幸(さき)と幸(さち)—不完全に終わった音韻変化(続き)

noti(のち)

以前に、ベトナム語のsau(うしろ)のような語が日本語に*soという形で入り、この*soがse(背)に変化したという話をしました(*soはsomuku(そむく)やsomukeru(そむける)などに組み込まれて残っています)。その時に、東アジア・東南アジアの言語で「うしろ」のことをなんと言っているか表にして示しましたが、表の中にミャンマー語のnauʔ(うしろ)ナウッという語もありました(「背(せ)」の語源を参照)。nauʔは、ミャンマー語の前身である古ビルマ語ではnaukでした。シナ・チベット語族のいくつかの言語には、このような語が見られます。

日本語には、ベトナム語のsau(うしろ)のような語だけでなく、古ビルマ語のnauk(うしろ)のような語も入ったようです。ベトナム語のsau(うしろ)のような語は*soになりましたが、古ビルマ語のnauk(うしろ)のような語はnoku(退く)、nokosu(残す)、nokoru(残る)などになったと見られます(doku(退く)はnoku(退く)が変化したものでしょう)。古ビルマ語のnaukには、「うしろ」という空間的な意味だけでなく、「後」という時間的な意味もありました。このことを考えると、日本語のnoti(のち)も無関係とは思えません。「晴れのち曇り」のnoti(のち)です。当初は、noku(退く)、nokosu(残す)、nokoru(残る)などとお揃いで、*nokiだったのでしょう。それがキチ変化を起こしてnoti(のち)になったと見られます。

kati(徒歩)

toho(徒歩)は今でも使われますが、kati(徒歩)はもう死語でしょう。katiは「徒、歩行、歩」とも書かれ、歩くことを意味した語です。

古代中国語には、tsjowk(足)ツィオウクという語とkjak(腳)キアクという語がありました。日本語では、tsjowk(足)にsoku、syokuという音読みを与え、kjak(腳)にkaku、kyakuという音読みを与えました。しかし、これも中国語と日本語の関係の一部にすぎません。

古代中国語のtsjowk(足)は、tokotoko(とことこ)、tukatuka(つかつか)という形でも日本語に入ったようだという話をしました。現代の日本人には少し奇異に見えるかもしれませんが、昔の日本人はtyoukV、tyokV、tyukVのような形に不慣れであり、どうしてもtokV、tukVという形に行き着いてしまいます。その結果がtokotoko(とことこ)、tukatuka(つかつか)です。

日本語にはasi(足・脚)という語があるので、古代中国語のtsjowk(足)はtokotoko(とことこ)、tukatuka(つかつか)という形で日本語に入ったのです。古代中国語のkjak(腳)はどのような形で日本語に入ったのでしょうか。私たちが足・脚で行うことといえば、まずなんといっても「歩くこと」でしょう。古代中国語のtsjowk(足)はtokVとtukVという形になりましたが、古代中国語のkjak(腳)はkakVという形になることが予想されます。どうやら、古代中国語のkjak(腳)は、前の例と同じように母音iが補われて、*kakiという形を取ったようです。これがキチ変化を起こすと、katiになります。日本語において、古代中国語のtsjowk(足)がtokV、tukVという形になって「歩くこと」を意味しようとする、古代中国語のkjak(腳)がkakVという形になって「歩くこと」を意味しようとするのは、ごく自然な流れです。

ちなみに、奈良時代の日本語のɸumu/ɸomu(踏む)は、「足を踏み出す動作」を意味した古代中国語のbu(步)(日本語での音読みはbu、ɸo、ɸu)から作られたと見られます。やはり、古代中国語の主な語は、奈良時代よりももっと前になんらかの形で日本語に入っています。古代中国語のkjak(腳)の場合は、まず*kakiという形で存在し、その後キチ変化を起こし、奈良時代にはkatiという形で存在していたと考えられます。

「(馬に乗って)走ること」を意味した日本語のkaku(駆く)も、古代中国語のkjak(腳)と無関係ではないでしょう。

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sati(幸)、huti(淵)、noti(のち)、kati(徒歩)と、キチ変化が起きたのではないかと思われる例を見てきました。このほかにもありそうですが、その数は多いとはいえません。しかし、キチ変化が全くなかったようにも見えません。

これまでの歴史言語学が往々にしてそうでしたが、言語の歴史を長いスパンで考える時には、どうしても大雑把な見方をしがちです。時代が移りゆくなかで、言語を構成する一語一語の発音は少しずつ変化しています。当然、その変化を引き起こしているのは人間です。しかし、ここでよく考えてみてください。私たちは、これからはこういうふうに発音することにしましょうなどと皆で話し合って決めているわけではありません。だれか(一人または少数の人間)が最初に発音の変化を仕掛けているのです。

だれかがある語を従来と少し違う仕方で発音したとしましょう。その新しい発音の仕方は、他の人々に全く相手にされないかもしれません。逆に、他の人々に受け入れられて、古い発音の仕方を消滅させるかもしれません。あるいは、古い発音の仕方と新しい発音の仕方が並存して、しばらくそのままになったり、じきに異なる意味を持つようになったりするかもしれません。

だれかがある語を従来と少し違う仕方で発音して、それで満足するかもしれません。あるいは、満足せず、その語と発音上の共通点あるいは類似点を持つ他の語でも変化を仕掛けるかもしれません。だれかが、ある語を従来と少し違う仕方で発音して、それで満足しても、感化された別のだれかが、満足せず、その語と発音上の共通点あるいは類似点を持つ他の語でも変化を仕掛けるかもしれません。

このように、複雑な現象がいくらでも考えられるわけですが、だれかがある語を従来と少し違う仕方で発音したことが、最終的に言語にどれほどの変化を残すかという点に注目すると、大きく以下の三つのパターンが考えられるでしょう。

(1)なんの変化も残さない。
(2)言語の隅々まで行きわたった変化を残す。
(3)ある語あるいはいくつかの語に変化を残す。

歴史言語学が人類の言語の歴史を考えるうえで発音の変化に注目したのはよいことでしたが、そこから(2)のような変化ばかりに光が当てられて、(3)のような変化が陰に隠れ気味だった感は否めません。

日本語ではyuku(行く)という言い方が廃れて、iku(行く)という言い方が一般的になりましたが、追随してyuka(床)がikaになったり、yuki(雪)がikiになったりすることはありませんでした。yuka(床)がikaになってはいけなかったのか、yuki(雪)がikiになってはいけなかったのかといえば、そんなことはありません。そうなる可能性もあったし、そうならない可能性もあったのです。両方の可能性があるなかで、日本語が後者の道を進んだにすぎません。

例として挙げたsati(幸)、huti(淵)、noti(のち)、kati(徒歩)のように、yuki(雪)はyutiになってはいけなかったのかといえば、そんなこともありません。そうなる可能性も、そうならない可能性もあるなかで、日本語が後者の道を進んだにすぎません。そもそも、sakiからsati、*ɸukiからɸuti(あるいは*pukiから*puti)、*nokiからnoti、*kakiからkatiが作られたのが同じ時代の同じ場所だったとも限りません。

中国語(標準語)ではキチ変化が徹底的に起きて、「キ」の音が完全に消えてしまいました。しかし、日本語で起きたキチ変化はそのような徹底的なものではなかったようです。

だれかがある語を従来と少し違う仕方で発音していることは確かです。そうでなければ、各語の発音はいつまでも変化しません。しかしながら、だれかがある語を従来と少し違う仕方で発音したことが、最終的に必ず(1)か(2)のどちらかの結果に至ると考えることは行き過ぎであり、実際の言語データと合いません。(1)のようにも、(2)のようにも、(3)のようにもなりうるのが現実です。

上に挙げたnoku(退く)、nokosu(残す)、nokoru(残る)とdoku(退く)も好例でしょう。nokuからdoku、nokasuからdokasu、nokeruからdokeruが生じても、nokosuからdokosu、nokoruからdokoruが生じるとは限りません。また、noku、nokasu、nokeruも完全に死んでいるとは言いがたい状態です。これも、不自然な現象というよりは、むしろ自然な現象です。

言語の系統関係を明らかにしようとする歴史言語学が行き詰まったのにはいくつか理由がありますが、一つは、発音の変化のパターンには注目するが、意味の変化のパターンには注目してこなかったこと、そしてもう一つは、言語において起きる発音の変化をあまりに単純に捉えようとしたことです。歴史言語学は大きく見直されなければなりません。