来(く)、唯一のカ行変格活用動詞

日本語にkuru(来る)という動詞があります。この動詞もaruku(歩く)やiku(行く)のように移動を表しますが、話し手またはその他のなんらかの基準に近づく移動であるという使用条件があります。

日本語に「こっち来い」、英語に「 Come here 」という言い方があるので、同じ言い方が人類の言語に普遍的に存在すると思ってしまいそうですが、そうでもありません。ロシア語とポーランド語の例を見てみましょう。だれかを自分のほうに呼び寄せる時、つまり日本語なら「こっち来い」、英語なら「 Come here 」と言うところで、ロシア語とポーランド語では以下のように言います。

ロシア語 Idi sjuda. イディースュダー
ポーランド語 Chodź tu. ホチュトゥ

ロシア語のsjudaとポーランド語のtuは英語のhereに相当する語ですが、問題はその前です。ロシア語のidiはidtiイッチーという動詞の命令形で、ポーランド語のchodźはchodzićホヂチュという動詞の命令形です。実はロシア語のidtiとポーランド語のchodzićは、単に「歩くこと、歩いて進むこと」を意味する動詞なのです。その意味で、英語のwalkやgoに近い動詞といえます。

要するに、日本語と英語では、話し手またはその他のなんらかの基準に近づく移動であるという使用条件がある専用の動詞(kuru、come)を用いて人を呼び寄せているのに対して、ロシア語とポーランド語では、単に歩くこと、歩いて進むことを意味する動詞(idti、chodzić)を用いて人を呼び寄せているのです。

人類に古くからあるのは、日本語・英語方式でしょうか、それとも、ロシア語・ポーランド語方式でしょうか。人間の言語の自然な発達を考えれば、まず足・脚を意味する語ができ、そこから足・脚を動かして進むことを意味する語ができ、この足・脚を動かして進むことを意味する語を用いて人を呼び寄せていたと予想されます。つまり、ロシア語・ポーランド語方式です。現代の人類の言語に存在する日本語のkuruや英語のcomeのような語の多くは、もともと単に歩くこと、歩いて進むことを意味し、そこから意味が限定されていった可能性が高いです。

唯一のカ行変格活用動詞であるku(来)の特殊な点とは?

奈良時代の動詞のku(来)は、カ行変格活用と呼ばれる変則的な活用をしました。カ行変格活用は上二段活用に似ています。以下に、カ行変格活用動詞のku(来)と上二段活用動詞のoku(起く)の活用表を示します(イ列甲類とイ列乙類の違いには目をつむっています)。カ行変格活用動詞はku(来)だけですが、上二段活用動詞はoku(起く)を含めていくつもあります。

違うのは、未然形と命令形です。前に、奈良時代の動詞の全活用パターン(四段活用、上一段活用、上二段活用、下二段活用、カ行変格活用、サ行変格活用、ナ行変格活用、ラ行変格活用)を示し、明らかに未然形のばらつきが大きいことを指摘しました(「あらかじめ(予め)」とは?を参照)。そして、連用形、終止形、連体形、已然形、命令形は、未然形より後にそれぞれかなり画一的な方法で作られたのではないかと推測しました。特に、命令形は未然形と密接な関係にあることが明らかです。

カ行変格活用動詞のku(来)にしても、まずkoという形があり、そこから上二段活用動詞と同じような手順で他の形を作っていったと考えると、しっくりきます。しかし、このkoという形ですが、ものすごい異物感があります。奈良時代の動詞で未然形がoで終わっているのは、ku(来)の未然形のkoだけなのです。

当然、筆者はkoという形が外から(他言語から)入ってきた可能性を考えました。冒頭の日本語、英語、ロシア語、ポーランド語のような例を考慮に入れながら、筆者が怪しいと思ったのは、古代中国語のkhjo(去)キオでした。この語は、ある時代にkoとkyoという音読みで日本語に取り入れられました。

中国語の「去」は、もともと「去る」という意味の動詞でしたが、現代では「行く」という意味で使われることが圧倒的に多いです。いつごろから「行く」という意味で使われているかというと、これがかなり古いのです。少なくとも、奈良時代と同時代の唐の時代にはすでに、「行く」という意味で使われています。奈良時代よりいくらか前に古代中国語のkhjo(去)がkoという形で日本語に入り、これが奈良時代の日本語のku(来)のもとになったと見られます。ちなみに、現代の日本語のoide(おいで)はidu(出づ)から来ています。

奈良時代の日本語のku(来)だけでなく、古代中国語のloj(來)ライも、もともとの意味は「歩くこと、歩いて進むこと」だった可能性があります。古代中国語のloj(來)の語源について論じるには大がかりな準備が必要なので、機会を改めて論じることにします。

歴史言語学(比較言語学)の要は語根である

※「要」は「かなめ」と読みます。kaname(要)はもともと、扇子が開いたり閉じたりする時に根元を留めている金具を意味していました。金具がカニの目に似ているということで、kaninomeと呼ばれていましたが、それが変化していき、kanameになりました。

語根jalk-、jal-、jak-

ウラル語族と日本語で足・脚に関係する語を生み出しているast-、as-、at-という語根を見たので、今度はjalk-、jal-、jak-という語根を見てみましょう(jは日本語のヤ行の子音です)。

ast-、as-、at-という語根は、日本語のasi(足、脚)とato(跡)を生み出している語根です。jalk-、jal-、jak-という語根は、フィンランド語のjalka(足、脚)とjälki(跡)ヤルキを生み出している語根です。このjalk-、jal-、jak-という語根から、日本語ではどのような語が作られたのでしょうか。日本語ではjalk-のような子音連続は不可能なので、jal-またはjak-という形で現れることになります。

jalk-、jal-、jak-という語根から作られた足・脚に関係する日本語として真っ先に思い浮かぶのは、すでに詳しく説明しましたが、「人を歩いて行かせること」を意味した奈良時代のyaru(遣る)です。

※現代の日本語に「やって来る」という言い方があるので、yaruは「歩かせる」という意味だけでなく、「歩く」という意味で用いられることも歴史上のどこかであったかもしれません。

jal-に対応するのがyaru(遣る)なら、jak-に対応するのはなんでしょうか。昔の日本語は、amai(甘い)とumai(うまい)、asai(浅い)とusui(薄い)などから窺えるように、母音を変えて新しい語を作り出していました。このことを考慮に入れると、奈良時代のyuku(行く)が該当しそうです。筆者は、日本語にyuku(行く)という語が存在する前に*yakuという語があったと考えています。

実は、奈良時代の日本語には、yakuyaku(やくやく)という語がありました。「だんだん、次第に、徐々に」という意味です。時代とともに形と意味が変化し、yakuyaku(やくやく)という形はyouyaku(ようやく)という形になり、「だんだん、次第に、徐々に」という意味は「やっと、ついに」という意味になりました。

英語のgradually(だんだん、次第に、徐々に)は、もとを辿ればラテン語のgradus(一歩)/gradior(歩く)から来ています。奈良時代の日本語のyakuyaku(やくやく)の語源も、同じようなものでしょう。すなわち、「足を踏み出すこと」を意味した*yakuから作られたと見られます。そして、この*yakuから類義語としてyuku(行く)が作られたのでしょう。

jalk-、jal-、jak-という語根から、日本語ではyaru(遣る)、*yaku、yuku(行く)が作られたということです。筆者は、奈良時代の日本語のye(枝)の古形として考えられる*ya(枝)(昔の日本語にエ列がなかったと考えられることは本ブログで再三お話ししています)も、jalk-、jal-、jak-という語根から作られたのではないかと考えています。奈良時代の日本語のye(枝)は、樹木の枝だけでなく、人間・動物の手足も意味していたからです。日本語に限らず、「手足」と「枝」の間には密接な関係があります。古代中国語のtsye(肢)チエとtsye(枝)チエもそうです。

ast-、as-、at-という語根からasi(足)が作られましたが、asi(足)という形のほかに少ないながらa(足)という形も使われていました。したがって、ast-、as-、at-という語根からa(足)が生まれたのと同様に、jalk-、jal-、jak-という語根から*ya(枝)が生まれた可能性はあるのです。日本語ではas、at、yar、yakという形は認められないので、子音を落としてa、yaという形にするか、母音を補ってasV、atV、jarV、jakVという形にすることになります。

筆者が行っている作業を見ればわかると思いますが、ウラル語族の語彙と日本語の語彙を観察しながらこうではないかああではないかと「語根あるいは祖形」を推定し、その「語根あるいは祖形」から「ウラル語族の語彙」に至るところ、その「語形あるいは祖形」から「日本語の語彙」に至るところに規則性を見出そうとしています(実際には、ウラル語族の語彙と日本語の語彙だけでなく、周辺地域の言語の語彙も十分に見ながら語根あるいは祖形を推定しています)。これが、言語の系統関係を調べる歴史言語学(比較言語学)の重要なポイントです。「ウラル語族の語彙」と「日本語の語彙」の間というより、「語根あるいは祖形」から「ウラル語族の語彙」に至るところ、「語根あるいは祖形」から「日本語の語彙」に至るところに規則性を見出すのです。言語の系統関係の証明は、下の図の赤い矢印の部分になんらかの規則性が認められるかどうか、青い矢印の部分になんらかの規則性が認められるかどうかにかかっているのです。

上では、例として、jalk-、jal-、jak-という語根からフィンランド語でどのような語が作られたか、日本語でどのようなが語が作られたか示しました。この例だけ見ると単純な話に思えますが、それはフィンランド語と日本語が遠い昔の発音を非常によく保存している言語だからです。フィンランド語は、ウラル語族の言語の中で遠い昔の発音を一番よく保存している言語です。日本語は、語中の子音連続を残すことができないという不利な点はありますが、この点を除けば、フィンランド語並みに遠い昔の発音をよく保存している言語です(誤解のないように言っておくと、日本語は、遠い昔から持っている語に関して、発音をよく保存しているということです。古代中国語やベトナム系言語などから取り入れた語は別問題です。古代中国語やベトナム系言語などの発音体系は日本語の発音体系と著しく異なるので、語が古代中国語やベトナム系言語などから日本語に入る時には発音が大きく変わってしまうことがよくあります)。

しかし、すべての言語が遠い昔の発音をよく保存しているわけではありません。そのため、単純に判断できないケースも出てきます。例えば、ウラル語族のサモエード系のネネツ語に「足を踏み出すこと、一歩」を意味するjeŋgaイェンガという語があります。この語がjelgaやjegaのような形だったら、先ほどのjalk-、jal-、jak-という語根にすぐに結びつけられそうですが、実際にはjeŋgaです。ネネツ語のjeŋgaが、上で見たフィンランド語のjalka(足、脚)、jälki(跡)や日本語のyaru(遣る)、*yaku、yuku(行く)と同じように、jalk-、jal-、jak-という語根から来ているのかどうかというのは、微妙な問題です。ネネツ語のjeŋgaの件は、ウラル語族やインド・ヨーロッパ語族の歴史を考えるうえで重大な問題をはらんでいるので、後で再び取り上げることにし、ひとまず先に進みます。

iku(行く)の古形であるyuku(行く)の語源が明らかになったので、今度はkuru(来る)の古形であるku(来)の語源を明らかにしましょう。

人間の言語の進化、足・脚から始まる語彙形成

「足・脚」と「歩く」の結びつきは明白です。それよりは少し抽象的ですが、「足・脚」と「行く」の結びつきも理解できます。しかし、足・脚は以下のような動詞とも深い関係があるのです。

ちょっとピンとこないのではないでしょうか。これは時代背景を考えないといけません。乗り物がない時代の人々は、ひたすら歩いていました。自分がどこかに歩いて行く場合もあれば、他人をどこかに歩いて行かせる場合もあります。「人を歩いて行かせること」を意味していた語があるのです。

例えば、奈良時代の日本語にはyaru(遣る)という語があり、もともと「人を歩いて行かせること」を意味していました。単に人をある場所から別の場所に向かわせることもあれば、人と物をある場所から別の場所に向かわせることもあります。こういうことをしているうちに、「人を歩いて行かせること」を意味していたyaru(遣る)に「送る」や「与える」のような意味が生じてきます。現代の日本語のyaru(やる)が「与える」という意味を持っているのは、そのためです。

現代の日本語のyaru(やる)は、「与える」という意味だけでなく、「する」という意味も持っています。これはなぜでしょうか。行くことを意味するyukuと行かせることを意味するyaruは、ある種の対のようになっていたのです。yukuは人が行くことだけでなく、物事が進むことも表すようになり、それに対応する形で、yaruは人を行かせることだけでなく、物事を進めることも表すようになりました。現代の日本語のyaru(やる)が「する」という意味を持っているのは、そのためです。

昔の人々は人を歩いて行かせるということを日常的に行っており、そこから重要な語彙が生まれています。フィンランド語にはkäydä(行く)カイダという動詞があり、さらにこの動詞から作られたkäyttääカイッターという動詞があります。自動詞から他動詞を作る時のお決まりの変形なので、käyttääはもともと「行かせる」という意味だったはずですが、現代では「使う」という意味になっています。「行かせる」→「使う」という意味変化は人類の言語によく見られます。

日本語のtukaɸu(使ふ)もこのパターンでしょう。古代中国語のtsjowk(足)ツィオウクから、日本語のtokotoko(とことこ)やtukatuka(つかつか)が作られたとお話ししましたが、日本語のtukaɸu(使ふ)も作られたと見られます。tukaɸuが「行かせる」→「使う」という意味変化を起こして、使う者の動作をtukaɸu(使ふ)(四段活用)、他方で、使われる者の動作をtukaɸu(仕ふ)(下二段活用)と言うようになったと考えられます。現代では、tukaɸu(使ふ)はtukau(使う)になり、tukaɸu(仕ふ)はtukaeru(仕える)になりました。

 

補説

タイ語のthaaw(足)

タイ語にはthaaw(足)ターウという語があります。筆者はこのような語が日本語のtabi(旅)になったのではないかと考えましたが、まず思ったのは、tabi(旅)という名詞があるのなら、tabuという動詞があってもよさそうなのに、日本語にそれらしき動詞が見当たらないということでした。発音的には、タイ語のthaaw(足)のような語からtabuという動詞、tabiという名詞ができてもおかしくありません。古代中国語のduw(豆)ドゥウが日本語のtubu(粒)になったのと同じような変化です(日本語のtubu(粒)は正確には*tubu→tubi→tubuという変遷を経ています)。tabuという動詞はどこに行ってしまったのだろうと腑に落ちませんでしたが、上のyaru(遣る)のところで見たように、「足・脚」と「与える」の間に深い関係があることがわかると、状況が飲み込めてきました。

奈良時代の日本語にtabu(賜ぶ)という動詞があり、ようやくこの動詞に筆者の目がとまりました。tabu(賜ぶ)は、ataɸu(与ふ)の尊敬語で、「お与えになる」という意味です。要するに、与えることを意味する語です。このtabu(賜ぶ)が、yaru(遣る)やataɸu(与ふ)のようにもともと足・脚に関係する語で、歩いて行くこと、あるいは歩いて行かせることを意味していたが、そこから与えることを意味するようになったと考えると、tabu(賜ぶ)とtabi(旅)の存在がすっきり理解できます。tabu(賜ぶ)だけでなく、ほぼ同じ意味のtamaɸu(給ふ)も、タイ語のthaaw(足)のような語から来ていると見られます。tabu(賜ぶ)と*tabaɸu(給ふ)だったら、もっとわかりやすかったでしょう。sabisii(さびしい)とsamisii(さみしい)のようなbとmの間の揺れは昔の日本語にもありました。ちなみに、授受表現であるtabu(賜ぶ)は現代の日本語のtaberu(食べる)にも関係があり、これについては「米(こめ)」の語源、中国とベトナムとタイのごはんの記事に記しました。