天皇の起源はもしかして・・・倭国大乱と卑弥呼共立について考える

卑弥呼のことは、中国の歴史書(魏志倭人伝)には書かれているが、日本の歴史書(古事記と日本書紀)には書かれていないとお話ししました。魏志倭人伝には、卑弥呼が倭王になるきっかけになった「倭国大乱」のことも書かれていますが、これがとても短い記述で、極めて難解です。微妙な解釈の問題もあるので、ここでは、現代日本語訳ではなく、魏志倭人伝の原文とその書き下し文を示します(藤堂2010)。

其國本亦以男子爲王。住七八十年、倭國亂、相攻伐歴年。乃共立一女子爲王。名曰卑彌呼。

其の国、本亦た男子を以って王と為す。住まること七、八十年、倭国乱れて、相攻伐すること年を歴たり。乃ち共に一女子を立てて王と為す。名づけて卑弥呼と曰う。

落ち着いた時代があった後、倭国で戦乱が発生し、それが何年か続き、その終わりに卑弥呼が倭王になったことが読み取れます。ただ、記述があまりに短く、状況がよくわかりません。卑弥呼の登場も不思議ですが、同じく不思議なのが台与の登場です。卑弥呼が死んだ後の場面です。

更立男王、國中不服。更相誅殺。當時殺千餘人。復立卑彌呼宗女壹與、年十三爲王。國中遂定。

更めて男王を立つれども、国中服せず。更に相誅殺す。当時千余人を殺す。復た卑弥呼の宗女壱与、年十三なるものを立てて王と為す。国中遂に定まる。

ここで当然思うのは、なぜ男王が立つとうまくいかず、少女が立つとうまくいくのかということです。「なぜ男王では統治できなかったのか、お考えをお話しいただけますか」と問われて、歴史学者の吉村武彦氏が以下のように答えています(石野2011)。筆者もこのあたりに卑弥呼と台与の本質があるのではないかと考えています。

「魏志倭人伝」に卑弥呼は「夫婿なし」とあり、卑弥呼は独身であることがわかります。独身ということは、子どもをつくらせないということです。その後の壹与も、宗女と書いていますから一族だろうと思いますが、おそらく子どもをつくらせないことが主眼です。

中国の場合は世襲の王権が成立していますが、倭国では子どもに王位を継がせるような政治状況が望まれていない。文献からわかることは、こうした理解しかありません。子どもをつくらない人に王位を継がせる。その王は、巫女王の性格をもっていてもかまわないのですが、基本的には子どもをつくらせないことが一番大きい。独身の女性を王位に就かせるのは、世襲と関係するのではないかと考えています。男子の王では、それまでの慣習もあって、子どもや兄弟に継承させると思うのです。これが、男子を王位に就かせなかった理由ではないかと思います。

普通の王なら、結婚するかどうか、子どもをつくるかどうかなんて、王の意のままでしょう。卑弥呼と台与は、そういう立場にはなかったと見られます。その意味で、卑弥呼と台与は普通の王ではないのです。

筆者は、卑弥呼と台与は以下のような状況に置かれていたと考えています。筆者も最初からこのように考えていたわけではありません。筆者がなぜこの考えに辿り着いたのかという説明は長くなるので後に回します。

※誤解されやすいことなので先に指摘しておくと、卑弥呼のことを「邪馬台国の女王」と言うのは、あまり適切ではありません。卑弥呼は、邪馬台国の最高位の者ではなく、邪馬台国といくつかの国が作る連合の最高位の者です。

上の図は、男の権力者たち(各国の王たち)が集まって、だれを連合の最高位にするかもめているところです。

下の図は、この男の権力者たち(各国の王たち)が、「象徴」として少女を連合の最高位に据えたところです。

なぜ卑弥呼と台与だとうまくいくかというと、卑弥呼と台与は「象徴」としての役目を完璧に果たすからです。なぜ男王だとうまくいかないかというと、男王は「象徴」としての役目を果たさず、権力をふるおうとするからです。

二番目の図で、卑弥呼が死んでいなくなったらどうなるでしょうか。卑弥呼のまわりにいた男の権力者たちがもめる様子が目に浮かびます。そこに台与が登場したらどうなるでしょうか。卑弥呼がいた時の状態に戻るのです。

卑弥呼が倭王になった時に、「象徴」として少女を最高位に据えるというやり方は永続的なやり方であるとは捉えられていなかったと思われます。卑弥呼が死んだ後すぐに男王が立ったことがそのことを示しています。「象徴」として少女を最高位に据えるというやり方が永続的なやり方であると捉えられていたのなら、真っ先に次の少女を探すでしょう。

卑弥呼の即位は一種の「暫定的措置」の性格を持ち、台与の即位も一種の「暫定的措置」の性格を持っていたと見られます。卑弥呼の即位前に大きなもめ事があって、台与の即位前にも大きなもめ事があったら、さすがに次はなんらかの対策が考えられそうなものです。

しかし、どうでしょうか。卑弥呼と台与の時代にこんな状態で、そのすぐ後の時代に、最高位が「ある一族」の内部で継承されていくシステムが確立するでしょうか。そんなシステムでは、全く合意が得られないでしょう。最高位がいくつかの氏族の間で動きながら継承されていくシステムのほうがまだ考えられそうです。

もし日本の真実の歴史が、最高位が「ある一族」の内部で継承されていくシステムではなく、最高位がいくつかの氏族の間で動きながら継承されていくシステムだったとしたら、どうでしょうか。古事記と日本書紀がなぜ卑弥呼のことを隠したのか、なぜ日本の歴史を改竄したのか、その重大な理由がぼんやりと浮かび上がってきそうな気がしないでしょうか。

 

参考文献

石野博信ほか、「研究最前線 邪馬台国 いま、何が、どこまで言えるのか」、朝日新聞出版、2011年。

藤堂明保ほか、「倭国伝 中国正史に描かれた日本 全訳注」、講談社、2010年。