考古学と生物学の発達によって、人間だけでなく、稲についても様々なことがわかってきました。稲作の伝来は、日本の歴史を考えるうえで主要な出来事であり、盛んに議論されてきました。
考古学と生物学の最近の進展を見る前に、ine(稲、イネ)とkome(米、コメ)という言葉そのものについて考察しておきましょう。
イネという植物があります。イネが成長すると、先端のほうに以下の写真のようなものができます(写真はWikipediaより引用)。
これは、momi(籾)と呼ばれます。籾の殻を取り除くと、中からkome(米、コメ)が出てきます。正確に言うと、momi(籾)の殻を取り除いて残るのは、genmai(玄米)です(図はサンゴウ会様のウェブサイトより引用)。
genmai(玄米)からさらに胚芽、果皮、種皮、糊粉層を取り除いたのが、hakumai(白米)です。取り除かれる果皮・種皮・糊粉層の部分はnuka(糠)と呼ばれます(胚芽を含めてnuka(糠)と言う場合もあります)。
ここでは、ine(稲、イネ)は植物、kome(米、コメ)はその食用部分という最も単純な理解の仕方で十分です。
●ine(稲)、yone(米)、kome(米)
「米(こめ)」の語源、中国とベトナムとタイのごはんの記事で述べたように、現代ではine(稲)とkome(米)と言いますが、かつてはine(稲)とyone(米)と言うのが一般的でした。kome(米)がyone(米)を追いやったということです。ine(稲)とyone(米)がinaとyonaという形を一般的に見せるのに対して、kome(米)はkomaという形を一般的に見せません。この点でも、kome(米)はine(稲)とyone(米)より新しい語なのではないかと思わせます。
kome(米)は、米・ごはん・食事を意味するベトナム語のcơmクムまたはコムとよく合います。問題はine(稲)とyone(米)です。日本の周辺地域の言語の稲作関連語彙を調べても、ine(稲)とyone(米)に結びつきそうな語は見当たりません。これは、稲作の伝来ルートをめぐる議論が紛糾した大きな原因です。
どうやら、ine(稲)とyone(米)の語源は、稲作とは全然違うところにあるようです。日本の周辺地域の言語のあらゆる語彙を研究しながら筆者が行き着いた先は、非常に意外なものでした。筆者が行き着いた先は、「犬」でした。
●まさかのinu(犬)
ツングース系言語では、犬のことをエヴェンキ語ŋinakinンギナキン、ウデヘ語inḛiイネッイ、ナナイ語inda、ウイルタ語ŋindaンギンダ(そのほかにŋina、ninda、nina)、満州語indahunのように言います。
ツングース系言語のこれらの語は、日本語のinu(犬)にいくらか似ています。ツングース系言語の語形を見ると、日本語のinu(犬)がかつて*ina(犬)であった可能性も考えなければなりません。
日本語とツングース系言語だけでなく、ウラル語族の語彙も目を引きました。例えば、カマス語のinɛ(馬)イネやマトル語のnjunda(馬)ニュンダなどです。犬ではなく馬を意味する語ですが、カマス語のinɛ(馬)は日本語の*ina(犬)に形が似ているし、マトル語のnjunda(馬)はウイルタ語のninda(犬)に形が似ています。
筆者はここで初めて「犬」と「馬」の結びつきを考えるようになりました。日本語になにやら怪しげな語があります。inanaku(いななく)という語です。inanaku(いななく)は馬が鳴くことを意味する語ですが、inanakuのinaはなんでしょうか。このinaは馬の鳴き声を表す擬声語であると説明されてきました(大野1990)。しかし、それだけで済む話でしょうか。inaはもともと、馬そのものを指していたのではないでしょうか。
先ほどのツングース系言語やウラル語族の語彙も考え合わせると、以下の説明のほうがしっくりきます。
・日本語のinu(犬)はかつては*ina(犬)であった。*mida(水)がmidu(水)に変化したのと同様に、*ina(犬)はinu(犬)に変化した。
・馬を初めて見た日本語の話者は、馬を「とても大きな犬」と捉え、現代でいう馬のことも*inaと言った。その後uma(馬)という語が定着し、馬のことを*inaと言うことはなくなったが、inanaku(いななく)という語は残った。
●*ina(犬)と*ina(稲)
上に述べたのは、犬と馬のつながりです。馬を引き合いに出したのは、inu(犬)がかつて*ina(犬)であったことを明らかにするためでした。次に述べるのは、犬と稲のつながりです。
イネの仲間として、アワという植物があります(写真はWikipediaより引用)。
英語では、アワのことをfoxtail milletと言います。ここにヒントがあります。foxはキツネを意味する語で、tailはしっぽを意味する語です。上はアワの写真ですが、イネ科の植物は、イネも、アワも、キビも、ヒエも、大体このような格好になります。イネ科の植物は、犬またはイヌ科のその他の動物のしっぽを思い起こさせるのです。稲が実って垂れ下がる部分をɸo(穂)と言いましたが、ɸo(穂)の古形は*po(穂)です。sippo(しっぽ)の古形と推定される*siripo(しりぽ)と同じところから来ていると考えられます。
*ina(犬)のように見える植物を見て、*ina(稲)と呼んだということです。
おそらく当初は、*ina(犬)ではなく*yina(犬)、*ina(稲)ではなく*yina(稲)であったと思われます。iとyiの違いについては、日本語のヤ行とワ行の空白部分についてを参照してください。miru(見る)とmoru(守る)がペアになっていたのと同様に、*yina(稲)と*yona(米)がペアになっていたと見られます。
日本の周辺地域の言語の稲作関連語彙を調べても、ine(稲)とyone(米)に結びつきそうな語が見つからないのは、こういうわけだったのです。こうなると、ine(稲)(古形*yina(稲))とyone(米)(古形*yona(米))のもととなった*yina(犬)という語が俄然注目されます。
●稲作の伝来ルートは一つとは限らない
すでに挙げたツングース系言語とウラル語族の語彙だけでなく、テュルク系言語のヤクート語ünüges(子犬)イニゲスやモンゴル系言語のモンゴル語uneg(キツネ)なども、日本語の*yina(犬)に関係があるかもしれません。いずれにせよ、日本語の*yina(犬)に関係がありそうな語は、北ユーラシアに広がっています(言語の系統関係によらずに広がっていると見られます)。*yina(稲)と*yona(米)は、北ユーラシアからの流れを汲む語であるということです。
稲作を営んでいたベトナム系の集団とそれより北で稲作を営んでいた別の集団が日本の稲作を形作った可能性があります。二つではなく、もっと多くの集団が日本の稲作を形作った可能性もあります。ine(稲)、yone(米)、kome(米)だけでなく、今回扱わなかったmomi(籾)やnuka(糠)を含むその他の関連語彙も広く調べる必要があるでしょう。
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1991年に人類学者の埴原和郎氏が日本人集団の形成に関する有名な「二重構造モデル」を発表しました(Hanihara 1991)。過去には、縄文時代に日本列島にいた人々がそのまま現代日本人になったという説や、弥生時代に日本列島に入って来た人々がそのまま現代日本人になったという説が唱えられていた時期もあり、埴原氏の新説が大きな一歩であったことは言うまでもありません。
埴原氏の発表から30年近くが過ぎました。そろそろ埴原氏の「二重構造モデル」のさらに先を行くべき時が来ています。「縄文時代に日本列島にいた人々」と「弥生時代以降に日本列島に入って来た人々」が混ざり合って現代日本人になった、「弥生時代以降に日本列島に入って来た人々」の影響は北海道(アイヌ人)と沖縄(琉球人)の間にいる日本人において特に強いというのが、埴原氏の「二重構造モデル」です。しかし、ここで注意しなければならないのは、「縄文時代に日本列島にいた人々」が一様であったとは限らないし、「弥生時代以降に日本列島に入って来た人々」が一様であったとも限らないということです。
縄文人と渡来人(あるいは縄文人と弥生人)のような言い方を繰り返していると、思考が過度に単純化されがちです。「縄文時代に日本列島にいた人々」がどこか一箇所からやって来たということ、「弥生時代以降に日本列島に入って来た人々」がどこか一箇所からやって来たということが、根拠がないのに大前提にされ、縄文人はどこから来たのか、渡来人(弥生人)はどこから来たのかという議論が始まることも少なくありません。
しかし、縄文時代の日本も、縄文時代から弥生時代に移っていく日本も、大変複雑そうです。縄文時代から弥生時代になって日本の人間集団が複雑になったのは間違いありませんが、そもそもの縄文時代も単純ではなかったようです。その一端が窺える例を示しましょう。
参考文献
日本語
大野晋ほか、「岩波 古語辞典 補訂版」、岩波書店、1990年。
英語
Hanihara K. 1991. Dual structure model for the population history of the Japanese. Japan Review 2: 1-33.