jirk-とjurk-に続いて、jork-について考察しましょう。果たして古代北ユーラシアで水のことをjork-と言うこともあったのでしょうか。もしそうなら、日本語にyok-とyor-という形の語彙が見られそうです。
yok-のほうはyoko(横)やyogoru(汚る)/yogosu(汚す)などの語がありますが、yor-のほうはどうでしょうか。意外かもしれませんが、怪しいのはyoru/yo(夜)です(細かいことを言うと、yoko(横)やyogoru(汚る)/yogosu(汚す)のyoがyo乙類であるのに対して、yoru/yo(夜)のyoはyo甲類であり、微妙に異なる音でした。yo甲類とyo乙類を含む奈良時代の日本語の発音については、「背(せ)」の語源を参照)。水と夜は全然関係がないではないかと思われるかもしれません。筆者も最初はそう思っていました。しかし、水と夜の間には深い関係があるのです。
yoru/yo(夜)だけなく、他の語彙といっしょに考察したほうがわかりやすいので、kura(暗)/kuro(黒)とɸuka(深)/ɸuku(更く)にも登場してもらいましょう。ɸuku(更く)は現代ではhukeru(更ける)になっています。「夜が更ける」と言う時のhukeru(更ける)です。
前回の記事で波の話をしましたが、そこで出てきた以下の言語群を思い出してください。
(1)水のことをjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-(jar-、jir-、jur-、jer-、jor-、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-)のように言っていた言語群(本ブログの記事でその存在を明らかにしているところです)
(2)水のことをkalm-、kilm-、kulm-、kelm-、kolm-(kal-、kil-、kul-、kel-、kol-、kam-、kim-、kum-、kem-、kom-)のように言っていた言語群
(3)水のことをpark-、pirk-、purk-、perk-、pork-(par-、pir-、pur-、per-、por-、pak-、pik-、puk-、pek-、pok-)のように言っていた言語群
(1)の言語群からyurayura(ゆらゆら)が来て(yoroyoro(よろよろ)も無関係でないでしょう)、(2)の言語群からkurakura(くらくら)/gurgura(ぐらぐら)が来て、(3)の言語群からɸuraɸura(ふらふら)/purapura(ぷらぷら)/burabura(ぶらぶら)が来たという話をしました。
(1)~(3)の言語群は日本語に特大の影響を与えた言語群であり、語形に注意すると、先ほど挙げたyoru(夜)は(1)の言語群から来たのではないか、kura(暗)は(2)の言語群から来たのではないか、ɸuka(深)は(3)の言語群から来たのではないかと考えたくなります。
yurayura(ゆらゆら)、kurakura(くらくら)、ɸuraɸura(ふらふら)に意味の共通性が感じられるように、yoru(夜)、kura(暗)、ɸuka(深)にも意味の共通性が感じられないでしょうか。「深緑」と言えば、それは暗い緑です。
しかし、なぜ水からyoru(夜)、kura(暗)、ɸuka(深)のような語が生まれてくるのでしょうか。
水域(川や海など)を考えてみてください。水域はどこも一様なわけではありません。左のような場所もあれば、右のような場所もあります。
筆者は、世界の言語を観察していて、「明るさ/暗さ」を表す語と「浅さ/深さ」を表す語の間に密接なつながりがあることに気づいていましたが、まず「明るさ/暗さ」を表す語があって、その語が「浅さ/深さ」を表すようになったのだろうか、それとも、まず「浅さ/深さ」を表す語があって、その語が「明るさ/暗さ」を表すようになったのだろうかと、混乱してしまいました。今思えば、筆者の思考は脱線していました。
水域に話を限れば、浅さと明るさは一体的な関係にあり、深さと暗さも一体的な関係にあります。光が底まで十分に行きわたる浅いところは明るいし、そうならない深いところは暗いのです。人類の言語を形作った人々は、水域の左のような場所を指してある言葉を発し、水域の右のような場所を指して別の言葉を発していたと見られます。「明るさ/暗さ」を意味する語が「浅さ/深さ」を意味するようになった、あるいは「浅さ/深さ」を意味する語が「明るさ/暗さ」を意味するようになったというより、人類の言語で「明るさ/暗さ」を意味している語と「浅さ/深さ」を意味している語は起源を同じくすると言ったほうがよさそうです。
単純に水・水域を意味することができなかった語が、水域の左のような場所を表す語になったり、水域の右のような場所を表す語になったりしたようです。そうして生まれたのが、日本語のyoru(夜)、kura(暗)、ɸuka(深)などであるというわけです。
※水を意味していた語が暗さ・黒さを意味するようになるのは珍しくありません。kura(暗)/kuro(黒)だけでなく、目の下にできる黒ずんだkuma(クマ)も、古代北ユーラシアで水を意味したkulm-(kul-、kum-)のような語から来ている可能性が高いです。茶~こげ茶~黒の外見を持つkuma(熊)も怪しいです。
水を意味する語から人類の言語の語彙がどんどん作られていく過程は、驚きのドラマです。筆者も、言語の歴史を研究し始めた頃は、日本語や近隣の言語の系統関係をなんとか明らかにできないものかと考えていただけで、まさかこんな歴史を目の当たりにすることになるとは思ってもいませんでした。
上では、水域の浅くて明るい部分と深くて暗い部分を対照的に示しました。どうでしょうか、日本語のyoru(夜)、kura(暗)、ɸuka(深)などが「水」から来ているのなら、ɸiru(昼)、aka(明)、asa(浅)なども「水」から来ているのではないかと考えたくならないでしょうか。
実は、長年気になっていたことがありました。それは、「火」です。人類の言語において、「水」を意味する語はなかなか変わりませんが、「火」を意味する語もなかなか変わりません。そのため、筆者は言語の歴史を研究し始めた時から、「水」を意味する語とならんで「火」を意味する語にも特別な注意を払ってきました。そうして、一方で世界の言語で「水」を意味している語を調べ、他方で世界の言語で「火」を意味している語を調べていくと、不思議な光景に遭遇しました。人類の言語で「水」を意味している語と「火」を意味している語は形が似ていることに気づきました。