言葉の意味はこんなに変わる(続き)

フィンランド語のkorkea(高い)

ウラル語族には、kVr-、kVrk-(Vはo、ə、u、ɨなど)という語根があり、この語根から「高さ、高くなった場所」を意味する語が作られています。例えば、フィンランド語korkea(高い)、エストニア語kõrge(高い)クルゲ、マリ語kurək(山、丘)クルク、コミ語kɨr(土手、急斜面、崖)キルなどの語があります。

日本語では、奈良時代の時点ですでに、「高さ、高くなった場所」を表すのにtakaの存在が大きくなっています。しかし、かつては、kuraおよびその同類と見られるkuroも「高さ、高くなった場所」を表すのに活躍していたと思われます。物を置いたり、人が座ったりするために高くなった場所をkura(座)と呼んでいました(asi(足)とこのkura(座)から、agura(あぐら)という語ができました)。高床式倉庫をkura(倉)と呼んでいました。「高さ、高くなった場所」を表したkuraはwiru(居る)と組み合わさってkurawi(位)になり、現代ではkurai(位)としても残っています。また、田畑の境として土が盛り上がったところをkuro(畔)と呼んでいました(aze(畔)の類義語です)。日本語のkura(座)、kura(倉)、kurai(位)のkura、kuro(畔)なども、ウラル語族で「高さ、高くなった場所」を意味する語のもとになっているkVr-、kVrk-という語根から来ていると考えられます。「高さ」を表すtakaが、take(岳)、matutake(松茸)、siitake(椎茸)のようになっているのを見ると、「高さ」を表したkuraは、kurage(クラゲ)とも関係があるかもしれません。

「高さ」を表す日本語のtakaと関係がある語は大変広く分布しているようだと述べましたが、「高さ」を表した日本語のkuraと関係がある語も大変広く分布しているようです。ウラル語族だけでなく、インド・ヨーロッパ語族にも、ロシア語gora(山)、ポーランド語góra(山)グラ、ブルガリア語gora(森)、リトアニア語giria(樹林)、サンスクリット語giri(山)などの語が見られます(サンスクリット語は古代インドの言語です)。

※ウラル語族でも、インド・ヨーロッパ語族でも、「山」と「森」の間で意味がずれたり、「山」と「森」の両方を意味したりすることがあります。日本語のmori(森)も、moru(盛る)やmorimori(モリモリ)のような語があることから、「山」を意味することがあったと思われます。

日本語のtakai(高い)、ハンガリー語のmagas(高い)、フィンランド語のkorkea(高い)およびそれらの周辺の語彙をざっと見ました。おわかりになったと思いますが、日本語の語彙とウラル語族の語彙は対応していますが、その対応の仕方は単純ではありません。日本語のtakai(高い)とハンガリー語のmagas(高い)は結びつかないし、日本語のtakai(高い)とフィンランド語のkorkea(高い)も結びつかないのです。これは、よく研究されてきたインド・ヨーロッパ語族の事例に照らしても、当たり前のことです。例として、英語のhigh(高い)を取り上げます。以下に、ゲルマン系言語の「高い」を示します。

なんだ似ているじゃないかと思われるかもしれませんが、ゲルマン系以外の言語を見れば、イタリック系はイタリア語のalto(高い)アルトのような言い方であり、スラヴ系はロシア語のvysokij(高い)ヴィソーキイのような言い方です。英語のhigh(高い)とイタリア語のalto(高い)は結びつかないし、英語のhigh(高い)とロシア語のvysokij(高い)も結びつきません。

インド・ヨーロッパ語族の内部でも、類縁関係が遠くなれば、「○○○」は各言語でなんと言うか、「×××」は各言語でなんと言うか、「△△△」は各言語でなんと言うか、というような単純な比較法では結びつけられなくなってきます。ゲルマン系の言語は一般的に2000~3000年前のどこかに共通祖先(ゲルマン祖語)を持っていると考えられていますが(Fortson 2010、第15章)、そのくらい近い類縁関係がなければ、単純な比較法では結びつけられないということです。ゲルマン系の言語同士の間に見られるような関係を、日本語と他の言語の間に見つけようとしても、それは無理があります。ゲルマン系の言語同士の関係は、せいぜい日本語の本土方言と琉球方言の関係よりやや古い程度です。

これまで、人類の言語の歴史を解明しようとする時には、ラテン語(古代ローマの言語)、古代ギリシャ語、サンスクリット語(古代インドの言語)などの古典語が注目を集めてきました。筆者もこれらの言語の重要性を否定はしません。しかし、人類の言語の歴史を解明するという目的のためには、実は現代語に目を向けることも重要なのです。

インド・ヨーロッパ語族の各現代語を見ると、もう単純な比較法では結びつけられないぐらい、それぞれに大きく異なっています。「高い」は英語、イタリア語、ロシア語でなんと言うでしょうか。英語ではhigh、イタリア語ではalto、ロシア語ではvysokijヴィソーキイです。「低い」は英語、イタリア語、ロシア語でなんと言うでしょうか。英語ではlow、イタリア語ではbasso、ロシア語ではnizkijニースキイです。

インド・ヨーロッパ語族の各現代語は、遠い過去に共通祖先(印欧祖語)を持っていますが、そこからそれぞれに大きな変化を経て現代に至っています。インド・ヨーロッパ語族の各現代語は、何千年もの間に語の意味がどのように変化するかをまざまざと見せてくれているのです。筆者がインド・ヨーロッパ語族の現代語を重視する理由はここにあります。

筆者は、本ブログの冒頭で述べたようにもともと現代語のほうに慣れ親しんでいたので、インド・ヨーロッパ語族やウラル語族の現代語の語彙を詳細に研究し、よくある意味変化のパターンを見極めることに努めました。従来の歴史言語学のようにひたすら音の変化のパターンに注目するのではなく、意味の変化のパターンにも注目したのです。従来の歴史言語学が日本語や近隣地域の言語の歴史を明らかにできないのを見て、問題があると感じたからです。

長い年月が過ぎると、語の意味はかなりダイナミックに変化します。しかし、無茶苦茶な変わり方をするわけではありません。そこには、パターンがあるのです。日本語、ウラル語族の言語、それらの周辺地域の言語の語彙を調べて、「背中、背、うしろ」と「高さ」の間で意味がずれていることを指摘しましたが、これはよくあるパターンです。このような実際に起きやすい意味変化の経路を把握しておくことは、日本語とウラル語族の言語の関係を明らかにする時だけでなく、日本語とウラル語族の言語が地球のその他の言語とどのように関係しているか調べる時にも重要になってきます。

 

参考文献

Fortson IV B. W. 2010. Indo-European Language and Culture: An Introduction. Wiley-Blackwell.