筆者は、日本語の語彙の大部分が「ウラル語族との共通語彙」と「シナ・チベット語族との共通語彙」と「ベトナム系言語との共通語彙」から成っていることを見出していきましたが、その過程で「ウラル語族との共通語彙」の一部がインド・ヨーロッパ語族とも共通していることに気づいていました。
可能性の一つとして、遼河文明の初期に遼河流域で話されていた言語がウラル語族と日本語の共通祖語で、このウラル語族と日本語との共通祖語がインド・ヨーロッパ語族と同一の起源を持っているのかもしれないと考えていました。日本語にとって、ウラル語族は比較的近い親戚で、インド・ヨーロッパ語族は比較的遠い親戚であるという考えです。
しかし、仮にその通りだとしても、インド・ヨーロッパ語族は日本語にとって非常に遠い親戚です。日本語とウラル語族の共通祖語が遼河文明の開始時期である8200年前頃に遼河流域で話されていたとしても、その頃には印欧祖語は黒海・カスピ海の北(現在のウクライナ、ロシア南部、カザフスタンが続くあたり)かアナトリア(現在のトルコ)で話されていたのです。黒海・カスピ海の北にしろ、アナトリアにしろ、遼河流域からとてつもなく離れています。日本語とウラル語族の共通祖語が印欧祖語と同一の起源を持っているとしても、それは8200年前よりはるか昔のことなのです。
もし日本語にとってウラル語族が近い親戚、インド・ヨーロッパ語族が遠い親戚で、その近い・遠いの差が大きかったら、どのようなことになるでしょうか。普通に考えれば、日本語とウラル語族に見られる共通語彙は発音・意味のずれが小さく、日本語とインド・ヨーロッパ語族に見られる共通語彙は発音・意味のずれが大きいという一般的な傾向が認められるのではないでしょうか。ところが、実際に日本語とウラル語族とインド・ヨーロッパ語族の語彙を詳しく調べると、そうはなっていないのです。日本語の語彙のうちのある部分はウラル語族との共通性を強く示し、別の部分はインド・ヨーロッパ語族との共通性を強く示しているのです。語彙によって、ウラル語族との共通性が強く感じられたり、インド・ヨーロッパ語族との共通性が強く感じられたりするのはなぜなんだろうと、筆者も理解に苦しみました。
前に、「物(もの)」と「牛(うし)」の語源、西方から東アジアに牛を連れてきた人々の記事の中で、4000~5000年前頃から古代中国(黄河流域)に西方から連れてこられた家畜牛が現れることをお話ししました。同じ頃に小麦や大麦も現れており、西から大きな変化がもたらされていることが窺えます( Li 2007 )。4000~5000年前頃というと、遼河文明の開始時期である8200年前頃よりかなり後ですが、そのような時代に、中央アジア方面から東アジアに向かう人の流れがあったというのは、注目に値します。ウラル語族のもとになる言語が遼河流域を去り、その後で中央アジア方面から東アジアに向かう人の流れがあったことを示しているからです。ウラル語族のもとになる言語が去った後の東アジアで、インド・ヨーロッパ語族の言語と日本語(正確には日本語の前身言語)が接触したのではないかという考えが次第に筆者の頭に浮かんできました。こう考えると、日本語にインド・ヨーロッパ語族との共通性を強く感じさせる語彙が存在することが納得できるのです。
総じて、北ユーラシアの言語の歴史は非常に複雑です。インド・ヨーロッパ語族のゲルマン系言語に見られる英語high(高い)、ドイツ語hoch(高い)ホーフ、ゴート語hauhs(高い)などの語がインド・ヨーロッパ語族では標準的でないこと、そしてこれらの語がかつては*kauk-のような形をしていたと考えられることをお話ししました。実は、中国北西部の新疆ウイグル自治区で発見されたトカラ語にもkauc(高く、上に)という語があります(cの正確な発音はわかっていません)。そしてなんと、古代中国語にもkaw(高)カウという語があるのです。英語のhigh(高い)などと古代中国語のkaw(高)は同源である可能性が十分ありますが、これらの出所を探るのは容易ではありません。英語のhigh(高い)などがインド・ヨーロッパ語族において標準的でなく、古代中国語のkaw(高)がシナ・チベット語族において標準的でないことから、探索は難航しそうです。
英語のhigh(高い)や古代中国語のkaw(高)の話はひとまず置いておき、東アジアでのインド・ヨーロッパ語族と日本語の接触について論じることにします。
補説
古代日本語のwata(海)
奈良時代の日本語には、wata(海)という語がありました。その後、umi(海)に押されて、wata(海)は廃れてしまいました。特に水上の移動を意味することが多かったwataru(渡る)/watasu(渡す)は、wata(海)と同類と見られます。
前に、不思議な言語群の記事の中で、タイ語のnaam(水)のような語がツングース系言語ではエヴェンキ語lāmu(海)、ウデヘ語namu(海)、ナナイ語namo(海)、ウイルタ語namu(海)、満州語namu(海)などになり、日本語ではnami(波)になったようだと指摘しました。
当然といえば当然ですが、「水」と「海や川などの水域」の間には密接なつながりがあります。他言語で「水」を意味していた語が日本語のwata(海)になった可能性も考えなければなりません。ここで断然怪しいのが、インド・ヨーロッパ語族の英語のwater(水)などです。「水」を意味する語は長い年月が過ぎてもなかなか変わらず、インド・ヨーロッパ語族の多くの言語に英語のwater(水)と同源の語が残っています。英語から最も遠いと考えられるヒッタイト語にもwātar(水)、トカラ語にもwar(水)という語があります。
東アジアにインド・ヨーロッパ語族の言語が存在した可能性を真剣に検討しなければならないことを示唆しています。
参考文献
Li X. et al. 2007. Early cultivated wheat and broadening of agriculture in Neolithic China. The Holocene 17(5): 555-560.