「瞳(ひとみ)」の奥に隠された歴史

シナ・チベット語族の「目」

現代の中国語では、目のことをyǎn jing(眼睛)イエンチンと言います。しかし、中国語でもともと目を意味していたのは、mjuwk(目)ミウクです。目を意味する語が変わった珍しいケースです。それでも、古代中国語のmjuwk(目)は、跡形もなく消え去ったわけではなく、現代の中国語のあちこちに残っています。シナ・チベット語族には、古代中国語のmjuwk(目)と同源の語が広がっており、チベット語のmig(目)やミャンマー語のmyeʔsi(目)ミエッスィなどがあります。

ベトナム系言語のベトナム語mắt(目)マ(トゥ)のような語が日本語にma(目)という形で入りましたが、シナ・チベット語族の古代中国語のmjuwk(目)、チベット語のmig(目)、ミャンマー語のmyeʔsi(目)のような語も日本語に*mi(目)という形で入ろうとしたと見られます。目を意味することができなくなった語が真っ先に意味するのは、見ることです。奈良時代の日本語のmiru(見る)、misu(見す)、miyu(見ゆ)は、シナ・チベット語族の「目」から来たと考えられます。現代の日本語では、misu(見す)はmiseru(見せる)になり、miyu(見ゆ)はmieru(見える)になっています。

上記の*mi(目)は、miru(見る)、miseru(見せる)、mieru(見える)だけでなく、hitomi(瞳)にも組み込まれて残ったのではないかと思われます。hitomi(瞳)の推定古形は*pitomi(瞳)です。瞳の意味を確認しておきましょう(図は参天製薬様のウェブサイトより引用)。

日本人の目は大体こんな感じでしょう。白い部分に囲まれた色の付いた部分が虹彩(こうさい)です。虹彩の真ん中にあいている穴が瞳孔(どうこう)です。周囲の明るさ・暗さに応じて、この穴の大きさがコントロールされます。虹彩と瞳孔の手前側は、角膜(かくまく)という透明な膜で覆われています。瞳は、瞳孔を意味したり、瞳孔を含む虹彩を意味したりします。hitomi(瞳)の推定古形の*pitomi(瞳)の*pitoの部分が暗さ・黒さを意味し、*miの部分が目を意味していたのではないかと思われます。現代の日本語にkurome(黒目)という言い方があるのを考えても、その可能性が高いです。

少し脱線

前に、数詞の起源について説明したことがありました(数詞の起源について考える、語られなかった大革命を参照)。

水を意味していた語が、水を意味することができなくなり、その横の部分を意味するようになる話です。例えば、上のような構図から、pitoが、二つあるうちの一つ(一方)を意味するようになったり、二つあるうちのもう一つ(他方)を意味するようになったり、二つあるうちの二つ(両方)を意味するようになったりする可能性があります。

水を意味するpitoのような語があったことは、hitaru(浸る)、hitasu(浸す)、bityabitya(びちゃびちゃ)、bityobityo(びちょびちょ)、bisyabisya(びしゃびしゃ)、bisyobisyo(びしょびしょ)などの語を見ればわかります。

水を意味していた語が、水を意味することができず、雨を意味することもできず、「落下、下方向、下」を意味するようになる頻出パターンを思い出してください。水を意味するpit-のような語も、「落下、下方向、下」を意味することがあったにちがいありません。

pit-と近い関係にあるpat-は、bataʔ(ばたっ)、battari(ばったり)、batabata(ばたばた)のように「落下、下方向、下」を意味するようになっているし、pit-と近い関係にあるpot-も、potapota(ぽたぽた)、potupotu(ぽつぽつ)、potopoto(ぽとぽと)のように「落下、下方向、下」を意味するようになっています。

こうして見ると、「水」→「雨」→「落下、下方向、下」という意味変化が頻出パターンであることが改めてよくわかります。そうなると、「落下、下方向、下」を意味するところで終わらない語が次々に出てきます。

kurome(黒目)のkuro(黒)は、kura(暗)とともに、「落下、下方向、下」という意味から変化してきた語でした(日没の時間、明るさと暗さについての再考を参照)。(日が)落ちることを意味していた語が、暗さ・黒さを意味するようになるのでした(kuru(暮る)はkura(暗)/kuro(黒)と同源ということです)。yami(闇)もこのパターンでした(前記の記事を参照)。同じように、*pitomi(瞳)の*pitoも、「落下、下方向、下」を意味していて、暗さ・黒さを意味するようになった可能性があります。

この可能性は高そうです。

日本語のhisomu(ひそむ)、hisomeru(ひそめる)、hisohiso(ひそひそ)、hisohiso(ひっそり)、hisoyaka(ひそやか)、hisoka(ひそか)などの語彙は、それぞれかなり抽象化していますが、かつて「落下、下方向、下」を意味する*pisoという語があったことを強く示唆しています。

hisomeru(ひそめる)からいきましょう。

「声をひそめる」と言いますが、これは声を小さくすること、別の言い方をすれば、声を落とすこと、声を低くすることです。hisohiso(ひそひそ)も同じところから来ているでしょう。

「眉をひそめる」とも言います。眉間にしわを寄せる動作という理解で正しいですが、他の語彙との関連を考えると、もともと以下の図のように眉を下へ動かすことを意味していたと見られます。

hisomu(ひそむ)は、「潜む」と書かれることが多いですが、沈むことを意味していたのではないかと思われます。水中に隠れるところから、一般に隠れることを意味するようになったのでしょう。hisomu(ひそむ)が隠れることを意味し、hisomeru(ひそめる)が隠すことを意味するようになるわけです。

sita(下)がsizumu(沈む)とsizuka(静か)(古形はsidumu(沈む)とsiduka(静か))と同源であることを考えれば、hissori(ひっそり)、hisoyaka(ひそやか)、hisoka(ひそか)などもすんなり理解できるでしょう。最初は静かなことを意味していて、そこに、知られないようにする、秘密にするなどの意味が加わったのでしょう。

「落下、下方向、下」を意味する*pito、*pisoあるいはこれらに似た形の語があった可能性はやはり高いです。

今回の「目」の話のついでに、日本語のmayu(眉)にも言及しておきましょう。奈良時代にはmayo(眉)でした。これは、ベトナム語のmày(眉)マイに非常によく似ています。古代中国語のmij(眉)ミイにもいくぶん似ています。日本語、ベトナム系言語、シナ・チベット語族以外の周辺言語の「眉」を調べても、さらに「目」と「毛」を調べても、上記のような語は見られないので、日本語のmayu(眉)とベトナム語のmày(眉)と古代中国語のmij(眉)の間になんらかの関係があることは間違いありません。「目」を意味する語ほどではありませんが、「眉」を意味する語も結構変わりにくいです。隋・唐の頃の古代中国語のmij(眉)と比べて、日本語のmayu(眉)とベトナム語のmày(眉)の形がやや異なっているので、もっともっと古い殷~周~春秋・戦国~秦・漢の頃の古代中国語(時代差・地域差があります)の「眉」が、日本語のmayu(眉)とベトナム語のmày(眉)になったのかもしれません。

ベトナム系言語の「目」、タイ系言語の「目」、シナ・チベット語族の「目」と見てきました。次は、いよいよモンゴル系言語の「目」です。