日本語の意外な歴史

これまで知られてこなかった日本語の起源、日本語の歴史について語っていきます。私たちが使っている言葉には、驚くべき人類の軌跡が隠されています。

インド・ヨーロッパ語族のゲルマン系言語に見られる英語high(高い)、ドイツ語hoch(高い)ホーフ、ゴート語hauhs(高い)などがかつて*kauk-のような形をしていたと考えられることは話しました。そしてさらに、この*kauk-がウラル語族のフィンランド語のkaukana(遠くに、遠くで)と関係がありそうなことも話しました(フィンランド語は昔の発音を非常によく保存しています)。

長い、高い、遠い、深いの間にはつながりがあると述べましたが、そのようなつながりは日本語の内部にも見つけることができます。日本語には、中国語から入ったeien(永遠)という語があります。格調高い感じのする語ですが、「永遠」を冷静に見ると、「永」と「遠」がくっついているだけです。大体同じような発想で、昔の日本語のtoɸa(永遠)もtoɸo(遠)と同類と見られます。今ではそれぞれtowaとtooになっています。前者は(限りなく続く時間的な)長さ、後者は遠さを表していると考えられます。

toɸa(永遠)の類義語として、toko(常)という語もありました。tokonatu(常夏)のtoko(常)です。toko(常)とtoɸa(永遠)がくっついたと見られるtokotoɸa/tokotobaという語もありました。(限りなく続く時間的な)長さを表すtoɸa(永遠)はtoɸo(遠)と同類で、(限りなく続く時間的な)長さを表すtoko(常)はtaka(高)と同類と見られます。昔の日本語には、このような母音交替による語形成が数多く見られます。

※ちなみに、古代中国語のdzyang(常)ヂアンは、長さを意味することがあった「尙」と「巾」から「常」が作られたように、長い布が語源です。そこから「長く続く、ずっと続く」、さらに「いつもの、普段の、普通の」という意味が生じました。

すでに挙げたインド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語parkuš(高い)とトカラ語pärkare(長い)のような対応は、ごくありふれたものです。インド・ヨーロッパ語族ではpark-のような形が可能ですが、子音の連続を許さない日本語ではparkuとできないのでparuになり、ここから広く知られているp→ɸ→hという変遷を経てharuka(はるか)やharubaru(はるばる)が生まれた可能性があります。haruka(はるか)のkaは、sizuka(静か)やsadaka(定か)などのkaと同じものでしょう。

とはいえ、さすがに日本語のharuka(はるか)とharubaru(はるばる)だけを見て、インド・ヨーロッパ語族の語彙と関係があるかないかと論じるのは無理があるので、ほかの語も交えながら話を進めることにしましょう。

「上」と「空」の語源

英語のoverという語はおなじみでしょう。前置詞などとして使われて「上」を表します。インド・ヨーロッパ語族の古典語を見ても、ラテン語super、古代ギリシャ語huper、サンスクリット語upariという語があり、英語のoverのように使われます。どうやら、頭子音のない*uperという形と頭子音のある*superという形が古くからあったようです。

※英語に見られるsuper-とhyper-はラテン語のsuperと古代ギリシャ語のhuperから来ています。「上」を意味するところから、「超えている、程度が甚だしい、行き過ぎだ」のような意味が生じます。


日本語のue(上)は、奈良時代にはuɸe、uɸa-という形で現れており、もともと*upaであったと考えられます。日本語の*upaとインド・ヨーロッパ語族の*uperの類似は目を引きます。奈良時代より前の日本語に、エ列の音がない、子音で終わることができないという特徴があったと見られることを考えれば、日本語の*upaとインド・ヨーロッパ語族の*uperは完全に合致します。目を引くのは日本語の*upaとインド・ヨーロッパ語族の*uperの類似だけではありません。*superのほうをもう少し詳しく見てみましょう。

ラテン語のsuperは後継言語においてフランス語sur、スペイン語sobre、ポルトガル語sobre、イタリア語sopra、ルーマニア語spreのような形を生み出しました。当然ですが、それぞれの言語でそれぞれの形に変化しています。もし昔の日本語の話者がイタリア語のsopraのような語を聞いたら、どうなるでしょうか。-pr-という子音連続が許されないので、soraまたはsopaと言うのではないでしょうか。

インド・ヨーロッパ語族の*uperと*superもどんどん変化していきます。言語によって変化の仕方はまちまちですが、uの部分がoになる、pの部分がb、v、fになる(英語のoverは昔はoferでした)、eの部分がつぶれるといった変化が目立ちます。このような変化を考慮に入れると、インド・ヨーロッパ語族の*uperは日本語のue(上)に、インド・ヨーロッパ語族の*superは日本語のsora(空)に関係がある可能性が高いのです。おそらく、日本語のsora(空)のもとになったのは、sopraのような語だったでしょう。

奈良時代の日本語には、suwe(末)という語もありました。奈良時代の人々は、山や木の先端をsuwe(末)と言っていました(現代のkozue(梢)はそのなごりです)。このsuwe(末)も、インド・ヨーロッパ語族の*superと関係がありそうです。廃れてしまいましたが、suwe(末)の類義語として、ure(末)という語もありました。このure(末)も、インド・ヨーロッパ語族の*uperと関係があるかもしれません(ure(末)の古形は*ura(末)と考えられるので、ウラル語族のフィンランド語のylä-(上)ウラなどとも関係があるかもしれません)。

インド・ヨーロッパ語族の*uperと*superの類が様々な形で日本語に現れているのを見ると、日本語はインド・ヨーロッパ語族と広く接していたのではないかと考えたくなります。

日本語のue(上)がインド・ヨーロッパ語族に関係しているのなら、日本語のsita(下)はどうでしょうか。

筆者は、日本語の語彙の大部分が「ウラル語族との共通語彙」と「シナ・チベット語族との共通語彙」と「ベトナム系言語との共通語彙」から成っていることを見出していきましたが、その過程で「ウラル語族との共通語彙」の一部がインド・ヨーロッパ語族とも共通していることに気づいていました。

可能性の一つとして、遼河文明の初期に遼河流域で話されていた言語がウラル語族と日本語の共通祖語で、このウラル語族と日本語との共通祖語がインド・ヨーロッパ語族と同一の起源を持っているのかもしれないと考えていました。日本語にとって、ウラル語族は比較的近い親戚で、インド・ヨーロッパ語族は比較的遠い親戚であるという考えです。

しかし、仮にその通りだとしても、インド・ヨーロッパ語族は日本語にとって非常に遠い親戚です。日本語とウラル語族の共通祖語が遼河文明の開始時期である8200年前頃に遼河流域で話されていたとしても、その頃には印欧祖語は黒海・カスピ海の北(現在のウクライナ、ロシア南部、カザフスタンが続くあたり)かアナトリア(現在のトルコ)で話されていたのです。黒海・カスピ海の北にしろ、アナトリアにしろ、遼河流域からとてつもなく離れています。日本語とウラル語族の共通祖語が印欧祖語と同一の起源を持っているとしても、それは8200年前よりはるか昔のことなのです。

もし日本語にとってウラル語族が近い親戚、インド・ヨーロッパ語族が遠い親戚で、その近い・遠いの差が大きかったら、どのようなことになるでしょうか。普通に考えれば、日本語とウラル語族に見られる共通語彙は発音・意味のずれが小さく、日本語とインド・ヨーロッパ語族に見られる共通語彙は発音・意味のずれが大きいという一般的な傾向が認められるのではないでしょうか。ところが、実際に日本語とウラル語族とインド・ヨーロッパ語族の語彙を詳しく調べると、そうはなっていないのです。日本語の語彙のうちのある部分はウラル語族との共通性を強く示し、別の部分はインド・ヨーロッパ語族との共通性を強く示しているのです。語彙によって、ウラル語族との共通性が強く感じられたり、インド・ヨーロッパ語族との共通性が強く感じられたりするのはなぜなんだろうと、筆者も理解に苦しみました。

前に、「物」と「牛」の語源、西方から東アジアに牛を連れてきた人々(下)の記事の中で、4000~5000年前頃から古代中国(黄河流域)に西方から連れてこられた家畜牛が現れることをお話ししました。同じ頃に小麦や大麦も現れており、西から大きな変化がもたらされていることが窺えます( Li 2007 )。4000~5000年前頃というと、遼河文明の開始時期である8200年前頃よりかなり後ですが、そのような時代に、中央アジア方面から東アジアに向かう人の流れがあったというのは、注目に値します。ウラル語族のもとになる言語が遼河流域を去り、その後で中央アジア方面から東アジアに向かう人の流れがあったことを示しているからです。ウラル語族のもとになる言語が去った後の東アジアで、インド・ヨーロッパ語族の言語と日本語(正確には日本語の前身言語)が接触したのではないかという考えが次第に筆者の頭に浮かんできました。こう考えると、日本語にインド・ヨーロッパ語族との共通性を強く感じさせる語彙が存在することが納得できるのです。

総じて、北ユーラシアの言語の歴史は非常に複雑です。インド・ヨーロッパ語族のゲルマン系言語に見られる英語high(高い)、ドイツ語hoch(高い)ホーフ、ゴート語hauhs(高い)などの語がインド・ヨーロッパ語族では標準的でないこと、そしてこれらの語がかつては*kauk-のような形をしていたと考えられることをお話ししました。実は、中国北西部の新疆ウイグル自治区で発見されたトカラ語にもkauc(高く、上に)という語があります(cの正確な発音はわかっていません)。そしてなんと、古代中国語にもkaw(高)カウという語があるのです。英語のhigh(高い)などと古代中国語のkaw(高)は同源である可能性が十分ありますが、これらの出所を探るのは容易ではありません。英語のhigh(高い)などがインド・ヨーロッパ語族において標準的でなく、古代中国語のkaw(高)がシナ・チベット語族において標準的でないことから、探索は難航しそうです。

英語のhigh(高い)や古代中国語のkaw(高)の話はひとまず置いておき、東アジアでのインド・ヨーロッパ語族と日本語の接触について論じることにします。



補説

古代日本語のwata(海)

奈良時代の日本語には、wata(海)という語がありました。その後、umi(海)に押されて、wata(海)は廃れてしまいました。特に水上の移動を意味することが多かったwataru(渡る)/watasu(渡す)は、wata(海)と同類と見られます。

前に、不思議な言語群の記事の中で、タイ語のnaam(水)のような語がツングース系言語ではエヴェンキ語lāmu(海)、ウデヘ語namu(海)、ナナイ語namo(海)、ウイルタ語namu(海)、満州語namu(海)などになり、日本語ではnami(波)になったようだと指摘しました。

当然といえば当然ですが、「水」と「海や川などの水域」の間には密接なつながりがあります。他言語で「水」を意味していた語が日本語のwata(海)になった可能性も考えなければなりません。ここで断然怪しいのが、インド・ヨーロッパ語族の英語のwater(水)などです。「水」を意味する語は長い年月が過ぎてもなかなか変わらず、インド・ヨーロッパ語族の多くの言語に英語のwater(水)と同源の語が残っています。英語から最も遠いと考えられるヒッタイト語にもwātar(水)、トカラ語にもwar(水)という語があります。

東アジアにインド・ヨーロッパ語族の言語が存在した可能性を真剣に検討しなければならないことを示唆しています。



参考文献


Li X. et al. 2007. Early cultivated wheat and broadening of agriculture in Neolithic China. The Holocene 17(5): 555-560.


►「上」と「空」の語源(第5話)へ


ヒッタイト語とトカラ語は、ずいぶん昔に消滅してしまった言語ですが、インド・ヨーロッパ語族の歴史、そしてインド・ヨーロッパ語族と他の言語の関係を考えるうえで、決して外せない言語です。

18世紀にイギリス人のウィリアム・ジョーンズ氏がヨーロッパの言語とインドの言語の類似性を指摘した頃から、インド・ヨーロッパ語族の研究が盛んになり始め、古代ギリシャ語、古代ローマのラテン語、古代インドのサンスクリット語などを中心に研究が行われていましたが、当時はヒッタイト語の存在もトカラ語の存在も知られていませんでした。

ヒッタイト語とトカラ語の存在が知られるようになったのは、20世紀に入ってからです。発掘調査で未知の言語で書かれた古代文献が見つかり、言語学者がそれらの言語を綿密に調べた結果、インド・ヨーロッパ語族の言語であることがわかったのです。ヒッタイト語のほうはアナトリア半島(現在のトルコ)、トカラ語のほうはタリム盆地周辺(現在の中国の新疆ウイグル自治区)で使用されていました。タリム盆地はあまりなじみがないかもしれません。Wikipediaから引用した以下の地図は、新疆ウイグル自治区の位置を示したものです。タリム盆地は、新疆ウイグル自治区の下半分ぐらいです。タリム盆地の大部分は、タクラマカン砂漠という砂漠になっています。

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中国の北西部でも、かつてインド・ヨーロッパ語族の言語が話されていたのです。

しかしながら、発見されたヒッタイト語とトカラ語は、語彙、発音、文法などの点でインド・ヨーロッパ語族の既知の言語と大きく異なっており、既知の言語とは遠い類縁関係にあると考えられました( Fortson 2010 では、ヒッタイト語とトカラ語を含め、インド・ヨーロッパ語族の言語がよく概観されています)。インド・ヨーロッパ語族のおおもとの言語である印欧祖語がどのような順序で分岐していったのかということについては、言語学者によって見解がまちまちですが、印欧祖語がまず「インド・ヨーロッパ語族のアナトリア語派」と「インド・ヨーロッパ語族のその他の言語」に分岐したという見方は有力です(アナトリア半島からはヒッタイト語だけでなく、それに近い言語もいくつか発見され、これらはアナトリア語派として括られています)。

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いずれにせよ、ヒッタイト語も、トカラ語も、現在残っているインド・ヨーロッパ語族の言語と非常に遠い類縁関係にあることは間違いないので、印欧祖語の時代のこと、さらにその前の時代のことを考える際には、非常に重要なのです。一応記しておくと、以下がインド・ヨーロッパ語族の各語派です

消滅した語派
アナトリア語派、トカラ語派

現存する語派
ゲルマン語派、イタリック語派、ケルト語派、スラヴ語派、バルト語派、ギリシャ語派、アルバニア語派、アルメニア語派、インド・イラン語派

上記の言語群・言語は、いずれも印欧祖語から分岐したもので、なおかつ文字記録によって存在が確認されているものです。ここで注意しなければならないのは、印欧祖語から分岐したが、文字記録を残すことなく消えていった言語群・言語もあったかもしれないということです(印欧祖語自体は、文字を持たない言語でした。インド・ヨーロッパ語族の中では、アナトリア語派、ギリシャ語派、インド・イラン語派、イタリック語派の文字記録が早くから現れますが、これは中東の文明に早く触れることができたからです。スラヴ語派の文字記録が現れるのは9世紀以降、バルト語派の文字記録が現れるのは14世紀以降で、ずっと遅いです)。

印欧祖語から分岐したが、文字記録を残すことなく消えていった言語の存在などと言われても、あまりに唐突な話で、さっぱりわけがわからないかもしれません。筆者がなぜそのような言語の存在について考えるようになったのか、かいつまんでお話しすることにします。

中国北西部のタリム盆地周辺でトカラ語が発見されたことによって、インド・ヨーロッパ語族の言語がかなり東のほうでも話されていたことが明らかになり、多くの学者が驚きました。しかし、そのトカラ語よりももっと東のほうで話されていたインド・ヨーロッパ語族の言語があったようなのです。



参考文献

Fortson IV B. W. 2010. Indo-European Language and Culture: An Introduction. Wiley-Blackwell.



►なぜインド・ヨーロッパ語族と日本語に共通語彙が見られるのか?(第4話)へ

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