「私(わたくし)」の語源

前回の記事でお話ししたように、日本語のかつての一人称代名詞は、北ユーラシアの多くの言語と通じるmi(身)(古形*mu)であったと考えられます。そこに、a(我、吾)とwa(我、吾)が入ってきたわけです。なかなか変わらないはずの一人称代名詞が変わったのです。このa(我、吾)とwa(我、吾)は、どこから来たのでしょうか。

一人称代名詞が変わるというのは、ただごとではありません。日本語がそのような劇的な変化を経たのはいつかというと、真っ先に考えられるのは、気候変化によって遼河流域でアワとキビの栽培を行えなくなった少数の日本語の話者が南下し、そこでシナ・チベット語族の話者、ベトナム系言語の話者、タイ系言語の話者などと出会った時です(現代人あるいは現代の言語学者が陥りがちな考えを参照)。

一人称代名詞と同じように、なかなか変わらないはずの「目」を意味する語が変わったのも、この時でした。シナ・チベット語族の言語から*mi(目)という語が入って、miru(見る)、misu(見す)、miyu(見ゆ)になり、ベトナム系言語から*ma(目)という語が入って、me(目)になったのでした(以下の記事を参照)。

日本語の一人称代名詞が変わったのではないかと見られるのも、その時期です。特に怪しいのは、シナ・チベット語族の古代中国語nga(我)ンガ、チベット語nga、ミャンマー語ngaのような一人称代名詞です。先頭は[ŋ]という子音で、日本語の話者には不慣れな音です。シナ・チベット語族の一人称代名詞を日本語に取り入れるために、一番手っ取り早いのは、先頭の[ŋ]を取り除いて、ŋaをaにすることです。これで、一人称代名詞のa(我、吾)が生まれます(実際に、朝鮮語でも古代中国語のnga(我)をaとしました)。

古代中国語の一人称代名詞であったnga(我)は、方言によってngoになったり、woになったりしています。現代の中国の標準語では、wo(我)ウォです。

唇のところで作る音(m、p、b、f、v、wなど)と口の奥のほうで作る音(k、g、x、hなど)の間にある程度行き来があることは、以前にお話ししました。日本語の「は」の読みがɸaからhaになったのは、そのような例です(唇のところ→口の奥のほう)。古代中国語のnga(我)がngoを通じてwoになったのも、そのような例です(口の奥のほう→唇のところ)。

東アジアにこのような例が実際に存在することから、シナ・チベット語族のŋaという一人称代名詞が、日本語にaとして入るだけでなく、waとして入ることもあったと思われます。これで、一人称代名詞のwa(我、吾)が生まれます(日本語で語頭の濁音が許されるようになった時代であれば、ga(我、吾)も一つの選択肢になりますが、語頭の濁音が許されていない時代には、その選択肢はなかったのです)。

奈良時代の日本語の一人称代名詞であったa(我、吾)とwa(我、吾)は、シナ・チベット語族の言語から入った可能性が非常に高いです。そのシナ・チベット語族の言語というのは、古代中国語に近い言語だったかもしれないし、古代中国語そのものだったかもしれません。つまるところ、a(我、吾)とwa(我、吾)はおおもとは同じである異形です。

一人称代名詞が外来語なのかと驚かれるかもしれませんが、watasi(私)とboku(僕)のうちのboku(僕)のほうは明らかに中国語由来です。watasi(私)のほうはどうでしょうか(ore(俺)については、本記事の最後にある補説を参照してください)。

watakusi(私)の語源

現代の日本語のwatasi(私)のもとになったのは、奈良時代の日本語のwatakusiという語です。奈良時代の日本語のwatakusiは、前回の記事で述べたように、そもそも一人称代名詞ではなく、「公のこと」の反対として「個人的なこと」を意味する語でした。

その長さからしても、watakusiは複合語と考えられます。このwatakusiについては、いろいろと考えさせられましたが、watakusiのwaの部分は一人称代名詞のwa(我、吾)である可能性が高いと考えていました。wa(我、吾)は、上で説明したように、古代中国語に近い言語か、古代中国語そのものから入った可能性が非常に高いわけです。そうなると、watakusiのwaのうしろのtakusiの部分も中国語に関係があるかなと考えてみたくなります。

ああではないかこうではないかと考えていた筆者が次第に注目するようになったのは、古代中国語のtsak(作)ツァクとdrzi(事)という語でした。

古代中国語のtsak(作)に関しては、日本語の話者に説明しておかなければならないことがあります。

英語にdo(する)という語とmake(作る)という語があることは、皆さんもご存じでしょう。

英語のdoにあたるフランス語はfaireフェールです。そして、英語のmakeにあたるフランス語もfaireです。

英語のdoにあたるロシア語はdelat’ヂェーラチです。そして、英語のmakeにあたるロシア語もdelat’です。

ちょっと違和感があるかもしれませんが、「する」と「作る」のところで同じ言い方をする言語は世界にとても多いのです。

日本語でも、「揚げ物をする」と言ったり、「揚げ物を作る」と言ったりするので、全くわからないということもないかもしれません(写真はエブリー様のウェブサイトより引用)。

古代中国語のtsak(作)も、「する」と「作る」の意味を併せ持つ語でした。

日本語では「作」にsakuとsaという音読みが与えられ、「事」にziとsiという音読みが与えられましたが、これは日本語と中国語の長きにわたる広範な接触の一端を示しているにすぎません。

古代中国語といっても、時代と場所によって、様々なバリエーションがあります。中国語から日本語への語彙の流入は単純ではないのです。

古代中国語のtsak(作)は、sakuという形だけでなく、*takuという形や*tukuという形でも日本語に入ったかもしれません。専門職人がなにかを製造することを意味していたtakumu(巧む)は関係がありそうだし、tukuru(作る)も関係がありそうです(takumu(巧む)は設計すること・計画することも意味していたので、takuramu(企む)も同源と考えられます)。

古代中国語のtsak(作)が「作る」という意味だけでなく、「する」という意味も持っていたことを思い出してください。

奈良時代の日本語のwatakusiは、一人称代名詞のwa、「する」を意味する*taku、「こと」を意味する*siがくっついてできた語と推測されます。「我」+「作」+「事」という構造です。つまり、中国語のフレーズであるということです。「私のすること」という意味です。「する」を意味するsuruと「こと」を意味するkotoがくっついてsigotoができるのと同様に、「する」を意味する*takuと「こと」を意味する*siがくっついてtakusiができているわけです(現代の日本語に「作事」という語は残っていますが、「仕事、仕業、作業、工事、工業」などと違って、ほとんど使われることのない語として残っています)。

日本で本格的な文字記録が残っているのが「古事記」と「日本書紀」から、つまり奈良時代のはじめからなので、日本語と中国語の関係というと、奈良時代のはじめからの日本語と中国語の関係を考えがちです。

しかし、奈良時代の日本語に入っている中国語を見ると、日本語は奈良時代よりもかなり前から中国語と接触してきたと考えられます。日本人は、奈良時代のはじめよりもかなり前から中国の文明・文化を取り入れ、中国語も取り入れてきたのです。当然、自分たちは持っていないが中国人は持っている「文字」というものにも大きな関心を抱いたはずです。

考古学に詳しい方は、漢字が刻まれた埼玉県出土の稲荷山鉄剣や熊本県出土の江田船山鉄刀をご存じだと思います。これらは、日本人が奈良時代よりもかなり前から「文字」を書き記していたことを明確に示しています。

ここで不思議なのは、もっと露骨に言うと怪しいのは、日本人は奈良時代のはじめよりもかなり前から「文字」というものに関心を抱き、「文字」を書き記していたにもかかわらず、日本での文字記録が、稲荷山鉄剣や江田船山鉄刀のような土の中に埋まっているごく断片的な遺物を除いて、奈良時代のはじめからしか残っていないということです。

そしてその「古事記」と「日本書紀」には、天から降りてきた神の子孫が天皇になったという話が示されているのです。

いよいよ、予告しておいた日本の古代史の話に入ります(予告は特集!激動の日本の古代史、邪馬台国論争を含めての予告編をご覧ください)。

 

補説

ore(俺)の語源

現代の日本語には、watasi(私)とboku(僕)のほかに、ore(俺)という一人称代名詞があります。ore(俺)は、onore(己)が変化したものであるという従来の説が妥当でしょう。奈良時代の日本語を見ると、onore(己)は、「自分」を意味する語として機能したり、一人称代名詞として機能したり、二人称代名詞として機能したりしていました。

奈良時代の日本語には、このようなonore(己)と同じような振る舞いを見せていたna(己)という語がありました。na(己)も、「自分」を意味する語として機能したり、一人称代名詞として機能したり、二人称代名詞として機能したりしていたのです。

なんで一人称代名詞と二人称代名詞が必要なのか考えてみてください。会話は基本的に二人で行うもので、二人のうちの一方を指しているのか、他方を指しているのか知らせたいからです。日本語で「こっちは元気です。そっちはどうですか。」などと言ったりしますが、このようなところに人称代名詞の本質があるのです。本ブログの読者は、筆者がいつもしている「川と両岸」の話だなと察しがつくでしょう。そうです、「川と両岸」の話なのです。

水を意味していた語がその横の部分を意味するようになるというおなじみのパターンです。上の図には、naと記しましたが、この部分はnamであったり、namV(Vはなんらかの母音)であったりもします。おおもとにあるのは、タイ系言語のタイ語naam(水)のような語です。

「自分」を意味する語として機能したり、一人称代名詞として機能したり、二人称代名詞として機能したりしていた奈良時代の日本語のna(己)の語源は、まさにここにあります。奈良時代の日本語の二人称代名詞であったna(汝)、namu(汝)、namuti(汝)の語源も、ここにあります。namuti(汝)に含まれているtiは、kotti(こっち)やsotti(そっち)に残っているtiと同じもので、方向を意味するtiでしょう。namuti(汝)はのちにnanzi(汝)になりました。

日本語のna(己)、na(汝)、namu(汝)、namuti(汝)について述べましたが、朝鮮語の超頻出語であるna(私、僕、俺、自分)の語源も、上の図にあると見られます。

朝鮮語のnam(他人、よその人)などについて説明した「人(ひと)」の語源、その複雑なプロセスが明らかに(改訂版)の記事を参照していただくと、理解が非常に深まります。日本語のhito(人)の語源も記されています。