消された語頭の濁音、昔の日本語のタブー

ナ行変格活用の動詞は「死ぬ」と「往ぬ」だけ

古代中国語のsij(死)スィイあるいはそれと同源の語に完了の助動詞のnuがくっついて、日本語のナ行変格活用のsinu(死ぬ)という動詞ができたようだという話をしました。もう一つのナ行変格活用動詞であるinu(往ぬ)についても、同じように考えたくなります。しかし、こちらはそこまで単純ではないようです。

結論を先に言うと、筆者は、ベトナム語のđiディーのような語に完了の助動詞のnuがくっついて、日本語のナ行変格活用のinu(往ぬ)という動詞ができたと考えています。ベトナム語のđiは、「行く、行ってしまう、去る」という意味を持つ頻出単語です。ここでのポイントは、昔の日本語では、sinuとは言えても、dinuとは言えないということです。昔の日本語は語頭に濁音が来るのを許さないからです。筆者は、昔の日本人がdinuと言えないためにinuと言っていたのではないかと考えているのです。

もちろん、この考えには根拠があります。昔の日本語では、語頭で濁音を使うことができないので、外国語の語彙を取り込む際に、語頭の濁音を落とすことが度々あったようです。少し例を挙げてみましょう。

消される語頭の濁音

ベトナム語には、đượcドゥー(ク)という頻出単語があります。語末のcは、発音しない[k]です。đượcは、英語のgetやreceiveのような意味を持っています。ベトナム語のđượcのような語も、dukuではなく、uku(受く)という形で日本語に取り込まれたようです。やはり、語頭の濁音が落とされています。

※ベトナム語のđượcは明らかに古代中国語のtok(得)と関係があると考えられますが、長江文明の言語と黄河文明の言語の共通語彙の問題は単純でないため、ここでは深入りしません。

興味深いことに、このベトナム語のđượcという語には、英語のgetやreceiveのような意味だけでなく、英語のcanやmayのような意味もあります。英語のcanやmayのような意味とは、「~できる、~かもしれない」という意味です。どうやら、日本語はベトナム語のđượcのような語をuku(受く)という形とu(得)という形で取り入れたようです。日本語ではukのように子音で終わることはできないので、uku(受く)という形とu(得)という形に落ち着いたのは自然な成り行きといえます。現代の日本語では、uku(受く)はukeru(受ける)に、u(得)はuru/eru(得る)になっています。

ベトナム語には、gặpガ(プ)という頻出単語もあります。語末のpは、発音しない[p]です。gặpは、英語のmeetのような意味を持っています。ベトナム語のgặpのような語も、gapuではなく、*apuという形で日本語に取り込まれ、その後aɸu(合ふ、会ふ)に変化したようです(日本語のハ行の変遷については、本記事の終わりに付した補説を参照してください)。やはり、語頭の濁音が落とされています。

※ベトナム語のgặpも古代中国語のhop(合)と関係があると思われますが、長江文明の言語と黄河文明の言語の共通語彙の問題は単純でないため、ここでは深入りしません。

ベトナム語のđượcドゥー(ク)のような語が日本語のuku(受く)になり、ベトナム語のgặpガ(プ)のような語が日本語の*apu→aɸu(合ふ、会ふ)になりました。日本語のuku(受く)やaɸu(合ふ、会ふ)は、頭子音が落ちてしまった形だということです。

シナ・チベット語族の言語とベトナム系の言語は、日本語と発音体系が著しく異なるため、これらの言語から語彙を取り入れる際には、一筋縄では行きませんでした。「死ぬこと」を意味する古代中国語のsij(死)スィイあるいはそれと同源の語は、sinuという形で取り入れることができたが、「行くこと、行ってしまうこと、去ること」を意味するベトナム語のđiディーのような語は、dinuという形で取り入れることができず、inuという形で取り入れられたのだろうという筆者の考えを述べましたが、この考えは上に示したような頭子音の脱落例を見ているうちに芽生えてきたものです。

この話をさらに深く掘り下げるために、ベトナム語のđi(行く)ディーだけでなく、đến(来る)デンにも登場してもらいましょう。

出かける時の言葉

ベトナム語のđiディーは「行く」を意味し、đếnデンは「来る」を意味します。言うまでもありませんが、điもđếnも頻出単語です。両者を組み合わせた đi đến ディーデンというフレーズもあります。このベトナム語の đi đến のようなフレーズが、日本語に取り入れられた可能性があります。しかも、出かけようとする時の言葉として取り入れられた可能性があります。現代の日本人が出かける時に「いってくる」とか「いってきます」と言っていることを思い起こしてください。昔も同じようなことをしていたのではないかというわけです。

ベトナム語の đi đến のようなフレーズをそのまま取り込むことはできません。昔の日本語では、濁音で始まることができないので、didenではなくiden、さらに子音で終わることができないので、idenではなくideとなりそうです。

奈良時代の日本語にはide(いで)という言葉があり、自分が決意する時や他人を誘う時などにこの言葉を発していました。岩波古語辞典(大野1990)では、このide(いで)とidu(出づ)の間に関係があるのではないかと考えていますが、筆者も関係があると考えています。もともと、ideは自分が出かけようとする時あるいは他人を連れて出かけようとする時に発する言葉で(現代の日本語の「行くぞ」や「行こう」に近いところがあったと思われます)、iduは出かけることを意味する動詞だったというのが筆者の見解です。iduは、idu→du→duru→deru(出る)と変化し、iduから作られたidasuは、idasu→dasu(出す)と変化しました。

ide(いで)の類義語として、iza(いざ)という言葉があったことも見逃せません。実は、ベトナム語のđiとđếnに出てくるđというアルファベット文字は、[ d ]ではなく、[ ɗ ]と発音します。ベトナム語のアルファベットは少しごちゃごちゃしているので、 đi đến を拡大しておきます。

ベトナム語の[ ɗ ]は、英語や日本語の[ d ]に似ていますが、少し違います。言語学では、英語や日本語の[ d ]は有声歯茎破裂音と呼ばれ、ベトナム語の[ ɗ ]は有声歯茎入破音と呼ばれます。英語や日本語の[ d ]を発音する時には、舌を口内の上側に突き立てて、空気を吐き出したいんだが吐き出せない状態を軽く作ります。そうしてから、その通行止めを開放し、空気を流出させながら発音します。これに対して、ベトナム語の[ ɗ ]を発音する時には、舌を口内の上側に突き立てて、空気を吸い込みたいんだが吸い込めない状態を軽く作ります。そうしてから、その通行止めを開放し、空気を流入させながら発音します。要するに、空気の流出を伴いながら発音するところと、空気の流入を伴いながら発音するところが違うのです。ベトナム語の[ ɗ ]は比較的まれな音で、うまく発音できるようになるには練習が必要です。前述の空気の流出と流入という違いがあるために、英語や日本語の[ d ]とベトナム語の[ ɗ ]は少し音色が違います。この日本人にとって不慣れな[ ɗ ]が、[ d ]に変換されたり、[ z ]に変換されたりしたために、日本語のほうにide(いで)とiza(いざ)という異形が生じたと見られます。

ベトナム語の đi đến のようなフレーズが頭子音を落とした形で取り込まれ、そこに「行くぞ」や「行こう」のような意味があったと考えると、昔の日本語のide(いで)、idu(出づ)、iza(いざ)、izanaɸu(率ふ、誘ふ)などがよく理解できます。

ベトナム語のđiのような語が頭子音を落として取り込まれたのがinu(往ぬ)、ベトナム語の đi đến のようなフレーズが頭子音を落として取り込まれたのがide(いで)、idu(出づ)、iza(いざ)、izanaɸu(率ふ、誘ふ)などと考えられます。

日本語の中にはシナ・チベット語族の言語とベトナム系の言語から取り入れた語が大量に存在しますが、その多くがなかなかわかりにくい形で存在しています。発音体系が著しく異なるために、単純に取り込めなかったからです。シナ・チベット語族の言語とベトナム系の言語は日本語の成り立ちを明らかにするうえで非常に重要なので、頭子音を落とすパターンだけでなく、それ以外のパターンも見てみましょう。

 

補説

日本語のハ行について(1) ※こちらは再掲載です。

「が」と「か」は、濁っているかいないかの違いがあるだけで、口の中の同じ場所で作られる音です。「ざ」と「さ」についても、「だ」と「た」についても同様です。しかし、現代の日本語では、「ば」と「は」は全然違う場所で作られています。「ば」は唇のところで作られ、「は」は喉のほうで作られています。かつては、「は」も唇のところで作られていました。「ば」はbaと発音され、「は」はɸaと発音されていました。ɸaはファミレスのファの音です。英語のように上前歯と下唇で作るのではなく、上唇と下唇で作るファです。例えば、hana(花)はɸanaと発音していました。「ɸa、ɸi、ɸu、ɸe、ɸo」は、「ファ、フィ、フ、フェ、フォ」という具合です。

日本語のハ行について(2)

「日本語のハ行について(1)」では、昔の日本語のハ行が「ɸa、ɸi、ɸu、ɸe、ɸo」であったことをお話ししました。例えば、hana(花)はɸanaと発音していました。

しかし、話はここで終わりません。実は、琉球列島で話されている琉球方言の中には、panaと発音している方言が少なくないのです(亀井1997、p.324)。

日本語はまず「琉球方言」と「それ以外の方言(本土方言)」に分かれます。日本語の研究において、琉球方言の位置づけはそれだけ重いのです。日本語のもとの姿を知ろうと思えば、「琉球方言」と「それ以外の方言(本土方言)」の両方を対等に見なければなりません。

hana(花)がかつてɸanaと発音されていたというのは本土方言の話です。おおもとの日本語で本土方言のようにɸanaと発音していたか、琉球方言のようにpanaと発音していたかはさらに考える必要があるのです。

英語では、kが濁ったのがg、sが濁ったのがz、tが濁ったのがdで、さらに、pが濁ったのがb、fが濁ったのがvです。この英語のパターンは、人類の言語に一般的に見られるパターンです。普通、bはpとペアになるのです。一般言語学の立場からは、本土方言の昔のɸ–bというペアは変則的で、これはp–bが変化したものと考えるのが自然です。おおもとの日本語では、本土方言のようにɸanaとは言わず、琉球方言のようにpanaと言っていたであろうということです。

シナ・チベット語族のいくつかの言語に、ミャンマー語pan(花)やチャン語kuʂ(菜、すなわち食用の草本植物)クシュのような語があることから、黄河文明の言語から日本語に植物に関する語彙(花、草など)が入ったと見られ、日本語のhana(花)はミャンマー語のpan(花)などと同源と考えられます。日本語の歴史にp→ɸ→hという変化があったと推定されること、このことは非常に重要なので覚えておいてください。

 

参考文献

大野晋ほか、「岩波 古語辞典 補訂版」、岩波書店、1990年。

亀井孝ほか、「言語学大辞典セレクション 日本列島の言語」、三省堂、1997年。

「死ぬ」と「殺す」の語源

「殺す」を意味する語には、主に二つの作られ方があります。一つ目のパターンは、打撃を加えたり、苦しめたりすることを意味する語がもとになるパターンです。英語のkillは、今では「殺す」を意味していますが、その前に「打つ、叩く」を意味していた時代がありました。ロシア語のubitj(殺す)ウビーチもbitj(打つ)ビーチがもとになっており、ポーランド語のzabić(殺す)ザビチもbić(打つ)ビチがもとになっています。

二つ目のパターンは、「死ぬ」を意味する語がもとになるパターンです。朝鮮語のtʃugida(殺す)チュギダはこのパターンです。朝鮮語のtʃugida(殺す)は、tʃukta(死ぬ)チュクタがもとになっています。アイヌ語のrayke(殺す)もこのパターンです。アイヌ語のrayke(殺す)は、ray(死ぬ)がもとになっています。

日本語のkorosu(殺す)はどうでしょうか。日本語のkorosu(殺す)は二つ目のパターンのようです。oku(起く)からokosu(起こす)、otu(落つ)からotosu(落とす)、oru(下る)からorosu(下ろす)が作られたのと同様に、koruからkorosuが作られたと見られます。「死ぬ」を意味するkoruから、「殺す」を意味するkorosuが作られたのです。

筆者がなぜそのように考えるかというと、フィンランド語kuolla(死ぬ)(語幹kuol-)、エルジャ語kuloms(死ぬ)、コミ語kulnɨ(死ぬ)クルニ、マンシ語xoluŋkwje(死ぬ)ホルンクイェ、ハンガリー語hal(死ぬ)のような語がウラル語族のほぼすべての言語に存在するからです。日本語にもかつて「死ぬ」を意味するkoruという自動詞が存在し、ここから「殺す」を意味するkorosuという他動詞が作られたと見られます。

サーミ語はjápmit(死ぬ)ヤープミフトゥという全く違う動詞を持っていますが、この語はネネツ語のjaʔməsj(病気である)ヤッムスィなどと同源であり、病気になることを意味していた語が死ぬことを意味するようになったと考えられます。これらの語は日本語のyamu(病む)に通じるものでしょう。

「死ぬ」を意味するkoruと「殺す」を意味するkorosuがペアになっているところへ、sinuという新しい語が割り込んできます。koruは「死ぬ」という意味を失い、痛い目にあうこと、ひどい目にあうことを意味するようになっていったようです。こうして、奈良時代のkoru(懲る)、さらに現代のkoriru(懲りる)に至ります。

sinu(死ぬ)という語はどこからやって来たのでしょうか。奈良時代の日本語において、sinu(死ぬ)はinu(往ぬ)とともに特殊な語形変化を見せており、これらはナ行変格活用動詞と呼ばれます。ナ行変格活用という特殊な語形変化を見せたのは、動詞のsinu(死ぬ)、inu(往ぬ)、そして完了の助動詞のnu(ぬ)、この三語のみです(inu(往ぬ)は「行く、行ってしまう、去る」という意味です)。

奈良時代の日本語で一般的な四段活用なら「死な、死に、死ぬ、死ぬ、死ね、死ね」となるところですが、実際には上のように「死な、死に、死ぬ、死ぬる、死ぬれ、死ね」だったのです。このような事情からして、sinu(死ぬ)はsiに完了の助動詞のnuがくっついてできており、inu(往ぬ)はiに完了の助動詞のnuがくっついてできていると考えられます。つまり、siの部分とiの部分が実質的な意味を持っているということです。「死ぬこと」を意味するsi、「行くこと、行ってしまうこと、去ること」を意味するiとは、一体なんでしょうか。

少なくとも、前者は明らかでしょう。sinuのsiは、古代中国語のsij(死)スィイあるいは古代中国語以外のシナ・チベット系言語に存在した同源の語を取り込んだものと見られます(チベット語shi(死ぬ)、ミャンマー語the(死ぬ)を含めて、同源の語はシナ・チベット語族の内部に大きく広がっています)。外来語のsinuが、古くからあったkoruを追いやってしまったのです。シナ・チベット系の語彙がウラル語族との共通語彙を追いやる構図が窺えます。他の例を見てみましょう。

その前に、少し脇道にそれますが、もう一つのナ行変格活用動詞であるinu(往ぬ)の語源も明らかにしておきましょう。inu(往ぬ)という動詞そのものは廃れてしまったのであまり関心を引かないかもしれませんが、この語は日本語の歴史を考えるうえで重大な問題をはらんでいるようです。