長らくブログの執筆をお休みし、申し訳ありませんでした。
お話ししたいことはたくさんありますが、まずは昔の話題の続きから始めましょう。
前回の記事では、「音」を意味するna*という語があり、これがnaru(鳴る)/nasu(鳴す)になったり、na(名)になったり、ne(音)になったりしたという話をしました。
この話はわかりやすいのですが、筆者は別のnaに長年悩まされてきました。悩まされてきたというより、どうしてよいか全くわからず、手も足も出なかったと言ったほうが適切です。
それは、naru(なる)とnasu(なす)に含まれているnaです。naru(なる)とnasu(なす)は、漢字で書くと「成る」と「成す」です。
日本語には、「~る」が自動詞、「~す」が他動詞になっているペアがたくさんあります。例えば、nagaru(流る)/nagasu(流す)、taɸuru(倒る)/taɸusu(倒す)、toɸoru(通る)/toɸosu(通す)、kudaru(下る)/kudasu(下す)などです。
naru(鳴る)とnasu(鳴す)に含まれるnaに比べると、naru(成る)とnasu(成す)に含まれるnaは謎めいていますね。naru(成る)とnasu(成す)に含まれるnaがなんなのかいきなり説明するのは難しいので、まず他の話をして、最後にこの謎めくnaの話に至ります。
●aru(ある)の話
「ある」と「いる」の語源の記事で、日本語のaru(ある)の語源について論じました。ウラル語族を見ると、フィンランド語にalas(下へ)、alle(下へ)、alla(下に、下で)、alta(下から)のような語、ハンガリー語にalá(下へ)アラー、alatt(下に、下で)、alól(下から)アロールのような語があり、かつて「下」を意味するala*という語があったことがはっきりと窺えます。朝鮮語のarɛ(下)アレも、東アジアの遼河周辺にそのような語があったことを証言しています。
日本語のaru(ある)の語源で決定的に重要だったのは、「下」を意味する語が「座ること、座っていること」を意味するようになり、「座ること、座っていること」を意味する語が「存在すること」を意味するようになるというパターンでした。実は、この話には、大いなる続きがあります。
現代の日本語のaru(ある)は、奈良時代の時点ではari(あり)ですが、奈良時代の日本語には、ari(あり)という語のほかに、aru(生る)という語もありました。ari(あり)はラ行変格活用で、aru(生る)は下二段活用です。
奈良時代の日本語のari(あり)
奈良時代の日本語のaru(生る)
「あらかじめ(予め)」とは?の記事で説明したように、奈良時代の動詞の六つの活用形の中で、もとの姿を最もよく示していると考えられるのは、未然形です。
あることを意味するaraのような語と、生まれること・生じることを意味するareのような語が存在したことになります。奈良時代の日本語のaraɸaru(現る)も、この両者と無関係でないでしょう。
考えてみてください。「ある」は、「現れる、生まれる、生じる」と密接な関係にあるのです。
さっきまでなくて、今ある場合に、私たちは「現れた、生まれた、生じた」と言うわけです。その意味で、「ある」は、「現れる、生まれる、生じる」と密接な関係にあります。
大変興味深いことに、奈良時代の日本語には、araɸaru(現る)という動詞だけでなく、umaɸaru(産る、殖る)という動詞がありました。umaɸaru(産る、殖る)は、生まれるという意味です。
●umaru(生まる)とumu(生む)の話
araɸaru(現る)の背後に、「下」を意味するaraのような語があったのなら、umaɸaru(産る、殖る)の背後に、「下」を意味するumaのような語があったのではないかと考えたくなるところです。
要するに、「下」を意味するumaのような語があって、それが「座ること、座っていること」を意味するようになり、さらに「存在すること」を意味するようになったのではないかということです。
これは、突拍子もない話ではなく、よくある話です。例えば、日本語にutumuku(うつむく)という語が残っており、かつて「下」を意味するutuのような語があったことが窺えます。そして、奈良時代の日本語に、現実を意味するutu(現)があったのです。utuを重ねたと見られるututu(現)がよく用いられてきました。
「下」を意味するumaのような語があって、それが「座ること、座っていること」を意味するようになり、さらに「存在すること」を意味するようになったとすると、奈良時代の日本語のumaru(生まる)、umu(生む)、umaɸaru(産る、殖る)をうまく説明することができます。
果たして、「下」を意味するumaのような語はあったのでしょうか。
●先に種明かし
この後、実に様々な語彙が登場し、読者の混乱を招きかねないので、先に種明かしをしてしまいます。最後まで種明かしをしないほうが盛り上がるかもしれませんが、敢えて先に種明かしをしてしまいます。
日本語にnomu(飲む)という語があります。この語が、タイ系言語で「水」を意味したnam-、nim-、num-、nem-、nom-のような語から来たことは、本ブログで繰り返しお話ししてきました。一般に、「飲むこと」を意味する語は、人類の歴史を考えるうえで、極めて重要です。
古代中国語にim(飲)という語がありました。imというのは、あくまで、隋・唐の時代の一方言の形です。古代中国語の「飲」の読みは、日本語ではin、朝鮮語ではɯmウム、ベトナム語ではẩmウムです。朝鮮語のɯは、口を横に大きく開いたウです。ベトナム語のẩは、曖昧母音の[ə]です。
「飲むこと」を意味する語が極めて重要なのは、それが、往々にして、近隣に存在した有力な言語で「水」を意味していた語だからです。古代中国語のim(飲)は、古代中国語のそばに、水のことをam-、im-、um-、em-、om-のように言う有力な語族が存在したことを示唆しているのです。
ようやくこの語族についてお話しする時が来ました。ミャオ・ヤオ語族です。
●ついにベールを脱ぐミャオ・ヤオ語族
ミャオ・ヤオ語族の存在を知っている人は、非常に少ないかと思います。今では、中国南部から東南アジア大陸部にかけての山岳地帯に住む少数民族の言語というイメージがすっかり定着しています。
シナ・チベット語族の言語は、中国とミャンマーの主要言語になり、タイ・カダイ語族の言語(タイ系言語)は、タイとラオスの主要言語になり、オーストロアジア語族の言語(ベトナム系言語)は、ベトナムとカンボジアの主要言語になり、オーストロネシア語族の言語は、フィリピン、インドネシア、マレーシアの主要言語になりました(シンガポールは、マレーシアから独立した国ですが、マレー語以上に英語と中国語が使われています)。
それに対して、ミャオ・ヤオ語族の言語は、どこの国の主要言語になることもできませんでした。当然、学習されることも、注目されることも、ほとんどありません。ミャオ・ヤオ語族は、古代中国の戦乱で甚大なダメージを受けてしまった語族です。しかし、もう現代では目立ちませんが、この語族を引っ張り出してこないと、東アジア・東南アジアの歴史はよく理解できないのです。
ミャオ・ヤオ語族では、水のことをミャオ語u/əウ(ミャオ語の一部の方言では完全に別の語になっています)、プヌ語aŋアン、シェ語ɔŋオン、ミエン語wamのように言います。ミャオ・ヤオ語族を見渡すと、末尾の子音がm~n~ŋの間で変化しています。これは、ミャオ・ヤオ語族というより、中国から東南アジアにかけて非常によく見られる傾向です。かつては、水を意味するam、an、aŋ、um、un、uŋ、om、on、oŋのような語が広く分布していたと推測されます。
鋭い人は、感づくのではないでしょうか。日本語のama*(雨)はここから来たのではないか、umi(海)はここから来たのではないか、una(海)はここから来たのではないかと。そうでしょう。しかし、とてもその程度では済まなそうです(職業のama(海人)も、過去に海を意味した、あるいは意味しようとした語でしょう)。
●趣向を変えてimo(芋)の話
先ほどの問いに戻りましょう。「下」を意味するumaのような語はあったのかという問いです。
ちょっと趣向を変えて、imo(芋)の話をしましょう。芋は関係ないではないかと思うかもしれませんが、これが関係があるのです。
現代の日本人には、ジャガイモとサツマイモがおなじみでしょう。これらは、アメリカ大陸のインディアンが栽培していたもので、そこから世界に広がっていきました。それよりも前に日本人が食べていたのは、ヤマイモとサトイモです。
芋は、根菜の一種です。根菜というのは、地下部が食用になっている野菜です。例えば、ダイコンがあります(画像は聖新陶芸様のウェブサイトより引用)。
私たちは、この植物の地下部を食べていますね。ダイコンは漢字で書くと「大根」ですが、この「大根」という名前をよく見てください。「大きな根」と言っているだけです。そもそも、この植物はオホネと呼ばれていて、のちにダイコンと呼ばれるようになりました。ここで注目すべきなのは、植物の地下部を意味していた語が、ある特定の野菜の名前になったという事実です。
実は、imo(芋)は、奈良時代にはumo(芋)だったのです。自動詞のumoru(埋もる)と他動詞のumu(埋む)と関係がありそうです。「下」を意味するumaのような語があって、地下・地中も意味していたと考えられます。
先ほども言及しましたが、「下」を意味するumaのような語だけでなく、「下」を意味するutuのような語もあり、前者からumu(埋む)とumoru(埋もる)が作られ、後者からudumu(埋む)とudumoru(埋もる)が作られ、ややこしい様相を呈していたと思われます(現代では順に、umeru、umoreru、uzumeru、uzumoreruになっています)。
umo(芋)がimo(芋)になったと述べましたが、昔からiとuの間の発音変化は盛んです。日本を含む東アジア・東南アジアで、口を横に大きく開いたウがよく使われることも影響していると思います。朝鮮語も、ベトナム語も、口を横に大きく開いたウをよく使います。
昔からiとuの間の発音変化が盛んであったことを考えると、「下」を意味するumaのような語だけでなく、「下」を意味するimaのような語があった可能性が極めて高いです。日本語の語彙を見る限り、100%断言できます。
●ime(夢)とima(今)の話
「下」を意味する語が「座ること、座っていること」を意味するようになるのは超頻出パターンですが、「下」を意味する語が「寝ること、寝ていること」を意味するようになるのも超頻出パターンです。
奈良時代の日本語には、nu(寝)という動詞がありました。
寝ることを意味するneのような語があったと考えられます。考えられますというか、実際に奈良時代の日本語にはne(寝)という名詞がありました。
nu(寝)の尊敬語として、nasu(寝す)がありました。
そのほかに、neburu(眠る)という動詞もありました。
タイ系言語で「水」を意味したnam-、nim-、num-、nem-、nom-のような語が、「水」→「雨」→「落下、下方向、下」と変化し、この最後のところから「寝ること、寝ていること」を意味する語が生まれてくるわけです。
namaru(鈍る)やniburu(鈍る)も、同じところから来ています。「腕が落ちる、腕が衰える」と似た意味で、「腕が鈍る(なまる、にぶる)」と言いますね。namaru(鈍る)とniburu(鈍る)も、下への動きを意味していた語なのです。namaku(怠く)は、活動状態が低下・停止することです。
mとbの間の変化は、世界中の言語でよく起きる変化です。
「下」を意味したutuのような語は、uturautura(うつらうつら)、utouto(うとうと)、uttori(うっとり)などになりました。「下」を意味したimaのような語があったとしたら、それはどうなったのでしょうか。
ここで問題にしたいのが、奈良時代の日本語のime(夢)です。現代の日本語では、yume(夢)になっています。
ime(夢)のmeは乙類です。したがって、me(目)からma*という古形が推定されるのと同様に、ime(夢)からima*という古形が推定されます。
先ほど、奈良時代の日本語には、寝ることを意味するne(寝)という名詞があったと述べました。実は、奈良時代の日本語には、寝ることを意味するi(寝)という名詞もありました。
日本の古語辞典は、i(寝)とme(目)がくっついたのがime(夢)であろうと説明してきました(上代語辞典編修委員会1967、大野1990)。一見もっともらしいですが、筆者はちょっと違うと思います。
世界の言語の代表例として、英語のdream(夢)を取り上げましょう。英語が属するゲルマン系の外に目をやると、イタリック系にイタリア語dormire(寝る)のような語があり、スラヴ系にロシア語dremat’(居眠りする、まどろむ)ドリマーチのような語があります。ロシア語は端的で、同一のsonという名詞が「眠り」も「夢」も意味します。
奈良時代以前の日本語のima*も、寝ることを意味していたと考えられます。日本語ではimという語形が許されないので、iという形とima*という形になっていたということです。
「下」を意味するima*という語が存在した可能性が高まってきました。
これを裏づけるのが、奈良時代の日本語のimasu(座す)です(現代の日本語のiru(いる)は当時はwiru(居る)で、それとは別物です)。imasu(座す)は、ari(あり)の尊敬語でした。
極めつけは、ima(今)です。
英語のpast(過去)、present(現在)、future(未来)のうちのpresent(現在)について考えてみましょう。英語のpresent(現在)は、ラテン語のpraeesse(前にある)の変化形から来ています。ラテン語のpraeesseは、前を意味するpraeとあることを意味するesseがくっついた語です。要するに、「前にあること」を意味する語が、「現在」を意味するようになったのです。
古代中国語のhen dzoj(現在)ヘンヅォイも、見えることを意味するhen(現)とあることを意味するdzoj(在)がくっついた語ですから、大体同じ発想です。
日本語のima(今)も、「(目の前に)あること」を意味していて、そこから「現在」を意味するようになったと考えられます。
「下」を意味するutu*は、「現実」を意味するようになりましたが、「下」を意味するima*は、「現在」を意味するようになったのです。
※ari(あり)の尊敬語としてimasu(座す)がありましたが、imasu(座す)と全く同じ働きをするmasu(座す)という語もありました。masu(座す)からimasu(座す)が生まれたのか、それとも、imasu(座す)からmasu(座す)が生まれたのかという問題がありましたが(上代語辞典編修委員会1967、大野1990)、正しいのは後者でしょう。奈良時代の日本語を見ると、imasu(座す)のほうが明らかによく使われています。imada(未だ)からmada(まだ)が生まれたのと同様に、imasu(座す)からmasu(座す)が生まれたと考えられます。
imada(未だ)からmada(まだ)が生まれましたが、imada(未だ)は、意味と形を考えれば、間違いなくima(今)と関係のある語でしょう。奈良時代の日本語を見ると、imadaという形にほんの少しimataという形が混じっており、imataのほうが古い形と思われます。konata(こなた)やkanata(かなた)などの語に方向・場所を意味するtaが含まれていますが、これが非常に怪しいです。ima(今)と場所を意味するtaがくっついたのが、imataだったのではないかということです。現代の日本語で、「今」と「今のところ」と言うようなものです。
iとuの間の発音変化が盛んであったことを考えると、「下」を意味したima*とuma*のような例は、ほかにもあったでしょう。sita(下)とsuta*(下)の間にも、そのような発音変化があったと思われます。suta*(下)が「足」を意味する語になり、「足」を意味する語が「歩くこと」を意味するようになったのが、sutasuta(すたすた)でしょう。転倒を表すsutten(すってん)や落下を表すsuton(すとん)も怪しいです。
補説1
onore(己)とore(俺)も
ミャオ・ヤオ語族が日本語に非常に大きな影響を与えていたというのは、なんとも驚きだったのではないでしょうか。これは、まだまだ序の口です。次回の記事でもミャオ・ヤオ語族を取り上げますが、ここでいつもの図を示しておきましょう。
ミャオ・ヤオ系言語で「水」を意味したam、an、aŋ、um、un、uŋ、om、on、oŋのような語は、やはりその横の部分を意味するようになったようです。
「水」を意味したonaは、「なにかが二つあること」を意味することもできたでしょう(この話題については、数詞の起源について考える、語られなかった大革命を参照。「水」を意味した語が「横の陸」を意味するようになり、「横の陸」を意味した語が「2」を意味するようになる話です)。しかし、onaは、「同じであること」を意味するようになったようです。
奈良時代の日本語のona(同)だけでなく、ono(己)もここから来たと考えられます。ono(己)に、他の代名詞と同様にreが付けられたのが、onore(己)です。onore(己)は、もともと上の図のような語ですから、二つあるうちの一方を指すこともできるし、他方を指すこともできます。だから、一人称代名詞として働くこともあったし、二人称代名詞として働くこともあったのです(onore(己)が短縮したのが、ore(俺)です)。
なにかが複数あって、その一つ一つを指す時にonoono(各々)と言いますね。このono(各)も、上の図から来たと考えられます。
数詞の起源について考える、語られなかった大革命の記事でお話ししたpitoにそっくりです。pitoは、語頭のpがɸに変化して、ɸito(一)になったり、ɸito(等)になったりしたのでした。
補説2
uturu(映る)、uturu(写る)、uturu(移る)の共通点
上でお話ししたように、「下」を意味したutu*という語は、「現実」を意味する奈良時代の日本語のutu(現)になりました。
奈良時代の日本語には、utusi(現し)という形容詞があって、「あること、見えること」を意味していました。このことから、uturuという動詞は、当初は「現れること」を意味していたと思われます。岩波古語辞典がそのような考えを示していますが、筆者も同じ考えです(大野1990)。
uturuという動詞は、他の動詞に押されて、単純に「現れること」を意味することができなくなったのでしょう。そこで、「ある場所に存在していたものが、別の場所に現れる」という特殊な意味を帯びていくのです。
現代の日本語では、uturuは「映る」、「写る」、「移る」などと書かれ、それぞれの使い方がありますが、「ある場所に存在していたものが、別の場所に現れる」という意味は共通しています。
補説3
最後にnaru(成る)とnasu(成す)の話
ここまで読んでいただいた方なら、naru(なる)とnasu(なす)の語源も理解できるでしょう。
ポイントは、奈良時代の日本人が、naruを「成」と書くだけでなく、「生」とも書いていたことです。現代の日本語に「実がなる」という言い方がありますが、この「なる」は、「成る」とも、「生る」とも書かれていたのです。
タイ系言語で「水」を意味したnam-、nim-、num-、nem-、nom-のような語が、「下」を意味するようになるのを見ました。namaru(鈍る)やnasu(寝す)などの話を思い出してください。ne(寝)のみならず、ne(根)も「下」を意味していた語でしょう。
na*は「下」を意味していた語で、「あること」を意味するようになり、それから作られた動詞のnaru(なる)は、「生まれること、生じること」を意味していたと考えられます。だから、「実がなる」と言うのです。そして、「実が生る」と書いていたのです。
しかし、補説2の話に似ていますが、naru(なる)は、他の動詞に押されて、単純に「生まれること、生じること」を意味することができなくなっていったようです。そこで、「なんらかの過程を経て生まれること、生じること」を意味するようになっていったようです(奈良時代の日本語で生産を意味していたnari(業)も同源でしょう)。
現代の日本人にとっては、naru(なる)は、ほぼ完全に変化を意味する語になっていますが、上のような歴史があったのです。
残された謎
今回の記事では、タイ系言語で「水」を意味した語が、「水」→「雨」→「下」と意味変化し、この「下」を意味する語が、様々な日本語になったことを見ました。同様に、ミャオ・ヤオ系言語で「水」を意味した語が、「水」→「雨」→「下」と意味変化し、この「下」を意味する語が、様々な日本語になったことを見ました。
タイ系言語とミャオ・ヤオ系言語が日本語に語彙を与えていたというのは、日本語の歴史を考えるうえで極めて重要です。
その一方で、疑問点も残ったかと思います。
それは、「下」を意味したutu*という語です。案の定というか、奈良時代の日本語には、utu/udu(渦)という語がありました。「水」を意味するutuのような語がどこかにあったことを示唆しています。
シナ・チベット語族は、「水」のことを中国語shuiシュイ、チベット語chuチュのように言うので、該当しません。オーストロアジア語族(ベトナム系言語)も、「水」のことをベトナム語nướcヌウク、クメール語tɨkトゥクのように言うので、該当しません(クメール語はカンボジアの主要言語です)。
この「水」を意味したutuのような語に関しては、筆者も長年理解に苦しみました。しかし、ようやく光明が見えてきました。
「水」を意味したutuのような語も、日本語の歴史を考えるうえで極めて重要になります。
この話は長くなるので、別の記事に回します。
参考文献
大野晋ほか、「岩波 古語辞典 補訂版」、岩波書店、1990年。
上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。