「物(もの)」と「牛(うし)」の語源、西方から東アジアに牛を連れてきた人々

「物」の語源

現代のベトナム語には、例えば món ăn モンアンや món chiên モンチエンのような語があります。 món ăn は「食べ物、料理」、 món chiên は「炒め物、揚げ物」という意味です。ăn(食べる)がmónを修飾して món ăn 、chiên(炒める、揚げる)がmónを修飾して món chiên です。ベトナム語は、日本語と違って、うしろから修飾します。

現代のベトナム語では、mónは上のように複合語の中に出てくることが圧倒的に多いですが、もともと、món自体に「食べ物、料理」という意味がありました。このベトナム語のmónのような語が日本語のmono(もの)になった可能性があります。

古代中国語にmjut(物)ミウトゥという語があり、「もの」を意味していました。しかし、最初からそのような極度に一般的な意味を持っていたはずはありません。「物」という漢字を見てください。牛へんが含まれていて、最初は非常に限定的な意味を持っていたのだろうなと思わせます。どうやら、古代中国語のmjut(物)は、「神に捧げる牛」→「供え物」→「もの」という具合に意味が一般化したようです(小川1994、鎌田2011)。

これと同じように、日本語のmono(物)にも、もっと限定的な意味を持っていた前段階があったと考えられます。奈良時代のmonoはすでに、現代と変わりないような極度に一般的な意味を持っていました。しかし、かつての意味を思わせるようなところもあります。例えば、oɸomonoという語がありました。有力な政治家などを意味していた語ではありません。「(天皇などのための)食事、米」を意味していた語です。このような日本語のmonoは、ベトナム語のmónだけでなく、古代中国語のbjon(飯)ビオンとも関係があると見られます。bjonは隋・唐の頃の形で、さらに昔は*bonsのような形をしていたと推定されています( Baxter 2014 )。

日本語では、「物」にmoti/butuという音読みを与えたほか(motuは後の時代に生じた読み方です)、「馬」にma/me/baという音読みを与えたり、「美」にmi/biという音読みを与えたり、「武」にmu/buという音読みを与えたりしましたが、これらは日本の周辺地域でb–m間の発音の変化が起きていたことを示しています。

以上のことを考慮に入れると、ベトナム語のmónと古代中国語のbjon(飯)(ある時代にbonとɸanという音読みで日本語に取り入れられたことも忘れてはなりません)は同源で、奈良時代の日本語のmonoはベトナム系言語か古代中国語から入ったものと見られます。古代中国語のmjut(物)の場合は、「供え物」という意味が広がり、日本語のmono(物)の場合は、「食べ物」という意味が広がったということです。

ちなみに、英語のthingも最初から「もの」という意味を持っていたわけではありません。英語のthingはもともと「集会、会議」を意味していました。そこから「集会・会議で扱われる議題」を意味するようになり、やがて一般的に「こと、もの」を意味するようになりました。やはり、英語のthingにも、もっと限定的な意味を持っていた前段階があったのです。

「牛」の語源

古代中国語のmjut(物)はもともと「神に捧げる牛」を意味していたようだという話が出てきました。ここで、もう少し牛について解説しておきます。

牛は、肉・乳・皮を提供したり、農耕・運搬に使われたりと、人類の歴史において大きな存在感を示してきました。そもそも人間が家畜化した大型動物は少なく、牛はその中でも特別な存在です。神に牛が捧げられたのも、偶然ではありません。

私たちがウシと呼んでいる動物は、野生のオーロックスが家畜化されて生まれた動物です。オーロックス自体はすでに絶滅しています。オーロックスの家畜化は、10000年ぐらい前に始まり、中東とインド亜大陸で行われたことがわかっています( McTavish 2013 )。中東で家畜化されたのがTaurine牛、インド亜大陸で家畜化されたのがIndicine牛です。Taurine牛とIndicine牛は、現在では以下のように世界に広がっています(図は McTavish 2013 より引用)。

日本にいる牛もはるか西方からやって来たのです。日本で支配的なのは、ヨーロッパと同じで、Taurine牛です。

英語の語彙を見ればわかりますが、ウシの集団を家畜として維持しながら、その肉と乳を重要な食料としてきた人々は、ウシを細かく呼び分けてきました。英語のcattle(牛全体)、bull(去勢していない雄牛)、ox(去勢した雄牛)、cow(雌牛)、calf(子牛)などはその例です。意味のずれはありますが、英語のoxとcowに対応する語はインド・ヨーロッパ語族の内部にある程度広がっています。

英語のoxに対応する語として、古代インドにもサンスクリット語のukshan(雄牛)のような語がありましたが、このような語が東アジアに伝わり、日本語のusi(牛)になったと見られます。日本語のusiは、uとsの間にあったkが消滅した形ということです。

中東とインド亜大陸よりかなり遅れますが、古代中国(黄河流域)にも4000~5000年前頃に家畜化された牛が現れます。 Cai 2014 では、黄河流域およびその北側にいた古代中国の家畜牛のDNAを分析していますが、いずれも中東から伝来したものであるという結果が出ています。古代中国語のngjuw(牛)ンギウウは、インド・ヨーロッパ語族の英語のcow(古形cu)などとならんで、メソポタミア文明のシュメール語のgu(雄牛)のような中東の語彙と関係がありそうです(英語のcowは「雌牛」を意味していますが、インド・ヨーロッパ語族全体を見渡すと、必ずしもそのようになっていません)。

数の多い少ないはともかく、西方から東アジアに人がやって来ていたことは確実です。家畜化された牛を連れてきた人々が東アジアに牛と同時にどのようなものをもたらしたのか、東アジアの言語にどのような影響を与えたのかという問題は、大いに検討する必要があります。古代中国(黄河流域)に家畜化された牛が現れたのが4000~5000年前頃で、この後まもなく古代中国は夏・殷・周の時代に入っていくのです。

 

参考文献

日本語

小川環樹ほか、「角川 新字源 改訂版」、角川書店、1994年。

鎌田正ほか、「新漢語林 第二版」、大修館書店、2011年。

英語

Baxter W. H. et al. 2014. Old Chinese: A New Reconstruction. Oxford University Press.

Cai D. et al. 2014. The origins of Chinese domestic cattle as revealed by ancient DNA analysis. Journal of Archaeological Science 41: 423-434.

McTavish E. J. et al. 2013. New World cattle show ancestry from multiple independent domestication events. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 110(15): E1398-E1406.