日本語の起源と歴史に興味を持つすべての方へ

本ブログの記事一覧はこちら

こんにちは。金平譲司と申します。ここに「日本語の意外な歴史」と題するブログを立ち上げました。

このブログは、日本語ならびに日本語と深い関係を持つ言語の歴史を解明するものです。言語学者だけでなく、他の分野の専門家や一般の方々も読者として想定しています。

謎に包まれてきた日本語の起源

日本語はどこから来たのかという問題は、ずいぶん前から様々な学者によって論じられてきましたが、決定的な根拠が見つからず、大いなる謎になってしまった感があります。しかしながら、筆者の研究によってようやくその全貌が明らかになってきたので、皆さんにお話ししようと思い立ちました。

日本語は、朝鮮語、ツングース諸語(エヴェンキ語、満州語など)、モンゴル諸語(モンゴル語、ブリヤート語など)、テュルク諸語(トルコ語、中央アジアの言語など)と近い関係にあるのではないか、あるいはオーストロネシア語族(台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシア、オセアニアなどの言語から成る言語群)と近い関係にあるのではないかというのが従来の大方の予想でしたが、これらの予想はポイントを外しています。

中国語を見て全く違うと感じた日本人が、日本語は北方の言語と関係があるのではないか、南方の言語と関係があるのではないかと考えたのは、至極当然のことで、北方の言語と南方の言語に視線を注ぐこと自体は間違っていません。問題なのは、北方のごく一部の言語と南方のごく一部の言語に関心が偏ってしまったことです。

上記の言語のうちで、朝鮮語、ツングース諸語、モンゴル諸語、テュルク諸語は、日本語によく似た文法構造を持つことから、日本語に近縁な言語ではないかと盛んに注目されてきました。同時に、ツングース諸語、モンゴル諸語、テュルク諸語は、互いに特に近い関係にあるとみなされ、いわゆる「アルタイ語族」という名でひとまとめにされることがしばしばありました。日本語の起源をめぐる議論は、このような潮流に飲まれていきました。

しかしながら、筆者がこれから明らかにしていく歴史の真相は、かなり違います。日本語は、朝鮮語、ツングース諸語、モンゴル諸語、テュルク諸語と無関係ではないが、別の言語群ともっと近い関係を持っているようなのです。

実を言うと、筆者は日本語やその他の言語の歴史に興味を持つ人間ではありませんでした。筆者は若い頃にフィンランドのヘルシンキ大学で一般言語学や様々な欧州言語を学んでいましたが、その頃の筆者の興味は言語と思考の関係や外国語の学習理論などで、もっぱら現代の言語に関心が向いていました。歴史言語学の講義もありましたが、特に気に留めていませんでした。

筆者が言語の歴史について真剣に考えるようになったきっかけは、ロシアの北極地方で少数民族によって話されているサモエード諸語との出会いでした。サモエード諸語は、フィンランド語やハンガリー語と類縁関係にある言語です。フィンランド語とハンガリー語はヨーロッパの中では異色の存在で、北極地方の少数民族の言語と類縁関係を持っています。フィンランド語、ハンガリー語、サモエード諸語などから成る言語群は、「ウラル語族」と呼ばれます。

言語学者が使う「語族」という用語について若干説明しておきます。私たちが万葉集や源氏物語の言葉を見ると、「読みにくいな」と感じたり、「なにを言っているのかわからないな」と感じたりします。言語は時代とともに少しずつ変化しています。言語は単に変化するだけでなく、分化もします。ある程度広い範囲で話されている言語には、地域差が生じてきます。

この地域ごとに少しずつ異なる言葉が方言です。しかし、これらの方言が地理的に隔たってさらに長い年数が経過すると、最初は小さかった方言同士の差が大きくなっていき、やがて意思疎通ができないほどになります。

あまりに違いが大きくなれば、もう方言ではなく、別々の言語と言ったほうがふさわしくなります。一律の学校教育やマスメディアが発達していない時代には、この傾向は顕著です。ある言語が別々の言語に分化するのです。分化してできた言語がさらに分化することもあります。言語学では、おおもとの言語と分化してできた諸言語をまとめて「語族」といいます。世界で最もよく知られている語族は、インド・ヨーロッパ語族と呼ばれる語族で、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語などはこの語族に属します。例えるなら、イヌ、オオカミ、キツネ、タヌキが共通祖先を持っているように、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語は共通祖先を持っているということです。

日本語とウラル語族

英語などが属するインド・ヨーロッパ語族は巨大な言語群ですが、フィンランド語やハンガリー語が属するウラル語族はこじんまりとした言語群です。ウラル語族の言語は、ロシアの北極地方から北欧・東欧にかけて分布しています。地理的に遠く離れているので、ウラル語族の言語は一見したところ東アジアの言語、特に日本語とはなんの関係もないように見えますが、実はここに大きな盲点があります。日本語の歴史を考えるうえで大変重要になるので、ウラル語族の話を続けます。以下にウラル語族の内部構造を簡単に示します。

ウラル語族の言語を研究する学者の間に意見の相違がないわけではありませんが、上の図は従来広く受け入れられてきた見方です。ウラル語族の言語は、まずフィン・ウゴル系とサモエード系に分かれ、フィン・ウゴル系はそこからさらにフィン系とウゴル系に分かれます。フィンランド語はフィン系に属し、ハンガリー語はウゴル系に属します。サモエード系の言語は、ロシアの北極地方に住む少数民族によって話されています。現在残っているサモエード系の言語はネネツ語、エネツ語、ガナサン語、セリクプ語の四つのみで、特に後の三つは消滅の危機にあります。

サモエード系の言語は、フィンランド語やハンガリー語と同じウラル語族の言語ですが、フィンランド語やハンガリー語とは文法面でも語彙面でも著しく異なっています。同じ言語から分かれた言語同士でも、別々の道を歩み始め、何千年も経過すれば、似ても似つかない言語になってしまいます。特に、サモエード系の言語が辿った運命とフィンランド語・ハンガリー語が辿った運命は対照的です。サモエード系の言語は、北極地方にとどまり、他の言語との接触が比較的少なかったために、昔の姿をよく残しています。それに対して、フィンランド語とハンガリー語は、有力な言語がひしめくヨーロッパに入り込み、大きく姿を変えました。サモエード系の言語は、いわば「生きた化石」です。人類の歴史を解明するうえで、大変重要な言語です。サモエード系の言語との出会いは、筆者にとってショッキングな出来事でした。これ以降、筆者は言語の歴史について本格的に研究し始めることになります。

筆者が初めてサモエード系の言語を見た時には、「文法面ではモンゴル語やツングース諸語に似ているな」という第一印象を受けました。しかし、よく調べると、「あれっ、語彙面では日本語に似ているな」という第二印象を受けました。少なくとも言語の根幹をなす基礎語彙に関しては、モンゴル語やツングース諸語より、ウラル語族のサモエード系の言語のほうが日本語に近いと思いました。なんとも不思議な感じがしました。なんで日本の近くで話されているモンゴル語やツングース諸語より、北極地方で話されているウラル語族のサモエード系の言語のほうが日本語に近いんだろうと考え始めました。様々な言語を見てきましたが、サモエード系の言語には今までにない特別なものを感じました。なにか重大な秘密が隠されている予感がしました。

フィンランド語とハンガリー語だけを見ていた時は気づかなかったのですが、サモエード系の言語を介しながらフィンランド語とハンガリー語を見てみると、やはりフィンランド語とハンガリー語にも日本語との共通語彙があります。日本語の中にある、ウラル語族と共通している語彙、そしてウラル語族と共通していない語彙を見分けていくうちに、二つの疑問が頭に浮かんできました。一つ目の疑問は、日本語の祖先とウラル語族の言語の祖先の接点は地理的にどの辺にあったのだろうという疑問です。二つ目の疑問は、日本語の中にある、ウラル語族と共通していない語彙はどこから来たのだろうという疑問です。日本語の中には、ウラル語族と共通している語彙も多いですが、共通していない語彙も多いのです。

東アジアには黄河文明とは違う文明が存在した

ウラル語族の各言語の語彙を研究するうちに、ウラル語族が日本語だけでなく、モンゴル語、ツングース諸語、朝鮮語、さらには中国語にもなんらかの形で関係していることが明らかになってきたので、ウラル語族の言語と東アジア・東南アジアの言語の大々的な比較研究を開始しました。着実かつ合理的に歴史を解明するため、考古学および生物学の最新の研究成果を適宜参照しました。考古学も生物学も近年めざましい発展を遂げており、数々の重要な発見がありました。

かつては、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、そして東アジアの黄河文明が並べられ、世界四大文明と呼ばれていました。ところが、その後の発見によって、東アジアには黄河文明のほかに二つの大きな文明が存在したことがわかってきました(このテーマを包括的に扱った書籍はいくつかありますが、考察の広さ・深さの点でShelach-Lavi 2015が優れています)。

その二つの大きな文明とは、長江文明と遼河文明(りょうがぶんめい)です。日本列島で縄文時代が進行する間に、大陸側はこのようになっていたのです。黄河文明と長江文明に比べて、遼河文明は知名度が高くないかもしれません。しかし、遼河文明は、日本語の歴史を解明するうえで重要な鍵を握っているようなのです。

生物学が発達し、人間のDNA配列が調べられるようになりました。DNA配列は、正確には「DNAの塩基配列」といい、アデニンA、チミンT、グアニンG、シトシンCという四種類の物質が作る列のことです。最近では、生きている人間のDNA配列だけでなく、はるか昔に生きていた人間のDNA配列も調べられるようになってきました。大変興味深いことに、遼河文明が栄えていた頃に遼河流域で暮らしていた人々のDNA配列を調べた研究があります(Cui 2013)。

人間は父親と母親の間に生まれるので、子のDNA配列が父親のDNA配列と100パーセント一致することはなく、子のDNA配列が母親のDNA配列と100パーセント一致することもありません。しかし、父親から息子に代々不変的に受け継がれていく部分(Y染色体DNA)と、母親から娘に代々不変的に受け継がれていく部分(ミトコンドリアDNA)があります。代々不変的に受け継がれていく部分と書きましたが、この部分にも時に突然変異が起きます。つまり、その部分のDNA配列のある箇所が変化するのです。変化していないY染色体DNA配列を持つ男性がそれを息子に伝える一方で、変化したY染色体DNA配列を持つ男性がそれを息子に伝えるということが起き始めます。同様に、変化していないミトコンドリアDNA配列を持つ女性がそれを娘に伝える一方で、変化したミトコンドリアDNA配列を持つ女性がそれを娘に伝えるということが起き始めます。こうして、時々起きる突然変異のために、Y染色体DNAのバリエーション、ミトコンドリアDNAのバリエーションができてきます。人類の歴史を研究する学者は、このY染色体DNAのバリエーション、ミトコンドリアDNAのバリエーションに注目するのです。

先ほど述べた遼河流域の人々のDNA研究は、Y染色体DNAのバリエーション(例えば、C系統か、D系統か、N系統か、O系統か)を調べたものです。その結果はどうだったでしょうか。古代の人々の研究なのでサンプル数は限られていますが、それでも大まかな傾向は十分に捉えられています。遼河文明が栄えていた頃の遼河流域では、当初はN系統が圧倒的に優勢だったが、次第にO系統とC系統が増え(つまり他の地域から人々が流入してきたということ)、N系統はめっきり少なくなってしまったようです。現在の日本、朝鮮半島、中国では、N系統はほんの少し見られる程度です(Shi 2013)。対照的に、ウラル語族の言語が話されているロシアの北極地方からフィンランド方面にかけてN系統が非常に高い率で観察されています(Rootsi 2007)。

見え始めた日本語の正体

筆者もウラル語族の言語が東アジアの言語と深い関係を持っていることを知った時には大いに驚きましたが、考古学・生物学の発見と照らし合わせると、完全に合致します。日本語がウラル語族の言語と深い関係を持っていることは非常に興味深いですが、もう一つ興味深いことがあります。日本語の中には、ウラル語族と共通している語彙も多いですが、共通していない語彙も多く、ウラル語族とは全く異なる有力な言語群も日本語の形成に大きく関与したようなのです。

ウラル語族の言語と東アジア・東南アジアの言語の大々的な比較研究を行い、様々な紆余曲折はありましたが、漢語流入前の日本語(いわゆる大和言葉)の語彙構成が以下のようになっていることがわかってきました。

「ウラル語族との共通語彙」も多いですが、「黄河文明の言語との共通語彙」と「長江文明の言語との共通語彙」も多く、この三者で漢語流入前の日本語の語彙の大部分を占めています。

「その他の語彙1」というのは、日本語が大陸にいた時に取り入れた語彙で、「ウラル語族との共通語彙」にも、「黄河文明の言語との共通語彙」にも、「長江文明の言語との共通語彙」にも該当しないものです。

「その他の語彙2」というのは、日本語が縄文時代に日本列島で話されていた言語から取り入れた語彙です。

漢語流入前の日本語の語彙構成の特徴的なところは、なんといっても、語彙の大きな源泉が三つあることです。三つの有力な言語勢力が交わっていたことを窺わせます(遼河文明と黄河文明と長江文明の位置を思い出してください)。

「日本語の意外な歴史」では、ウラル語族との共通語彙、黄河文明の言語との共通語彙、長江文明の言語との共通語彙、その他の語彙1、その他の語彙2、いずれも詳しく扱っていきます。

では、日本語およびその他の言語の歴史を研究するための準備に取りかかりましょう。

 

外国語の単語の表記について

英語と同じようなアルファベットを使用している言語では、それをそのまま記します。言語学者が諸言語の発音を記述するのに使う国際音声記号(IPA)というのがありますが、音韻論の専門家でない限り、多くが見慣れない記号です。そのため、本ブログではIPAの使用はできるだけ控えます。特に朝鮮語は、IPAを用いて記すと複雑になるため、市販されている初心者向けの韓国語の文法書で採用されている書き方にならいました。一般の読者にとって見慣れない記号を用いる場合には、補助としてのカタカナ表記を付け加えます。慣習を考慮し、ヤ行の子音は基本的に、北方の言語(ウラル語族の言語など)では「j」で表し、南方の言語(中国語、東南アジアの言語)では「y」で表します。古代中国語のアルファベット表記の仕方は、Baxter 2014に従います。

 

参考文献

Baxter W. H. et al. 2014. Old Chinese: A New Reconstruction. Oxford University Press.

Cui Y. et al. 2013. Y chromosome analysis of prehistoric human populations in the West Liao River Valley, Northeast China. BMC Evolutionary Biology 13: 216.

Rootsi S. et al. 2007. A counter-clockwise northern route of the Y-chromosome haplogroup N from Southeast Asia towards Europe. European Journal of Human Genetics 15: 204-211.

Shelach-Lavi G. 2015. The Archaeology of Early China: From Prehistory to the Han Dynasty. Cambridge University Press.

Shi H. et al. 2013. Genetic evidence of an East Asian origin and paleolithic northward migration of Y-chromosome haplogroup N. PLoS One 8(6): e66102.


►言語の歴史を研究するための準備へ

デニソワ人の発見によって複雑になった人類学、一致しないDNAのデータは何を物語るのか?

デニソワ人がロシアのアルタイ地方のデニソワ洞窟で発見されたのは、2008年のことです。ちょうど古代人の骨や歯からDNAを調べる技術が確立し始めたところで、デニソワ人の発見は実にタイムリーな出来事でした。それ以来、デニソワ人の注目度はぐんぐん上がっています。

前回の記事で述べたように、まずデニソワ人のミトコンドリアDNAが調べられ、デニソワ人が現生人類とネアンデルタール人に近い種であることが明らかになりました(Krause 2010)。ミトコンドリアDNAを調べた段階では、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人は以下のような関係にあると見られました。

図1

図1は、現生人類とネアンデルタール人が互いに近い関係にあり、デニソワ人が両者から離れた関係にあることを示しています。これはあくまで、ミトコンドリアDNAに基づく構図です。DNAと減数分裂の仕組み、ミトコンドリアDNAとY染色体DNAからは窺い知れない歴史の記事で説明したように、私たちのDNAのほとんどは、ミトコンドリアではなく、核にあります。ミトコンドリアDNAだけでなく、肝心の核DNA(=常染色体(第1染色体~第22染色体)DNA+X染色体DNA+Y染色体DNA)を調べなければなりません。上記のKrause氏らの研究グループは、今度はデニソワ人の核DNAを調べました(Reich 2010)。すると、ミトコンドリアDNAの時とは違う結果になりました。

図2

図2は、ネアンデルタール人とデニソワ人が互いに近い関係にあり、現生人類が両者から離れた関係にあることを示しています。要するに、ミトコンドリアDNAを調べると、現生人類とネアンデルタール人が近いという結果が出て、核DNAを調べると、ネアンデルタール人とデニソワ人が近いという結果が出たわけです。

私たちのDNAのほとんどは核DNAであり、核DNAのデータのほうが歴史の大まかな展開をよく表していると考えられます。実際の歴史は図2に近そうです。しかし、ミトコンドリアDNAを調べた時の図1の結果も無視できません。実際の歴史は図2に近いが、図2とは少し異なるのかなと考えたくなります。実は、核DNAのデータとミトコンドリアDNAのデータが食い違うケースはほかにもあるのです。以下の図を見てください。

図3

Sima de los Huesosと書き入れました。Sima de los Huesosというのは、スペインのアタプエルカにあるシマ・デ・ロス・ウエソス遺跡のことです。Sima de los Huesos遺跡は大量の人骨が出ている重要遺跡で、それらの人骨は43万年前頃のものと推定されています(Arsuaga 2014)。Sima de los Huesos遺跡の人骨はネアンデルタール人の人骨と共通点が認められることから、Sima de los Huesos遺跡の人々は初期のネアンデルタール人ではないか、あるいは初期のネアンデルタール人と近縁な集団ではないかという見解が出ていました(Arsuaga 2014)。そのような見解を裏づけるように、Sima de los Huesos遺跡の人々の核DNAは、現生人類とデニソワ人よりネアンデルタール人に近いことが明らかになりました(Meyer 2016)。しかし、不思議なことに、Sima de los Huesos遺跡の人々のミトコンドリアDNAを調べると、ネアンデルタール人よりデニソワ人に近いという結果が出るのです(Meyer 2013、Meyer 2016、Posth 2017)。核DNAを調べると、Sima de los Huesos遺跡の人々はネアンデルタール人に近いが、ミトコンドリアDNAを調べると、Sima de los Huesos遺跡の人々はデニソワ人に近いというわけです。

なぜ核DNAのデータとミトコンドリアDNAのデータが食い違うのでしょうか。このような食い違いがあることがわかったのは最近なので、まだ定説はありません。おそらく、実際の歴史が図2のように単純だったら、核DNAを調べても、ミトコンドリアDNAを調べても、図2のような構図が浮かび上がってきたでしょう。そうならないのは、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人が図2のような枝分かれを起こしたが、枝分かれ後もある程度交わっていたためかもしれません。Posth氏らは、現生人類あるいは現生人類に極めて近い種のミトコンドリアDNAがネアンデルタール人に入って広まった可能性を検討していますが、確かにこれは検討しなければならない問題です。仮にPosth氏らの考える通りであれば、「ミトコンドリアDNAを調べると、現生人類とネアンデルタール人が近く、核DNAを調べると、ネアンデルタール人とデニソワ人が近い」という一見奇妙な状況にも説明がつきます。

※最初に発見されたデニソワ人は女性であり、Y染色体DNAに焦点が当たりませんでしたが、最近になって現生人類、ネアンデルタール人、デニソワ人のY染色体DNAに焦点を当てた研究が発表されました(Petr 2020)。Y染色体DNAを調べても、ミトコンドリアDNAを調べた時と同じように、現生人類とネアンデルタール人が近いという結果が出ています。混迷が深まりそうです。

少し前までは、現生人類の始まりを15~20万年前頃と考えるのが普通でした。東アフリカ(エチオピア)で現生人類のものと判断され、その頃のものと推定される人骨が知られていました(White 2003、McDougall 2005)。

しかし、北アフリカ(モロッコ)で発見された現生人類によく似た何人かの人骨が30万年前頃のものと推定され、流れが変わってきました(Hublin 2017、Richter 2017、日本語のニュース記事はこちら)。

先ほどの図3を見てください。「現生人類」と「ネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先」に枝分かれした箇所があります。Sima de los Huesos遺跡の人々が生きていたのが43万年前頃ですから、「現生人類」と「ネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先」に枝分かれした箇所はもっと前です。現生人類、ネアンデルタール人、デニソワ人、そしてSima de los Huesos遺跡の人々の核DNAを分析したMeyer氏らは、「現生人類」と「ネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先」に枝分かれしたのは55~76.5万年前頃と見積もっています(Meyer 2016)。

現生人類がネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先と枝分かれしたのが55~76.5万年前頃、そして人骨によって確認できる現生人類の始まりが15~20万年前頃ということで、ものすごいギャップがありました。このギャップをいくらか埋めそうなのが、前述の北アフリカ(モロッコ)で発見された30万年前頃の人骨です。この発見によって、現生人類が15~20万年前よりもっと前からアフリカ全体に広がっていた可能性、いやそれどころか、アフリカから出ていた可能性すら出てきました。

6万年前頃にアフリカから出た現生人類が爆発的に拡散して現在に至っています。しかし、イスラエルのSkhul(スクール)やQafzeh(カフゼー)の人骨のように、現生人類がもっと前にアフリカから出ていたことがわずかながら知られています(Shea 2008)。ギリシャ南部のApidima Cave(アピディマ洞窟)で見つかった人骨も加えられそうな気配です(Harvati 2019)。6万年前より前にアフリカから出た現生人類はどうなったのか、少し生き残ったのか、完全に死に絶えたのかという問題は、人類学における争点の一つになっています。

系統的にデニソワ人に近いと考えられるネアンデルタール人が、現生人類に近いミトコンドリアDNAとY染色体DNAを示しているのは、注目に値します。6万年前より前にアフリカから出た現生人類は、他の種を消し去ってしまうような圧倒的な存在ではなく、他の種と混ざり合っていたのかもしれません。

次回の記事で詳しくお話ししますが、現生人類のDNAには、ネアンデルタール人から受け継いだ部分だけでなく、デニソワ人から受け継いだ部分もあります。6万年前頃にアフリカから出た現生人類は、ネアンデルタール人とデニソワ人をいくらか取り込みながら、爆発的に拡散していったのです。ここで気になるのが言語の問題です。

6万年前頃にアフリカから出た現生人類の言語が、現代の言語に近い複雑なものだったのか、それとも現代の言語よりはるかに単純なものだったのかということについては、大いに考察の余地があります。しかし、現生人類はネアンデルタール人とデニソワ人と交わっていたわけですから、ネアンデルタール人とデニソワ人が全く言葉を話さなかったとは考えづらいです。現生人類には自分の言葉があり、ネアンデルタール人とデニソワ人には彼らの言葉があった可能性が高いです。現生人類が言葉を持ち、ネアンデルタール人が言葉を持ち、デニソワ人が言葉を持っていたとすると、これらの三者の共通祖先が言葉を持っていた可能性も少なくありません。ちなみに、人類の脳の進化を振り返ると、アウストラロピテクスの頃には脳容量がチンパンジーと同じくらいだったのに、ホモ・ハビリスの頃から脳容量が急増しています(ホモ・ハビリスはラテン語で「能力のある人」(上手な人、巧みな人、器用な人)という意味です)(図はBretas 2020より引用)。

言語の問題は、言うまでもなく、思考と密接な関係にあります。思考が従来と比べて全然発達していないのに、言語がどんどん発達していくというのは、考えづらいです。逆に、思考がどんどん発達しているのに、その伝達手段である言語が全然発達しないというのも、考えづらいです。ホモ・ハビリスの頃から始まる脳容量の急増と言語の形成の間に深い関係があるのは間違いないでしょう。

仮に、現生人類より早くにユーラシアにいたネアンデルタール人とデニソワ人が、さらに早くにユーラシアにいたホモ・エレクトス(北京原人やジャワ原人など)と交わっていたことがわかったら、ホモ・エレクトスが言葉を持っていた可能性も高まります。実際、ネアンデルタール人とデニソワ人がさらに古いタイプの人類と交わっていたかもしれないことを示唆する研究も出てきています(Rogers 2020)。言語が生まれ始めたのは、とても古い時代なのかもしれません。

 

参考文献

Arsuaga J. L. et al. 2014. Neandertal roots: Cranial and chronological evidence from Sima de los Huesos. Science 344(6190): 1358-1363.

Bretas R. V. et al. 2020. Phase transitions of brain evolution that produced human language and beyond. Neuroscience Research 161: 1-7.

Harvati K. et al. 2019. Apidima Cave fossils provide earliest evidence of Homo sapiens in Eurasia. Nature 571(7766): 500-504.

Hublin J. J. et al. 2017. New fossils from Jebel Irhoud, Morocco and the pan-African origin of Homo sapiens. Nature 546(7657): 289-292.

Krause J. et al. 2010. The complete mitochondrial DNA genome of an unknown hominin from southern Siberia. Nature 464(7290): 894-897.

McDougall I. et al. 2005. Stratigraphic placement and age of modern humans from Kibish, Ethiopia. Nature 433(7027): 733-736.

Meyer M. et al. 2013. A mitochondrial genome sequence of a hominin from Sima de los Huesos. Nature 505(7483): 403-406.

Meyer M. et al. 2016. Nuclear DNA sequences from the Middle Pleistocene Sima de los Huesos hominins. Nature 531(7595): 504-507.

Petr M. et al. 2020. The evolutionary history of Neanderthal and Denisovan Y chromosomes. Science 369(6511): 1653-1656.

Posth C. et al. 2017. Deeply divergent archaic mitochondrial genome provides lower time boundary for African gene flow into Neanderthals. Nature Communications 8(1): 16046.

Reich D. et al. 2010. Genetic history of an archaic hominin group from Denisova Cave in Siberia. Nature 468(7327): 1053-1060.

Richter D. et al. 2017. The age of the hominin fossils from Jebel Irhoud, Morocco, and the origins of the Middle Stone Age. Nature 546(7657): 293-296.

Rogers A. R. et al. 2020. Neanderthal-Denisovan ancestors interbred with a distantly related hominin. Science Advances 6(8): eaay5483.

Shea J. J. 2008. Transitions or turnovers? Climatically-forced extinctions of Homo sapiens and Neanderthals in the East Mediterranean Levant. Quaternary Science Reviews 27(23-24): 2253-2270.

White T. D. et al. 2003. Pleistocene Homo sapiens from Middle Awash, Ethiopia. Nature 423(6941): 742-747.

現生人類と交わった古人類、ネアンデルタール人とデニソワ人

ミトコンドリアDNAとY染色体DNAだけでなく、DNA全体が調べられるようになり、興味深い事実が明らかになってきました。その中でまず注目すべきなのは、現生人類が古人類(現生人類に近い種)と交わっていたという事実です。現生人類と古人類の問題は、例えば日本語の起源や日本語の系統には直接関係ありませんが、現生人類の思考と言語(今の私たちの思考と言語のようなもの)がいつ頃形成されたのかを考えるうえで、無視することができません。

現生人類が6万年前頃にアフリカを出て、ユーラシアに広がっていったことは本ブログでお話ししていますが、現生人類に近い種は、それよりはるかに前からユーラシアに広がっていました。皆さんも「北京原人」や「ジャワ原人」のような名前を聞いたことがあるでしょう。「北京原人」は80万年前頃から今の中国北部に、「ジャワ原人」は160万年前頃から今のインドネシアにいたことがわかっています(Ciochon 2009)。ちなみに、「北京原人」と「ジャワ原人」と呼ばれていましたが、両者に特に大きな違いはなく、今ではホモ・エレクトスという一つの種にまとめられています。ホモ・サピエンスはラテン語で「賢い人」、ホモ・エレクトスはラテン語で「直立した人」という意味です。

実は、現生人類に近い種の発見は今も続いており、インドネシアのフローレス島で新しい種が発見されたり(Brown 2004)、フィリピンのルソン島で新しい種が発見されたりしています(Détroit 2019)。どうやら、現生人類が進出する前のユーラシアには、現生人類に近い様々な種が存在したようです。しかし、現生人類がユーラシアに進出するにつれて、現生人類以外の種はユーラシアから姿を消していきました。なにがあったのだろうと考えたくなるところです。

古人類の中で脳容量と骨格が現生人類に近く、現生人類との関係が注目されてきたのが、ネアンデルタール人です。この名前は、ドイツのネアンデル谷(ドイツ語で谷はTal)から来ています。現生人類とネアンデルタール人の間に交雑(異種間で子を作ること)があったかどうかということについては、論争が繰り広げられていましたが、現生人類のDNA全体とネアンデルタール人のDNA全体が調べられるようになった現在では、はっきり答えが出ています。答えはイエスです。しかし、ミトコンドリアDNAとY染色体DNAを調べてもわからず、DNA全体を調べて明らかになりました。

現生人類の多くの人々のミトコンドリアDNAとY染色体DNAが調べられてきましたが、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNAまたはY染色体DNAの系統が見つかったという報告はありません。やはり、ミトコンドリアDNAは、女→女→女→女→女という形でしか伝わらないので、なかなか子孫に残らないのです。どこまでも女でなければならないわけですから、大変厳しいです。同様に、Y染色体DNAも、男→男→男→男→男という形でしか伝わらないので、なかなか子孫に残らないのです。どこまでも男でなければならないわけですから、大変厳しいです。

そこで、前回の記事でお話しした第1染色体~第22染色体とX染色体の出番です。現生人類の男性とネアンデルタール人の女性の間で子が作られたとしましょう(現生人類がネアンデルタール人に対して優位であったことを考えると、現生人類の男性と現生人類の女性の間で子が作られ、さらに、現生人類の男性とネアンデルタール人の女性の間で子が作られる傾向があったと推測されます)。その子は、以下の染色体を持つことになります。

女の子なら・・・

男の子なら・・・

ネアンデルタール人の母からもらった第1染色体~第22染色体およびX染色体にあるDNA配列は、前回の記事で説明したように、時に切断されながら、一部が子孫に残されていきます。

ネアンデルタール人の母からもらった第1染色体はとてつもなく長いので、そこにある特定の短いDNA配列は、切断を免れて、そのまま子孫に残る可能性があります(「そのまま」と書きましたが、長い時間が経過すれば変異も起きるので、「ほぼそのまま」が正確です)。

第2染色体にある特定の短いDNA配列、・・・、第22染色体にある特定の短いDNA配列、X染色体にある特定の短いDNA配列も、切断を免れて、そのまま子孫に残る可能性があります。

そのようなわけで、ネアンデルタール人の母からもらったいずれかの染色体にあった特定の短いDNA配列が、切断を免れて、そのまま遠い遠い子孫に残る可能性は十分にあります。

実際に、近年のバイオテクノロジーの目覚ましい進歩によって、ネアンデルタール人のDNAを調べ、現生人類のDNAと比較することができるようになりました。そしてまもなく、現生人類の常染色体(第1染色体~第22染色体)とX染色体に、ネアンデルタール人から来たと考えられる部分が見つかり始めました(Green 2010、Yotova 2011、Vernot 2014)。

ネアンデルタール人が現生人類と交わったことを証明するのだから、ネアンデルタール人のDNA配列と現生人類のDNA配列に共通部分を見つけるのかなと、皆さんは予想するのではないでしょうか。確かに、その通りです。しかし、注意しなければならないことがあります。以下のような構図を考えてください。

単にネアンデルタール人のDNA配列と現生人類のDNA配列に共通部分を見つけただけでは、「その共通部分は共通祖先から来たのだろう」と言われた時に、反論するのが困難です。ネアンデルタール人が現生人類と交わったことを証明するためには、どうすればよいでしょうか。

当初から主張されていましたが、決め手になったのは、「アフリカの現生人類」のDNA配列と「アフリカの外の現生人類」のDNA配列に明確な差があるということでした(Green 2010、Yotova 2011)。具体的に言うと、「アフリカの外の現生人類」のDNA配列が、ところどころで、「アフリカの現生人類」のDNA配列ではなく、ネアンデルタール人のDNA配列と共通性を示していたのです。そこから、以下のような構図が浮かび上がってきます。

図中の赤い矢印は、ネアンデルタール人が「アフリカの外の現生人類」と交わっているところです。ネアンデルタール人由来の部分は「アフリカの外の現生人類」に広く見られるため、現生人類はアフリカを出てすぐに、つまり方々に散らばっていく前に、ネアンデルタール人と交わったと考えられています(Green 2010、Yotova 2011)。

現代の「アフリカの外の現生人類」のDNAに占めるネアンデルタール人由来の部分の割合は大きくなく、数パーセント以下です(ユーラシアからアフリカに戻った人々もいたため、アフリカでも完全にゼロではありません)(Prüfer 2014、Sankararaman 2014)。ちなみに、ヨーロッパでネアンデルタール人の遺骨・遺跡がいくつも見つかっているので、ネアンデルタール人というとヨーロッパのイメージがありますが、ヨーロッパの人々より東アジアの人々でネアンデルタール人由来の部分の割合が若干大きいこともわかってきました(Vernot 2015)。「アフリカから出る→すぐにネアンデルタール人と交わる→方々に散らばる」だけでは十分に説明しきれていないことを示唆しており、東アジア方面でネアンデルタール人の要素が追加された可能性や、ヨーロッパ方面でネアンデルタール人の要素が薄められた可能性が検討されています(Vernot 2015)。

このように、現生人類がネアンデルタール人と交わっていたことを示す証拠が出され始めましたが、ちょうどその頃、別のところで大きな事件が起きていました。

2008年に、ロシアのアルタイ地方のデニソワ洞窟で謎の人骨が発見されました。まずミトコンドリアDNAが調べられ、骨の主は現生人類とネアンデルタール人と共通祖先を持つ未知の種であることが明らかになりました(Krause 2010)。

 

参考文献

Brown P. et al. 2004. A new small-bodied hominin from the Late Pleistocene of Flores, Indonesia. Nature 431(7012): 1055-1061.

Ciochon R. L. et al. 2009. Asian Homo erectus converges in time. Nature 458(7235): 153-154.

Détroit F. et al. 2019. A new species of Homo from the Late Pleistocene of the Philippines. Nature 568(7751): 181-186.

Green R. E. et al. 2010. A draft sequence of the Neanderthal genome. Science 328(5979): 710-722.

Krause J. et al. 2010. The complete mitochondrial DNA genome of an unknown hominin from southern Siberia. Nature 464(7290): 894-897.

Prüfer K. et al. 2014. The complete genome sequence of a Neanderthal from the Altai Mountains. Nature 505(7481): 43-49.

Sankararaman S. et al. 2014. The genomic landscape of Neanderthal ancestry in present-day humans. Nature 507(7492): 354-357.

Vernot B. et al. 2014. Resurrecting surviving Neandertal lineages from modern human genomes. Science 343(6174): 1017-1021.

Vernot B. et al. 2015. Complex history of admixture between modern humans and Neandertals. American Journal of Human Genetics 96(3): 448-453.

Yotova V. et al. 2011. An X-linked haplotype of Neandertal origin is present among all non-African populations. Molecular Biology and Evolution 28(7): 1957-1962.

DNAと減数分裂の仕組み、ミトコンドリアDNAとY染色体DNAからは窺い知れない歴史

以前に古代北ユーラシアの人々のDNAの話をしましたが(一貫性を示す古代北ユーラシアの人々のDNAを参照)、ミトコンドリアDNAとY染色体DNAだけでなく、DNA全体の研究も進んでおり、新たな発見が続々と発表されています。いくつかの貴重な研究を紹介しますが、まずその前にDNAに関する基本事項を確認しておきましょう。

ミトコンドリアDNAとY染色体DNAはDNA全体のごく一部にすぎない

アデニンA、チミンT、グアニンG、シトシンCという四種類の物質が長い長い列を作っています。このA、T、G、Cが作る暗号のような列が、私たちが持っている遺伝情報です。A、T、G、Cが作る暗号のような列は、どこにあるのでしょうか。皆さんも生物学の授業などで以下のような図を見たことがあるかと思います(図はパンタグラフ様のウェブサイトより引用)。

ちょっとごちゃごちゃしていますが、A、T、G、Cが作る暗号のような列(すなわちDNA配列)は、動物の場合には、核とミトコンドリアにあります。植物の場合には、核とミトコンドリアと葉緑体にあります(葉緑体は植物にしかありません)。以下では、人間の場合に限って話を進めます。

※DNA配列全体、あるいは核にあるDNA配列全体、ミトコンドリアにあるDNA配列全体、葉緑体にあるDNA配列全体を指したい時に、「ゲノム」という言葉を使います。ゲノムというのは、DNA配列全体という意味です。

人間の場合には、核とミトコンドリアにDNA配列がありますが、核にあるDNA配列とミトコンドリアにあるDNA配列は、長さが全然違います。核にあるDNA配列は、A、T、G、Cが3000000000文字(30億文字)並んでいるような感じです。ミトコンドリアにあるDNA配列は、A、T、G、Cが16000文字並んでいるような感じです。桁違いです。遺伝情報のほとんどは核にあると考えて間違いありません。

核の中にあるDNA配列は、完全に一続きになって存在しているわけではなく、いくつかに分かれて存在しています。人間の場合には、染色体と呼ばれる棒状の構造物が46本あり、それぞれにDNA配列の一部が存在するという具合です。46本の染色体は普段は絡まり合っており、細胞分裂が始まる時にはっきり分かれて見えます。人間の女性と男性は、以下の46本の染色体を持っています(図はDHC様のウェブサイトより引用)。

女性が持っているのは、

男性が持っているのは、

第1染色体~第22染色体のところに関しては、女性と男性で事情は同じです。残りの二本の染色体が「父からもらったX染色体と母からもらったX染色体」であれば、その人は女性になり、残りの二本の染色体が「父からもらったY染色体と母からもらったX染色体」であれば、その人は男性になるという仕組みです。XとXなら女の子になり、YとXなら男の子になるということです。

※第1染色体~第22染色体は、女性と男性に共通しているので、「常染色体」と呼ばれます。X染色体とY染色体は、性の決定に関わっているので、「性染色体」と呼ばれます。

すでに述べたように、遺伝情報のほとんどは核にあります。ミトコンドリアDNAは、核DNAに比べれば、微々たる存在です。Y染色体DNAは、核DNAの一部ですが、核DNAに占める割合は、上の図からもわかるように、小さいです。ミトコンドリアDNAとY染色体DNAを調べても、人間のDNA全体のごく一部を調べているにすぎないのです。

ミトコンドリアDNAが盛んに調べられてきたのは、ミトコンドリアDNAが母から娘へ(突然変異を除いて)代々不変的に伝わるからです。Y染色体DNAが盛んに調べられてきたのは、Y染色体DNAが父から息子へ(突然変異を除いて)代々不変的に伝わるからです。このような単純な特徴があるために、ミトコンドリアDNAとY染色体DNAは分析・解釈が比較的容易なのです。しかし、ミトンコンドリアDNAとY染色体DNAは例外的であり、DNAのほとんどはそのような単純な仕方で子孫に伝わりません。

精細胞と卵細胞ができる減数分裂

人間の体で起きる細胞分裂には、体細胞分裂と減数分裂があります。このうちの減数分裂は特殊な分裂であり、しっかり理解しておく必要があります。

「減数分裂」という言い方は変じゃないかと思われる方がいるかもしれません。細胞が分裂したら細胞の数は増えるに決まっているからです。「減数分裂」の「減数」は、細胞の数が減るという意味ではなく、細胞の中に入っている染色体の数が減るという意味です。46本の染色体を持つ細胞から、23本の染色体しか持たない細胞ができるのです。この23本の染色体しか持たない特殊な細胞が、精細胞と卵細胞です。

精細胞のほうがわかりやすいので、精細胞のほうから説明します。46本の染色体を持つ精母細胞から、23本の染色体しか持たない精細胞ができます。もととなる精母細胞には46本の染色体が含まれていますが、いっぺんに46本に注目すると頭が混乱してしまうので、46本のうちの2本、ここでは父からもらった第1染色体と母からもらった第1染色体に注目しましょう。

(1)もととなる精母細胞には、父からもらった第1染色体と母からもらった第1染色体が入っています(本当は46本の染色体が入っていますが、今は2本だけを見ています)。

(2)父からもらった第1染色体は一本の棒状構造物でしたが、これが二本の棒状構造物になります。父からもらった第1染色体にあったDNA配列は複製されます。同様に、母からもらった第1染色体は一本の棒状構造物でしたが、これが二本の棒状構造物になります。母からもらった第1染色体にあったDNA配列は複製されます。

(3)左の二本の棒状構造物と右の二本の棒状構造物の間で、以下のようなDNA配列の部分的交換が行われます(ここに示したのは一つのパターンです)。

(4)左の二本の棒状構造物を含む細胞と、右の二本の棒状構造物を含む細胞に分裂します。

(5)これらの二個の細胞が、さらに分裂します。

こうしてできた四個の細胞が、精細胞です。もととなった精母細胞には第1染色体が二本含まれていましたが、できた精細胞には第1染色体が一本しか含まれていません。

一応言葉で説明しましたが、(1)~(5)の図だけをさっと見たほうがわかりやすいかもしれません。DNA配列の複製、DNA配列の部分的交換、一回目の分裂、二回目の分裂という展開です。

ここでは第1染色体に注目しましたが、第1染色体に起きたのと同じことが第2染色体~第22染色体にも起きます。精細胞には、第1染色体が一本だけ、第2染色体が一本だけ、・・・、第22染色体が一本だけ含まれることになります。

もととなる精母細胞には一本のY染色体と一本のX染色体が含まれていますが、これらの間にはDNA配列の部分的交換はほとんど起きません。Y染色体がその端のわずかな領域を除いてDNA配列の部分的交換を行う能力を持っていないからです。したがって、精母細胞に含まれていたY染色体のDNA配列、または精母細胞に含まれていたX染色体のDNA配列がほとんどそのまま精細胞に含まれることになります。Y染色体とX染色体のペアは、大体(1)~(5)の図のようになるが、途中でDNA配列の部分的交換がほとんど起きないと理解しましょう。

第1染色体が一本、第2染色体が一本、・・・、第22染色体が一本、そしてY染色体またはX染色体が一本、計23本の染色体が精細胞に含まれることになります。

減数分裂は複雑すぎると感じる方は、(1)の図を見てこれが精母細胞、(5)の図を見てこれが精細胞、という理解でも十分です。(1)の段階では存在しなかった染色体が、(5)の段階では存在しているのがわかるでしょう。(5)の図の真ん中の二本がそうです。(5)の図の一番左の染色体が子に与えられるかもしれません。二番目の染色体が子に与えられるかもしれません。三番目の染色体が子に与えられるかもしれません。四番目の染色体が子に与えられるかもしれません。確率の問題です。

ポイントは、精細胞が作られる過程で、今まで存在しなかったDNA配列を持つ染色体が生じるということです。

精細胞が減数分裂を通じて作られるように、卵細胞も減数分裂を通じて作られます。ただし、一つの精母細胞から四つの精細胞ができますが、一つの卵母細胞から四つの卵細胞はできません。一つの細胞だけが卵細胞になり、残りの細胞は退化してしまいます。精細胞の場合と同様に、卵細胞には、第1染色体が一本だけ、第2染色体が一本だけ、・・・、第22染色体が一本だけ含まれることになります。

もととなる卵母細胞には二本のX染色体が含まれていますが、これらの間にはDNA配列の部分的交換が起きます。つまり、二本のX染色体には、二本の第1染色体、二本の第2染色体、・・・、二本の第22染色体と同じことが起きます。X染色体とX染色体のペアは、(1)~(5)の図のようになると理解しましょう。

第1染色体が一本、第2染色体が一本、・・・、第22染色体が一本、そしてX染色体が一本、計23本の染色体が卵細胞に含まれることになります。

ここでもポイントは、卵細胞が作られる過程で、今まで存在しなかったDNA配列を持つ染色体が生じるということです。

※減数分裂は、一見面倒くさいことをしているように見えるかもしれません。しかし、(5)の図で、旧来のDNA配列(外側の二つ)と新しいDNA配列(内側の二つ)が存在していることに注目してください。旧来のDNA配列を残しつつ、新しいDNA配列を生み出しているところに、巧妙さが感じられます。逆に、(1)の図で、旧来のDNA配列を残しつつ、新しいDNA配列を生み出すにはどうしたらよいか考えてみてください。そう考えると、(1)~(5)の手順が、非常に合理的で無駄がなく、最小手順に思えてきます。

確かにDNA配列の部分的交換は起きるが・・・

上に説明したように、第1染色体~第22染色体にあるDNA配列およびX染色体にあるDNA配列は、そのまま不変的に子孫に伝わっていくものではありません。上の説明の(3)の段階で起きるDNA配列の部分的交換が重要です。(3)の図では、DNA配列の交換が一箇所で起きていますが、DNA配列の交換が複数の箇所で起きることもあります。しかしそれでも、せいぜい数箇所です。

核に含まれている各染色体は長いです。最も短い染色体でA、T、G、Cが5000万文字、最も長い染色体でA、T、G、Cが2億5000万文字並んでいるような感じです。このような染色体に存在する特定のとても短いDNA配列を考えてみましょう。

この染色体は、そのまま不変的に子孫に伝わっていくものではありません。(3)の図のような切断・再結合が行われ、そのような切断・再結合を経た染色体が子孫に伝わっていくこともあります。(5)の図を見ればわかるように、今まであったDNA配列を持つ染色体が子に与えられることもあれば、今までなかったDNA配列を持つ染色体が子に与えられることもあります。

察しがつくと思いますが、上の図の染色体の長さに対して特定のDNA配列の長さがとても短ければ(実際には、染色体自体がとてつもなく長いので、ある程度長くても大丈夫です)、その特定のDNA配列はなかなか切断されず、世代から世代へしぶとく残っていきます。染色体は(3)の図のように切断されることはありますが、千切りにされるわけではないからです。

ミトコンドリアDNAとY染色体DNAは重要ですが、第1染色体~第22染色体とX染色体も捨てたものではないのです。ミトコンドリアDNAは、女→女→女→女→女という形でしか伝わらないという強い制限があります。Y染色体DNAは、男→男→男→男→男という形でしか伝わらないという強い制限があります。ミトコンドリアDNAとY染色体DNAだけを調べて、人類の歴史全体を窺おうとするのは無理があります。

実際、ミトコンドリアDNAとY染色体DNAを調べてもわからなかったが、DNA全体を調べてわかってきたこともたくさんあります。非常に重要な研究が蓄積してきたので、いくつか紹介することにしましょう。