「ひらがな」と「カタカナ」はおなじみですが、「万葉仮名」と言われると首をかしげてしまう人もいるのではないでしょうか。ひらがなとカタカナが文字の集まりであるように、万葉仮名も文字の集まりです。
重要な前提ですが、奈良時代の日本語の発音体系は、現代の日本語の発音体系と少し異なっていました。
現代の日本語
奈良時代の日本語
現代の日本語のaという音を「あ」と書く、iという音を「い」と書く、uという音を「う」と書く、eという音を「え」と書く、oという音を「お」と書く・・・。これがひらがなです。ひらがなはシンプルです。
現代の日本語のaという音を「ア」と書く、iという音を「イ」と書く、uという音を「ウ」と書く、eという音を「エ」と書く、oという音を「オ」と書く・・・。これがカタカナです。カタカナもシンプルです。
ところが、奈良時代の日本には、まだひらがなとカタカナがありませんでした。奈良時代の日本語を書き表そうとすると、漢字を使うしかなかったのです。
実は、奈良時代の日本語のaという音を書き表すのに、いくつもの漢字が使われていました。iからwoまでの各音についても、同様です。一つの音に対していくつもの漢字が使われていたのです。表中のaのところに漢字をたくさん詰め込んでください。表中のiからwoまでのところにも漢字をたくさん詰め込んでください。万葉仮名とは、そういうものだったのです。万葉仮名は漢字の集まりです。
ひらがなとカタカナの文字数はごく限られていますが、万葉仮名の文字数は膨大です。万葉仮名は、ひらがなとカタカナのように簡単にまとめて示すことができないのです。万葉仮名をひらがなとカタカナのようにイメージしにくい理由がここにあります。
そのような途方もない万葉仮名を前にすれば、だれしも思うでしょう。aという音を表す漢字は一つでよいのではないか、iという音を表す漢字は一つでよいのではないか、uという音を表す漢字は一つでよいのではないか、eという音を表す漢字は一つでよいのではないか、oという音を表す漢字は一つでよいのではないかと。実際、昔の日本人はそのようにしたのです。
aという音を書き表すのに使われていた漢字の中に、「安」という漢字がありました。この「安」という漢字を少し崩します(以下に挙げる各字体はWikipediaより引用)。
iという音を書き表すのに使われていた漢字の中に、「以」という漢字がありました。この「以」という漢字を少し崩します。
uという音を書き表すのに使われていた漢字の中に、「宇」という漢字がありました。この「宇」という漢字を少し崩します。
eという音を書き表すのに使われていた漢字の中に、「衣」という漢字がありました。この「衣」という漢字を少し崩します。
oという音を書き表すのに使われていた漢字の中に、「於」という漢字がありました。この「於」という漢字を少し崩します。
このように、万葉仮名の中からわずかな漢字を選び出し、それらをもとにひらがなを作りました。ひらがなのもとになった漢字の一覧は、以下の通りです(Wikipediaより引用、一部改変)。
カタカナの場合も同様で、やはり万葉仮名の中からわずかな漢字を選び出し、それらをもとにカタカナを作りました。
※漢字そのものは漢語の中に出てくるので、それを変形したひらがなとカタカナという新しい文字体系を作り出すのが合理的だったのでしょう。
こうして作られたひらがなとカタカナが普及し、一般的には万葉仮名は忘れ去られてしまった感があります。しかし、日本語の起源や歴史を考える時に最も重要な奈良時代の日本語は万葉仮名で書き表されており、この点で万葉仮名の存在を無視することはできません。
万葉仮名には、人を惑わせるところもあります。例として、万葉仮名のマ行を見てみましょう。
奈良時代の日本語のマ行の音(ma、mi甲類、mi乙類、mu、me甲類、me乙類、mo)を表すのに、以下の漢字などが使われていました(一部しか挙げていません)(上代語辞典編修委員会1967)。
上に示した漢字は、ある方針に基づいて選ばれています。表したい日本語の音と同じ音または似た音を持つ漢字を使うという方針です。これは、日本人以外の外国人にとってもわかりやすいのではないかと思います。
しかし、それとは別の方針で漢字を選んでいる場合も結構あるのです。例えば、maという音を「真」や「間」と書き表したり、mi甲類という音を「三」や「水」と書き表したり、me甲類という音を「女」や「婦」と書き表したりします。発音の観点からすると、古代中国語のtsyin(真)チインやkɛn(間)ケンはmaに似ていません。古代中国語のsam(三)やsywij(水)シウイもmi甲類に似ていません。古代中国語のnrjo(女)ニオやbjuw(婦)ビウもme甲類に似ていません。これらの漢字は、先ほどの方針とは全く違う方針に基づいて選ばれています。表したい日本語の音から日本語のある語を思い浮かべ、その語と意味的に対応する漢字を使うという方針です。これは、特に日本人以外の外国人にとってはわかりにくいのではないかと思います。
独自の文字を持たなかった日本人は、自分たちの言語を漢字で書き表さなければなりませんでした。上で説明した二つの方針が混ざり合った万葉仮名から、日本人が自分たちの言語を漢字でどのように書き表したらよいか思案していたことが窺えます。
同じような状況に置かれたであろう高句麗人はどうだったのでしょうか。独自の文字を持たなかった高句麗人も、自分たちの言語を漢字で書き表さなければなりませんでした。表したい高句麗語の音と同じ音または似た音を持つ漢字を使うという方針があったことは間違いありません。しかし、この方針だけだったのでしょうか。それとも、日本人の場合のように別の方針もあったのでしょうか。
高句麗語の話に戻りましょう。
参考文献
上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。