日本語の「かいな」、ミステリー小説のような話

日本語のwaki(脇)については考察したので、今度はフィンランド語のkainalo(脇)について考えましょう。この語はハンガリー語のhónalj(脇)ホーナイーなどと同源かどうか意見が分かれていますが、いずれにせよ、フィンランド語のkainaloは古い時代の発音をよくとどめていると考えられるので、フィンランド語のkainaloを取り上げます。

フィンランドの語源辞典(Häkkinen 2004)と同じで、筆者もkainaloは複合語であると考えています。フィンランド語には、以下のような語があります。

上のフィンランド語と下の日本語は、意味は同じですが、形の点で違いがあります。日本語の「下へ」は「下」と「へ」に切り離すことができ、「下に」、「下で」、「下から」も同様に切り離すことができます。しかし、フィンランド語のalas、alle、alla、altaは、すでに一つに融合していて、切り離すことができません。かつて「下」を意味していた語はalas、alle、alla、altaの中に埋没しています(ちなみに、朝鮮語にarɛ(下)アレという語があります)。フィンランド語で、あごはleuka、下あごはalaleukaです。フィンランドの言語学者と大体同じで、筆者は以下のように考えています。

kainalo(脇)はもともと*kainaと*ala(下)がくっついてできたのだろうということです。「*kaina」の「下」が「脇」ということになります。となると、*kainaとはなにかが問題になります。脇はなにの下にあるかというと、やはり肩の下、あるいは英語のunderarmにならって腕の下にあると考えるのが妥当です。

ここで浮上してくるのが、古代中国語のken(肩)と古代日本語のkaɸina(かひな)です(ɸという記号については、本記事の終わりに付した補説「日本語のハ行について(1)」を参照してください)。「かひな」とは上腕のことで、現代では「かいな」になっています。もうあまり使われることはなく、相撲関係者が口にするのを聞くぐらいでしょうか。日本語で「いたい」を「いてっ」と言ったり、「でかい」を「でけー」と言ったりするように、aiはeに変わりやすく、*kainaは古代中国語のken(肩)とよく合います(同源の語はタイ系の言語にも及んでいます、タイ語khɛɛn(腕))ケーン)。また、*kainaは母音の連続を許さない古代日本語にそのまま存在することはできないので、*kaina→kaɸinaあるいは*kaina→ • • • • • →kaɸinaという変遷を経たことも考えられます。

このウラル語族の*kainaと古代中国語のken(肩)と古代日本語のkaɸina(かひな)の間にもつながりがあると思われます(地理的にウラル語族の言語と中国語の間に分布しているテュルク諸語に「懐、抱きかかえる腕」を意味するトルコ語koyun、カザフ語qojənコユン、ウイグル語qojunコユン、ヤクート語xōjホーイなどの語があり、偶然の類似として片づけるのは無理があります。前に見たフィンランド語käsi(手・腕)カスィ(組み込まれてkäde-、käte-)、日本語kata(肩)、朝鮮語kadʒi(枝)カヂ、モンゴル語gar(手・腕)、エヴェンキ語ŋāle(手・腕)ンガール、ナナイ語ŋāla(手・腕)ンガーラ、満州語gala(手・腕)では、最初の母音がaまたはäでしたが、トルコ語kol(腕)、カザフ語qol(手・腕)、ウイグル語qol(手・腕)、ヤクート語xol(動物の足)ホルなどでは、最初の母音がoになっており、音の対応が認められるのです)。

しかしながら、ウラル語族と古代中国語と古代日本語の三者に共通語彙が見られることをどう説明したらよいかというのは、非常に複雑な問題です。フィンランド語のkainalo(脇)などから推定されるウラル語族の*kainaを、古代中国語からの外来語と考えるのは無理があります。中国語は、最古の王朝として広く認められ、甲骨文字で有名な殷王朝の頃から東アジアの大言語になっていきます。しかし、殷王朝の開始時期は紀元前16世紀頃(Shelach-Lavi 2015、第8章)、つまり3500~3600年前ぐらいであり、すでにその頃にはフィンランド語の祖先にあたる言語ははるかに離れたウラル山脈のほうで話されています(Kallio 2006)。ウラル語族の言語にはインド・ヨーロッパ語族の言語から語彙を取り入れてきた実に長い歴史があり、フィンランド語の祖先にあたる言語はどんなに少なく見積もっても4000年ぐらい前にはウラル山脈の近辺にいないと計算が合いません。殷王朝あるいはそれ以降の言語の語彙がフィンランド語などに入るといったことは考えがたいのです。ウラル語族の*kaina、古代中国語のken(肩)、古代日本語のkaɸina(かひな)という共通語彙が見られるのは、古代中国語の語彙がウラル語族と古代日本語に入ったためであるという単純な説明は成り立たないことになります。

ウラル語族と古代中国語と古代日本語の三者に見られる共通語彙の問題は、さながら本格的なミステリー小説のようですが、日本語とウラル語族の言語を集中的に比較するという当面の本筋からそれてしまうため、ひとまず棚上げします。ウラル語族と古代中国語と古代日本語の三者に見られる共通語彙もあるのだということだけおぼろげに覚えておいてください。

 

補説 日本語のハ行について(1)

「が」と「か」は、濁っているかいないかの違いがあるだけで、口の中の同じ場所で作られる音です。「ざ」と「さ」についても、「だ」と「た」についても同様です。しかし、現代の日本語では、「ば」と「は」は全然違う場所で作られています。「ば」は唇のところで作られ、「は」は喉のほうで作られています。かつては、「は」も唇のところで作られていました。「ば」はbaと発音され、「は」はɸaと発音されていました。ɸaはファミレスのファの音です。英語のように上前歯と下唇で作るのではなく、上唇と下唇で作るファです。例えば、hana(花)はɸanaと発音していました。「ɸa、ɸi、ɸu、ɸe、ɸo」は、「ファ、フィ、フ、フェ、フォ」という具合です。

 

参考文献

英語

Shelach-Lavi G. 2015. The Archaeology of Early China: From Prehistory to the Han Dynasty. Cambridge University Press.

その他の言語

Häkkinen K. 2004. Nykysuomen etymologinen sanakirja. WSOY.(フィンランド語)

Kallio P. 2006. Suomen kantakielten absoluuttista kronologiaa. Virittäjä 110: 2-25.(フィンランド語)