日本語の起源の本格的な解明に向けて

人類の言語において、「水」を意味する語と「目」を意味する語はなかなか変わらないので、人類の言語の歴史を研究する時には、これらの語彙が特に重要になります。古代人はこのように考えていたの記事で説明したように、「水」を意味する語から「目」を意味する語が生まれるパターンも重要です。

しかしながら、不思議なことに、前回の記事で取り上げたオーストロネシア語族では、言語によって「水」を意味する語がかなりばらばらです。例えば、アタヤル語qusiyaʔ(水)クシヤッ、ツォウ語chumu(水)ツフム、アミ語nanum(水)、タガログ語tubig(水)、マレー語・インドネシア語air(水)といった具合です。なかなか変わらないはずの「水」を意味する語が結構変わっているのです。

※アタヤル語、ツォウ語、アミ語は台湾の少数民族の言語です。タガログ語はフィリピンの主要言語です。なお、マレー語とインドネシア語は基本的に同じ言語です。インドネシアでは、オーストロネシア語族の様々な言語(ジャワ語が最大)が話されていますが、インドネシアの建国時に、全国の共通語が必要になりました。この時に共通語として選ばれたのが、マレーシアとインドネシアの間のマラッカ海峡のあたりで交易語として話されていた言葉(マレー語の一種)でした。これが現在インドネシア語と呼ばれているものです。

オーストロネシア語族で「水」を意味する語が結構変わっているのはなぜかというのは非常に難しい問題なので、ここではオーストロネシア語族の「水」には深入りせず、オーストロネシア語族の「目」に注目することにします。オーストロネシア語族の「目」は、ほぼすべての言語で変わっていません。オーストロネシア語族全体に、マレー語・インドネシア語・タガログ語のmata(目)のような語が広がっています。

前回の記事で、ベトナム系(オーストロアジア語族)の言語、タイ系(タイ・カダイ語族)の言語、オーストロネシア語族の言語はかつて中国東海岸地域に存在したようだと述べました。まず注目すべきなのは、オーストロネシア語族全体にマレー語・インドネシア語・タガログ語のmata(目)のような語が広がっていて、オーストロアジア語族全体にベトナム語のmắt (目)マ(トゥ)のような語が広がっているということです。

そしてこれらと並んで注目すべきなのが、タイ・カダイ語族のタイ語のtaa(目)のような語です。タイ語のtaa(目)だけ見ると別物に見えますが、タイ語から系統的にやや離れた言語を見ると、スイ語nda(目)ンダやマオナン語nda(目)ンダのような語があり、もっと離れた言語を見ると、コラオ語mutɯ(目)ムトゥやプヤン語mata(目)のような語があります。どうやら、タイ語のtaa(目)はmata→mta→taのような変化を経て現在の形になったようです。

つまり、以下のようになっているということです。

(1)オーストロネシア語族全体で「目」を意味する語が共通している(マレー語・インドネシア語・タガログ語のmata(目)のような語)

(2)オーストロアジア語族全体で「目」を意味する語が共通している(ベトナム語のmắt (目)のような語)

(3)タイ・カダイ語族全体で「目」を意味する語が共通している(プヤン語のmata(目)のような語)

一般に「目」を意味する語はなかなか変わらないので、(1)、(2)、(3)のそれぞれは当然といえます。驚きなのは、(1)の語形と(2)の語形と(3)の語形がそっくりなことです。オーストロネシア語族とオーストロアジア語族とタイ・カダイ語族が同系統かどうかという問題はともかく、これらの言語がかつて近いところで話されていたことは間違いなさそうです。オーストロネシア語族、オーストロアジア語族、タイ・カダイ語族は中国東海岸地域から来ているという筆者の推測と合致します。かつての中国東海岸地域で目のことをmataと言っていたわけです。

これは、日本語の起源を考えるうえで、大変興味深いことです。中国東海岸地域で目のことをmataと言っていたということは、同じ中国東海岸地域あるいはそのそばで水のことをmataと言っていた可能性が高いです。中国東海岸地域あるいはそのそばで水のことをmat-、mit-、mut-、met-、mot-のように言う言語群があったかどうか検討する必要があります。もしそのような言語群があったのであれば、日本語のmidu(水)(古形*mida)にも関係がありそうです。

日本語の起源の問題で最も難しいのは、以下の図の途中の「?」の部分です。

遼河流域にいたことと、朝鮮半島から日本列島(最初は九州)に入ったことはわかっていても、その途中がおぼろげなのです。もっと具体的に言うと、遼河流域から直接朝鮮半島に入ったのか、それとも、遼河流域から山東省のあたりに移動し、そこから朝鮮半島に入ったのかということです。日本語の起源を解明するうえで、大きな山場になります。この難問に挑みましょう。

台湾とオーストロネシア語族

現在の台湾は、中国語を話す人々によってほぼ占められていますが、わずかに少数民族が残っています。アタヤル族、アミ族、パイワン族などが知られています。もともと台湾にいたのは、これらの少数民族です。中国語を話す人々がやって来るようになったのは、17世紀頃からで、歴史上最近です。

台湾の少数民族の言語は、フィリピン、インドネシア、マレーシア、そして太平洋地域の多くの島々の言語と系統関係があり、この言語群は「オーストロネシア語族」と呼ばれます。オーストロネシア語族の広大な分布域を見れば、オーストロネシア語族の人々が極めて高い航海能力を持っていたことは明らかです。

※驚くべきことに、オーストロネシア語族の言語はアフリカ大陸のすぐ横にあるマダガスカルにも分布しています。東南アジアからマダガスカルまでの距離を考えると、びっくりです。マダガスカルの人々は、東アフリカと東南アジアの両方にルーツを持っています。マダガスカルは、アフリカ大陸のすぐ近くにあるのに、ずっと人がおらず、この2000年ぐらいの間に、ようやく人が住むようになった独特の島です(Pierron 2017)。

オーストロネシア語族は、全体的によく保存されています。大陸のように大規模な戦乱で大量の言語が失われるということがなかったと思われます(ただし、オーストロネシア語族自身は他の言語を大量に消滅させたと見られます)。

オーストロネシア語族の言語は非常に数が多いですが、中でも注目されるのが台湾の少数民族の言語です。なぜかというと、台湾は狭いのに台湾の少数民族の言語は互いに大きく異なっており、対照的に、台湾以外の地域(フィリピン、インドネシア、マレーシア、太平洋地域、マダガスカル)は広いのにその広い地域の言語は互いによく似ているからです。言語学の見地からすれば、台湾で話されていた言語の一部が台湾以外の地域に広がっていったことは明らかなのです。

最近では、かつて台湾にいた人々と言語がどのように広がっていったのかという研究だけでなく、かつて台湾にいた人々と言語がどこから来たのかという研究も充実してきました。C. Tsang氏らやL. Sagart 氏らは、5000年ほど前から見られ始める台湾の初期の農耕が、意外なことに、イネよりむしろアワ・キビを盛んに栽培していたことを明らかにしています(Tsang 2017、Sagart 2018)。意外というのは、中国の農耕は北方はアワ・キビ中心、南方はイネ中心という理解があったからです。イネを中心とする長江文明よりもっと南に、アワ・キビを盛んに栽培する農耕社会があったというのが意外なのです。台湾の向かいの福建省でもそれに近い時代のアワ・キビが見つかっており、Tsang氏らやSagart 氏らの研究を裏づけています(Deng 2017)。Sagart氏らは、以下のような人々の移動があったのではないかと考えています(図はSagart 2018より引用)。

山東省のあたりにいた人々が、中国東海岸沿いを南下し、福建省のあたりに辿り着き、そこから台湾に入ったのではないかということです。こう考えると、台湾の初期の農耕にアワ・キビとイネの両方が存在していたことが無理なく説明できます。

※Sagart氏らは、山東省のあたりで7000年前頃に始まった特徴的な抜歯の儀式が南(台湾も含めて)に伝わっていることも指摘しています。日本の縄文時代後期・晩期~弥生時代にも抜歯の儀式が認められているので、日本の歴史にとっても無視できない問題です(Han 1996)。麻酔なしの抜歯は大変痛かったでしょう。

山東省のあたりにいた人々が台湾に向かうといっても、行く先行く先で人が流入してくるので、山東省のあたりにいた人々がそのまま台湾に現れるわけではありません。しかしそれでも、L. Wei氏らは、大陸に見られるY染色体DNAのO系統とオーストロネシア語族に見られるY染色体DNAのO系統を詳細に調べ、中国東海岸地域とオーストロネシア語族のつながりを示しており、もとのタイプが中国東海岸沿いおよびその近くに見られ、下位のタイプがオーストロネシア語族に見られています(Wei 2017)。

前回の記事で、中国の北東のほうで東アジア・東南アジアの運命を大きく決定する潜在的な動き(文明発生直前の段階)があったのではないかと推測しましたが、やはり遼河文明の領域と黄河文明の領域と長江文明の領域に囲まれたあたりは怪しいです。ベトナム系言語(オーストロアジア語族)の根源を辿っても、タイ系言語(タイ・カダイ語族)の根源を辿っても、オーストロネシア語族の根源を辿っても、その辺に行き着くのです。

これは、日本の歴史を考える時に注意しなければならない点でもあります。日本と東南アジアの間になんらかの共通点(例えば、品物、技術、生活様式、風習、文化、人間の遺伝学的特徴など)が見つかっても、それは、日本と東南アジアを直接結ぶというより、かつての中国東海岸地域から双方に広がったものかもしれないということです(ここでいう中国とは、もちろん国家ではなく、あくまで位置を示す語です)。

ベトナム系言語、タイ系言語、オーストロネシア系言語、日本語が近い系統関係にないことは確かです。しかし、これらの言語がかつて近くに集まっていたのも確かなようです。その言語学的根拠を示すことにしましょう。日本語の起源をめぐる問題がまた大きく前進することになります。

 

参考文献

Deng Z. et al. 2017. The ancient dispersal of millets in southern China: New archaeological evidence. The Holocene 28(1): 34-43.

Han K. et al. 1996. A comparative study of ritual tooth ablation in ancient China and Japan. Anthropological Science 104(1): 43-64.

Pierron D. et al. 2017. Genomic landscape of human diversity across Madagascar. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 114(32): E6498-6506.

Sagart L. et al. 2018. A northern Chinese origin of Austronesian agriculture: New evidence on traditional Formosan cereals. Rice 11(1): 57.

Tsang C. et al. 2017. Broomcorn and foxtail millet were cultivated in Taiwan about 5000 years ago. Botanical Studies 58(1): 3.

Wei L. et al. 2017. Phylogeography of Y-chromosome haplogroup O3a2b2-N6 reveals patrilineal traces of Austronesian populations on the eastern coastal regions of Asia. PLoS One 12(4): e0175080.

日本語は朝鮮半島を通ってやって来た、高句麗・百済・新羅が誕生する前の時代

前回の記事では、朝鮮のnam gang(南江)ナムガンという地名、nam(南)という姓、nam(他人、よその人)という語は、タイ語のnaam(水)のような語から来ているのではないかと推測しました。

nam(他人、よその人)と並んで怪しいのが、namta(余る)(語幹nam-)です。日本語のamaru(余る)を思い出してください。この語は、ama(雨)などとともに「水」から来ており、水が入りきらずに出てしまうことを意味していました。朝鮮語のnamta(余る)の経緯も、日本語のamaru(余る)と同様と見られます。

朝鮮語には、namta(余る)と意味的つながりがあるnɔmu(あまりに)ノムという語もあります。日本語で「あまりに大きい」とか「あまりにひどい」とか言いますが、そういう時にnɔmu(あまりに)を使います。nɔmta(超える、越える)ノムタやnɔmtʃhida(溢れる)ノムチダのような語があるので、nɔmu(あまりに)も「水」から来ていると考えられます。

朝鮮語のnamta(余る)とnɔmu(あまりに)でnのうしろの母音が異なるのは、タイ系言語の内部にばらつきがあったからでしょう。日本語でも、nama(生)(焼いたり、干したりしておらず、水っぽいという意味)、nami(波)、×namu(飲む)とはならずに、nomu(飲む)になっており、タイ系言語の内部にばらつきがあったことを裏づけています。

ちなみに、朝鮮語のphado(波)パドは明らかに別物ですが、nabukkida(なびく)ナブッキダは日本語のnami(波)/nabiku(なびく)と間接的な関係がありそうです。

朝鮮半島にタイ系の言語が存在した可能性が濃厚になってきました。

もう一つ注目したいのが、朝鮮語のnopta(高い)(語幹nop-)です。日本語で関係がありそうなのは、noppo(のっぽ)、nobu(伸ぶ)、noboru(上る、登る、昇る)などでしょう。

水・水域を意味していた語がその横の盛り上がった部分を意味するようになり、そこから山、高さ、長さを意味する語が生まれるという頻出パターンを考えると、朝鮮語のnopta(高い)や日本語のnoppo(のっぽ)、nobu(伸ぶ)、noboru(上る、登る、昇る)などの背後にもタイ系の言語があると考えられます。タイ系の言語に、nam-、nab-、nap-、nom-、nob-、nop-ぐらいのバリエーションはあったのでしょう。

※noppo(のっぽ)、nobu(伸ぶ)、noboru(上る、登る、昇る)などからかけ離れた感じがしますが、nonbiri(のんびり)も無関係でないと思われます。yawaからyanwariが作られたように、nobiからnonbiriが作られたと考えられます。長さ、特に時間的な長さを言うなかで、nonbiri(のんびり)という語が生まれたのでしょう。

平らな土地を意味するɸara(原)に対して、傾斜した土地を意味していたno(野)も気になります。nu/numaが沼を意味していたように、no/*nomaが傾斜を意味していた可能性があります。水を意味していたsakaがsaka(坂)になったのを思い出してください。このnoがno(野)になり、*nomaがnomeru(のめる)になったのかもしれません。「前のめりになる」とか「つんのめる」とか言う時のnomeru(のめる)です。nu/numaからnumeru(ぬめる)ができたのなら、no/*nomaからnomeru(のめる)ができるのは自然です。

日本語のnu/numa(沼)と朝鮮語のnɯp(沼)ヌプも、タイ系言語を間に挟んだ間接的な関係でしょうか。

「朝鮮半島にタイ系言語?」と驚かれたかもしれません。朝鮮語の語彙、朝鮮半島の地名、朝鮮人の姓を調べながらかつての朝鮮半島の姿を探っていますが、かつての朝鮮半島の言語事情は非常に複雑だったようです。

紀元前1世紀頃から高句麗、百済、新羅が興り、朝鮮半島の三国時代が始まったことはよく知られています。しかし、日本史上の最大の転機ともいえる弥生時代は2500~3000年前に始まっており、日本語の起源・歴史を考えるうえで重要なのは、三国時代の朝鮮半島ではなく、それよりも前の朝鮮半島です。

たかが何百年の違いではないかと軽く考えることはできません。中国の春秋戦国時代も500~600年程度の時代ですが、この間に中国に存在した多くの言語が消滅しています。激動の時代であれば、何百年かの間に言語分布がすっかり変わってしまうこともありえます。

日本語と朝鮮語に入っている語彙(地名と姓も含めて)を見る限り、日本語が通過した時の朝鮮半島(三国時代よりも前の朝鮮半島)では様々な言語が話されていたようです。水のことをkalm-、kilm-、kulm-、kelm-、kolm-(kal-、kil-、kul-、kel-、kol-、kam-、kim-、kum-、kem-、kom-)のように言う言語群もありました(kim(金)という姓に関係があると見られます)。水のことをpark-、pirk-、purk-、perk-、pork-(par-、pir-、pur-、per-、por-、pak-、pik-、puk-、pek-、pok-)のように言う言語群もありました(pak(朴)という姓に関係があると見られます)。タイ系の言語群もありました(nam(南)という姓に関係があると見られます)。しかし、これらはまだ一部です。

ユーラシア大陸のような巨大な領域ではなく、朝鮮半島のようなとても小さい領域に様々な言語がひしめいていたというのは、注目に値します。しかも、日本のすぐ横の領域です。日本の縄文時代の言語事情を考えるうえでも大変示唆的です。

また、日本語が朝鮮半島を通過した時に朝鮮半島に様々な言語がひしめいていたのであれば、縄文時代から弥生時代に移っていく頃に朝鮮半島から日本列島に渡ったのが日本語ただ一つであったとは限りません。日本語に近い言語も日本語に近くない言語も含めて、いくつかの言語が朝鮮半島から日本列島に渡った可能性も検討しなければなりません。

タイ系言語の存在はなにを意味するのか

朝鮮半島にタイ系言語が存在したというのはそれ自体興味深いことですが、その意味するところは極めて深遠です。なにしろ、ツングース諸語、朝鮮語、日本語にタイ系の語彙が認められるのです。中国南部からインドシナ半島に残っているタイ系言語のバリエーションが比較的乏しいことと考え合わせると、タイ系言語の根源が中国の北東のほうにあった可能性があります。

前に、黄河文明と長江文明を開始した人々の記事で、シナ・チベット語族の古代中国語sywij(水)シウイ、ペー語ɕui(水)シュイ、チベット語chu(水)チュ、ガロ語chi(水)、ミゾ語tui(水)などは北方起源かもしれない、オーストロアジア語族のベトナム語nước(水)ヌウク、バナール語dak(水)、クメール語tɨk(水)トゥク、モン語daik(水)、サンタル語dak’(水)ダークなども北方起源かもしれないと示唆したこともありました。

東アジアに遼河文明、黄河文明、長江文明という三つの文明が発生しましたが、それぞれに独自の特徴があり、三つの文明のうちのどれか一つを別の一つの下位系統と考えることはできません。しかし、遼河文明、黄河文明、長江文明は大体同じくらいの時期に発生しており、この三つの文明の発生が全く無関係であったとも思えません。どこかに文明発生直前の状態があり、これが遼河文明の発生、黄河文明の発生、長江文明の発生につながったのではないかと考えたくなるところです。

そのような文明発生直前の状態が存在した場所として最も有力なのは、遼河文明の領域と黄河文明の領域と長江文明の領域に囲まれたあたりでしょう。タイ系言語も、文明発生直前の状態から遼河文明、黄河文明、長江文明が生まれていくあたりにいたのかもしれません。

本ブログでは、シナ・チベット語族、ベトナム系言語(言語学ではオーストロアジア語族)、タイ系言語(言語学ではタイ・カダイ語族)に度々言及してきましたが、これらの言語群のほかに、まだ全然取り上げていないオーストロネシア語族という巨大な言語群があります。オーストロネシア語族の言語は、台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシア、太平洋地域、マダガスカルに分布しています。その分布域の広さ、言語数の多さから、言語学では盛んに注目され、盛んに研究されてきました。オーストロネシア語族の言語およびそれらの言語を話す人々の起源も盛んに論じられてきました。近年の言語学、考古学、生物学の発展によって、オーストロネシア語族の研究も新たな展開を見せています。東アジア・東南アジアの歴史を考えるうえで重要なので、オーストロネシア語族の話をします。