「腹を立てる」の「腹」は、実は腹ではなかった!

本ブログではすでにabaru(暴る)、ikaru(怒る)、midaru(乱る)、kuruɸu(狂ふ)、irairasuru(いらいらする)などの語源が「水」であることを示しているので意外ではないかもしれませんが、「腹を立てる」の「腹」は実は腹ではないようです。この「腹」はなんでしょうか。やはり、水(波)から来ているようです。「腹」と「立てる」の組み合わせを奇妙に思った方もいるのではないでしょうか(ちなみに、rippuku(立腹)は日本人が作ったいわゆる和製漢語で、そのような語は中国語にはありません)。

上のabaru(暴る)、ikaru(怒る)、midaru(乱る)、kuruɸu(狂ふ)、irairasuru(いらいらする)はいずれも、水・水域が荒れ狂うことを意味していた語が人間が荒れ狂うことを意味するようになったものです。このような意味展開は、日本語以外の言語にもよく見られます。一般に怒りを意味する語が生まれることが多いですが、怒りだけとは限りません。

例えば、日本語のharaharasuru(はらはらする)はどうでしょうか。これは、怒りではなく、心配、不安、恐怖、緊張、興奮などを表す語です。怒りとは違いますが、心の平静が乱れている点は同じです。穏やかだった水面に波あるいは泡が立つところを思い浮かべてください。ここから、人間の心の動きを意味する語が生まれてくるのです。waku(湧く、沸く)と関係があると考えられるwakuwakusuru(わくわくする)もそうです。

前回の記事では、雨が降ることを意味するparapara(ぱらぱら)という語が出てきました。古代北ユーラシアに水のことをpark-、pirk-、purk-、perk-、pork-(par-、pir-、pur-、per-、por-、pak-、pik-、puk-、pek-、pok-)のように言う言語群が存在し、この言語群から日本語に大量の語彙が入ったことは前からお話ししてきました。

例えば、水・水域を意味していたparaのような語がその横の平らな土地あるいは盛り上がった土地を意味するようになり、一方でɸara(原)が生まれ、他方でɸara(腹)、ɸaru(張る)、ɸaru(腫る)が生まれました。水を意味する語が深さ/暗さを意味するようになるパターン、水を意味する語が浅さ/明るさを意味するようになるパターンを考えると、上記のparaのような語が明るさ・光・太陽を意味するようになり、そこからɸaru (晴る)が生まれたと見られます(ɸaru(春)の語源は微妙ですが、明るさ・光・太陽の意味領域に属する語でしょう。ちなみに、中国語の「春」という字は、字体がいくらか変わりましたが、日を受けて草が成長し始めることを表していました。日差しが強さを取り戻し始め、賑わいが戻ってくる季節ぐらいの解釈が春にはふさわしいでしょう)。

水・水域を意味していた語がその横の部分を意味するようになるパターンも、水・水域を意味していた語が深さ/暗さまたは浅さ/明るさを意味するようになるパターンも、よくあるパターンです。しかし、これらと同じく重要なのが、水を意味していた語が「雨」を意味するようになるパターンと、水を意味していた語が「波」を意味するようになるパターンです。「雨」も「波」も人気の行き先なので、「雨」を意味することができない語、「波」を意味することができない語が続出します。

水を意味していたparaのような語は、「雨」を意味することができず、落下を意味するparapara(ぱらぱら)になりました。では、水を意味していたparaのような語は、「波」を意味することができず、どうなったのでしょうか。ここに、「腹が立つ、腹を立てる」の語源があると見られます。

日本語で混乱が起きたのは十分理解できます。水を意味していたparaのような語は、水・水域の横の盛り上がった土地を意味しようとしたり、波を意味しようとしたりしていたのです。そして、腹部を意味するharaは前者から来ていて、「腹が立つ、腹を立てる」のharaは後者から来ているのです。特に、人間は腹の中に考えや感情を抱くと考えられることがあったので、混乱するのは必至です。

「はらわたが煮えくり返る」という表現を考えてください。「はらわた」は人間のある部分を意味し、「煮えくり返る」は水面が乱れることを意味しています。やはり、怒りというのは、水面が乱れるイメージなのです。「いら立つ、いらいらする」のiraと同様に、「腹が立つ、腹を立てる」のharaも、水(波)から来ていると解釈すべきものです(「いら立つ、いらいらする」については、ツングース諸語、モンゴル語、テュルク諸語の数詞から見る古代北ユーラシアを参照)。

水を意味していたparaのような語が日本語に入って様々な意味を獲得しようとしたので、上のような混乱が起きました。おおもとのpark-という形では日本語に入れないので、日本語ではpar-かpak-という形になりそうです。pakaのような語はどうなったのでしょうか。

tuka(塚)と同じように盛り上がりを意味していたɸaka(墓)の話をしましたが、そのほかに怪しいのがɸakaru(計る)です。くりくりした目の記事では、奈良時代の人々が水や酒を飲む時に使っていたmari(鋺、椀)という容器を紹介しました。mari(鋺、椀)のほかに、以下のような容器もありました(写真は和敬静寂様のウェブサイトより引用)。

これは、masu(升、枡)という容器で、計量に用いられました。mari(鋺、椀)がまるいのに対して、masu(升、枡)は四角いです。上の写真とmasu(升、枡)とɸakaru(計る)を並べると、なにかピンとこないでしょうか。

水を意味していたpakaのような語は、上の計量用の容器を意味しようとしたが、masu(升、枡)という語があるために叶わず、ɸakaru(計る)という語になったのではないでしょうか。当初の水という意味がすっかり消えて、単に四角い容器を意味するようになったのが、ɸako(箱)かもしれません。ノートなどのmasu(マス)にしても、水という意味は全くありません。

masu(升、枡)も、ɸakaru(計る)も、水から来ている可能性が高いです。しかし、ɸakaru(計る)は水のことをpark-、pirk-、purk-、perk-、pork-(par-、pir-、pur-、per-、por-、pak-、pik-、puk-、pek-、pok-)のように言う言語群から来たと考えられますが、masu(升、枡)はどこから来たのでしょうか。水という観点から併せて気になるのが、朝鮮語のmasida(飲む)です。日本語のnomu(飲む)はタイ系の語彙でしたが、朝鮮語のmasida(飲む)はなんでしょうか。

「神(かみ)」の語源

奈良時代の日本語には、kami(上)とkami(神)という語がありました。kami(上)のmiはmi甲類で、kami(神)のmiはmi乙類でした。kami(上)とkami(神)は同じ語ではなかったわけです。kami(神)は、組み込まれたkamu-(神)という形をよく見せていたので、*kamu(神)が古形と考えられます。奈良時代よりいくらか前には、kami(上)と*kamu(神)という語が存在していたということです。

kami(上)と*kamu(神)の間に関係があるかどうかというのは、検討しなければならないことです。天皇や皇族が死ぬことを、kamuagaruあるいはkamunoboruと言っていましたが、このkamu-は「天」と解釈すべきものでしょう。

古代中国語のthen(天)テンは、空のような意味も、神のような意味も持っていましたが、このような現象は東アジアに特有なものではありません。例えば、ウラル語族とインド・ヨーロッパ語族が接しているあたりには、フィンランド語taivas(空)、エストニア語taevas(空)、ラトビア語dievs(神)、リトアニア語dievas(神)、プロシア語deivas(神)のような語があります(プロシア語は、ラトビア語とリトアニア語に近い言語ですが、死語になってしまいました。ちなみに、ラテン語のdeus(神)は同源ですが、英語のgod(神)は別物です)。空に支配者がいると考えることは、人類に広く見られる現象だったのです。

kami(上)と*kamu(神)のうちの、kami(上)について考察しましょう。

kami(上)とsimo(下)

kami(上)はsimo(下)と対になりますが、このkami(上)について、三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)は以下のように述べています。

「カミ・シモは一つづきのものの上下の位置をあらわし、土地の高い所、川の上流、ある地域で中央に近い所、あるいは人間関係における長上を示す。」

説明の中にある「一つづきのものの上下の位置」という部分は見逃せません。ここにkami(上)とsimo(下)の秘密が隠されているようです。まずは、本ブログで何回も示している以下の図を見てください。

図1

この図は左右対称です。ここで視点を変えます。以下の図はどうでしょうか。

図2

手前に人が立って、川を見ているところです。この図のポイントは、はっきりとした川の流れの向きがあるために、XのほうとYのほうは左右対称として捉えられないということです。Xのほうを指すある語と、Yのほうを指す別の語ができそうです。川が上の図のように流れているということは、Xのほうが高く、Yのほうが低いということです。Xのほうを見てください。上またははじめを意味する語が生まれそうではないでしょうか。Yのほうを見てください。下または終わりを意味する語が生まれそうではないでしょうか。

水・水域を意味することができなかった語が、図1の左右の部分を意味するようになるケースは、これまでたくさん見てきました。どうやらこのほかに、水・水域を意味することができなかった語が、図2のXのほうとYのほうを意味するようになるケースがあったようです。図2のXのほうを意味していたのが日本語のkami(上)で、Yのほうを意味していたのがsimo(下)というわけです。

日本語のkami(上)は、水のことをkalm-、kilm-、kulm-、kelm-、kolm-(kal-、kil-、kul-、kel-、kol-、kam-、kim-、kum-、kem-、kom-)のように言っていた言語群から来ていると考えられます。この言語群から日本語には、大量の語彙が入っています。朝鮮半島に存在したタイ系言語、朝鮮半島は一体どうなっていたのか?の記事でnabe(鍋)の話をした時に、kama(釜)、kame(瓶)、kame(亀)に触れたばかりです。水面にたたずむkamo(鴨)も同源でしょう(写真はWikipediaより引用)。

図2の川のXのほうを意味し、そこから一般に上を意味するようになったkamiと*kamuという語があり、これらが意味分化を起こしてkami(上)と*kamu(神)になったと見られます。上を意味したkamiと*kamuは、日本語の中に存在した異形かもしれないし、日本語と日本語にとても近い言語に存在した同源の語かもしれません。

kami(上)の反対のsimo(下)はどうでしょうか。日本語のsimo(下)は、水のことをsam-、sim-、sum-、sem-、som-のように言っていた言語群から来ていると考えられます。この言語群から日本語にも、大量の語彙が入っています。例えば、「島(しま)」の語源の記事でsima(島)、simu(染む)、simeru(湿る)などの話をしました。simo(霜)も同源でしょう。この語は、水を意味することができず、氷または雪を意味することもできず、霜を意味するようになったと見られます。日本語で「霜が降る」あるいは「霜が降りる」と言うのは、simo(霜)がかつて雪を意味していたからでしょう。

図2の川のYのほうを意味し、そこから一般に下を意味するようになったのがsimo(下)と見られます。

人類の言語の形成を考えるうえで、図1の構図が非常に重要であることは本ブログでまざまざと示していますが、図2の構図もそれに劣らず重要です。ここで、水のことをmat-、mit-、mut-、met-、mot-のように言っていた言語群の話に戻りましょう。

 

参考文献

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。

日本語が属していた語族を知る

前回の記事では、中国東海岸地域あるいはそのそばに、水のことをmat-、mit-、mut-、met-、mot-のように言う言語群があったのではないかと推測しました。日本語の起源に関する議論を着実に進めるために、日本語のまわりに、水のことをmat-、mit-、mut-、met-、mot-のように言う言語があったことをしっかり確認しておきましょう。この作業が後々効いてきます。

mat-について

まずは、本ブログでおなじみのあの図を掲げましょう。

水・水域を意味することができなかった語が、その横の部分を意味するようになり、さらにそこから、(二つあるうちの)一つを意味する語、あるいは(二つあるうちの)二つを意味する語が生まれるパターンです。

日本語に存在する様々なmataは、「2」を強く思い起こさせます。両足の付け根の部分を意味するmata(股)はどうでしょうか。mata(股)はもともと、身体部位というより、一本だったものが二本に分岐する箇所を意味していた語です。木が枝分かれしている箇所でもよいし、川が枝分かれしている箇所でもよかったのです。「2」という意味が感じられます。

「またの名」のmata(また)はどうでしょうか。これは、まず名が一つあって、二つ目の名を挙げる時の言い方です。「AまたはB」のmata(また)も同じです。これも、一つ目としてAを挙げ、二つ目としてBを挙げる言い方です。「また来た」のmata(また)も同様です。やはり「2」という意味が感じられます。

奈良時代には、このほかにmatasi(全し)という語もありました。完全であること、欠けていないことを意味しました。matasi(全し)がmattasi(全し)になり、このmattasi(全し)がmattaku(全く)という形で現代の日本語に残りました。もととなったmata(全)は、moro(諸)と似たような歴史を持っていると見られます。数詞の起源について考える、語られなかった大革命の記事で述べたように、moro(諸)は、morote(諸手)のように二つのものがあってその二つを指す時に用いられていましたが、それだけでなく、二つより多いものがあってそのすべてを指す時にも用いられていました。moro(諸)が「二つ」→「全部」という意味の拡張を経験したように、mata(全)も「二つ」→「全部」という意味の拡張を経験したと考えられます。

上に挙げた様々なmataだけでなく、mati(町)も水を意味したmat-、mit-、mut-、met-、mot-のような語から来ていると思われます。mati(町)はもともと、区画を意味していた語です。水を意味していた語が境を意味するようになる頻出パターンを思い出してください。

上の図では赤い線によって三つの領域に区切られ、下の図では赤い線によって九つの領域に区切られています。「区切る線」と「区切られた各領域」は違うものですが、「区切る線」を意味していた語が「区切られた各領域」を意味するようになることはよくあります。日本語のkugiri(区切り)はどっちでしょうか。うかうかしていると、混乱してしまいそうです。日本語のmati(町)も、水を意味していた語が「区切る線」を意味するようになり、「区切る線」を意味していた語が「区切られた各領域」を意味するようになったものと考えられます。

mit-について

水のことをmat-、mit-、mut-、met-、mot-のように言っていた言語群は、特別な言語群です。なぜなら、水のことをmidu(水)(古形*mida)と言っていた日本語もこの言語群の一員であったと見られるからです。

水のことを*midaと言う日本語のそばに、水のことをmitaと言う言語があったのでしょう。このmitaから日本語のmitu(満つ)/mitasu(満たす)ができたと考えられます。完全なさま・十分なさまを表すmitimiti(満ち満ち)はもちろんのこと、mittiri(みっちり)も同源でしょう。

今の東北地方の東側(青森県、岩手県、宮城県、福島県のあたり)はmitinokuと呼ばれ、「陸奥」と書かれてきましたが、陸のことをmitiと言うこともあったのではないかと思われます。水・水域を意味することができなかった語が、その横の部分、すなわち陸を意味するようになるパターンです。

いくつかの記事で、水を意味していた語が深さ/暗さを意味するようになったり(光の届く空間と届かない空間を参照)、水を意味していた語が浅さ/明るさを意味するようになったりするケースを示しましたが(明るさと赤さを参照)、mitu(光)もその一例と見られます。mitu(光)はɸikari(光)に勝てなかったのでしょう。

midori(緑)は、日本語の*mida(水)またはmidu(水)の異形から生じたか、日本語に近い言語から入ったか微妙ですが、いずれにせよ、midu(水)と同源で、水・水域の横に生えている植物を意味していた語と考えられます。

※奈良時代の人々が乳幼児をmidorikoと呼んでいたことは注目に値します。midoriが特に若い植物を意味していたことを示しています。「水」→「植物(特に若い植物)」→「若さ」という意味展開が窺えます。日本語のwaka(若)も、植物から来ていて、おおもとにはアイヌ語のwakka(水)のような語があるのかもしれません。

mut-について

水・水域のことをmut-のように言う言語があったことも窺えます。奈良時代には、mutukaru(憤る)という語があり、怒ったり、不機嫌になったりすることを意味していました。すでにabaru(暴る)、ikaru(怒る)、midaru(乱る)、kuruɸu(狂ふ)などが「水」(あるいは波)から来ていることを示しましたが、mutukaru(憤る)も「水」から来ていると見られます。mutukaru(憤る)は廃れましたが、その形容詞形のmutukasi(難し)はmuzukasii(難しい)という形で残っています。もともと、怒っていること、不機嫌であることを意味していたのです。mutturi(むっつり)も無関係でないでしょう。不機嫌であるというところから、意味が無愛想、無口、無関心などに広がり、俗に言う「むっつりスケベ」という言葉が生まれたようです。

水を意味するmutuという語があったのであれば、以下の構図も考えなければなりません。

奈良時代の日本語で、仲がよいこと・親しいことを意味していたmutumu(睦む)/mutubu(睦ぶ)やmutumasi(睦まし)に組み込まれているmutu(睦)が怪しいです。mutu(睦)は、なにかが二つ並んでいること、特に二人がいっしょにいることを意味していたと見られます。

以下のような構図もあったと思われます。

水・水域を意味していた語が横の部分を意味するようになり、横の部分を意味していた語が手・腕・肩などを意味するようになるパターンを思い出してください。

手・腕を意味する*mutaあるいは*mudaという語があったようです。*muda(手、腕)からmudaku(抱く)が生まれたと見られます。mudaku(抱く)には、udaku(抱く)とidaku(抱く)という異形がありました(idaku(抱く)からさらにdaku(抱く)という形ができました)。語頭のmが脱落してしまうことがたびたびあったようです。

日本語のude(腕)の古形の*uda(腕)は、*muda(手、腕)からmが脱落したと考えるのが一番自然かもしれません。

同様に、*muta(手、腕)から*mutu(打つ)とutu(打つ)が生まれたと考えるとしっくりきます。*mutu(打つ)はmuti(鞭)を残し、utu(打つ)はそのまま残ったのでしょう。

*muda(手、腕)からmudaku(抱く)が作られ、*muta(手、腕)から*mutu(打つ)が作られたのだとわかれば、*mota(手、腕)からmotu(持つ)が作られたのだと察しがつくでしょう。

mat-、mit-、mut-に続いて、mot-についてお話ししたいところですが、この話は少し複雑です(日本語にはエ列の音がなかったと考えられるので、met-は考察の対象から外れます)。

そのため、別の話で準備をしてから、mot-の話に進むことにします。

次回の記事では、興味深いkami(神)の語源を明らかにします。