日本語の起源と歴史に興味を持つすべての方へ

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こんにちは。金平譲司と申します。ここに「日本語の意外な歴史」と題するブログを立ち上げました。

このブログは、日本語ならびに日本語と深い関係を持つ言語の歴史を解明するものです。言語学者だけでなく、他の分野の専門家や一般の方々も読者として想定しています。

謎に包まれてきた日本語の起源

日本語はどこから来たのかという問題は、ずいぶん前から様々な学者によって論じられてきましたが、決定的な根拠が見つからず、大いなる謎になってしまった感があります。しかしながら、筆者の研究によってようやくその全貌が明らかになってきたので、皆さんにお話ししようと思い立ちました。

日本語は、朝鮮語、ツングース諸語(エヴェンキ語、満州語など)、モンゴル諸語(モンゴル語、ブリヤート語など)、テュルク諸語(トルコ語、中央アジアの言語など)と近い関係にあるのではないか、あるいはオーストロネシア語族(台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシア、オセアニアなどの言語から成る言語群)と近い関係にあるのではないかというのが従来の大方の予想でしたが、これらの予想はポイントを外しています。

中国語を見て全く違うと感じた日本人が、日本語は北方の言語と関係があるのではないか、南方の言語と関係があるのではないかと考えたのは、至極当然のことで、北方の言語と南方の言語に視線を注ぐこと自体は間違っていません。問題なのは、北方のごく一部の言語と南方のごく一部の言語に関心が偏ってしまったことです。

上記の言語のうちで、朝鮮語、ツングース諸語、モンゴル諸語、テュルク諸語は、日本語によく似た文法構造を持つことから、日本語に近縁な言語ではないかと盛んに注目されてきました。同時に、ツングース諸語、モンゴル諸語、テュルク諸語は、互いに特に近い関係にあるとみなされ、いわゆる「アルタイ語族」という名でひとまとめにされることがしばしばありました。日本語の起源をめぐる議論は、このような潮流に飲まれていきました。

しかしながら、筆者がこれから明らかにしていく歴史の真相は、かなり違います。日本語は、朝鮮語、ツングース諸語、モンゴル諸語、テュルク諸語と無関係ではないが、別の言語群ともっと近い関係を持っているようなのです。

実を言うと、筆者は日本語やその他の言語の歴史に興味を持つ人間ではありませんでした。筆者は若い頃にフィンランドのヘルシンキ大学で一般言語学や様々な欧州言語を学んでいましたが、その頃の筆者の興味は言語と思考の関係や外国語の学習理論などで、もっぱら現代の言語に関心が向いていました。歴史言語学の講義もありましたが、特に気に留めていませんでした。

筆者が言語の歴史について真剣に考えるようになったきっかけは、ロシアの北極地方で少数民族によって話されているサモエード諸語との出会いでした。サモエード諸語は、フィンランド語やハンガリー語と類縁関係にある言語です。フィンランド語とハンガリー語はヨーロッパの中では異色の存在で、北極地方の少数民族の言語と類縁関係を持っています。フィンランド語、ハンガリー語、サモエード諸語などから成る言語群は、「ウラル語族」と呼ばれます。

言語学者が使う「語族」という用語について若干説明しておきます。私たちが万葉集や源氏物語の言葉を見ると、「読みにくいな」と感じたり、「なにを言っているのかわからないな」と感じたりします。言語は時代とともに少しずつ変化しています。言語は単に変化するだけでなく、分化もします。ある程度広い範囲で話されている言語には、地域差が生じてきます。

この地域ごとに少しずつ異なる言葉が方言です。しかし、これらの方言が地理的に隔たってさらに長い年数が経過すると、最初は小さかった方言同士の差が大きくなっていき、やがて意思疎通ができないほどになります。

あまりに違いが大きくなれば、もう方言ではなく、別々の言語と言ったほうがふさわしくなります。一律の学校教育やマスメディアが発達していない時代には、この傾向は顕著です。ある言語が別々の言語に分化するのです。分化してできた言語がさらに分化することもあります。言語学では、おおもとの言語と分化してできた諸言語をまとめて「語族」といいます。世界で最もよく知られている語族は、インド・ヨーロッパ語族と呼ばれる語族で、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語などはこの語族に属します。例えるなら、イヌ、オオカミ、キツネ、タヌキが共通祖先を持っているように、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語は共通祖先を持っているということです。

日本語とウラル語族

英語などが属するインド・ヨーロッパ語族は巨大な言語群ですが、フィンランド語やハンガリー語が属するウラル語族はこじんまりとした言語群です。ウラル語族の言語は、ロシアの北極地方から北欧・東欧にかけて分布しています。地理的に遠く離れているので、ウラル語族の言語は一見したところ東アジアの言語、特に日本語とはなんの関係もないように見えますが、実はここに大きな盲点があります。日本語の歴史を考えるうえで大変重要になるので、ウラル語族の話を続けます。以下にウラル語族の内部構造を簡単に示します。

ウラル語族の言語を研究する学者の間に意見の相違がないわけではありませんが、上の図は従来広く受け入れられてきた見方です。ウラル語族の言語は、まずフィン・ウゴル系とサモエード系に分かれ、フィン・ウゴル系はそこからさらにフィン系とウゴル系に分かれます。フィンランド語はフィン系に属し、ハンガリー語はウゴル系に属します。サモエード系の言語は、ロシアの北極地方に住む少数民族によって話されています。現在残っているサモエード系の言語はネネツ語、エネツ語、ガナサン語、セリクプ語の四つのみで、特に後の三つは消滅の危機にあります。

サモエード系の言語は、フィンランド語やハンガリー語と同じウラル語族の言語ですが、フィンランド語やハンガリー語とは文法面でも語彙面でも著しく異なっています。同じ言語から分かれた言語同士でも、別々の道を歩み始め、何千年も経過すれば、似ても似つかない言語になってしまいます。特に、サモエード系の言語が辿った運命とフィンランド語・ハンガリー語が辿った運命は対照的です。サモエード系の言語は、北極地方にとどまり、他の言語との接触が比較的少なかったために、昔の姿をよく残しています。それに対して、フィンランド語とハンガリー語は、有力な言語がひしめくヨーロッパに入り込み、大きく姿を変えました。サモエード系の言語は、いわば「生きた化石」です。人類の歴史を解明するうえで、大変重要な言語です。サモエード系の言語との出会いは、筆者にとってショッキングな出来事でした。これ以降、筆者は言語の歴史について本格的に研究し始めることになります。

筆者が初めてサモエード系の言語を見た時には、「文法面ではモンゴル語やツングース諸語に似ているな」という第一印象を受けました。しかし、よく調べると、「あれっ、語彙面では日本語に似ているな」という第二印象を受けました。少なくとも言語の根幹をなす基礎語彙に関しては、モンゴル語やツングース諸語より、ウラル語族のサモエード系の言語のほうが日本語に近いと思いました。なんとも不思議な感じがしました。なんで日本の近くで話されているモンゴル語やツングース諸語より、北極地方で話されているウラル語族のサモエード系の言語のほうが日本語に近いんだろうと考え始めました。様々な言語を見てきましたが、サモエード系の言語には今までにない特別なものを感じました。なにか重大な秘密が隠されている予感がしました。

フィンランド語とハンガリー語だけを見ていた時は気づかなかったのですが、サモエード系の言語を介しながらフィンランド語とハンガリー語を見てみると、やはりフィンランド語とハンガリー語にも日本語との共通語彙があります。日本語の中にある、ウラル語族と共通している語彙、そしてウラル語族と共通していない語彙を見分けていくうちに、二つの疑問が頭に浮かんできました。一つ目の疑問は、日本語の祖先とウラル語族の言語の祖先の接点は地理的にどの辺にあったのだろうという疑問です。二つ目の疑問は、日本語の中にある、ウラル語族と共通していない語彙はどこから来たのだろうという疑問です。日本語の中には、ウラル語族と共通している語彙も多いですが、共通していない語彙も多いのです。

東アジアには黄河文明とは違う文明が存在した

ウラル語族の各言語の語彙を研究するうちに、ウラル語族が日本語だけでなく、モンゴル語、ツングース諸語、朝鮮語、さらには中国語にもなんらかの形で関係していることが明らかになってきたので、ウラル語族の言語と東アジア・東南アジアの言語の大々的な比較研究を開始しました。着実かつ合理的に歴史を解明するため、考古学および生物学の最新の研究成果を適宜参照しました。考古学も生物学も近年めざましい発展を遂げており、数々の重要な発見がありました。

かつては、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、そして東アジアの黄河文明が並べられ、世界四大文明と呼ばれていました。ところが、その後の発見によって、東アジアには黄河文明のほかに二つの大きな文明が存在したことがわかってきました(このテーマを包括的に扱った書籍はいくつかありますが、考察の広さ・深さの点でShelach-Lavi 2015が優れています)。

その二つの大きな文明とは、長江文明と遼河文明(りょうがぶんめい)です。日本列島で縄文時代が進行する間に、大陸側はこのようになっていたのです。黄河文明と長江文明に比べて、遼河文明は知名度が高くないかもしれません。しかし、遼河文明は、日本語の歴史を解明するうえで重要な鍵を握っているようなのです。

生物学が発達し、人間のDNA配列が調べられるようになりました。DNA配列は、正確には「DNAの塩基配列」といい、アデニンA、チミンT、グアニンG、シトシンCという四種類の物質が作る列のことです。最近では、生きている人間のDNA配列だけでなく、はるか昔に生きていた人間のDNA配列も調べられるようになってきました。大変興味深いことに、遼河文明が栄えていた頃に遼河流域で暮らしていた人々のDNA配列を調べた研究があります(Cui 2013)。

人間は父親と母親の間に生まれるので、子のDNA配列が父親のDNA配列と100パーセント一致することはなく、子のDNA配列が母親のDNA配列と100パーセント一致することもありません。しかし、父親から息子に代々不変的に受け継がれていく部分(Y染色体DNA)と、母親から娘に代々不変的に受け継がれていく部分(ミトコンドリアDNA)があります。代々不変的に受け継がれていく部分と書きましたが、この部分にも時に突然変異が起きます。つまり、その部分のDNA配列のある箇所が変化するのです。変化していないY染色体DNA配列を持つ男性がそれを息子に伝える一方で、変化したY染色体DNA配列を持つ男性がそれを息子に伝えるということが起き始めます。同様に、変化していないミトコンドリアDNA配列を持つ女性がそれを娘に伝える一方で、変化したミトコンドリアDNA配列を持つ女性がそれを娘に伝えるということが起き始めます。こうして、時々起きる突然変異のために、Y染色体DNAのバリエーション、ミトコンドリアDNAのバリエーションができてきます。人類の歴史を研究する学者は、このY染色体DNAのバリエーション、ミトコンドリアDNAのバリエーションに注目するのです。

先ほど述べた遼河流域の人々のDNA研究は、Y染色体DNAのバリエーション(例えば、C系統か、D系統か、N系統か、O系統か)を調べたものです。その結果はどうだったでしょうか。古代の人々の研究なのでサンプル数は限られていますが、それでも大まかな傾向は十分に捉えられています。遼河文明が栄えていた頃の遼河流域では、当初はN系統が圧倒的に優勢だったが、次第にO系統とC系統が増え(つまり他の地域から人々が流入してきたということ)、N系統はめっきり少なくなってしまったようです。現在の日本、朝鮮半島、中国では、N系統はほんの少し見られる程度です(Shi 2013)。対照的に、ウラル語族の言語が話されているロシアの北極地方からフィンランド方面にかけてN系統が非常に高い率で観察されています(Rootsi 2007)。

見え始めた日本語の正体

筆者もウラル語族の言語が東アジアの言語と深い関係を持っていることを知った時には大いに驚きましたが、考古学・生物学の発見と照らし合わせると、完全に合致します。日本語がウラル語族の言語と深い関係を持っていることは非常に興味深いですが、もう一つ興味深いことがあります。日本語の中には、ウラル語族と共通している語彙も多いですが、共通していない語彙も多く、ウラル語族とは全く異なる有力な言語群も日本語の形成に大きく関与したようなのです。

ウラル語族の言語と東アジア・東南アジアの言語の大々的な比較研究を行い、様々な紆余曲折はありましたが、漢語流入前の日本語(いわゆる大和言葉)の語彙構成が以下のようになっていることがわかってきました。

「ウラル語族との共通語彙」も多いですが、「黄河文明の言語との共通語彙」と「長江文明の言語との共通語彙」も多く、この三者で漢語流入前の日本語の語彙の大部分を占めています。

「その他の語彙1」というのは、日本語が大陸にいた時に取り入れた語彙で、「ウラル語族との共通語彙」にも、「黄河文明の言語との共通語彙」にも、「長江文明の言語との共通語彙」にも該当しないものです。

「その他の語彙2」というのは、日本語が縄文時代に日本列島で話されていた言語から取り入れた語彙です。

漢語流入前の日本語の語彙構成の特徴的なところは、なんといっても、語彙の大きな源泉が三つあることです。三つの有力な言語勢力が交わっていたことを窺わせます(遼河文明と黄河文明と長江文明の位置を思い出してください)。

「日本語の意外な歴史」では、ウラル語族との共通語彙、黄河文明の言語との共通語彙、長江文明の言語との共通語彙、その他の語彙1、その他の語彙2、いずれも詳しく扱っていきます。

では、日本語およびその他の言語の歴史を研究するための準備に取りかかりましょう。

 

外国語の単語の表記について

英語と同じようなアルファベットを使用している言語では、それをそのまま記します。言語学者が諸言語の発音を記述するのに使う国際音声記号(IPA)というのがありますが、音韻論の専門家でない限り、多くが見慣れない記号です。そのため、本ブログではIPAの使用はできるだけ控えます。特に朝鮮語は、IPAを用いて記すと複雑になるため、市販されている初心者向けの韓国語の文法書で採用されている書き方にならいました。一般の読者にとって見慣れない記号を用いる場合には、補助としてのカタカナ表記を付け加えます。慣習を考慮し、ヤ行の子音は基本的に、北方の言語(ウラル語族の言語など)では「j」で表し、南方の言語(中国語、東南アジアの言語)では「y」で表します。古代中国語のアルファベット表記の仕方は、Baxter 2014に従います。

 

参考文献

Baxter W. H. et al. 2014. Old Chinese: A New Reconstruction. Oxford University Press.

Cui Y. et al. 2013. Y chromosome analysis of prehistoric human populations in the West Liao River Valley, Northeast China. BMC Evolutionary Biology 13: 216.

Rootsi S. et al. 2007. A counter-clockwise northern route of the Y-chromosome haplogroup N from Southeast Asia towards Europe. European Journal of Human Genetics 15: 204-211.

Shelach-Lavi G. 2015. The Archaeology of Early China: From Prehistory to the Han Dynasty. Cambridge University Press.

Shi H. et al. 2013. Genetic evidence of an East Asian origin and paleolithic northward migration of Y-chromosome haplogroup N. PLoS One 8(6): e66102.


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漢字をめぐる難問、「達」という漢字をどう読むか

高句麗語の「谷」は前回の記事で見たので、今度は高句麗語の「山」を見てみましょう。

高句麗語の「山」

高句麗語の「達」という語が記録されており、山を意味する語であると中国語で説明されています。

高句麗語の「達」・・・山を意味する

Beckwith氏は高句麗語の「達」の発音を*tarと推測しています(Beckwith 2004)。ここに大きな問題があります。

古代中国語のdat(達)は、日本語にdatiとtatuという音読みで取り入れられました。日本語ではtという子音で終わることができないので、そのうしろにiとuという母音が補われていますが、古代中国語のdat(達)の末子音tは保存されています。

古代中国語のdat(達)は、中国の標準語では末子音tが消えましたが、広東語ではdaatタ(トゥ)、ベトナム語ではđạtダ(トゥ)になっています。

なぜBeckwith氏は高句麗語の「達」の発音を*tatではなく、*tarと推測したのでしょうか。実は、朝鮮語で「達」という字をtalと読んでおり、昔はtarと読んでいたのです。要するに、Beckwith氏は高句麗では昔の朝鮮語と同じように「達」という字をtarと読んでいただろうと推測しているわけです。

ここは慎重にならなければならない箇所です。高句麗は668年に消滅しました。昔の朝鮮語では「達」という字をtarと読んでいたと述べましたが、tarと読んでいたことが確実にわかるのは、ハングル(朝鮮語の文字体系)が作られた15世紀半ば以降です。朝鮮語では15世紀半ばよりいくらか前から「達」という字をtarと読んでいたかもしれません。しかしそれでも、668年以前に存在した高句麗で「達」という字をtarと読んでいたとは限りません。

※大半の読者の方は大丈夫だと思いますが、朝鮮語と高句麗語を混同しないでください。かつて朝鮮半島に新羅語と百済語と高句麗語という言語が存在し、新羅語は朝鮮語になり、百済語と高句麗語は消滅しました。

ちなみに、高句麗語の「達」は高いことも意味すると中国語で説明されています。「達」と書き表されているケースだけでなく、「達乙」と書き表されているケースもあります。

高句麗語の「達、達乙」・・・高いことを意味する。

Beckwith氏は、山を意味する高句麗語の「達」と高いことを意味する高句麗語の「達、達乙」はtarのような語を書き表したものではないかという考えです。筆者は、山を意味する高句麗語の「達」と高いことを意味する高句麗語の「達、達乙」はtatのような語を書き表したものではないかという考えです。ただし、筆者はBeckwith氏の考えを完全に無視することはできないとも考えています。これについては後で述べます。

まず、山を意味する高句麗語の「達」と高いことを意味する高句麗語の「達、達乙」はtatのような語を書き表したものであると仮定して、話を進めてみましょう。読み方がどうであれ、高句麗語の「達、達乙」が山を意味したり、高いことを意味したりしていたことは確かです。お決まりのパターンですが、高句麗語の「達、達乙」は、水を意味していた語がその横の盛り上がった土地、丘、山、高さを意味するようになったものでしょう。

水を意味するtatのような語があって、そのtatのような語が陸に上がろうとする、本当にそんな展開があったかどうか検証してみましょう。まず注目したいのが、日本語のtatu(断つ)です。そしてもう一つ注目したいのが、日本語のtati(太刀)です。tatu(断つ)はkiru(切る)の類義語で、tati(太刀)はkatana(刀)とturugi(剣)の類義語です。

水を意味するtat-のような語が陸に上がろうとしているところを想像してください。水を意味するtat-のような語は、端を意味するようになったり、境を意味するようになったりするでしょう。境を意味する語から切ることを意味する語が生まれるパターンを思い出してください。端を意味する語から刃・刃物を意味する語が生まれるパターンを思い出してください。境を意味するtat-のような語から生まれたのがtatu(断つ)で、端を意味するtat-のような語から生まれたのがtati(太刀)と考えられます。

水を意味するtat-のような語が存在したことを示す日本語は、tatu(断つ)とtati(太刀)だけではありません。奈良時代には、(水が)いっぱいに満ちることあるいは(水を)いっぱいに満たすことを意味するtataɸu(湛ふ)という動詞がありました。現代でも、「水を湛える」と言います。意外かもしれませんが、tataru(祟る)も関係があります。abaru(暴る)、ikaru(怒る)、midaru(乱る)などが水から来ていたことを思い出してください。tataru(祟る)もこのパターンで、水・水域が荒れ狂うことを意味していた語が、神・霊が怒ることを意味するようになったと考えられます。

上のtati(太刀)が端を意味していたという話と関連しますが、以下のような構図もあったでしょう。

このようにしてtatiに「2」という意味が生じ、watasitati(私たち)やkimitati(君たち)のtati(たち)になったと見られます。このtati(たち)はよく「達」と書かれますが、これは単なる当て字です。中国語の「達」に複数という意味はありません。

日本語が属していた語族を知るの記事で、水を意味していた語が横を意味するようになり、横を意味していた語が手・腕を意味するようになり、手・腕を意味していた語が打つことを意味するようになるパターンを示しました。utu(打つ)の類義語であるtataku(叩く)とɸataku(叩く)の語源もこのパターンではないかと思われます。おおもとにあるのは、水を意味するtataのような語と水を意味するɸata(あるいはpata)のような語です(水のことをmat-、mit-、mut-、met-、mot-のように言っていた言語群と、水のことをpat-、pit-、put-、pet-、pot-のように言っていた言語群は、類縁関係にあります)。「水→横→手・腕→打つ」という意味変化はかなり一般的なようです。

日本語の語彙は、水を意味するtat-のような語が存在したことをよく示しています。水を意味するtat-のような語が陸に上がって、盛り上がった土地、丘、山、高さを意味することもあったのではないでしょうか。高句麗語で山と高いことを意味した「達、達乙」は無関係なのでしょうか。

長くなるので、ここでいったん切ります。

 

参考文献

Beckwith C. I. 2004. Koguryo: The Language of Japan’s Continental Relatives. Brill Academic Publishers.。

「木(き)」の語源、木には様々な木がある(改訂版)

予告した通り、高句麗語で木を意味していた語、山を意味していた語、谷を意味していた語を見てみましょう。一番単純なので、谷を意味していた語から見ることにします。

高句麗語の「谷」

高句麗語の「旦」という語が記録されており、谷を意味する語であると中国語で説明されています(Beckwith 2004)。「旦」と書き表されているケースだけでなく、「頓」および「呑」と書き表されているケースもあります。

高句麗語の「旦、頓、呑」・・・谷を意味する

tan、tun、tonのような発音であったと見られます。Beckwith氏は、高句麗語で谷を意味していた語は*tanではないかと推測しています。この語が日本語のtani(谷)と同源であることは間違いなさそうです。

高句麗語の「木」

高句麗語で木を意味していた語はどうでしょうか。

高句麗語の「斤」という語が記録されており、木を意味する語であると中国語で説明されています。「斤」と書き表されているケースだけでなく、「斤乙」および「肹」と書き表されているケースもあります。

高句麗語の「斤、斤乙、肹」・・・木を意味する

Beckwith氏は、高句麗語で木を意味していた語は*kɨrではないかと推測しています(ɨはiに似ています。iと同じで、唇は横に広がっています。舌全体を口の中の奥の方へやや後退させて、iと発音する感じです)。しかし、高句麗が存在していた頃の古代中国語では、もちろん方言差はいくらかあったはずですが、斤はkjɨnキンのような音、乙はitイトゥのような音、肹はxjɨtヒトゥまたはキトゥのような音でした。Beckwith氏が*kɨrと推測したのは根拠のないことではありませんが、その話は複雑なので次回の記事にまわします。いずれにせよ、日本語のki(木)との関係を考える必要があります。

奈良時代の日本語にはki甲類とki乙類という微妙に異なる二つの音があり、ki(木)の発音はki乙類でした。kodati(木立ち)、kozuwe(梢)、kogarasi(木枯らし)などに組み込まれているのを見ればわかるように、ki(木)はかつて*ko(木)であったと考えられます。日本語がまだ大陸にいた頃、つまり弥生時代より前のことを考えるのであれば、ki(木)という形より*ko(木)という形のほうが重要そうです。

上記の高句麗語の「斤、斤乙、肹」という語も気になりますが、高句麗語の「仇」という語も気になります。高句麗語の「仇」は、松を意味する語であると中国語で説明されています。

高句麗語の「仇」・・・松を意味する

Beckwith氏は、高句麗語の「仇」の発音を*kuと推測しています。松は、北ユーラシアでも、東アジアでも、日本でも、代表的な樹種です。

木を意味する語について論じる時には、気をつけなければならないことがあります。例えば、インド・ヨーロッパ語族の英語tree(木)、ロシア語derevo(木)、ギリシャ語drys(オーク)、ヒッタイト語taru(木)を見てください。これらは同源の語です。ギリシャ語では、木を意味していた語がオークを意味するようになっています(オークは日本のナラやカシに相当します)。一般に木を意味していた語がある種類の木を意味するようになる、あるいはある種類の木を意味していた語が一般に木を意味するようになることがあるのです。

日本語が、水のことをmat-、mit-、mut-、met-、mot-のように言う言語群に属し、同じ言語群に属する他の言語から大量の語彙を取り入れてきたことはお話ししました。水・水域を意味していたmat-のような語が、その横に立ち並ぶ木を意味するようになり、木という意味が、のちに松という意味に限定されたと見られます。

高句麗語の*ku(松)も、同様の事情かもしれません。日本語のmatu(松)と同じように、かつて木一般を意味していた可能性があります。人類の言語全体に言えると思いますが、木一般を意味する語が集まって、木の種類が呼び分けられるようになっていったと考えるのが自然でしょう。

松を意味する「仇」という高句麗語のほかに、楊を意味する「去」という高句麗語も記録されています。

高句麗語の「去」・・・楊を意味する

※古代中国語のyang(楊)イアンとljuw(柳)リウは類義語で、yang(楊)は垂れ下がらないヤナギ(ネコヤナギなど)を意味し、ljuw(柳)は垂れ下がるヤナギ(シダレヤナギなど)を意味します。

Beckwith氏は、高句麗語の「去」の発音を*kɨまたは*küと推測しています(üもiに似ています。iと違って、唇が丸く突き出ています。この状態で、iと発音する感じです)。古代中国語の「去」は日本語ではko/kyo、朝鮮語ではkɔと読まれており、Beckwith氏の推測は正確さに問題があるかもしれません。

高句麗語で松を意味した「仇」という語と、高句麗語で楊を意味した「去」という語は、慎重な扱いを要します。かつて遼河流域で木のことをそのように言っていたことを示唆しているかもしれず、日本語の*ko(木)に通じるかもしれないからです。

ここで視線を日本語と高句麗語からウラル語族に移すと、とても気になる語があります。ウラル語族のフィンランド語には、木一般を意味するpuuという語と、シラカバを意味するkoivuという語があります。シラカバは、日本では見られるところが限られていますが、ロシアや北欧のような寒冷地方では大きな存在感を誇ります。以下のような外見をしています(写真はメディカルハーブ・アロマ事典様のウェブサイトより引用)。

樹皮が白いので、とにかく目立ちます。ロシアや北欧の植物といって筆者が真っ先に思い浮かべるのが、このシラカバです。フィンランド語のpuu(木)は明らかに違いますが、フィンランド語のkoivu(シラカバ)は日本語の*ko(木)に関係がありそうです。ウラル語族の言語では、シラカバのことを以下のように言います。

フィンランド語のkoivu(シラカバ)と同源の語は、フィン・ウゴル系のほうではほとんど置き換えられてしまっていますが、サモエード系のほうではよく残っています。ウラル語族のシラカバと日本語の*ko(木)が通じているようです。

高句麗語で松を意味した「仇」と楊を意味した「去」は日本語の*ko(木)と直接的または間接的な関係が考えられますが(ただし、Beckwith氏は高句麗語で松を意味した語が「仇」と書き表されるだけでなく「仇史」と書き表されることもあったかと考えており、この場合には高句麗語で松を意味した語は日本語の*ko(木)に結びつかなくなるかもしれません)、高句麗語で木を意味した「斤、斤乙、肹」はそのような関係が考えづらいです。高句麗語の「斤、斤乙、肹」の語源は別のところに求めるべきでしょう。

ちなみに、英語はドイツ語とオランダ語に系統的に近いですが、英語のtree(木)はドイツ語のBaum(木)とオランダ語のboom(木)に通じていません。ドイツ語のBaum(木)とオランダ語のboom(木)に通じているのは、英語のbeam(梁、桁)です。立てる木材が柱で、横に渡す木材が梁・桁です。

高句麗語で木を意味した「斤、斤乙、肹」(漢字表記からはki~kit-のような発音が予想されます)は、ひょっとしたら日本語のketa(桁)と間接的な関係が考えられるかもしれません。水を意味するkat-、kit-、kut-、ket-、kot-のような語が背後にあるのではないかというわけです。

※keta(桁)の類義語であるɸari(梁)も、かつて木を意味していたのでしょう。水を意味したpark-、pirk-、purk-、perk-、pork-(par-、pir-、pur-、per-、por-、pak-、pik-、puk-、pek-、pok-)のような語から来ていると考えられます。すでに説明したɸara(腹)、ɸaka(墓)、ɸari(針)などと同源ということです。ɸara(腹)、ɸaka(墓)、ɸari(針)などは、山のような地理的意味を失っていますが、盛り上がったもの、膨らんだもの、出っ張ったもの、突き出たもの、とがったものを意味していた語です。

ɸasira(柱)も、木を意味していたのでしょう。もとの形は*ɸasiで、他の語から区別するためにɸasiraという形にしたのではないかと思われます。奈良時代の日本語のɸasi(端)やɸasi(間)から、水を意味するpasiのような語がその横の部分を意味しようとしていたことが窺えます。

高句麗語の木の話はとても複雑になりましたが、高句麗語の山の話も負けず劣らず複雑です。次は、高句麗語で山を意味していた語を見てみましょう。

 

補説

高句麗人は子どものことをなんと言っていたか?

高句麗語で松を意味した「仇」という語に関連して、補足しておきたいことがあります。実は、高句麗語で松を意味する語だけでなく、高句麗語で子どもを意味する語も「仇」と書き表されていました(中国語で童・童子と説明されています)。Beckwith氏が推測するように高句麗語で松を意味する語が*kuだったのなら、高句麗語で子どもを意味する語も全く同じ*kuかそれに近かったということです。日本語のko(子)を思い起こさせます。

ウラル語族の各言語を見ても子どもを意味する語は完全にばらばらであり、日本語のko(子)もそれほど古い語ではないと考えられます。ベトナム系の言語にベトナム語con(子)コン、クメール語koon(子)、モン語kon(子)、カー語kuun(子)のような語が大変広く見られ、ここが出所と思われます。日本語と高句麗語がかつて中国東海岸地域に存在したベトナム系言語と接していた可能性を窺わせます。

 

参考文献

Beckwith C. I. 2004. Koguryo: The Language of Japan’s Continental Relatives. Brill Academic Publishers.

アルダン川をご存じですか

以下の写真は、シベリアを流れるアルダン川(Aldan River)の写真です(写真はWikipediaより引用)。

シベリアのごく普通の風景です。アルダン川は、中国東北部から北上したところにあります。アルダン川は結構大きな川ですが、もっと大きなレナ川に注いでいるため、世界的にはほとんど知られていません。

このような風景を見ると、水・水域を意味していた語がその横の部分、すなわち草、木、森、山、緑などを意味するようになるのがよくわかるでしょう。そこからさらに、「若い、新しい」という意味が生まれてくるので要注意です。奈良時代の日本人が赤ん坊のことをmidoriko(みどりこ)と呼んでいたことを思い出しましょう。

なぜ「若い、新しい」という意味が生まれてくるのでしょうか。それは、植物が最初は緑で、最後に赤、黄、茶などに変色するからでしょう。こうして、緑が早期(あるいは全盛期)を意味するようになります。

※ちなみに、常緑樹は葉を落とさないと誤解されることがありますが、常緑樹も葉を落とします。常緑樹は、落葉樹のように一気に葉を落とすことはありませんが、少しずつ葉を落としています。落ちた葉はやはり変色しています。

日本語のwakai(若い)はアイヌ語のwakka(水)のような語から来ていましたが、日本語のatarasii(新しい)はどうでしょうか。実は、atarasii(新しい)の前はatarasiで、さらにその前はaratasiでした。aratasi(新たし)、aratanari(新たなり)、aratamu(改む)などと言っていたわけです。

新しいことを意味するarataはどこから来たのでしょうか。先ほどのアルダン川(Aldan River)から窺えるように、遼河周辺で水のことをaltaのように言っていたと見られます。日本語ではaltaという形は認められないので、母音を補ってarVtaという形にするか、一方の子音を落としてaraまたはataという形にしなければなりません。日本語で新しいことを意味していたarata(新た)はここから来たのでしょう。水・水域を意味していた語がその横の植物・緑を意味するようになり、植物・緑を意味していた語が若さ・新しさを意味するようになるパターンです。

おそらく、水・水域に関係があると考えられるarasi(荒し)/aru(荒る)(abaru(暴る)、ikaru(怒る)、midaru(乱る)などが水から来ていたことを思い出してください)やaraɸu(洗ふ)も無関係でないでしょう。

ひょっとしたら、「頭(あたま)」の語源、仇(あだ)の意味に関する考察からの記事で扱った前・向かい・反対を意味するataも無関係でないかもしれません。廃れてしまいましたが、奈良時代の日本語にはatasi(他し、異し)という形容詞もありました。水・水域を意味していた語が岸を意味するようになり、岸を意味していた語が二つあるうちの両方、一方、またはもう一方(他方)を意味するようになるパターンを思わせます(実例については、「南(みなみ)」と「北(きた)」の語源、「みなみ」は存在したが「きた」は存在しなかったを参照)。

※aru(荒る)は自動詞で、他動詞はarasu(荒らす)です。tataku(叩く)とtatakaɸu(戦ふ)に関係があるように、arasu(荒らす)とarasoɸu(争ふ)にも関係があるかもしれません。

冒頭のアルダン川の写真のところで、水・水域を意味していた語がその横の部分、すなわち草、木、森、山、緑などを意味するようになることを改めて述べました。幸いなことに、高句麗語で木を意味していた語と山を意味していた語、そしてさらに谷を意味していた語が記録に残っています。前回の記事では高句麗語で水・川を意味する語について論じましたが、今度は高句麗語で木を意味する語、山を意味する語、谷を意味する語を見てみましょう。

 

補説 アルタイ山脈の語源

古代北ユーラシアで水のことをaltaのように言っていたとなると、気になるのがAltay Mountains(アルタイ山脈)です(地図はWikipediaより引用)。

Altay Mountains(アルタイ山脈)は、かつて鉱物資源が豊富だったところです。トルコ語altın(金(きん))アルトゥン、モンゴル語alt(金)、エヴェンキ語altan(金)などの語と関係があることは間違いありません。しかし、Altay Mountains(アルタイ山脈)のAltayの部分がもともとなにを意味していたのか、よく考えなければなりません。

例えば、英語にmetal(金属)という語があります。古代ギリシャ語のmetallonがラテン語のmetallumになり、ラテン語のmetallumが英語のmetalになりました。古代ギリシャ語のmetallonは、はじめ鉱山を意味し、それから(そこで採れる)金属を意味するようになった語です。

北ユーラシアおよび東アジアへの人類の拡散の中心となったアルタイ山脈地域の歴史を考慮すれば、まず水を意味するaltaのような語があって、その語が山を意味するようになり、さらに金などの金属を意味するようになったと考えるのが自然です。