一変することにも注意してください。光・明るさを意味していたpaʔ(パッ)は、目になにかが飛び込んでくること、目の前になにかが現れること、目の前になにかが広がること、場面の変化・切り替え、展開、進展、素早い動作・・・という具合にどんどん意味領域を広げていったと見られます。「お酒をパーッと飲む」や「お金をパーッと使う」のpāʔ(パーッ)は、明るさから陽気さや派手さのような意味が生じており、これも同類と考えてよいでしょう。

paʔ(パッ)は上記のように素早い動作も表すようになりましたが、papaʔ(パパッ)という言い方もあります。このpaʔ(パッ)、papaʔ(パパッ)のおおもとが古代中国語のbæk(白)だとしたら、同じように素早い動作を表すsaʔ(さっ)、sasaʔ(ささっ)はどうでしょうか。これもやはり、sauという読みで日本語に取り入れられた古代中国語のtsaw(早)ツァウが怪しいのです。古代中国語のbæk(白)がpaʔ(パッ)、papaʔ(パパッ)に、古代中国語のtsaw(早)がsaʔ(さっ)、sasaʔ(ささっ)になったのではないかということです。

古代中国語のbæk(白)が、meihaku(明白)、keppaku(潔白)、zihaku(自白)のような硬い書き言葉だけでなく、hakihaki(はきはき)、hakkiri(はっきり)、paʔ(パッ)、papaʔ(パパッ)のようなごく普通の話し言葉としても日本語に入り込んでいるらしいというのは、なんとも驚きです(歴史を振り返れば、言語の研究は明らかに書き言葉を中心に行われてきたので、古代中国語と日本語の擬態語の関連性を指摘する声がほとんどなかったのも致し方のないことかもしれません)。bæk(白)は一例として挙げているだけであって、これは日本語の擬態語全体、さらには中国語と日本語の関係全体に関わる話です。古代中国語のbæk(白)から日本語のhakihaki(はきはき)、hakkiri(はっきり)、paʔ(パッ)、papaʔ(パパッ)などが作られて、これらを「擬態語」という名の下で特別扱いすることが妥当なのかという問題もあります。

上に示した古代中国語のbæk(白)と日本語の擬態語のような例は膨大にあるので、徐々に紹介していきますが、ここではとりあえず、イメージを膨らませるために三つほど例を追加します。

古代中国語のpjuwng(風)

日本語のkaze(風)(古形*kaza)に関係がありそうな語はウラル語族に見られ、特にサモエード系のほうに、ネネツ語xad(吹雪)ハドゥ、エネツ語kazu(吹雪)、ガナサン語koðu(吹雪)コズ、マトル語kadu(嵐)のような語があります。日本語のkaze(風)には、かなり古い歴史がありそうです。その一方で、古代中国語では風のことをなんと言っていたのでしょうか。古代中国語ではpjuwng(風)ピウウンと言っていました。おやっと思ってしまうのは、おそらく筆者だけではないでしょう。日本語のpyūpyū(ぴゅうぴゅう)、hyūhyū(ひゅうひゅう)、byūbyū(びゅうびゅう)とは一体なんなのかと考えざるをえません。

古代中国語のtsjowk(足)

古代中国語のtsjowk(足)ツィオウクは、昔の日本語の話者にとって相当な難物だったはずです。古代中国語のtsjowk(足)はある時代にsokuという読みで日本語に取り入れられましたが、tsjowk(足)→soku以外の変形もありえます。tsjowk(足)の先頭の不慣れな子音ts(ツァ、ツィ、ツ、ツェ、ツォの類)をs(サ、スィ、ス、セ、ソの類)に変換するのも一つの手ですが、t(タ、ティ、トゥ、テ、トの類)に変換するのも一つの手です。tsjowk(足)→sokuだけでなく、例えばtsjowk(足)→tokVやtsjowk(足)→tukVという変形も可能です(Vは補われる母音です)。現代の日本語のようにtya、tyu、tyoの類やouのような母音連続が当たり前の時代だったら、tsjowk(足)をtyoukV、tyokV、tyukVと変形することも可能ですが、そうでなかった時代には、tsjowk(足)をtokV、tukVと変形するのが自然なのです。こうして作られたのが、日本語のtokotoko(とことこ)やtukatuka(つかつか)と見られます。言ってみれば、tokotoko(とことこ)やtukatuka(つかつか)は「足足」のような表現なのです。

古代中国語のdrim(沉)

古代中国語のdrim(沉)ディム(日本語では「沈」という字を用いています)は、日本語ではtinという音読みが一般的になりましたが、din、zin、sinと読まれることもありました。ここで、日本語においてsizumu(沈む)がsizumaru(静まる)やsizuka(静か)と同源であることを考えると、なんの音もしないことを表すsīn(シーン)の存在が気になります。なんでなんの音もしないのにsīn(シーン)なのかと思いあぐねた方もいるかもしれません。「雪がしんしんと降る」のsinsin(しんしん)も同類です。このsīn(シーン)、sinsin(しんしん)も、擬態語でない普通の語がもとになっていると考えられます。その普通の語とは、日本語でdin、tin、zin、sinと読まれた古代中国語のdrim(沉)ではないかと考えられるのです。

「日本語の意外な歴史」では、擬態語と呼ばれてきた語を特別視するようなことはせず、普通の名詞、動詞、形容詞などといっしょに扱っていきます。擬態語の語源も、普通の名詞、動詞、形容詞などの語源と変わりないからです。

日本語のいわゆる擬態語は、大きな見直しが必要です。

「はっきり」と「くっきり」の語源は正反対、古代中国語の白と黑

古代中国語のxok(黑)ホクは実に多様な形で日本語に浸透しましたが、古代中国語のbæk(白)バクはどうなったのでしょうか。ちなみに、日本語のsiro(白)(古形*sira)に関係がありそうな語はウラル語族に見られ、特にサモエード系のほうに、ネネツ語sɨra(雪)スィラ、エネツ語sɨra(雪)スィラ、ガナサン語siry(雪)スィリ、セリクプ語sɨrɨ(雪)スィリ、カマス語sərɛ(雪)スレ、マトル語sirä(雪)スィラのような語があります。日本語のsiro(白)には、かなり古い歴史がありそうです。

日本語の中に入ろうとする古代中国語のxok(黑)ホクがkura(暗)/kuro(黒)に直面して小さな意味の変化を起こしたように、古代中国語のbæk(白)バクもsiro(白)に直面して小さな意味の変化を起こしたようです。

「白」を意味する語と「雪」を意味する語に結びつきが認められるのは、珍しいことではありません。しかし、「白」を意味する語ともっと頻繁に結びつきが認められる語があります。例を挙げましょう。

英語のwhite(白い)に対応する語は、同じゲルマン系の言語では、ドイツ語weiß(白い)ヴァイス、オランダ語wit(白い)、デンマーク語hvid(白い)、スウェーデン語vit(白い)、ノルウェー語hvit(白い)、アイスランド語hvítur(白い)フヴィートゥルのようになっています。しかし、スラヴ系の言語を見ると、少し様子が違います。例えば、ロシア語のbjelyj(白い)ビェーリイは、英語のwhite(白い)と同源ではありません。英語のwhite(白い)と同源なのは、ロシア語のsvjet(光)スヴィエートゥやsvjetlyj(明るい)スヴィエートゥリイなどです。

「白」は「光」や「明るさ」と関係が深いのです。ウラル語族のフィンランド語などは端的で、valkoinen/valkea(白い)、valo(光)、valoisa/vaalea(明るい)という具合に、同一の語根が支配しています。

日本語の中に入ろうとする古代中国語のbæk(白)が単純に「白」を意味できないとなると、「光」や「明るさ」のほうに向かう可能性が高いのです。「明るさ」が少し抽象化すれば、「明瞭さ、明確さ、明白さ」などにもなります。古代中国語のbæk(白)は、特にɸaku→hakuという音読みで日本語に取り込まれましたが、同時にhakkiri(はっきり)のもとになった可能性が高いのです。タイ語のpaak(口)のような語が日本語のpakupaku(パクパク)、pakuʔ(パクッ)、pakkuri(ぱっくり)のような擬態語になったようだという話をしましたが、それともよく合います。「り」という形式が日本語の擬態語において大きな位置を占めていることは、今さら説明するまでもないでしょう。

古代中国語のbæk(白)が日本語でhakuと読まれる一方でhakkiri(はっきり)という語を生んだのなら、古代中国語のxok(黑)は日本語でkokuと読まれる一方でkokkiriという語を生んだでしょうか。当たらずといえども遠からずで、kukkiri(くっきり)という語を生んだと見られます。日本語にmotimoti(もちもち)、mutimuti(むちむち)、mottiri(もっちり)、muttiri(むっちり)、dossiri(どっしり)、zussiri(ずっしり)、dosin(どしん)、zusin(ずしん)などの擬態語があるので、oがuにブレることはあったと考えられます。古代中国語の対義語である「白」と「黑」から、日本語の類義語である「はっきり」と「くっきり」が生まれたとしても、不思議はありません。

例えば、目の前にパソコンの画面があって、どこかの風景と何人かの人物が映っているところを想像してください。画面の設定が極度に暗かったり、濃かったりすると、見づらいです。画面の設定が極度に明るかったり、薄かったりしても、見づらいです。私たちが見やすいと感じるのは、それらの間のほどよいところです。

左端の状態であれば、もっと明るい/薄い方向に進んで、ちょうどよい見やすい状態になります。右端の状態であれば、もっと暗い/濃い方向に進んで、ちょうどよい見やすい状態になります。したがって、明るい方向を意味する「白」と暗い方向を意味する「黑」の双方から「見やすさ」を意味する語が生まれても、不思議はないのです。

擬態語は日本語の特徴としてずいぶん強調されてきたので、その語源が古代中国語であるなどと聞かされると、面食らってしまう方もいるでしょう。もちろん、古代中国語を含むシナ・チベット語族の言語、ベトナム系の言語、タイ系の言語などの語彙から作られたと見られる擬態語も多いですが、日本語がこれらの言語と接触する前から持っていた語彙から作られたと見られる擬態語も多いです。擬態語は他言語の語彙を取り入れるための専用形式ではないが、他言語の語彙を取り入れるのに多用されてきたというのが真相のようです。筆者も、ほんのいくつかの例を見て、このように考えるようになったわけではありません。膨大な例を見るうちに、そのような考えが徐々に形成されてきたのです。

本当に古代中国語のbæk(白)が日本語のhakkiri(はっきり)のもとになったのかと戸惑い気味の方もいると思うので、古代中国語のbæk(白)についてもう少し考察してみましょう。

 

補説

日本語の「そっくり」とは

「はっきり」と「くっきり」だけでなく、日本語には「り」という形をした擬態語がたくさんあります。例えば、よく似ていることを意味する「そっくり」はどうでしょうか。これも、古代中国語に由来すると考えられます。日本語では、なにかを基準にして、それにsokusuru(即する、則する)と言いますが、このsoku(即、則)がもとになっていると見られます。ちなみに、奈良時代の日本語に見られるnoru(似る)とniru(似る)自体も、外来語である可能性が大です(noru(似る)のほうは廃れてしまいました)。「~のようだ、~みたいだ」という意味を持つ語として、古代中国語にnyo(如)ニョ、ベトナム語にnhưという語があるのです(これらは互いに関係があると考えられています)。奈良時代の日本語のnoru(似る)(四段活用)とniru(似る)(上一段活用)も、古代中国語とベトナム系の言語をもとにして作られたようです。