「決める」の「決」にさんずいが入っているのはなぜか?

「足りる」と「足す」になぜ「足」という字が使われるのか?の記事にアクセスしてくださる方が多く、大変感謝しております。漢字を見て不思議に思うことは結構あるでしょう。不思議な漢字の話をもう一つしておきます。

古代中国語のkwet(決)

水に関係のある漢字には、さんずい(氵)がよく使われます。例えば、「流、浮、沈、泳、溺」などはだれが見ても納得できます。しかし、「決」はどうでしょうか。これはなかなかの難問です。

昔の人々は、河川の水が人の住んでいるところに押し寄せてこないように、防御を固めていました。具体的には、河川の横に土を盛り固めて、高くしていました。これが、堤防(ていぼう)、堤(つつみ)あるいは土手(どて)と呼ばれるものです。河川の左右に堤防が長く伸びることになります。しかし、水が堤防の一部を破壊してしまうことがありました。長く伸びていた堤防が切れてしまうわけです。このようにして堤防を切ることを意味していたのが、古代中国語のkwet(決)クエトゥなのです。

※ほとんど聞かないと思いますが、日本語にも「堤防を切る/堤防が切れる」という言い方はあります。比喩的な「堰(せき)を切る」という言い方はよく耳にするでしょう。

日本語のkiru(切る)という語を思い起こしてください。この語は「食べきる、走りきる、読みきる」のように使われることもあります。切ることを意味する語は、終わらせることを意味するようになることが多いです。切るというのは、続かないようにすることという見方もできます。

古代中国語のkwet(決)は、「切ること」→「終わらせること」→「決めること」という変化を経たのです。参考として、英語のdecide(決める)とフィンランド語のpäättää(決める)パーッターの例も挙げておきましょう。

英語のdecide(決める)は、切ることを意味したラテン語のdecidereから来ています。

フィンランド語のpäättää(決める)は、pää(端)パーから作られた語で、当初は終わらせることを意味していましたが、やがて決めることを意味するようになりました。

古代中国語のkwet(決)が経た、「切ること」→「終わらせること」→「決めること」という変化は、自然なものだったのです。

日本語のkimeru(決める)

日本語のkimeru(決める)の語源はどうでしょうか。kimeru(決める)とkimaru(決まる)は、古い日本語には見当たらず、比較的新しい語のようです。

注目すべきなのは、私たちがkimeru(決める)/kimaru(決まる)という語を使うところで、昔の日本人がkiɸameru(極める)/kiɸamaru(極まる)という語を使っていたことです。

端を意味する語は始まりまたは終わりを意味するようになることが多く、ɸasi(端)からɸazimu(始む)/ɸazimaru(始まる)ができたのも、kiɸa(際)からkiɸamu(極む)/kiɸamaru(極まる)ができたのも、そのパターンと考えられます。kiɸamu(極む)/kiɸamaru(極まる)は、kiɸameru(極める)/kiɸamaru(極まる)になりました。

基本的に終わりに到達させること、終わりに到達することを意味するkiɸameru(極める)/kiɸamaru(極まる)の意味の一部を現代のkiwameru(極める)/kiwamaru(極まる)が受け継ぎ、一部を現代のkimeru(決める)/kimaru(決まる)が受け継いだようです。異なる形ができて、異なる意味を担うようになったということです。