「神(かみ)」の語源

奈良時代の日本語には、kami(上)とkami(神)という語がありました。kami(上)のmiはmi甲類で、kami(神)のmiはmi乙類でした。kami(上)とkami(神)は同じ語ではなかったわけです。kami(神)は、組み込まれたkamu-(神)という形をよく見せていたので、*kamu(神)が古形と考えられます。奈良時代よりいくらか前には、kami(上)と*kamu(神)という語が存在していたということです。

kami(上)と*kamu(神)の間に関係があるかどうかというのは、検討しなければならないことです。天皇や皇族が死ぬことを、kamuagaruあるいはkamunoboruと言っていましたが、このkamu-は「天」と解釈すべきものでしょう。

古代中国語のthen(天)テンは、空のような意味も、神のような意味も持っていましたが、このような現象は東アジアに特有なものではありません。例えば、ウラル語族とインド・ヨーロッパ語族が接しているあたりには、フィンランド語taivas(空)、エストニア語taevas(空)、ラトビア語dievs(神)、リトアニア語dievas(神)、プロシア語deivas(神)のような語があります(プロシア語は、ラトビア語とリトアニア語に近い言語ですが、死語になってしまいました。ちなみに、ラテン語のdeus(神)は同源ですが、英語のgod(神)は別物です)。空に支配者がいると考えることは、人類に広く見られる現象だったのです。

kami(上)と*kamu(神)のうちの、kami(上)について考察しましょう。

kami(上)とsimo(下)

kami(上)はsimo(下)と対になりますが、このkami(上)について、三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)は以下のように述べています。

「カミ・シモは一つづきのものの上下の位置をあらわし、土地の高い所、川の上流、ある地域で中央に近い所、あるいは人間関係における長上を示す。」

説明の中にある「一つづきのものの上下の位置」という部分は見逃せません。ここにkami(上)とsimo(下)の秘密が隠されているようです。まずは、本ブログで何回も示している以下の図を見てください。

図1

この図は左右対称です。ここで視点を変えます。以下の図はどうでしょうか。

図2

手前に人が立って、川を見ているところです。この図のポイントは、はっきりとした川の流れの向きがあるために、XのほうとYのほうは左右対称として捉えられないということです。Xのほうを指すある語と、Yのほうを指す別の語ができそうです。川が上の図のように流れているということは、Xのほうが高く、Yのほうが低いということです。Xのほうを見てください。上またははじめを意味する語が生まれそうではないでしょうか。Yのほうを見てください。下または終わりを意味する語が生まれそうではないでしょうか。

水・水域を意味することができなかった語が、図1の左右の部分を意味するようになるケースは、これまでたくさん見てきました。どうやらこのほかに、水・水域を意味することができなかった語が、図2のXのほうとYのほうを意味するようになるケースがあったようです。図2のXのほうを意味していたのが日本語のkami(上)で、Yのほうを意味していたのがsimo(下)というわけです。

日本語のkami(上)は、水のことをkalm-、kilm-、kulm-、kelm-、kolm-(kal-、kil-、kul-、kel-、kol-、kam-、kim-、kum-、kem-、kom-)のように言っていた言語群から来ていると考えられます。この言語群から日本語には、大量の語彙が入っています。朝鮮半島に存在したタイ系言語、朝鮮半島は一体どうなっていたのか?の記事でnabe(鍋)の話をした時に、kama(釜)、kame(瓶)、kame(亀)に触れたばかりです。水面にたたずむkamo(鴨)も同源でしょう(写真はWikipediaより引用)。

図2の川のXのほうを意味し、そこから一般に上を意味するようになったkamiと*kamuという語があり、これらが意味分化を起こしてkami(上)と*kamu(神)になったと見られます。上を意味したkamiと*kamuは、日本語の中に存在した異形かもしれないし、日本語と日本語にとても近い言語に存在した同源の語かもしれません。

kami(上)の反対のsimo(下)はどうでしょうか。日本語のsimo(下)は、水のことをsam-、sim-、sum-、sem-、som-のように言っていた言語群から来ていると考えられます。この言語群から日本語にも、大量の語彙が入っています。例えば、「島(しま)」の語源の記事でsima(島)、simu(染む)、simeru(湿る)などの話をしました。simo(霜)も同源でしょう。この語は、水を意味することができず、氷または雪を意味することもできず、霜を意味するようになったと見られます。日本語で「霜が降る」あるいは「霜が降りる」と言うのは、simo(霜)がかつて雪を意味していたからでしょう。

図2の川のYのほうを意味し、そこから一般に下を意味するようになったのがsimo(下)と見られます。

人類の言語の形成を考えるうえで、図1の構図が非常に重要であることは本ブログでまざまざと示していますが、図2の構図もそれに劣らず重要です。ここで、水のことをmat-、mit-、mut-、met-、mot-のように言っていた言語群の話に戻りましょう。

 

参考文献

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。