日本語の意外な歴史

これまで知られてこなかった日本語の起源、日本語の歴史について語っていきます。私たちが使っている言葉には、驚くべき人類の軌跡が隠されています。

kirakira(きらきら)の語源

奈良時代の日本語には、kirakirasi(きらきらし)という形容詞がありました。そして、この形容詞には、「端正」という漢字が当てられていました。どうやら、現代の日本語のkirakira(きらきら)は、もともと光というより美しさを意味していたようです。宝石や貴金属などが好まれるのを見ればわかるように、「光、輝き、光沢」と「美しさ」の間には強いつながりがあります。

kirakira(きらきら)が美しさを意味していたとなると、俄然気になる語があります。古代中国語の khje lej (綺麗)キエレイです。khje(綺)はkiという音読みで、lej(麗)はraiとreiという音読みで日本語に取り込まれました。古代中国語の khje lej (綺麗)を日本語でkiraiと読むにせよ、kireiと読むにせよ、母音が連続していて、昔の日本人にとっては不慣れな形です。

例えば、日本語で「猛者」がmosaと読まれますが、このようになじみのCVCVという形で発音しようとする傾向はあったはずです。古代中国語に kan saw (乾燥)カンサウという語がありましたが、日本人はこれをkansauと読んだだけでしょうか。慣れたCVCVの形にして、kasaと読むこともあったのではないでしょうか。このkasaから作られたのがkasakasa(かさかさ)ではないでしょうか。前に、古代中国語の kɛk pek (隔壁)ケクペクが日本語のkabe(壁)になったり、ベトナム語の ánh sáng (光)アンサンのような語が日本語のasa(朝)になったりした例を挙げましたが、このようなことは普通に行われていました(「深い」と「浅い」の語源(続き)—2音節の語を取り入れるを参照)。

古代中国語の kan saw (乾燥)は、現代の日本語のkansō(乾燥)になっただけでなく、kasakasa(かさかさ)にもなっているということです。同じように、古代中国語の khje lej (綺麗)は、現代の日本語のkirei(綺麗)になっただけでなく、kirakira(きらきら)にもなっていると考えられます。

pikapika(ぴかぴか)の語源

kirakira(きらきら)がもともと美しさを意味し、そこから光ることを意味するようになったのなら、ひょっとしてpikapika(ぴかぴか)も・・・と考えてみることは重要です。実は注目すべき語があるのです。アイヌ語のpirkaです。

アイヌ語のpirkaは使用頻度の高い語で、「よい、きれい、美しい」などの意味を持ちます。日本語にこのような語を取り入れるとすれば、子音が連続している-rk-の部分をどうにかしなければなりません。すなわち、rを落としてpikaとするか、kを落としてpiraとするかしなければなりません。この一方のpikaが日本語のpikapika(ぴかぴか)、pikaʔ(ぴかっ)、hikaru(光る)、hikari(光)と合致し、他方のpiraが日本語のhirameku(ひらめく)と合致するのです(日本語のhirameku(ひらめく)はもともと雷などに関して使われていた語です。kirameku(きらめく)などと同じ作りの語です)。

「美しさ」を意味する古代中国語の khje lej (綺麗)とアイヌ語のpirkaのような語がもとになって日本語のkirakira(きらきら)とpikapika(ぴかぴか)が生まれたと考えると、筋が通ります。

「日本語の意外な歴史」では当面アイヌ語を本格的に取り上げる機会はありませんが、日本語にはアイヌ系の言語から取り入れたと見られる語彙も少ないながら認められます。中国東海岸から朝鮮半島を経由してあるいは経由しないで九州に上陸し、そこから近畿に達したと見られる日本語(奈良時代の日本語)にアイヌ系の語彙が認められるということは、かつてアイヌ系の言語が西日本のほうにまで及んでいたことを示唆しています。アイヌ語と聞けば、北海道・東北のイメージがありますが、それは、日本列島に上陸した日本語が勢力を大きく拡大した後の話です。

「日本語の意外な歴史」では、日本語が中国東海岸地域(山東省と江蘇省のあたり)で過ごした時代を十分に明らかにした後で、朝鮮半島の問題および縄文時代の問題を考えます。朝鮮半島の問題というのは、日本語が日本列島に入る時に朝鮮半島を経由したのか、しなかったのか、経由したのであれば、朝鮮半島でなにがあったのかという問題です。縄文時代の問題というのは、縄文時代の日本列島ではどのような言語が話されていたのかという問題です。

日本語の歴史上最も複雑なのは、日本語が中国東海岸地域で過ごした時代です。日本語の中にある遼河文明の言語の語彙、黄河文明の言語の語彙、長江文明の言語の語彙を中心に話を進めていましたが、そこへ突如インド・ヨーロッパ語族の語彙がたくさん現れて、日本語の歴史は一体どうなっているんだと混乱気味の読者もいるかと思います。この後さらにテュルク系言語の語彙やモンゴル系言語の語彙も出てくるので、ここで当時の中国東海岸地域の状況を再スケッチすることにします。

日本語のnikoniko(にこにこ)、niyaniya(にやにや)、nitanita(にたにた)は古代中国語で太陽を意味していた語から来ているようだとお話ししましたが、日本語のwarau(笑う)も同じような由来を持っているようです。

ウラル語族のフィンランド語では、valkoinen/valkea(白い)、valo(光)、valoisa/vaalea(明るい)、valaista(明るくする、照らす)、valaistus(照明)のように、valk-、val-という語根が明るさに関連した語彙を支配しています。vという子音はウラル語族全体では一般的でなく、かつてはwであったと推定されているので、walk-、wal-という語根について考えることになります。

上のwalk-、wal-では、先頭の子音がwですが、インド・ヨーロッパ語族では、先頭の子音がwではなくbである語根が認められます。balk-、bal-、あるいはインド・ヨーロッパ語族の言語は語頭に二重子音を好んで使うのでblak-、bla-のような語根が認められるのです。このような語根から、白さ、光、明るさに関連した語彙が作られています。

例えば、bal-のような語根から、スラヴ系のロシア語bjelyj(白い)ビェーリイ、ポーランド語biały(白い)ビャウィやバルト系のリトアニア語baltas(白い)、ラトビア語balts(白い)が作られています。blak-のような語根から来ていると見られるのが、イタリック系のフランス語blanc(白い)ブロン、スペイン語blanco(白い)ブランコ、イタリア語bianco(白い)ビアンコなどです(従来あまり注目されてきませんでしたが、このようにnが挿入される変化はヨーロッパ方面では広範に起きています。重要な問題なので、別の機会に本格的に論じます。ちなみに、ゲルマン系でb、スラヴ系でb、イタリック系でfという対応が標準的なので、フランス語blanc、スペイン語blanco、イタリア語biancoなどは、ずっと受け継がれてきた語ではなく、ある時点で非イタリック系の言語からイタリック系の言語に入った可能性があります)。blak-のような語根からは、英語のbleach(漂白する、白くする)(古形blæcanブラーカン)も作られています。

悩ましいのが、英語のblack(黒い)(古形blæcブラク)です。black(黒い)は上記の一連の語と全然関係がないように思えますが、実はそうでもありません。インド・ヨーロッパ語族の言語では、balk-、bal-あるいはblak-、bla-のような語根から、燃えることを意味する語も作られているのです。燃えるというのは、明るく輝く現象ですが、その後に黒くなる現象でもあります。どうやら、物が燃えることを表しているうちに、「白さ、光、明るさ」の領域から「黒さ」の領域への劇的な移行が起きたようです。

いくつもの語を挙げましたが、要するに、インド・ヨーロッパ語族ではbalk-、bal-、blak-、bla-のような語根から、ウラル語族ではwalk-、wal-という語根から、白さ、光、明るさに関連した語が作られているということです。上に挙げたインド・ヨーロッパ語族とウラル語族の語彙に関係があると思われる語は、東アジアのほうにも広がっています。

とりわけ、朝鮮語のpakta(明るい)は注目に値します。朝鮮語のpakta(明るい)は、palgɯmjɔn(明るければ)パルグミョン、palgasɔ(明るいので)パルガソ、palgatta(明るかった)パルガッタのように、組み込まれたpalg-という形を見せます。この形が昔の姿をよく示していると考えられる形です。

ここで注意しなければならないのは、昔のウラル語族と朝鮮語には、語頭でbのような濁音を使えないという制約があるということです。ウラル語族で頭子音がbでなくwになり、朝鮮語で頭子音がbでなくpになっているのは、当然の帰結です。インド・ヨーロッパ語族のbalk-、bal-、blak-、bla-のような形は現れえないのです。

昔の日本語にも、語頭でbのような濁音を使えないという制約がありました。日本語の場合はさらに、子音が連続しないという制約もありました。インド・ヨーロッパ語族のbalk-、bal-、blak-、bla-のような形は到底不可能なのです。となると、日本語では、ウラル語族のようにwを使ってwar-という形にするか、朝鮮語のようにpを使ってpar-という形にすることが考えられます。日本語の白さ、光、明るさに関連した語彙に、war-またはpar-という形が現れているか検討しなければなりません。

まずこれに該当すると考えられるのが、奈良時代のɸaru(晴る)です。推定古形は*paru(晴る)です。形的にも意味的にもぴったり一致します。

※余談ですが、奈良時代のɸaru(晴る)は現代ではhareru(晴れる)になっており、harasu(晴らす)と対になっています。俗語のbareru(バレる)は明るみにさらされてしまうこと、barasu(バラす)は明るみにさらしてしまうことで、hareru(晴れる)/harasu(晴らす)と同源と見られます。

*paru(晴る)ほど直接的ではありませんが、nikoniko(にこにこ)、niyaniya(にやにや)、nitanita(にたにた)のところで見たように、明るさと笑いの間にはつながりがあるので、奈良時代のwaraɸu(笑ふ)も無関係でないと思われます。waraɸu(笑ふ)も白さ、光、明るさに関連した語から作られたのではないかということです。

上に挙げたインド・ヨーロッパ語族、ウラル語族、朝鮮語の語彙は、古代中国語のbæk(白)
バクなどとの関係も考えなければならず、由来を容易に明らかにすることはできません。それでも、白さ、光、明るさに関する語彙が北ユーラシアの言語によって共有されており、日本語の*paru(晴る)とwaraɸu(笑ふ)もそこから来たということは言えそうです。*paru(晴る)とwaraɸu(笑ふ)では頭子音が異なるので、両方がもとから日本語にあったのではなく、少なくともどちらか一方は外来語であると考えられます。この問題は、*paru(晴る)とwaraɸu(笑ふ)だけでなく、*pとwで始まる日本語の様々な語を北ユーラシアの言語の語彙と比較しなければならないので、いずれ戻ってくることにし、先へ進みます。

次は、hikari(光)の語源を取り上げます。前に、古代中国語のkwang(光)クアンが日本語のkage(影、陰)になったり、ベトナム語の ánh sáng (光)アンサンのような語が日本語のasa(朝)になったりした話をしましたが(まだ読まれていない方は、光と影の微妙な関係「深い」と「浅い」の語源(続き)—2音節の語を取り入れるを参照してください)、肝心のhikari(光)の語源については、お話ししようと思いつつ、機会を逃してきました。

hikari(光)は、筆者が語源を突き止めるのに大変苦労した語です。様々な言語を調べても、日本語のhikari(光)に関係がありそうな語が見つからず、絶望的かと思いかけたところで、まだ「あの言語」を調べていないことに気づきました。


►「キラキラ」と「ピカピカ」の語源(15)へ

araemisi(麁蝦夷)という言葉が出てきたので、これに関連した補足をしておきます。

奈良時代の日本は本州ですら統一が完了しておらず、東北方面に住んでいた人々はemisi(蝦夷)と呼ばれていたという話をしました。朝廷に従わないemisi(蝦夷)はaraemisi(麁蝦夷)と言われ、朝廷に従うemisi(蝦夷)はnikiemisi(熟蝦夷)と言われました。araemisiのaraは「荒い」という意味で、nikiemisiのnikiは「温和な」という意味です。nikiは現代の日本語につながりませんが、nikiの異形として存在していたnikoは現代の日本語につながります。このnikoから作られたのが、nikoyaka(にこやか)、nikoniko(にこにこ)、nikkori(にっこり)などです。

英語のsun(太陽)とフィンランド語のaurinko(太陽)

英語では、sun(太陽)からsunnyという形容詞が作られ、さらにsunnilyという副詞が作られました。smile(笑う)にsunnilyをくっつけると、smile sunnily (にこにこ笑う)という表現ができます。

フィンランド語でも全く同じように、aurinko(太陽)からaurinkoinenという形容詞が作られ、さらにaurinkoisestiという副詞が作られました。hymyillä(笑う)ヒュミュイッラにaurinkoisestiをくっつけると、hymyillä aurinkoisesti (にこにこ笑う)という表現ができます。

日本語ならnikoniko(にこにこ)と言うところで、英語とフィンランド語は太陽を持ち出しています。一風変わった表現だと、若い時分の筆者は思っていました。

ところが、長い年月が過ぎ、そもそも日本語のnikoniko(にこにこ)とはなんなのだろうと考えるようになりました。日本語のいわゆる擬態語の多くが中国語由来であることが明らかになるにつれ、もしかしたらnikoniko(にこにこ)もそうなのかと考えるようになったのです。

古代中国語のnyit(日)

古代中国語のnyit(日)ニトゥは太陽(および一日)を意味する語で、日本語にはnitiとzituという音読みで取り入れられました。nyの部分は発音記号で書くと[ȵ]で、日本語のnya、nyu、nyoの類です。nyitは隋・唐の頃の形ですが、どうやら末子音のtがかつてはkだったらしいということがわかってきました(Baxter 2014、p.240~241)。話が複雑なので、先に結論を述べてしまうと、日本語のnikoniko(にこにこ)のniko、niyaniya(にやにや)のniya、nitanita(にたにた)のnitaはいずれも、古代中国語で太陽を意味していた語から来ているようです。このことを理解するには、言語の発音の変化に関する知識が必要です。説明のために、以下のようなモデルを用意します。

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nikという語が存在し、その発音がniyに変化したり、nitに変化したりするモデルです。日本語はk、y、tのような子音で終わることはないではないかと思われるかもしれません。それはその通りです。上のモデルは、日本語で起きた発音の変化を説明するためのものではなく、中国語で起きた発音の変化を説明するためのものです。日本語には、奈良時代よりも前に中国語から取り入れた語がたくさんあります。日本語の一語一語の語源を明らかにする際には、中国語で起きた発音の変化もよく知っておかなければならないのです。

前に幸(さき)と幸(さち)—不完全に終わった音韻変化の記事の中で、ki(キ)という音がtʃi(チ)のようになりやすいこと、ke(ケ)という音がtʃe(チェ)のようになりやすいことをお話しし、このような変化を「キチ変化」と呼びました(名前は筆者が勝手につけているだけなので、あまり気にしなくて結構です)。「キチ変化」のほかにも、重要な発音の変化があります。上のモデルの(1)と(2)の変化も、東アジアの言語の歴史を考えるうえで極めて重要な変化です。(1)の変化を「Day変化」、(2)の変化を「k↔t変化」と呼んでおきます。これらの変化について説明します。

(1)Day変化

英語にday(日)という語があります。ゲルマン系の他の言語にも同源の語がありますが、ドイツ語Tag(日)、スウェーデン語dag(日)、アイスランド語dagur(日)、ゴート語dags(日)のようになっています。見れば明らかですが、英語のday(日)のyの部分はかつてgだったのです。

gだけでなく、kも同じように変化することがあります。例えば、古代中国語のbæk(白)
バクは、広東語では「パー(ク)」、標準語では「パイ」になっており、古代中国語のpok(北)は、広東語では「パ(ク)」、標準語では「ペイ」になっています。

末子音のk
/gがi/yになる変化は、世界に広く見られます。kやgのような子音で終わることがない日本語では実感できませんが、世界の言語を観察するとそのようになっています。末子音のk/gがi/yになる変化を「Day変化」と呼ぶことにします。

(2)k↔t変化

筆者のいう「k↔t変化」とは、末子音のkがtになるあるいは末子音のtがkになる変化です。この変化は、ヨーロッパではあまり起きていないので、注目されてきませんでした。しかし、東アジアではよく起きており、重要です。「k↔t変化」はなぜヨーロッパではあまり起きていないのに東アジアではよく起きているのか、それには理由があります。

説明のために、英語のsip(すする)、sit(座る)、sick(病気だ)の三語を取り上げます。sipの末子音は[p]、sitの末子音は[t]、sickの末子音は[k]です。[p]、[t]、[k]は破裂音と呼ばれ、空気をいったん通行止めにして、それからその通行止めを開放するところに特徴があります。英語では、基本的に、sip、sit、sickを発音する時には、最後のところで息を漏らします。

ところが、東アジアでは、かなり前から、末子音[p]、[t]、[k]を発音する時に息を漏らさなくなってしまったようなのです。例えば、現代の朝鮮語、広東語、ベトナム語では、息を全く漏らしません。sip、sit、sickの最後のところで息を漏らすのが英語流、sip、sit、sickの最後のところで息を漏らさないのが朝鮮語、広東語、ベトナム語流です。朝鮮語、広東語、ベトナム語では、末子音[p]、[t]、[k]を発音する直前で止めてしまう感じです(中国の標準語では、末子音[p]、[t]、[k]は完全に消えました)。

ある人がsip、sit、sickを発音する時に最後のところで息を漏らさなかったら、どうなるでしょうか。見ながら聞いている側からすると、sipは上唇と下唇を合わせるのではっきり別物とわかりますが、sitとsickの違いはよくわからなくなります。口の中のどこかで空気の通行を止めたことがわかるだけです。末子音[p]、[t]、[k]を発音する時の息漏れが極限まで弱まってしまったことが、東アジアで「k↔t変化」がよく起きている理由と見られます。シナ・チベット語族のある言語で末子音がk、別の言語で末子音がtになっているケースもあれば、中国語のある方言で末子音がk、別の方言で末子音がtになっているケースもあります。

日本語のnikoniko(にこにこ)のniko、そして温和であることを意味したnikiは、日本語でnikとできないために母音を補ったものと考えられます。日本語のniyaniya(にやにや)のniya、そしてnitanita(にたにた)のnitaも、日本語でniy、nitとできないために母音を補ったものと考えられます。太陽の特徴(明るい、熱い、温かい)を考えると、nigiyaka(賑やか)/
nigiwau(賑わう)のnigiやnukunuku(ぬくぬく)のnukuもnikiの仲間でしょう。

やはりBaxter氏らが主張するように古代中国語のnyit(日)の末子音tはかつてkで、このkが時代・地方によってyに変化したり、tに変化したりし、様々な時代・地方の中国語に接した日本語に上記のnikoniko(にこにこ)、niyaniya(にやにや)、nitanita(にたにた)などが蓄積したと考えるのが自然です。niyaniya(にやにや)とnitanita(にたにた)は、現代の日本語ではちょっとよこしまな感じやいやらしい感じがしますが、もともとは、nikoniko(にこにこ)と同じく、太陽のような明るさ・温かさを意味していたと思われます。

「日」が日本語でnitiと読まれたり、zituと読まれたりするのは、ご存知の通りです。「人」がninと読まれたり、zinと読まれたりするのと同様です。「生」はsyōと読まれたり、seiと読まれたりしているし、「正」もsyōと読まれたり、seiと読まれたりしています。違う時代、違う地方の中国語に接していると、このように少しずつ違う形が蓄積していくのです。nikoniko(にこにこ)、niyaniya(にやにや)、nitanita(にたにた)も一見異なりますが、おおもとは同じだということです。

nikoniko(にこにこ)、niyaniya(にやにや)、nitanita(にたにた)の語源が上の通りなら、warau(笑う)の語源はどうでしょうか。



参考文献

Baxter W. H. et al. 2014. Old Chinese: A New Reconstruction. Oxford University Press.


►「笑う」の語源はやはり・・・(14)へ


現代の日本語のarika(ありか)、sumika(すみか)、koko(ここ)、soko(そこ)、asoko(あそこ)などに見られるkaとkoは、かつて場所を意味していたものです。大昔のなごりとして残っているだけで、もうこのkaとkoを使って新しい語を生み出すことはできません。

上記の場所を意味するkaとkoに対応するものは、ウラル語族にも見つけることができます。ただ、それらも大昔のなごりとして残っているだけです。例えば、フィンランド語にtäällä(ここに、ここで)ターッラ、ネネツ語にtjukona(ここに、ここで)テュコナという語があります。現代のフィンランド人にとっては、täälläは完全に一語であり、現代のネネツ人にとっては、tjukonaは完全に一語です。しかし、成り立ちを考えると、täälläとtjukonaはそれぞれ三つの要素からできています。

フィンランド語のtäällä(ここに、ここで)は、古形の*täkällä(ここに、ここで)タカッラが変化したものです(副詞のtäällä(ここに、ここで)ではkが消えてしまいましたが、形容詞のtäkäläinen(ここの)タカライネンではkが残っています)。*täkällä(ここに、ここで)のtäがthisを意味し、käがplaceを意味し、lläがinを意味していました。ネネツ語のほうは、tjukona(ここに、ここで)のtjuがthisを意味し、koがplaceを意味し、naがinを意味していました。日本語のkokoni/kokode(ここに、ここで)の一番目のkoがthisを意味し、二番目のkoがplaceを意味し、ni/deがinを意味しているのと同様です。

日本語の場所を意味するkaとkoは、ウラル語族との共通語彙であり、とても歴史が古いのです。注目すべきことに、奈良時代の日本語には、arika(ありか)のほかにaraka(あらか)という語がありました。araka(あらか)は、神、天皇およびその他の貴人の居場所、御殿を意味していました。意味を考えれば、arika(ありか)のariだけでなく、araka(あらか)のaraも、存在動詞のari(あり)に関係があると見るべきです。

なぜaraka(あらか)という語に注目すべきかというと、日本語にかつて存在したと見られる*ara(下)がのちに奈良時代のari(あり)につながったのであれば、その途中に*araが「座ること、座っていること」、そして「存在すること」を意味していた時期があったと予想されるからです。

arika(ありか)という複合語は、動詞の連用形のariとkaがくっついてできており、これは私たちにとってなじみのパターンです。連用形のkuɸiとmonoがくっついてkuɸimono(食ひ物)、連用形のnomiとmonoがくっついてnomimono(飲み物)、連用形のamiとmonoがくっついてamimono(編み物)、連用形のnuɸiとmonoがくっついてnuɸimono(縫ひ物)という具合です。

ここで、奈良時代の日本語の動詞の活用パターンを一通り示しておきましょう。表中のkuɸu(食ふ)は四段活用、miru(見る)は上一段活用、otu(落つ)は上二段活用、uku(受く)は下二段活用、ku(来)はカ行変格活用、su(為)はサ行変格活用、sinu(死ぬ)はナ行変格活用、ari(あり)はラ行変格活用です。

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※古文の学習でkeru(蹴る)は下一段活用であると聞いたことがあるかもしれませんが、下一段活用は奈良時代より後に生じた活用パターンです。

未然形と比べると、連用形は、下二段活用動詞を除けばすべてiで終わっており、統一感があります(イ列甲類とイ列乙類の違いには目をつむっています)。終止形も、ラ行変格活用動詞を除けばすべてuで終わっており、統一感があります。連体形、已然形、命令形の末尾も、未然形の末尾ほどばらばらではありません。連用形、終止形、連体形、已然形、命令形には、未然形より後にそれぞれかなり画一的な方法(1パターンか2パターン)で作られたのではないかと思わせるところがあります。なにが言いたいかというと、未然形にかつての姿がよく保存されているのではないかと言いたいのです。

すでに述べたように、奈良時代の日本語にはaraka(あらか)という語があり、神、天皇およびその他の貴人の居場所、御殿を意味していました。araka(あらか)は、最初からこのような限定された意味を持っていたのでしょうか。もしかしたら、最初は一般に居場所を意味していたのではないでしょうか。より新しいarika(ありか)などの語彙に押しやられて、限定された意味を持つようになったのではないでしょうか。

奈良時代の日本語には、arakazime(あらかじめ)という語もありました。意味は現代と同じで、「前もって、事前に」という意味です。おそらく、奈良時代の日本人はarakazime(あらかじめ)がaraka(あらか)に関係があるとは思っていなかったでしょう。しかし、araka(あらか)がだれかまたはなにかが存在する場所を意味していて、このaraka(あらか)とsimu(占む)がくっついてarakazime(あらかじめ)ができたと考えると、無理がないのです。arakazime(あらかじめ)はもともと場所の確保を意味していたのだろうという解釈です。皆さんも以下のような表示を見たことがあるのではないでしょうか。

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もちろん文字がない時代にはこれと同じ表示は出せませんが、それでも場所を確保する必要が生じることはあったはずです。arakazime(あらかじめ)という語は、前もって場所を確保する時に使われていたが、そのうち意味が一般化して、前もってなにかをする時に使われるようになったと見られます。確保する場所が座る場所であることも多かったでしょう。araka(あらか)とarakazime(あらかじめ)のaraの部分は「座ること、座っていること、存在すること」を意味していたということです。

やはり、かつて日本語にウラル語族の*ala(下)や朝鮮語のarɛ(下)アレと同源の*ara(下)という語があり、この語が奈良時代の日本語のari(あり)につながったと考えられます。奈良時代の日本語のari(あり)、つまり現代の日本語のaru(ある)がウラル語族の*ala(下)や朝鮮語のarɛ(下)と同源であるとなると、英語のare(ある、いる)はなんなのでしょうか。


►人間の笑い—「ニコニコ、ニヤニヤ、ニタニタ」の正体(13)へ


「ある」と「いる」の語源の記事の中で、かつて日本語にウラル語族の*ala(下)や朝鮮語のarɛ(下)アレと同源の*ara(下)という語があったのではないか、あったとすれば*ara(下)はどこに行ってしまったのかという話をしました。

「下」と「座る、座っている」の間に密接なつながりがあること、そして「座る、座っている」と「存在する」の間に密接なつながりがあることを考えると、上記の*ara(下)と奈良時代の日本語のari(あり)の関係は検討する必要があります。ari(あり)は、ラ行変格活用という活用パターンを示しました。

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ラ行変格活用は、最も一般的な活用パターンである四段活用によく似ており、終止形がuでなくiで終わるところだけが違います。

*ara(下)と奈良時代の日本語のari(あり)の関係を検討する前に、*ara(下)という語が本当にあったのか検証しましょう。かつて日本語に*ara(下)という語があったのであれば、*ara(下)はsita(下)に追いやられて、少し違うことを意味するようになった可能性があります。

arare(あられ)

「下」が「座る、座っている」と密接につながっていること、そして「座る、座っている」が「存在する」と密接につながっていることは、様々な言語の例を挙げて示しました。実は、「下」と密接なつながりがある語がまだあります。意外かもしれませんが、あるいは意外でないかもしれませんが、「雨」です。

例えば、ハンガリー語にはesik(落ちる)(語幹es-)という動詞があり、この動詞からeső(雨)エショーという語が作られています。

フィンランド語にはsataa(降る)という動詞があり、この動詞からsade(雨)という語が作られています。英語のsit、set、settleの類に対応する日本語としてsita(下)、sizumu(沈む)(古形sidumu)、sadamaru(定まる)、sato(里)などを挙げましたが、フィンランド語のsataa(降る)も仲間でしょう。

日本語にはsita(下)のほかにsitosito(しとしと)という語があるので、「下」と「雨」の間のつながりはわかりやすいと思います。かつて日本語に*ara(下)という語があったのであれば、雨が降るのを見て*ara*araと言うこともあったでしょう。現代の日本人が「あら、あらあら、あらら、あれ、あれあれ、あれれ」と言っているように、*ara*ara→*arara→arareのような変化があった可能性は十分にあります。ちなみに、奈良時代の日本語のarareは、霰(あられ)も雹(ひょう)も含んでいました。しかし、空から降ってくるものといえば、なんといっても雨ではないでしょうか。極寒地方では、雪でしょう。これらに比べると、霰(あられ)と雹(ひょう)は非常にマイナーな存在です。*ara(下)を重ねた*ara*araは、sitosito(しとしと)がそうであるように、まず雨に対して使われそうなものです。

奈良時代の日本語には、ame(雨)という語もありました。推定古形は*ama(雨)です。まず*ama(天)とmidu(水)という語があり、これらからamamiduという複合語が作られ、amamiduが長いので略して*ama(雨)と言うようになったと考えられます。おそらく、この*ama→ameと*arara→arareの間で衝突があり、前者が押し切る形、つまり前者が雨を意味し、後者がマイナーな霰(あられ)と雹(ひょう)を意味する形で決着したのではないかと思われます。奈良時代の日本語のarareが、もともと雨を意味していたにせよ、雨を意味することなく霰(あられ)と雹(ひょう)を意味していたにせよ、*ara(下)という語の存在を示唆している点は見逃せません。

arasi(荒し、粗し)

奈良時代の日本は、今のように北海道から沖縄まで統一されておらず、本州ですら統一が完了していませんでした。この頃に東北方面に住んでいた人々はemisi(蝦夷)またはebisu(蝦夷)と呼ばれていました。朝廷に従わないemisi(蝦夷)は、さげすんでaraemisi(麁蝦夷)とも言われました。奈良時代の日本語のaraはすでに、現代のarai(荒い、粗い)と同じ意味を持っていました。

異民族を蔑視する姿勢は古代からありました。奈良時代の日本語のaraも、*ara(下)がsita(下)に追いやられて、「下等」という抽象的な意味を持つようになったと考えると、合点がいくのです。人であれば、「下等」から「未開の、粗野な、野蛮な」という意味が生じ、物であれば、「下等」から「でき・質がよくない」という意味が生じたということです。後者は、arasagasi(あら探し)のara(あら)にもつながります。

やはり、かつて日本語に*ara(下)という語があったようです。それでは、この*ara(下)と奈良時代の日本語のari(あり)の関係を考察することにしましょう。


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