知られざる大テュルク語族?

水のことをsam-、sim-、sum-、sem-、som-のように言っていた言語群があり、この言語群から日本語に大量の語彙が入ったようだと述べました。水のことをsam-、sim-、sum-、sem-、som-のように言っていた言語群は一体どのような言語群だったのだろうと思いながら日本の周辺を見渡すと、アイヌ語wakka(水)、朝鮮語mul(水)、エヴェンキ語mū(水)ムー、ナナイ語mue(水)ムウ、満州語muke(水)ムク、モンゴル語us(水)などは明らかに違いますが(シベリアに少数民族の言語としてかろうじて残っているケット語ulj(水)ウリ、ユカギール語ōʒī(水)オージー、チュクチ語mimyl(水)ミムル、ニヴフ語tʃaχ(水)チャフなども明らかに違います)、テュルク諸語にはそれらしきところがあります。テュルク諸語では、「水」のことを以下のように言います。

テュルク諸語というのは、非常によく似た言語の集まりです。インド・ヨーロッパ語族の諸言語は大きな違いを見せ、ウラル語族の諸言語も大きな違いを見せますが、テュルク諸語にはそのような大きな違いは見られません。これは、テュルク祖語が比較的近い過去に存在し、そのテュルク祖語が枝分かれしてテュルク諸語ができたことを物語っています。

そんな似たもの同士のテュルク諸語ですが、チュヴァシ語はその語彙全体からして他のテュルク系言語とはやや遠い関係にあると考えられています。チュヴァシ語は、ウラル山脈の南西のあたりで話されています。テュルク諸語を見る時には、「チュヴァシ語」と「その他のテュルク系言語」という見方をする必要があるということです。

テュルク祖語では、水のことをチュヴァシ語şɯvシュヴあるいはウズベク語suvのように言っていたと考えられます。子音vはヨーロッパでは一般的ですが、北ユーラシア全体ではあまり一般的でないので、末尾のvの部分はwかbだったかもしれません。

すでに「心(こころ)」の語源の記事などで、テュルク系言語がかつて東アジア(中国東海岸近く)にも存在し、日本語に影響を与えたと見られることをお話ししました。しかし、ここには大いに考えるべき問題があります。上の表に示したテュルク諸語の「水」を見てください。言語によって語形が少しずつ違いますが、そのバリエーションは乏しいです。このような乏しいバリエーションからは、日本語のsama(様)、samu(冷む)、samu(覚む、醒む)、zabuzabu(ざぶざぶ)、sima(島)、siba(芝)、sumu(澄む)、zubuzubu(ずぶずぶ)、somu(染む)、soba(そば)などの多様な語形は生まれそうにありません。これはどのように考えたらよいのでしょうか。テュルク諸語が非常に似通っていることを考慮すると、以下のようなシナリオが浮上してきます。

(1)かつて水のことをsam-、sim-、sum-、sem-、som-のように言う巨大な言語群が存在した。

(2)この巨大な言語群は日本語との付き合いが深く、日本語に大きな影響を与えた。

(3)この巨大な言語群は激しい生き残り競争の中で大部分が消滅し、一部がテュルク諸語として残った。

こう考えると、つじつまが合います。

※(1)の水のことをsam-、sim-、sum-、sem-、som-のように言っていた巨大な言語群の内部は多様で、mの部分がbになったり、pになったりしていたと見られます。*sapaがsaɸa(沢)(地方によって、「水が浅く溜まって草が生えているところ、湿地」を意味したり、「谷川、渓流」を意味したりします)になったり、*sipoがsiɸo(潮、塩)(潮は海水のこと)になったりしたのでしょう。日本語のsaɸayaka(爽やか)、sappari(さっぱり)、sabasaba(さばさば)は、語源がとてもわかりづらいですが、もともと透明感あるいは清涼感を意味し、「水」から来ているのかもしれません(samu(冷む)、samu(覚む、醒む)、sumu(澄む)、sumiyaka(澄みやか)などが「水」から来ていたことを思い出してください)。濡れていることを意味するsippori(しっぽり)は、「水」から来ているにちがいありません。

テュルク系言語は、モンゴル系言語・ツングース系言語と系統関係があるのではないかというアルタイ語族仮説の一部として論じられることが多かったですが、そうではなく、テュルク系言語は、すでに消滅してしまった言語と大語族を成していた可能性が高いです。テュルク系言語を含む巨大な言語群で水を意味したsam-、sim-、sum-、sem-、som-のような語(場合によってmの部分はb、p、wなど)は、モンゴル系言語・ツングース系言語の「水」(モンゴル語us(水)、エヴェンキ語mū(水)ムー、ナナイ語mue(水)ムウ、満州語muke(水)ムクなど)に似ておらず、むしろシナ・チベット語族の「水」(古代中国語sywij(水)シウイ、ペー語ɕui(水)シュイ、チベット語chu(水)チュ、ガロ語chi(水)、ミゾ語tui(水)など)に似ているぐらいです。もちろん、このようなわずかなデータから確かなことは言えませんが、テュルク系言語はモンゴル系言語・ツングース系言語とは大きく隔たっていそうです。

※水を意味していた語が水以外の液体(血、汗、涙、唾液、尿などを含めて)を意味するようになるケースは非常に多く、シナ・チベット語族の言語で水を意味していた語が日本語のti(血)になった可能性があります。三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)では、奈良時代の日本語にti(血)のほかにtu(血)という形が見られたことを指摘していますが、ti(血)もtu(血)もシナ・チベット語族の語形とよく合います。

歴史言語学の歩みを振り返ってみると、アルタイ語族仮説などが典型的ですが、現在残っている言語同士を結びつけようと焦りすぎた感があります。消滅した言語についての考察が欠けていたのです。消滅した言語について考察することは不可能なのかというと、そんなことはありません。消滅した言語は、生き残る言語に大量または少量の語彙を与えて消滅していったのです。したがって、現在残っている言語を隅々まで調べることによって、消滅した言語について考察することがある程度可能です。消滅した言語について考察する作業は、この後ますます重要になってきます。

 

参考文献

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。

〇〇様、〇〇さん、〇〇ちゃんの由来

前回と前々回の記事でyokosama/yokosimaの例を挙げましたが、日本語にはかつて向きを意味するsamaとsimaという語がありました。このうちのsamaは、意味が抽象化して状態を意味するようになる一方で、「〇〇様」のような用法を獲得しました。

日本語では、方向を意味していた語が敬意や丁寧さを表すようになることがありました。kata(方)もそうです。konohito(この人)と言うより、konokata(この方)と言ったほうが丁寧です。

だれかのことを控えめに指すために、向き・方向を意味したsama(様)やkata(方)が持ち出され、それが敬意表現・丁寧表現として定着したと考えられます。もともと住んでいる建物を意味したtono(殿)が人に対して「殿」や「〇〇殿」のように使われるようになったのも、やや似たケースといえます。現代の日本語においてそれぞれ異なる使い方を持っていますが、san(さん)とtyan(ちゃん)もsama(様)から派生したと見られます。

※古代中国語で立派な建物を意味したden(殿)が日本語のtono(殿)になったと見られます。古代中国語のden(殿)は、ある時代にden/tenという形で日本語に取り入れられましたが、それよりも前の時代にtonoという形で日本語に取り入れられていたようです。朝鮮語では、tʃɔn(殿)チョンと読んでいます。古代中国語のden(殿)の発音が時代・地域によって少しずつ異なっていたようです。

状態を意味するsamaにせよ、敬意表現・丁寧表現としてのsamaにせよ、向きを意味していたsamaから来ており、この向きを意味したsamaの語源を明らかにしなければなりません。結論を先に言うと、日本語のそばに水のことをsam-、sim-、sum-、sem-、som-のように言う言語群があり、この言語群から日本語に大量の語彙が入ったようです。sim-がどのように日本語に入ったかは前回の記事で見たので、ここでは主にsam-がどのように日本語に入ったか見ることにします。

まずなんといっても怪しいのは、samu(冷む)とsamusi(寒し)です。冷たさ・寒さを意味する語は「氷」または「雪」から来ていることが非常に多いからです。例えば、奈良時代の日本語にはkoɸori(氷)という語とɸi(氷)という語がありました。その後、koɸori(氷)が残ってɸi(氷)は廃れましたが、ɸi(氷)は跡形もなく消えたのかというと、そんなことはありません。ɸi(氷)から作られたと見られるɸiyu(冷ゆ)は残ったし(sakayu(栄ゆ)やɸayu(栄ゆ)と同じ動詞の作り方です(人間の幸せと繁栄—「栄ゆ(さかゆ)」と「栄ゆ(はゆ)」から考えるを参照))、同類と見られるɸuyu(冬)も残りました。やはり、sam-のような語が水を意味することができず、氷・雪を意味することもできず、samu(冷む)とsamusi(寒し)になったと見られます。

※奈良時代の日本語のɸi(氷)は、古代中国語のping(冰)ピンを取り入れたものでしょう(「氷」は「冰」の俗字です)。現代の日本語ならpinとできますが、pがɸに変化し、なおかつ、nで終わることができなかった奈良時代の日本語ではɸiになるのが自然です。

samu(冷む)と同形のsamu(覚む、醒む)も見逃せません。samu(冷む)は(氷・雪を介して)水と関係があるけれども、samu(覚む、醒む)は水に関係がないではないかと思われるかもしれません。水には様々な性質・特徴があります。その一つに無色透明というのがあります。現代人なら無色透明というとガラスを真っ先に思い浮かべるかもしれませんが、無色透明なガラスの製造はほんの何百年かの歴史しかありません。昔の人々にとっては、無色透明なものといえば水だったのです。水を意味することができなかった語が、水の透明感を表す語、そしてさらに、一般に透明感を表す語になることがあります。ぼんやりした状態とは反対の透明な状態を表すようになるのです。これに該当するのがsamu(覚む、醒む)です。

透明感を表すsumu(澄む)も同類でしょう。水・水域を意味していた語が端の部分や境界の部分を意味するようになるパターンはすでに何度も見ていますが、sumi(隅)もこのパターンと考えられます。sumiが水や流れを意味していたのであれば、sumiyaka(澄みやか)もsumiyaka(速やか)も納得がいきます。意味はばらばらですが、水が起点になっている点は共通しています。

古代北ユーラシアで水を意味したam-、um-、om-のような語が日本語に入り、ama(雨)、ama(天)、amaru(余る)になったり、abu(浴ぶ)、aburu(溢る)、abaru(暴る)になったりしました(インディアンと日本語の深すぎる関係を参照)。mとbの間は、発音が非常に変化しやすいところです。

このことを考慮に入れれば、水を意味したsam-、sim-、sum-、sem-、som-のような語は、zabuzabu(ざぶざぶ)やzubuzubu(ずぶずぶ)にもなったと思われます。zyabuzyabu(じゃぶじゃぶ)はもちろんのこと、syabusyabu(しゃぶしゃぶ)もそうかもしれません。肉を湯に入れて揺らすところからsyabusyabu(しゃぶしゃぶ)です。

ひょっとしたら、siba(芝)も関係があるかもしれません。ポイントは、水・水域を意味していた語が隣接する陸の部分を意味するようになるということです。隣接部分が盛り上がっていれば盛り上がりを意味するようになるし、隣接部分に石がごろごろしていれば石を意味するようになるし、隣接部分に芝が生えていれば芝を意味するようになるのです。

sam-、sim-、sum-という形に言及したので、som-という形にも言及しておきましょう(かつての日本語にはエ列はなかったと考えられるので、sem-はここに含まれません)。somu(染む)はもともと、濡らす、浸す、漬けるなどと同じ意味を持っていたと見られます。somu(染む)と同形のsomu(初む)という語もありました。somu(初む)は始めることを意味した動詞ですが、現代ではnaresome(馴れ初め)のように組み込まれて残っているだけです。前に述べたように、物の端部を意味する語は開始または終了を意味する語と関係していることが多く、ɸazimu(始む)はɸasi(端)から作られたと考えられます。同じように、somu(初む)も端を意味した語から作られたと見られます。これまで見てきた日本語のパターンからして、*somaのような語が水を意味しようとしたり、水と陸の境を意味しようとしたりしたが、それが叶わず、somu(染む)やsomu(初む)のような語を残したと思われます。近く、かたわら、横を意味するsoba(そば)も無関係でないでしょう。

水を意味したsam-、sim-、sum-、sem-、som-のような語は実に様々な形と意味で日本語に入り込み、その一例が向きを意味したsamaとsimaであったと考えられます。ここで興味深いのは、水のことをsam-、sim-、sum-、sem-、som-のように言っていた言語群は一体どのような言語群だったのかという問題です。この言語群は、前回と今回の記事で示したように、日本語との付き合いが大変深く、東アジアの歴史を解明するうえで重要な鍵を握る言語群かもしれません。水を意味したsam-、sim-、sum-、sem-、som-のような語は、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語とは全然違うし、am-、um-、om-のような語とも頭子音sの有無という違いがあります。新たに浮上した言語群の正体を探らなければなりません。

 

補説

実はあの生き物たちも・・・

古代北ユーラシアで水を意味したjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語が日本語のike(池)やiki(息)になった、同じように、水を意味したtak-のような語がtaka(高)やtaki(滝)になった、水を意味したsak-のような語がsake(酒)やsaka(坂)になったという話をしました。

面白いことに、日本語にはika(イカ)、tako(タコ)、sake(サケ)のような語があります。

今回の水を意味したsam-、sim-、sum-、sem-、som-のような語がsama(様)やsima(島)になったという話でもそうです。

やはり、日本語にはsame(サメ)、saba(サバ)のような語があります。

水・水域を意味することができなかった語が、水域に生息する生き物を意味するようになるケースも多かったようです。

ちなみに、水を意味したam-、um-、om-のような語はama(海人)になっています。

「島(しま)」の語源

前回の記事では、横になった状態を意味したyokosama/yokosimaという語が出てきました。yokosama/yokosimaのsamaとsimaは向き・状態を意味していますが、これらの語源を明らかにするために、まずはsima(島)の話をします。

ラテン語では、島のことをinsulaと言いました。ラテン語のinsulaの語源は不明とされてきましたが、それはインド・ヨーロッパ語族の外へ目を向けてこなかったからです。ウラル語族には、フィンランド語のsula(溶けた)、sulaa(溶ける)のような語があります。インド・ヨーロッパ語族とウラル語族の両方に語彙を提供した言語群があり、その言語群で水のことをsulaのように言っていたと見られます。ラテン語のinsula(島)はinとsulaがくっついてできた語で、「水の中、水域の中」という意味だったのです。

水・水域を意味していた語が隣接する陸の部分を意味するようになるのは頻出パターンですが、水・水域と島の関係も密接です。ラテン語のinsula(島)だけでなく、英語のisland(島)アイランドもそうです。英語ではある時からislandと綴るようになりましたが、island(島)の発音に子音sが含まれていたことはありません。古英語にieg(島)という語があって、これにlandが付け足されてiegland(島)になり、iland(島)を経て、現代のisland(島)に至ります。古代北ユーラシアの巨大な言語群で水を意味したjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語がラテン語aqua(水)、フィンランド語jää(氷)ヤー、ハンガリー語jég(氷)イェーグなどになったことはお話ししましたが、古英語のieg(島)もここから来ているのです。

このような水・水域と島の密接な関係を見ると、日本語のsima(島)もひょっとしてと考えたくなります。実際その通りで、日本語のsima(島)の語源も「水」なのです。そこからsimu(染む)やsimeru(湿る)のような語ができました。前回の記事でお話しした第三のパターンも思い出してください。水を意味していた語が水と陸の境を意味するようになり、水と陸の境を意味していた語が糸などを意味するようになるパターンです。ひょっとしたら、simaも紐などを意味しようとしたが、それが叶わず、simu(締む)やsibaru(縛る)のような語を残したのかもしれません(sibaruにはsimaruという異形がありました)。

少なくとも、simaが水と陸の境を意味していたことは確実です。それは別のところから窺えます。日本語には、simenawa(しめ縄)という語があります。出雲大社のしめ縄が有名です(写真は毎日新聞社様のウェブサイトより引用)。

出雲大社のしめ縄は、「ここから先は神聖な領域である」と言っています。しめ縄は、神域と俗世の境を示しているのです。奈良時代のsimenaɸa(しめ縄)は、標識(目印)を意味するsime(標)とnaɸa(縄)がくっついた語です。境を意味していたsimaが、そこに設けられる標識を意味するようになり、その結果がsime(標)であると考えられます。「ここは私たちのものだ」と言って、そのようなsime(標)を出すことがよくあったのでしょう。ここから、占有・占領を意味するsimu(占む)が生まれたと見られます。

※simaは水を意味していたところから島を意味するようになりましたが、このsimaと同類と考えられるのがsimoです。simoはおそらく、雪または氷を意味していたが、他の語に圧迫されて、霜を意味するようになったと見られます。

このように、水を意味したsimaから様々な語が生まれました。では、冒頭に挙げたyokosimaのsimaはどうでしょうか。さらに、yokosamaのsamaはどうでしょうか。このsimaとsamaは向きを意味していたところから状態を意味するようになったと見られます。例えば、同一人物の三枚の顔写真が並んでいるところを想像してください。一枚目では、正面を向いています。二枚目では、右を向いています。三枚目では、左斜め上を向いています。simaとsamaはこのような向きの違いを表す語で、そこから抽象化が進んで、状態の違いを表す語になったと見られます。もしかして、水を意味していたsimaが向きを意味するようになったのでしょうか。同じように、水を意味していたsamaが向きを意味するようになったのでしょうか。

アムール川・遼河周辺に、水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言ったり、am-、um-、om-のように言ったりするインディアン系の言語が存在し、それらが遼河文明の言語とツングース系言語に取って代わられたのは、本ブログで示している通りです。インディアン系言語の「水」が日本語にこれだけ大量に入っているのなら、ツングース系言語の「水」も日本語に入ったのではないかと考えたくなります。ツングース系言語では、水のことをエヴェンキ語mūムー、ナナイ語mueムウ、満州語mukeムクのように言います。先ほどの水を意味していたsimaが向きを意味するようになったのではないかという話と考え合わせると、ツングース系言語の「水」が日本語のmuki(向き)/muku(向く)になった可能性が高いです。なぜ水を意味していた語が向きを意味するようになるのでしょうか。

おそらく、川が理由でしょう。川は普通、ある程度蛇行しながら流れています。水を意味していた語が流れを意味するようになり、流れを意味していた語が向きを意味するようになると考えられます。muki(向き)/muku(向く)だけでなく、mukasi(昔)も関係があると思われます。mukasi(昔)に含まれているmukaが最も古い形かもしれません。流れることあるいは進むことを意味するmukaに方向を意味するsiがくっついてmukasiです(yokosama/yokosima/yokosa/yokosiのところで出てきた方向を意味するsiです)。mukasiが前方を意味し、現代のmae(前)と同じように過去を意味するようになったのか、それとも、mukaに過ぎ去るのような意味が生じてmukasi(昔)が成立したのか不明ですが、どちらかが真相でしょう(ちなみに、類義語のinisiɸe(古)は、行くこと・去ることを意味するinu(往ぬ)+過去の助動詞ki(き)+方向を意味するɸe(方)という形をしています)。mukimuki(むきむき)という語があることから、川から上がって盛り上がりを意味する展開もあったと思われます。

向きを意味したsama、simaおよびmuki(向き)の語源が「水」である可能性が濃厚になってきましたが、samaの語源も本当に「水」なのでしょうか。