「口(くち)」の語源

高句麗人が書き残した謎の漢字の記事で示したように、筆者は「口」を意味している語は「穴」を意味していた語ではないかと早くから予想していました。しかし、「穴」を意味する語自体がどのように生まれたのか見当がつきませんでした。

そのような行き詰まりの状態の中でヒントを与えてくれたのは、奈良時代の日本語のkubo(窪)という語でした。現代の日本語では、それから作られたkubomu(窪む)とkubomi(窪み)のほうがよく使われるでしょう。

なぜkubo(窪)という語が注意を引いたかというと、奈良時代の人々がkuboを「窪」と書くだけでなく、「凹」と書いたり、「下」と書いたりしていたからです。それ以来、kuboと「下」の関係を考えるようになりました。miorosu(見下ろす)、misageru(見下げる)、mikudasu(見下す)と同じ感じのするmikubiru(見くびる)という言い方も気になりました。

本ブログでは、水を意味していた語がその横の盛り上がった土地、丘、山、高さを意味するようになるパターンを何度も見てきました。しかしどうでしょうか。「凸」の字のように盛り上がっている箇所は目立ちますが、「凹」の字のようにへこんでいる箇所も目立つのではないでしょうか。「凹」の字のようにへこんでいる箇所にもなにか名前がつくのではないでしょうか。

話をkuti(口)に戻しましょう。奈良時代の日本語には、kudaru(下る)/kudasu(下す)という語のほかに、kutatu(降つ)という語がありました。かつて下を意味する*kutaという語があったと見られます。kutatu(降つ)は意味がいくらか抽象化しており、なにかが盛りを過ぎて終わりに近づく場面でよく用いられました。この点で、otu(落つ)、otosu(落とす)、otoru(劣る)と同源のotoroɸu(衰ふ)に似ています。

ひょっとして水を意味するkut-のような語があって、それが下を意味するようになったのかなという考えが頭をよぎりました。kutatu(降つ)とkudaru(下る)/kudasu(下す)はもちろん、穴を意味していたかもしれないkuti(口)や足を意味していたかもしれないkutu(靴)も関係があるかなと思いました。

kuti(口)の語源について論じる前に、他の例を先に見てみましょう。

先ほどのotu(落つ)、otosu(落とす)、otoru(劣る)、otoroɸu(衰ふ)を見てください。下を意味する*otoという語があったことが窺えます。utumuku(うつむく)という語もあるので、*utuという形と*otoという形があったのでしょう。日本語でも外国語でもuとoの間は発音変化が非常に起きやすいので、二つの形があったことはなんらおかしくありません。

ut-やot-のような語が下を意味していたことは確かですが、これらが穴をすることはあったのでしょうか。どうやらあったようです。

奈良時代の日本語には、からっぽであることを意味するutu(空)という語がありました。現代の日本語では、utu(空)は廃れてkara(空)が一般的になっていますが、utu(空)から作れらたuturo(虚ろ)が抽象的な意味で残っています。utu(空)は、穴を意味する*utuという語があったことを示唆しています。udumu(埋む)/udumoru(埋もる)も、そのことを裏づけています。

uta(歌)とoto(音)という語も気になります。高句麗人が書き残した謎の漢字の記事で述べたように、口を意味することができなかった語が口から発せられるものを意味するようになることは多いからです。口から発せられるものというのは、声であったり、言葉であったり、歌であったりします。

ちなみに、oto(音)という語は奈良時代からありますが、奈良時代のoto(音)は人の声、言葉、話なども広く意味していました。ひょっとしたら、oto(音)は人の口から発せられるものを意味していたが、kowe(声)、koto(言)、uta(歌)などに押され、主にそれら以外のものを意味するようになっていったのかもしれません。

いずれにせよ、上記の一連の語彙は下→穴→口という意味変化を十分に検討しなければならないことを示しています。

次は、parapara(ぱらぱら)、ɸuru(降る)(古形*puru)、poroporo(ぽろぽろ)などの語彙に注目してみましょう。これらは、古代北ユーラシアで水を意味したpark-、pirk-、purk-、perk-、pork-(par-、pir-、pur-、per-、por-、pak-、pik-、puk-、pek-、pok-)のような語から来ていると考えられる語彙です。水を意味していた語が雨を意味するようになり、雨を意味していた語が落下・下方向・下を意味するようになるパターンです。poroporo(ぽろぽろ)およびそれと同類のporoʔ(ぽろっ)、porori(ぽろり)、poron(ぽろん)などは、落ちること、こぼれ落ちること、こぼれ出ることを意味していますが、当初の水という意味はほとんどなくなっています。

そして案の定、日本語にはɸora(洞)とɸoru(掘る)という語彙があります。ɸoragaɸiと呼ばれた貝もあります(写真は貝の図鑑様のウェブサイトより引用)。

ɸoragaɸiのɸoraの部分は、口を意味していたのではないでしょうか。ホラガイの細くなっている側に細工を施して笛を作るということも行われてきました。「ホラを吹く」という言い方はここから来ています。

やはり、下→穴→口という意味変化はありそうです。

ɸorobu(滅ぶ)/ɸorobosu(滅ぼす)は意味がすっかり抽象的になっていてわかりにくいですが、これも下を意味する語から来たのかもしれません。前に取り上げたkutatu(降つ)やotoroɸu(衰ふ)に似た感じでしょうか。

下→穴→口という意味変化がありそうだとわかったところで、いよいよkuti(口)の語源について考えましょう。

すでに挙げたkutatu(降つ)とkudaru(下る)/kudasu(下す)から、kut-やkud-のような語が下を意味していたことがわかります。

下を意味する語は様々な語彙を生み出します。大きな地震が起きて、建物が崩壊するところを想像してください。下を意味する語は崩壊・破壊を意味する語も生み出します。

kuduru(崩る)/kudusu(崩す)は明らかに怪しいです。kudaku(砕く)も怪しげです。下を意味する語がkuta、kudaという形を取ったり、kutu、kuduという形を取ったりしていたのでしょう。もっと意味が抽象的ですが、kutu(朽つ)も下を意味する語から来たのかもしれません。抽象性も含めて、先ほどのɸorobu(滅ぶ)に似ています。

当然、下を意味していたkut-やkud-のような語が穴と口を意味するようになる展開も予想されます。現在ではkan(管)やpaipu(パイプ)がよく使われますが、kuda(管)という語もありました(写真はモリ工業様のウェブサイトより引用)。

管は細長いですが、細長い棒となにが違うのでしょうか。言うまでもなく、穴があいているところです。kudaは、穴を意味していたところから、管を意味するようになったと見られます。

udauda(うだうだ)言うのもそうですが、gudaguda(くだぐだ)言うのも口からです。

下を意味していた語が穴と口を意味するようになる変化は普通に起きていたと考えてよいでしょう。

kuti(口)は、kutubami(くつばみ)やkutuwa(くつわ)(馬を制御するために馬の口に取りつける器具)のような語が残っているので、kutiではなく*kutuが古い形かもしれません。いずれにせよ、穴を意味するkutiまたは*kutuのような語があったと推測されます。古代中国語のkhwot(窟)クオトゥ、gjut(堀)ギウトゥ、gjut(掘)ギウトゥなどの語も、そのことを裏づけています。

日本周辺で、下を意味するkut-やkud-のような語が下→穴→口という意味変化を起こしていたということです。

現代の日本語のkutakuta(くたくた)、guttari(ぐったり)、kutabireru(くたびれる)、kutabaru(くたばる)なども下を意味する語から来ていると見られます。ダウンしてしまう状況でしょう。酔いつぶれてしまうgudenguden(ぐでんぐでん)はどうでしょうか。

 

補説

崩壊・破壊の後に残るもの

昔のフランス語に、壊すこと・砕くことを意味するdebrisierという動詞がありました。この動詞から、破片を意味するdébrisデブリという名詞ができました。フランス語のdébrisは英語のdebrisにもなり、破片、残骸、がれき、がらくたなどを意味しています。

このように、崩壊・破壊を意味する語からそれらの生成物である破片を意味する語が生まれます。奈良時代の日本語のkuduru(崩る)/kudusu(崩す)という動詞を取り上げましたが、kudu(屑)も同源と見られます。

ひょっとしたら、barabara(ばらばら)も、parapara(ぱらぱら)と同じように落下・下方向・下を意味していて、そこから崩壊・破壊、さらに崩壊・破壊の生成物を意味するようになっていったのかもしれません。

崩れるといえば、garagara(がらがら)にも言及しておかなければならないでしょう。下を意味する*karaという語があったことが窺えます。kara(空)の語源もutu(空)の語源と同様でしょう。下を意味していた語が穴を意味するようになったと見られます。からっぽであることを意味するのがkara(空)で、からっぽであるものを意味するのがkara(殻)でしょう。garagara(がらがら)も、崩壊・破壊だけでなく、崩壊・破壊の生成物を意味していたのではないでしょうか。

言葉の変化を追跡する、よく起きる変化とまれに起きる変化、イタリア語とスペイン語の例から

ラテン語にiuvenis(若い)ユウェニスという語がありました。iuvenisではなく、juvenisと書かれることもありました。この語は、イタリア語ではgiovane(若い)ヂョヴァネ、スペイン語ではjoven(若い)ホベンになっています。ヨヴァネではなくヂョヴァネになっていること、ヨベンではなくホベンになっていることに注意してください。

ちょっとした変化ではありますが、ここに重要な情報が詰まっています。注目してほしいのは、頭子音の変化です。ラテン語の頭子音[j](日本語のヤ行の子音)が、イタリア語では[dʒ]に、スペイン語では[x]になりました。

イタリア語が見せた[j]→[dʒ]という変化は、非常によく起きる変化です。[j]が[dʒ、ʒ、tʃ、ʃ]になる変化は、世界に広く見られます。[ja](ヤ)が[dʒa、ʒa、tʃa、ʃa](ヂャ、ジャ、チャ、シャ)になる変化です。

これに対して、スペイン語が見せた[j]→[x]という変化は、よく起きる変化ではありません。しかし、この変化が重要なのです。[ja](ヤ)が[xa](ハ)になる変化です。

[x]という子音について、改めて説明しておきましょう。日本語には、[k]と[h]という子音はありますが、[x]という子音はありません。

[x]は、[k]と同じ場所で作られる音です。ka(カ)と発音してみてください。kaと発音する時には、口の中のわりと奥のほうで、まず空気が出られないように閉鎖を作り、それからその閉鎖を開放して空気を吐き出しているはずです。これはkaの発音の仕方です。

xaの発音の仕方は違います。kaと発音する時に閉鎖を作る部分がありますが、この部分を空気でこするのです。これがxaの発音の仕方です。

xaはkaと同じ場所で作られ、haはもっともっと奥のほうで作られます。xaは、kaを発音する位置で、haと発音する感じです。

北ユーラシアには[x]という子音を持つ言語が非常に多く、北ユーラシアの歴史を考えるうえで[x]という子音は非常に重要です。[k]と[h]と[x]の三者間は、発音変化が起きやすいです。

以前に、歴史の奥底に埋もれた語の記事で、古代北ユーラシアでは水のことをjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-のように言っていたようだとお話ししました。rの部分は、rであったり、lであったりします。

水を意味するjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-のような語は、とても古い語です。現在の北ユーラシアをぱっと見渡しても、水を意味するjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-のような語は見当たりません。

古代北ユーラシアで水を意味したjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-のような語は、北ユーラシアの至るところに残っています。しかし、jark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-という語形が変化したり、水という意味が変化したりしているのです。ウラル語族のフィンランド語joki(川)ヨキ、ハンガリー語jó(川)ヨーや、フィンランド語jää(氷)ヤー、ハンガリー語jég(氷)イェーグなどは、まだわかりやすいほうです。これらは、語形と意味があまり変化していないからです。

水を意味するjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-のような語があれば、先ほどのイタリア語とスペイン語の例のように変化することもあります。

さらに、以下のように変化することもあります。

rとkが両方残っている形だけを示しましたが、どちらか一方が脱落することもあります。

おおもとのjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-という形から、実に様々な形が生まれてくるわけです。

先ほど挙げたフィンランド語joki(川)、ハンガリー語jó(川)や、フィンランド語jää(氷)、ハンガリー語jég(氷)などは、水に関係があることがわかりやすいですが、例えば、フィンランド語のjalka(足、脚)ヤルカはどうでしょうか。

ちなみに、フィンランド語のjalka(足、脚)に対応する語は日本語にもあります。日本語ではyark-という形は認められないので、yar-かyak-という形で存在することになります。すでに本ブログで取り上げましたが、奈良時代の日本語で「人を歩いて行かせること」を意味していたyaru(やる)と「徐々に進行すること」を意味していたyakuyaku(やくやく)です。

現代の日本語に「やって来る」という言い方があるので、yaru(やる)は歩かせることだけでなく、歩くことも意味していたと思われます。

yakuyaku(やくやく)は、一歩一歩を意味していたところから、徐々に進行することを意味するようになったと見られます。そこからさらに、長い歩みを意味するようになり、現代のyouyaku(ようやく)に至ります。

ウラル語族と日本語の語彙から、古代北ユーラシアで足・脚のことをjalk-のように言っていたことは間違いありません。

実は、これに関連して、筆者がずっと気にしていた語があります。モンゴル語xөl(足、脚)フルまたはフス、エヴェンキ語xalgan(足、脚)ハルガン、古代中国語kjak(腳)キアクなどです(腳の異体字が脚です)。

ウラル山脈周辺にも、ウラル語族のコミ語kok(足、脚)、ウドムルト語kuk(足、脚)、ハンティ語kur(足、脚)という語があります。これらは、ウラル語族らしくなく、ウラル語族以外の言語から入ってきたと考えられる語です。フィンランド語にも、kulkea(進む)やkulku(進行)のような語があります。

そして極めつけは、インド・ヨーロッパ語族のラテン語のcalx(かかと)カルクス、calceus(靴)カルケウス、calcare(踏む)カルカーレ、calcitrare(蹴る)カルキトラーレなどです。これらは、足・脚そのものは意味していませんが、足・脚に関係があることは明らかです(大きく間が空いてしまいましたが、とても古い東西のつながり、ユーラシア大陸の北方でなにがあったのかの記事は、ここにつながります)。

ヨーロッパから東アジアまでの非常に広い範囲で、足・脚のことをkalk-のように言っていたことがわかります。

古代北ユーラシアで、足・脚のことをjalk-のように言ったり、kalk-のように言ったりしていたわけです。このjalk-のような語とkalk-のような語にどのような関係があるのか、そもそも関係があるのか、筆者は長いことわかりませんでした。

しかし、冒頭のイタリア語とスペイン語の例で示したように、よく起きる発音変化とまれに起きる発音変化があり、jalk-のような形がxalk-のような形になり、さらにkalk-やhalk-のような形になることもあるのだと知りました。

[j]という子音(日本語のヤ行の子音)は比較的脱落しやすく、jalk-のような形は、xalk-、kalk-、halk-のような形を生み出すだけでなく、alk-のような形も生み出していたようです。日本語にaruku(歩く)、モンゴル語にalxax(歩く)アルハフという動詞がありますが、これらは、かつて足・脚を意味するalk-のような語があったことを示しています。

イタリア語とスペイン語の例を見た後なので、jark-のような形(rの部分は、rであったり、lであったりします)がdʒark-、ʒark-、tʃark-、ʃark-のような形になったり、xark-のような形になったり、ark-のような形になったりするのはわかるでしょう。これは語形の変化です。語形の変化とならんで意味の変化があります。人類の言語の歴史を理解するためには、語形の変化と意味の変化の両方を精密に追う必要があります。

水を意味するjark-のような語があり、この語がdʒark-、ʒark-、tʃark-、ʃark-のような語になったり、xark-のような語になったり、ark-のような語になったりしたとしましょう。しかし、このdʒark-、ʒark-、tʃark-、ʃark-のような語、xark-のような語、ark-のような語が水を意味しているとは限らないのです。

水を意味する語は、基本的には、ずっと水を意味しています。しかし、この水という意味が変わる時があります。それは、ある言語で水を意味していた語が、他の言語に入る時です。他の言語にはすでに水を意味する語があるので、水以外のなにか(水に関係のあるなにか)を意味せざるをえないのです。

古代北ユーラシアで、足・脚のことをjalk-のように言ったり、kalk-のように言ったり、alk-のように言ったりしていたと述べました。この足・脚を意味するjalk-、kalk-、alk-のような語は、一見したところ、「水」から来ているようには見えません。しかし、「水」から来ているのです。もちろん、水を意味していた語がいきなり足・脚を意味するようになることはありません。

水を意味していた語が横を意味するようになり、横を意味していた語が手・腕を意味するようになるパターンを思い出してください。それと同じように、水を意味していた語が下を意味するようになり、下を意味していた語が足・脚を意味するようになるパターンがあるのです。

水を意味していた語が横を意味するようになるパターン(これは川を意味していた語が岸を意味するようになるパターンです)に比べて、水を意味していた語が下を意味するようになるパターンはちょっと複雑です。下(した)、下(しも)、下(もと)の比較の記事で詳しく説明したように、水を意味していた語が下を意味するようになるパターンはいくつかあります。世界の諸言語を研究していて最も多いのは、水を意味することができず、雨を意味することもできなかった語が、落下・下方向・下を意味するようになるパターンです。こうして下を意味していた語が、足・脚を意味するようになるのです。

古代北ユーラシアで足・脚を意味したjalk-、kalk-、alk-のような語は、一見無関係なようで、実は「水」から来ているのです。水を意味していた語が足・脚を意味するようになった例をもう一つ挙げておきましょう。

奈良時代の日本語には、「人を歩いて行かせること」を意味するyaru(やる)という語がありましたが、同じく「人を歩いて行かせること」を意味するtukaɸu(使ふ、遣ふ)という語もありました。足・脚を意味する*tukaという語があり、そこからtukatuka(つかつか)とtukaɸu(使ふ、遣ふ)が生まれたと考えられます。tukaɸu(使ふ、遣ふ)は、歩くことを意味する場合と歩かせることを意味する場合があったかもしれません。tukaɸasu(使はす、遣はす)という形もありました。

足・脚を意味する*tukaという語はどこから来たのでしょうか。やはり究極的には「水」から来たと考えられます。水に入ること・入れることを意味したtuku(漬く)/tukasu(漬かす)/tukaru(漬かる)、tuka(塚)、tukamu(つかむ)などの他の語彙を見れば明らかです。tuku(漬く)/tukasu(漬かす)/tukaru(漬かる)が水に関係があることは言うまでもないでしょう。tuka(塚)は、水を意味していた語がその横の盛り上がった土地、丘、山を意味するようになったと考えられる語です。tukamu(つかむ)は、手・腕を意味する*tukaという語があったことを示しています。一握りを意味したtuka(束)や握る部分を意味したtuka(柄)も同じところから来ていると考えられます。現代の日本語で一握りが少数・少量を意味することがありますが、tuka(束)も少数・少量を意味することがあり、そこからtukanoma(束の間)という言い方ができたのでしょう。

ここに挙げた一連の語彙から水を意味するtuk-のような語の存在が窺えますが、この語は上の表のtʃark-、tʃirk-、tʃurk-、tʃerk-、tʃork-(子音が脱落すれば、tʃar-、tʃir-、tʃur-、tʃer-、tʃor-、tʃak-、tʃik-、tʃuk-、tʃek-、tʃok-)あるいはtark-、tirk-、turk-、terk-、tork-(子音が脱落すれば、tar-、tir-、tur-、ter-、tor-、tak-、tik-、tuk-、tek-、tok-)のところから来ていると考えられます。

水を意味していた語が横を意味するようになり、横を意味していた語が手・腕を意味するようになるパターンと、水を意味していた語が下を意味するようになり、下を意味していた語が足・脚を意味するようになるパターンは、極めて重要です。水を意味する語だけでなく、手・腕を意味する語と足・脚を意味する語も基本語であり、ここからさらに多くの語彙が生まれていきます。

人類は遅くとも45000年前には北ユーラシアに現れており、そこから現在に至るまでの言葉の変化(語形の変化および意味の変化)は、目が回りそうなほど多種多様です。しかし、全く無秩序というわけではありません。いやむしろ、規則性と言えるぐらいの傾向があります。

前回の記事でほのめかしたkuti(口)の語源を明らかにすることにしましょう。「下」を意味していた語から「足・脚」を意味する語が生まれるというのは、とてもわかりやすいと思います。しかし意外なことに、「下」を意味していた語から「口」を意味する語も生まれてくるのです。