日本語の起源と歴史に興味を持つすべての方へ

本ブログの記事一覧はこちら

こんにちは。金平譲司と申します。ここに「日本語の意外な歴史」と題するブログを立ち上げました。

このブログは、日本語ならびに日本語と深い関係を持つ言語の歴史を解明するものです。言語学者だけでなく、他の分野の専門家や一般の方々も読者として想定しています。

謎に包まれてきた日本語の起源

日本語はどこから来たのかという問題は、ずいぶん前から様々な学者によって論じられてきましたが、決定的な根拠が見つからず、大いなる謎になってしまった感があります。しかしながら、筆者の研究によってようやくその全貌が明らかになってきたので、皆さんにお話ししようと思い立ちました。

日本語は、朝鮮語、ツングース諸語(エヴェンキ語、満州語など)、モンゴル諸語(モンゴル語、ブリヤート語など)、テュルク諸語(トルコ語、中央アジアの言語など)と近い関係にあるのではないか、あるいはオーストロネシア語族(台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシア、オセアニアなどの言語から成る言語群)と近い関係にあるのではないかというのが従来の大方の予想でしたが、これらの予想はポイントを外しています。

中国語を見て全く違うと感じた日本人が、日本語は北方の言語と関係があるのではないか、南方の言語と関係があるのではないかと考えたのは、至極当然のことで、北方の言語と南方の言語に視線を注ぐこと自体は間違っていません。問題なのは、北方のごく一部の言語と南方のごく一部の言語に関心が偏ってしまったことです。

上記の言語のうちで、朝鮮語、ツングース諸語、モンゴル諸語、テュルク諸語は、日本語によく似た文法構造を持つことから、日本語に近縁な言語ではないかと盛んに注目されてきました。同時に、ツングース諸語、モンゴル諸語、テュルク諸語は、互いに特に近い関係にあるとみなされ、いわゆる「アルタイ語族」という名でひとまとめにされることがしばしばありました。日本語の起源をめぐる議論は、このような潮流に飲まれていきました。

しかしながら、筆者がこれから明らかにしていく歴史の真相は、かなり違います。日本語は、朝鮮語、ツングース諸語、モンゴル諸語、テュルク諸語と無関係ではないが、別の言語群ともっと近い関係を持っているようなのです。

実を言うと、筆者は日本語やその他の言語の歴史に興味を持つ人間ではありませんでした。筆者は若い頃にフィンランドのヘルシンキ大学で一般言語学や様々な欧州言語を学んでいましたが、その頃の筆者の興味は言語と思考の関係や外国語の学習理論などで、もっぱら現代の言語に関心が向いていました。歴史言語学の講義もありましたが、特に気に留めていませんでした。

筆者が言語の歴史について真剣に考えるようになったきっかけは、ロシアの北極地方で少数民族によって話されているサモエード諸語との出会いでした。サモエード諸語は、フィンランド語やハンガリー語と類縁関係にある言語です。フィンランド語とハンガリー語はヨーロッパの中では異色の存在で、北極地方の少数民族の言語と類縁関係を持っています。フィンランド語、ハンガリー語、サモエード諸語などから成る言語群は、「ウラル語族」と呼ばれます。

言語学者が使う「語族」という用語について若干説明しておきます。私たちが万葉集や源氏物語の言葉を見ると、「読みにくいな」と感じたり、「なにを言っているのかわからないな」と感じたりします。言語は時代とともに少しずつ変化しています。言語は単に変化するだけでなく、分化もします。ある程度広い範囲で話されている言語には、地域差が生じてきます。

この地域ごとに少しずつ異なる言葉が方言です。しかし、これらの方言が地理的に隔たってさらに長い年数が経過すると、最初は小さかった方言同士の差が大きくなっていき、やがて意思疎通ができないほどになります。

あまりに違いが大きくなれば、もう方言ではなく、別々の言語と言ったほうがふさわしくなります。一律の学校教育やマスメディアが発達していない時代には、この傾向は顕著です。ある言語が別々の言語に分化するのです。分化してできた言語がさらに分化することもあります。言語学では、おおもとの言語と分化してできた諸言語をまとめて「語族」といいます。世界で最もよく知られている語族は、インド・ヨーロッパ語族と呼ばれる語族で、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語などはこの語族に属します。例えるなら、イヌ、オオカミ、キツネ、タヌキが共通祖先を持っているように、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語は共通祖先を持っているということです。

日本語とウラル語族

英語などが属するインド・ヨーロッパ語族は巨大な言語群ですが、フィンランド語やハンガリー語が属するウラル語族はこじんまりとした言語群です。ウラル語族の言語は、ロシアの北極地方から北欧・東欧にかけて分布しています。地理的に遠く離れているので、ウラル語族の言語は一見したところ東アジアの言語、特に日本語とはなんの関係もないように見えますが、実はここに大きな盲点があります。日本語の歴史を考えるうえで大変重要になるので、ウラル語族の話を続けます。以下にウラル語族の内部構造を簡単に示します。

ウラル語族の言語を研究する学者の間に意見の相違がないわけではありませんが、上の図は従来広く受け入れられてきた見方です。ウラル語族の言語は、まずフィン・ウゴル系とサモエード系に分かれ、フィン・ウゴル系はそこからさらにフィン系とウゴル系に分かれます。フィンランド語はフィン系に属し、ハンガリー語はウゴル系に属します。サモエード系の言語は、ロシアの北極地方に住む少数民族によって話されています。現在残っているサモエード系の言語はネネツ語、エネツ語、ガナサン語、セリクプ語の四つのみで、特に後の三つは消滅の危機にあります。

サモエード系の言語は、フィンランド語やハンガリー語と同じウラル語族の言語ですが、フィンランド語やハンガリー語とは文法面でも語彙面でも著しく異なっています。同じ言語から分かれた言語同士でも、別々の道を歩み始め、何千年も経過すれば、似ても似つかない言語になってしまいます。特に、サモエード系の言語が辿った運命とフィンランド語・ハンガリー語が辿った運命は対照的です。サモエード系の言語は、北極地方にとどまり、他の言語との接触が比較的少なかったために、昔の姿をよく残しています。それに対して、フィンランド語とハンガリー語は、有力な言語がひしめくヨーロッパに入り込み、大きく姿を変えました。サモエード系の言語は、いわば「生きた化石」です。人類の歴史を解明するうえで、大変重要な言語です。サモエード系の言語との出会いは、筆者にとってショッキングな出来事でした。これ以降、筆者は言語の歴史について本格的に研究し始めることになります。

筆者が初めてサモエード系の言語を見た時には、「文法面ではモンゴル語やツングース諸語に似ているな」という第一印象を受けました。しかし、よく調べると、「あれっ、語彙面では日本語に似ているな」という第二印象を受けました。少なくとも言語の根幹をなす基礎語彙に関しては、モンゴル語やツングース諸語より、ウラル語族のサモエード系の言語のほうが日本語に近いと思いました。なんとも不思議な感じがしました。なんで日本の近くで話されているモンゴル語やツングース諸語より、北極地方で話されているウラル語族のサモエード系の言語のほうが日本語に近いんだろうと考え始めました。様々な言語を見てきましたが、サモエード系の言語には今までにない特別なものを感じました。なにか重大な秘密が隠されている予感がしました。

フィンランド語とハンガリー語だけを見ていた時は気づかなかったのですが、サモエード系の言語を介しながらフィンランド語とハンガリー語を見てみると、やはりフィンランド語とハンガリー語にも日本語との共通語彙があります。日本語の中にある、ウラル語族と共通している語彙、そしてウラル語族と共通していない語彙を見分けていくうちに、二つの疑問が頭に浮かんできました。一つ目の疑問は、日本語の祖先とウラル語族の言語の祖先の接点は地理的にどの辺にあったのだろうという疑問です。二つ目の疑問は、日本語の中にある、ウラル語族と共通していない語彙はどこから来たのだろうという疑問です。日本語の中には、ウラル語族と共通している語彙も多いですが、共通していない語彙も多いのです。

東アジアには黄河文明とは違う文明が存在した

ウラル語族の各言語の語彙を研究するうちに、ウラル語族が日本語だけでなく、モンゴル語、ツングース諸語、朝鮮語、さらには中国語にもなんらかの形で関係していることが明らかになってきたので、ウラル語族の言語と東アジア・東南アジアの言語の大々的な比較研究を開始しました。着実かつ合理的に歴史を解明するため、考古学および生物学の最新の研究成果を適宜参照しました。考古学も生物学も近年めざましい発展を遂げており、数々の重要な発見がありました。

かつては、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、そして東アジアの黄河文明が並べられ、世界四大文明と呼ばれていました。ところが、その後の発見によって、東アジアには黄河文明のほかに二つの大きな文明が存在したことがわかってきました(このテーマを包括的に扱った書籍はいくつかありますが、考察の広さ・深さの点でShelach-Lavi 2015が優れています)。

その二つの大きな文明とは、長江文明と遼河文明(りょうがぶんめい)です。日本列島で縄文時代が進行する間に、大陸側はこのようになっていたのです。黄河文明と長江文明に比べて、遼河文明は知名度が高くないかもしれません。しかし、遼河文明は、日本語の歴史を解明するうえで重要な鍵を握っているようなのです。

生物学が発達し、人間のDNA配列が調べられるようになりました。DNA配列は、正確には「DNAの塩基配列」といい、アデニンA、チミンT、グアニンG、シトシンCという四種類の物質が作る列のことです。最近では、生きている人間のDNA配列だけでなく、はるか昔に生きていた人間のDNA配列も調べられるようになってきました。大変興味深いことに、遼河文明が栄えていた頃に遼河流域で暮らしていた人々のDNA配列を調べた研究があります(Cui 2013)。

人間は父親と母親の間に生まれるので、子のDNA配列が父親のDNA配列と100パーセント一致することはなく、子のDNA配列が母親のDNA配列と100パーセント一致することもありません。しかし、父親から息子に代々不変的に受け継がれていく部分(Y染色体DNA)と、母親から娘に代々不変的に受け継がれていく部分(ミトコンドリアDNA)があります。代々不変的に受け継がれていく部分と書きましたが、この部分にも時に突然変異が起きます。つまり、その部分のDNA配列のある箇所が変化するのです。変化していないY染色体DNA配列を持つ男性がそれを息子に伝える一方で、変化したY染色体DNA配列を持つ男性がそれを息子に伝えるということが起き始めます。同様に、変化していないミトコンドリアDNA配列を持つ女性がそれを娘に伝える一方で、変化したミトコンドリアDNA配列を持つ女性がそれを娘に伝えるということが起き始めます。こうして、時々起きる突然変異のために、Y染色体DNAのバリエーション、ミトコンドリアDNAのバリエーションができてきます。人類の歴史を研究する学者は、このY染色体DNAのバリエーション、ミトコンドリアDNAのバリエーションに注目するのです。

先ほど述べた遼河流域の人々のDNA研究は、Y染色体DNAのバリエーション(例えば、C系統か、D系統か、N系統か、O系統か)を調べたものです。その結果はどうだったでしょうか。古代の人々の研究なのでサンプル数は限られていますが、それでも大まかな傾向は十分に捉えられています。遼河文明が栄えていた頃の遼河流域では、当初はN系統が圧倒的に優勢だったが、次第にO系統とC系統が増え(つまり他の地域から人々が流入してきたということ)、N系統はめっきり少なくなってしまったようです。現在の日本、朝鮮半島、中国では、N系統はほんの少し見られる程度です(Shi 2013)。対照的に、ウラル語族の言語が話されているロシアの北極地方からフィンランド方面にかけてN系統が非常に高い率で観察されています(Rootsi 2007)。

見え始めた日本語の正体

筆者もウラル語族の言語が東アジアの言語と深い関係を持っていることを知った時には大いに驚きましたが、考古学・生物学の発見と照らし合わせると、完全に合致します。日本語がウラル語族の言語と深い関係を持っていることは非常に興味深いですが、もう一つ興味深いことがあります。日本語の中には、ウラル語族と共通している語彙も多いですが、共通していない語彙も多く、ウラル語族とは全く異なる有力な言語群も日本語の形成に大きく関与したようなのです。

ウラル語族の言語と東アジア・東南アジアの言語の大々的な比較研究を行い、様々な紆余曲折はありましたが、漢語流入前の日本語(いわゆる大和言葉)の語彙構成が以下のようになっていることがわかってきました。

「ウラル語族との共通語彙」も多いですが、「黄河文明の言語との共通語彙」と「長江文明の言語との共通語彙」も多く、この三者で漢語流入前の日本語の語彙の大部分を占めています。

「その他の語彙1」というのは、日本語が大陸にいた時に取り入れた語彙で、「ウラル語族との共通語彙」にも、「黄河文明の言語との共通語彙」にも、「長江文明の言語との共通語彙」にも該当しないものです。

「その他の語彙2」というのは、日本語が縄文時代に日本列島で話されていた言語から取り入れた語彙です。

漢語流入前の日本語の語彙構成の特徴的なところは、なんといっても、語彙の大きな源泉が三つあることです。三つの有力な言語勢力が交わっていたことを窺わせます(遼河文明と黄河文明と長江文明の位置を思い出してください)。

「日本語の意外な歴史」では、ウラル語族との共通語彙、黄河文明の言語との共通語彙、長江文明の言語との共通語彙、その他の語彙1、その他の語彙2、いずれも詳しく扱っていきます。

では、日本語およびその他の言語の歴史を研究するための準備に取りかかりましょう。

 

外国語の単語の表記について

英語と同じようなアルファベットを使用している言語では、それをそのまま記します。言語学者が諸言語の発音を記述するのに使う国際音声記号(IPA)というのがありますが、音韻論の専門家でない限り、多くが見慣れない記号です。そのため、本ブログではIPAの使用はできるだけ控えます。特に朝鮮語は、IPAを用いて記すと複雑になるため、市販されている初心者向けの韓国語の文法書で採用されている書き方にならいました。一般の読者にとって見慣れない記号を用いる場合には、補助としてのカタカナ表記を付け加えます。慣習を考慮し、ヤ行の子音は基本的に、北方の言語(ウラル語族の言語など)では「j」で表し、南方の言語(中国語、東南アジアの言語)では「y」で表します。古代中国語のアルファベット表記の仕方は、Baxter 2014に従います。

 

参考文献

Baxter W. H. et al. 2014. Old Chinese: A New Reconstruction. Oxford University Press.

Cui Y. et al. 2013. Y chromosome analysis of prehistoric human populations in the West Liao River Valley, Northeast China. BMC Evolutionary Biology 13: 216.

Rootsi S. et al. 2007. A counter-clockwise northern route of the Y-chromosome haplogroup N from Southeast Asia towards Europe. European Journal of Human Genetics 15: 204-211.

Shelach-Lavi G. 2015. The Archaeology of Early China: From Prehistory to the Han Dynasty. Cambridge University Press.

Shi H. et al. 2013. Genetic evidence of an East Asian origin and paleolithic northward migration of Y-chromosome haplogroup N. PLoS One 8(6): e66102.


►言語の歴史を研究するための準備へ

一貫性を示す古代北ユーラシアの人々のDNA

ベーリング地方の近くに位置するYana RHS遺跡で発見された二人の男性のミトコンドリアDNAはU系統で、Y染色体DNAはP系統であることが判明しました(Sikora 2019)。

※女性だけでなく男性も自分の母親からもらったミトコンドリアDNAを持っています。ただし、男性の場合は、そのミトコンドリアDNAを子どもに伝えることができません。

ミトコンドリアDNAのU系統も、Y染色体DNAのP系統も、日本ではなじみがありませんが、人類の歴史を考える際には非常に重要な系統です。まずは、ミトコンドリアDNAのU系統に注目しましょう。

前回の記事では、4.5~5万年前頃から中東のレバント地方(今のシリア、レバノン、ヨルダン、イスラエルのあたり)でInitial Upper Paleolithic(後期旧石器時代の初期)と呼ばれる動きが始まり、この先進的な動きがヨーロッパとアフリカ北東部に拡散したことをお話ししました。

現在のヨーロッパではミトコンドリアDNAのH系統の割合が最も高くなっていますが(Achilli 2004)、人類が進出してまもない頃のヨーロッパではミトコンドリアDNAのU系統が支配的でした(Soares 2010、Posth 2016)。

中東のレバント地方からヨーロッパとアフリカ北東部にInitial Upper Paleolithic(後期旧石器時代の初期)を拡散させた人々の主なミトコンドリアDNAがU系統であったと考えられています(Maca-Meyer 2001、Olivieri 2006)。

※アフリカに見られるミトコンドリアDNAのL3系統から、アフリカの外に見られるM系統とN系統が生まれました。そして、N系統の一下位系統としてR系統が生まれ、R系統の一下位系統としてU系統が生まれました。

4.5~5万年前頃に中東のレバント地方で支配的だったミトコンドリアDNAのU系統がすぐにヨーロッパとアフリカ北東部に入り込んだのはわかりますが、そのU系統が遅くとも3万年前頃にユーラシア大陸のほぼ最北東部といってよいYana RHS遺跡に到達していたというのは驚きです。

しかし、この発見は、バイカル湖の近くに位置するロシアのMal’ta(マリタ)で発見された2.4万年前の男の子のミトコンドリアDNAがU系統であったこと(Raghavan 2014)、そして中央アジアの北のほうに位置するロシアのUst’-Ishim(ウスチイシム)で発見された4.5万年前の男性のミトコンドリアDNAがR系統(つまりU系統の一段階前のタイプ)であったこと(Fu 2014)とよく合います。

ちなみに、日本の近辺で発見された現生人類として最も古いのは、以前に言及した北京郊外の田園洞遺跡で発見された4万年前の男性ですが、この男性のミトコンドリアDNAはB系統でした(Fu 2013)。上で説明したように、U系統はR系統の一下位系統ですが、B系統もR系統の一下位系統です。このことは注意を引きます。しかし、もとのR系統は人類がアフリカを出て早い段階で発生しており、パプアニューギニア・オーストラリアに見られるP系統もR系統の一下位系統です。そのため、田園洞の男性のミトコンドリアDNAのB系統が中央アジアのほうから来たのか、東南アジアのほうから来たのかという問題は慎重に検討する必要があります。

これまでに発見されている古代北ユーラシアの人間の骨または歯はわずかですが、ミトコンドリアDNAのN系統、R系統およびその下位系統が中東から北ユーラシアに広がっていく様子が見えそうです。

1 Ust’-Ishim 2 田園洞 3 Yana RHS 4 Mal’ta

ミトコンドリアDNAだけでなく、Y染色体DNAにも一貫性が感じられます。Ust’-Ishimの男性のY染色体DNAはK系統(Fu 2014)、田園洞の男性のY染色体DNAは発表されていませんが、Yana RHSの二人の男性のY染色体DNAはP系統(Sikora 2019)、Mal’taの男の子のY染色体DNAはR系統でした(Raghavan 2014)。K系統の一下位系統としてP系統があり、P系統の下位系統としてアメリカ大陸のインディアンで支配的なQ系統とMal’taの男の子のR系統があります。もととなったK系統はI系統とJ系統と近縁で、I系統はヨーロッパを中心に分布し、J系統は中東を中心に分布しています(Rootsi 2004、Semino 2004)。やはり、中東から北ユーラシア全体への拡散があったことを窺わせます。遺跡の多いアルタイ山脈周辺とバイカル湖周辺は、その拡散において重要な役割を果たしたのでしょう。

こうなると気になるのは、中東→中央アジア→バイカル湖周辺と拡散してきたInitial Upper Paleolithic(後期旧石器時代の初期)の担い手たちは、中国、朝鮮、日本方面にどのような影響を与えたのかということです。前回の記事でお話ししたように、中東で始まった先進的なInitial Upper Paleolithic(後期旧石器時代の初期)は40000~43000年前頃にはバイカル湖周辺に到達しているので、ちょうどその頃、そしてその少し後の東アジアでなにが起きていたか調べなければなりません。4万年前頃の東アジアはどのようになっていたのでしょうか。

※現在のヨーロッパを大きく支配しているのはY染色体DNAのR系統(R1a系統とR1b系統)で、インド・ヨーロッパ語族はこのR系統と深い関係があるのではないかと注目されてきました(Manco 2015)。上に示した古代北ユーラシアの人々のY染色体DNAを見ると、R系統とインド・ヨーロッパ語族の根源がヨーロッパからかなり離れたところにありそうなことがわかります。Mal’taの男の子のY染色体DNAは、R1a、R1bあるいはこれらの共通祖先であるR1に分類されるための変異を起こしておらず、R系統の中で原初的なタイプです(Raghavan 2014)。

 

参考文献

Achilli A. et al. 2004. The molecular dissection of mtDNA haplogroup H confirms that the Franco-Cantabrian glacial refuge was a major source for the European gene pool. American Journal of Human Genetics 75(5): 910-918.

Fu Q. et al. 2013. DNA analysis of an early modern human from Tianyuan Cave, China. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 110(6): 2223-2227.

Fu Q. et al. 2014. Genome sequence of a 45,000-year-pld modern human from western Siberia. Nature 514(7523): 445-449.

Maca-Meyer N. et al. 2001. Major genomic mitochondrial lineages delineate early human expansions. BMC Genetics 2: 13.

Manco J. 2015. Ancestral Journeys: The Peopling of Europe from the First Venturers to the Vikings. Thames & Hudson.

Olivieri A. et al. 2006. The mtDNA legacy of the Levantine early Upper Palaeolithic in Africa. Science 314(5806): 1767-1770.

Posth C. et al. 2016. Pleistocene mitochondrial genomes suggest a single major dispersal of non-Africans and a Late Glacial population turnover in Europe. Current Biology 26(6): 827-833.

Raghavan M. et al. 2014. Upper Palaeolithic Siberian genome reveals dual ancestry of Native Americans. Nature 505(7481): 87-91.

Rootsi S. et al. 2004. Phylogeography of Y-chromosome haplogroup I reveals distinct domains of prehistoric gene flow in Europe. American Journal of Human Genetics 75(1): 128-137.

Semino O. et al. 2004. Origin, diffusion, and differentiation of Y-chromosome haplogroups E and J: Inferences on the neolithization of Europe and later migratory events in the Mediterranean area. American Journal of Human Genetics 74(5): 1023-1034.

Sikora M. et al. 2019. The population history of northeastern Siberia since the Pleistocene. Nature 570(7760): 182-188.

Soares P. et al. 2010. The Archaeogenetics of Europe. Current Biology 20(4): R174-R183.

東アジアの人々の本質、アフリカから東アジアに至る二つの道

人類学者・考古学者のT. Goebel氏がGoebel 2015で述べている説は、これまでほとんど注目されてこなかった説です。Goebel氏自身も、以前から述べているがなかなか注目されないと記しています。この説は、アフリカを出た人類がまもなく中央アジアに向かい、そこからさらに東アジアに向かったと主張しています。

冷静に考えれば、この説は突拍子もない説ではありません。アフリカから中東に出た人類が次にどこに向かうかといえば、(1)アフリカに戻る、(2)ヨーロッパに向かう、(3)コーカサスに向かう(4)中央アジアに向かう、(5)南アジア・東南アジアに向かうの五つしか可能性がないからです(コーカサスというのは、ヨーロッパと中央アジアの間にある黒海とカスピ海に挟まれた地域です)。実際、Goebel氏はGoebel 2007で以下のような図を示していました。

上の図は、人類がアフリカを出た後、まず青い線の動きがあり、しばらくして赤い線の動きがあったことを示しています。中東からヨーロッパに向かうルートと、中東から南アジア、東南アジア、パプアニューギニア・オーストラリアに向かうルートが圧倒的な注目を集め、すっかりその陰に隠れてきましたが、中東→中央アジア→バイカル湖周辺というルートがあることに注目してください。

※アルタイ山脈とバイカル湖という名前は聞いたことがあると思いますが、位置がわからない方は以下の地図で確認してください(地図はwww.freeworldmaps.net様のウェブサイトより引用)。

今のモンゴルの一番西の部分を斜めに走っているのがアルタイ山脈で、モンゴルのすぐ上にあるのがバイカル湖です。アルタイ山脈周辺とバイカル湖周辺は人類の歴史を通じて重要な遺跡がたくさん出てくるところなので、大体の位置を頭に入れておいてください。

中東は1万年ぐらい前に農耕・牧畜が始まった地域で、そのことはよく知られていますが、中東が人類の歴史において大きな役割を果たしたのは、これが初めてではありません。

冒頭の地図にKsar Akil(クサルアキル)という遺跡名が書き込まれていますが、このあたりはLevant(レバント)と呼ばれます。今のシリア、レバノン、ヨルダン、イスラエルがあるあたりです。4.5~5万年前頃から、レバントでInitial Upper Paleolithicと呼ばれる動きが見られ始めます(Goebel 2015)。Initial Upper Paleolithicは、Middle Paleolithic(中期旧石器時代)からUpper Paleolithic(後期旧石器時代)に移り始める段階を指しますが、ここでは「後期旧石器時代の初期」と表現しておきましょう。

※Upper Paleolithic(後期旧石器時代)という言い方に違和感を感じるかもしれませんが、これは考古学的発掘調査で後の時代のものほど上に位置しているためです。Lower Paleolithic(前期旧石器時代)、Middle Paleolithic(中期旧石器時代)、Upper Paleolithic(後期旧石器時代)のように言います。

Initial Upper Paleolithic(後期旧石器時代の初期)の頃から、現生人類がネアンデルタール人などの旧人類を圧倒し始め、現生人類の独壇場になっていきます。Initial Upper Paleolithic(後期旧石器時代の初期)の最大の特徴は、石刃技法によって石器作りが高度化したことですが、石のほかに動物の骨・角が用いられたことや、実用性とは異なる装飾・芸術の性格を持つ品が作られたことも大きな特徴です(Kuhn 2003)。

※石刃技法は基本的に、もととなる石の上部を割って平らな面を作り出し、その平らな面の周縁部に上から打撃を加え、縦長のかけらを剥がし取っていきます。こうして大量に生産された剥片に、必要に応じた二次加工が施されます。

(図はAndrews B. W. 2016. Stone tools in Mesoamerica: Flaked stone tools. In Selin H., ed., Encyclopaedia of the history of science, technology, and medicine in non-western cultures, Springerより引用)

複数の手順から成る体系的方法を確立する段階に入っており、近い将来に大きな発展が起きることを予感させます。

このような特徴を持つ先進的なInitial Upper Paleolithic(後期旧石器時代の初期)はすぐに拡散し始めました。冒頭の地図のように、Initial Upper Paleolithic(後期旧石器時代の初期)はヨーロッパとアフリカ北東部に拡散しましたが、それだけでなく、驚くべきことに中央アジア、そしてさらにバイカル湖周辺にも拡散しました(冒頭の地図の赤い点は後期旧石器時代の初期~早期の遺跡を示しています)。この拡散はかなり速く、現在では、Initial Upper Paleolithic(後期旧石器時代の初期)が43000~45000年前頃にアルタイ山脈周辺に到達し、40000~43000年前頃にバイカル湖周辺に到達していたことがわかっています(Rybin 2014)。

冒頭の地図の右上のほうに赤い点が一つだけありますが、これは以前にベーリング陸橋、危ない橋を渡った人々の記事でお話ししたYana RHS遺跡の近辺です。V. V. Pitulko氏らが2004年に発表した3万年前頃のものと推定されるYana RHS遺跡は、大きな驚きを与えました(Pitulko 2004)。そんな古い時代に北極地方に人間がいたとは考えられていなかったからです。しかし、その後も各地で調査が進み、ユーラシア大陸の高緯度地方で貴重な発見が続いています。

中央アジアの北のほうに位置するロシアのUst’-Ishim(ウスチイシム)では、4.5万年前頃のものと推定される現生人類の男性の骨が発見されました(Fu 2014)。ちなみに、Ust’-Ishimの西のほうに位置するウラル山脈でも、少なくとも4万年前頃から現生人類の遺跡が認められています(4万年以上前の遺跡については、現生人類のものかどうか判断が保留されています)(Svendsen 2010)。

Ust’-Ishimの男性の骨の発見は、センセーショナルな出来事でした。それまでに知られていた古代北ユーラシアの人骨といえば、バイカル湖の近くに位置するロシアのMal’ta(マリタ)で発見された2.4万年前頃のものと推定される男の子の骨が最古でした(Raghavan 2014)。人骨はそうそう見つからないのです。

Ust’-Ishimの男性とMal’taの男の子のDNAはすでに詳しく調べられていますが、最近ついに上述のYana RHS遺跡(冒頭の地図の右上のほう)で発見された二人の男性のDNAが分析にかけられました(Sikora 2019)。

その結果は、大変興味深いものでした。

なぜ古代北ユーラシアにヨーロッパから東アジアに至るまでの広大な領域を覆う巨大な言語群が存在したのでしょうか。

 

参考文献

Fu Q. et al. 2014. Genome sequence of a 45,000-year-pld modern human from western Siberia. Nature 514(7523): 445-449.

Goebel T. 2007. The missing years for modern humans. Science 315(5809): 194-196.

Goebel T. 2015. The overland dispersal of modern humans to Eastern Asia: An alternative, northern route from Africa. In Kaifu Y. et al., eds., Emergence and diversity of modern human behavior in Paleolithic Asia, Texas A&M University Press, 437-452.

Kuhn S. L. 2003. In what sense is the Levantine Initial Upper Paleolithic a “transitional” industry? In Zilhão J. et al., eds., The chronology of the Aurignacian and of the transitional technocomplexes: Dating, stratigraphies, cultural implications, Instituto Português de Arqueologia, 61-69.

Pitulko V. V. et al. 2004. The Yana RHS site: Humans in the Arctic before the last glacial maximum. Science 303(5654): 52-56.

Raghavan M. et al. 2014. Upper Palaeolithic Siberian genome reveals dual ancestry of Native Americans. Nature 505(7481): 87-91.

Rybin E. P. 2014. Tools, beads, and migrations: Specific cultural traits in the Initial Upper Paleolithic of Southern Siberia and Central Asia. Quaternary International 347: 39-52.

Sikora M. et al. 2019. The population history of northeastern Siberia since the Pleistocene. Nature 570(7760): 182-188.

Svendsen J. I. et al. 2010. Geo-archaeological investigations of Palaeolithic sites along the Ural Mountains ― On the northern presence of humans during the last Ice Age. Quaternary Science Reviews 29(23-24): 3138-3156.

東アジアの人々は南方から北上してきたのか

私たちの種は、ネアンデルタール人などの旧人類と区別して、ホモ・サピエンスと呼ばれたり、Anatomically modern humans(解剖学的現代人)と呼ばれたりします。ここでは、後者の呼び方を用いることにします。

ミトコンドリアDNAとY染色体DNAの研究が発達し、現在では、AMHは15~20万年前頃にアフリカで誕生し、6万年前頃にアフリカを出たという考え方が主流です(Mellars 2006)。アフリカ以外の地域の人々のミトコンドリアDNAとY染色体DNAを調べると、6万年前かそれより若干前の頃の共通祖先に行きつき、アフリカを含めて全世界の人々のミトコンドリアDNAとY染色体DNAを調べると、15~20万年前頃の共通祖先に行きつきます(Maca-Meyer 2001、Macaulay 2005、Soares 2012、Poznik 2016、Haber 2019、Rito 2019)。

※AMHは15~20万年前頃にアフリカで誕生し、6万年前頃までアフリカから全く出なかったのかというと、そういうわけではないようです。イスラエルのSkhul(スクール)やQafzeh(カフゼー)では、6万年前よりかなり古いAMHのものと判断される人骨が見つかっています(Shea 2008)。どうやら、6万年前頃より早くにアフリカから出たAMHは、子孫を途切れず残して繁栄することに成功しなかったようです。

6万年前頃にアフリカから中東に出たAMHは、そこからどこに向かったのでしょうか。各分野の専門家の注目を集めてきたのは、(1)中東からヨーロッパに向かうルートと(2)中東から南アジア、東南アジア、パプアニューギニア・オーストラリアに向かうルートです。

中東からヨーロッパは近いですが、中東からパプアニューギニア・オーストラリアは遠いです。しかし、パプアニューギニア・オーストラリアには、4.5~5万年前頃からAMHの遺跡が見られるのです(当時は、パプアニューギニアとオーストラリアは陸続きで、サフール大陸という大陸を形成していました)(O’Connell 2015、O’Connell 2018)。これは、AMHがヨーロッパに現れるのと大体同じかそれより若干早いくらいです。

AMHが4.5~5万年前にパプアニューギニア・オーストラリアに辿り着いていたということは、その少し前に東南アジアに辿り着いていたはずです。ここから、東南アジアの人々が北上して東アジアの人々になったのだという説が唱えられるようになります。

東アジアの人々がどこからやって来たかを研究するB. Su氏、H. Shi氏、H. Zhong氏らのグループの一連の論文は、賛成か反対かはともかく、多くの学者の注目を集めてきました。Su 1999では、東アジアの人々のY染色体DNAを調べ、北部に見られるセットは南部に見られるセットの一部にすぎないという観察に基づいて、東アジアの人々は南方からやって来たという結論が出されました。しかし、この論文が書かれたのは、Y染色体DNAの研究が始まったばかりで、Y染色体DNAの各系統(各ハプログループ)がまだ細かく整理されていない時期でした。そのため、同論文には問題がありました。Su氏らは人類のY染色体DNAを17のハプログループ(H1~H17)に分類し、そのうちの8つ(H6~H13)をアジア特有として、この8つが東アジアにどのように分布しているか調べました。しかし、のちの観点からすると、Su氏らが調べた7つ(H6~H12)はO系統のもので、1つ(H13)はQ系統のものでした。つまり、Su氏らは実質的にO系統の拡散を調べていたのです。東アジアの人々はどこからやって来たかというより、Y染色体DNAのO系統はどのように拡散したかという問題になっていたのです。

2002年にY Chromosome Consortium(Y染色体コンソーシアム)という団体によってY染色体DNAの細かい系統図が発表されました(Y Chromosome Consortium 2002)。その後、Su氏、Shi氏、Zhong氏らは、東アジアの両極にあるチベットと日本にはよく見られるが、その間にはほとんど見られないY染色体DNAのD系統に注意を向けます。確かに、東アジアにおけるD系統の分布は特徴的です。かつて大きく広がっていた勢力が、新しく台頭した勢力によって分断されてしまったことを思わせます。Shi 2008では、D系統のShort tandem repeat(ショートタンデムリピート)の分析も行いながら、まずはD系統が南方から東アジアに広がり、後でO系統などの他の系統が南方から東アジアに広がったという結論が出されました(Short tandem repeatの分析はよく用いられる重要な手法なので、別のところで説明します)。

東アジアではO系統とD系統に加えてC系統が目立ちますが、C系統はZhong 2010で研究されています。C系統はオセアニア、東南アジア、東アジア、中央アジア、シベリア、北米の各地域にある程度の頻度で観察され、パプアニューギニア・オーストラリアでも高い率で見られます。C系統は、長い歴史を持ちますが、比較的よく足跡を残しており、研究のための材料・根拠に恵まれています。Zhong 2010では、C系統も南方から東アジアに広がったという結論が出されました。

アフリカ・中東方面から東アジアに向かおうとすると、ヒマラヤ山脈という巨大な障壁があり、可能性としては、ヒマラヤ山脈の南側を通過するか(東南アジア経由)、ヒマラヤ山脈の北側を通過するか(中央アジア経由)しなければなりません。Su 1999、Shi 2008、Zhong 2010では南側ルートの話ばかりでしたが、Zhong 2011では北側ルートにも目が向けられるようになります。Zhong 2011が特徴的なのは、古代中国と西方の間でシルクロードが栄えた時代や農耕・牧畜が始まった時代ではなく、もっと前のLast Glacial Maximum(最終氷期最盛期)の直後(15000~18000年前頃)から、人々が北側ルートを通って東アジアに入ってきていると考えている点です。Su氏、Shi氏、Zhong氏らの考えの変化は、東アジアの特に北部の人々にごく低率ながら認められるY染色体DNAのQ系統とR系統を本格的に分析し始めたことによります(Short tandem repeatに関する知識が必要なので、ここでは深入りしません)。東アジアの人々は古い時代に南側ルートを通ってやって来た多数の人々とそれより後の時代に北側ルートを通ってやって来た少数の人々によって形成されたのではないかという考えが生まれてきました。Su氏、Shi氏、Zhong氏らのグループの研究はこのように変遷してきました。

しかし、実は全然違うところでもっと大胆な説を提唱している人たちがいました。

 

参考文献

Haber M. et al. 2019. A rare deep-rooting D0 African Y-chromosomal haplogroup and its implications for the expansion of modern humans out of Africa. Genetics 212(4): 1421-1428.

Maca-Meyer N. et al. 2001. Major genomic mitochondrial lineages delineate early human expansions. BMC Genetics 2: 13.

Macaulay V. et al. 2005. Single, rapid coastal settlement of Asia revealed by analysis of complete mitochondrial genomes. Science 308(5724): 1034-1036.

Mellars P. 2006. Why did modern human populations disperse from Africa ca. 60,000 years ago? A new model. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 103(25): 9381-9386.

O’Connell J. F. et al. 2015. The process, biotic impact, and global implications of the human colonization of Sahul about 47,000 years ago. Journal of Archaeological Science 56: 73-84.

O’Connell J. F. et al. 2018. When did Homo sapiens first reach Southeast Asia and Sahul? Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 115(34): 8482-8490.

Poznik G. D. et al. 2016. Punctuated bursts in human male demography inferred from 1,244 worldwide Y-chromosome sequences. Nature Genetics 48(6): 593-599.

Rito T. et al. 2019. A dispersal of Homo sapiens from southern to eastern Africa immediately preceded the out-of-Africa migration. Scientific Reports 9(1): 4728.

Shea J. J. 2008. Transitions or turnovers? Climatically-forced extinctions of Homo sapiens and Neanderthals in the East Mediterranean Levant. Quaternary Science Reviews 27(23-24): 2253-2270.

Shi H. et al. 2008. Y chromosome evidence of earliest modern human settlement in East Asia and multiple origins of Tibetan and Japanese populations. BMC Biology 6: 45.

Soares P. et al. 2012. The expansion of mtDNA haplogroup L3 within and out of Africa. Molecular Biology and Evolution 29(3): 915-927.

Su B. et al. 1999. Y-Chromosome evidence for a northward migration of modern humans into Eastern Asia during the last Ice Age. American Journal of Human Genetics 65(6): 1718-1724.

Y Chromosome Consortium. 2002. A nomenclature system for the tree of human Y chromosomal binary haplogroups. Genome Research 12: 339-348.

Zhong H. et al. 2010. Global distribution of Y-chromosome haplogroup C reveals the prehistoric migration routes of African exodus and early settlement in East Asia. Journal of Human Genetics 55(7): 428-435.

Zhong H. et al. 2011. Extended Y chromosome investigation suggests postglacial migrations of modern humans into East Asia via the northern route. Molecular Biology and Evolution 28(1): 717-727.