色の話

iro(色)の語源は謎めいています。

aka(赤)なら、太陽か火を意味していた語かなと想像することができます。awo(青)なら、水を意味していた語かなと想像できるし、midori(緑)なら、植物を意味していた語かなと想像できます。

しかし、iro(色)はそうはいきません。

iro(色)の語源はすぐにわかりそうになかったので、筆者はずっと後回しにしていたのですが、一つ気づいたことがありました。

日本語のiro(色)も英語のcolor(色)もそうなのですが、現代の言語で一般に色を意味している語は、時代を遡っていくと、皮膚・肌の色、特に顔の色を意味していることが多いのです。

現代の中国語のyánsè(颜色)イエンスーは、もともと顔色を意味していた語ですが、現代では一般に色を意味する語になりました。

どうやら、顔色を意味していた語が一般に色を意味するようになる傾向があるようです。

iro(色)の秘密が「顔」にありそうだということがわかれば、あとはスムーズに進みます。

tura(面)の話を思い出してください。この語は、現代では顔を意味していますが、奈良時代には頬を意味していました。頬を意味していた語が顔を意味するようになることはよくあります。

色から顔に遡り、顔から頬に遡れれば、「水→横→頬→顔→色」というラインが見えてきます。kaɸo(顔)も、kaɸa(川)やkaɸa(側)とともに、このパターンでしょう。

水を意味するir-のような語があったことは、iru(入る)、iraira(イライラ)、iradatu(いら立つ)のところで示しました(ツングース諸語、モンゴル語、テュルク諸語の数詞から見る古代北ユーラシアを参照。水を意味するir-のような語は、jark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-(jは日本語のヤ行の子音)のような語から来ています)。ここでは、水を意味するir-のような語が横を意味するようになったことを示しましょう。

本ブログでおなじみの図です。説明のために、iroの図だけでなく、moroの図も再掲します(moroについては、数詞の起源について考える、語られなかった大革命を参照)。

水を意味していた語がその横を意味するようになったところです。超頻出パターンです。ここからiroとmoroが「2」を意味するようになる可能性もありますが、そうならない可能性もあります。「2」を意味する語はいくつも要らないからです。

「2」を意味することができなかった語はどうなるでしょうか。3を意味するようになるかもしれないし、いくつかを意味するようになるかもしれないし、多数を意味するようになるかもしれません。あるいは、すべてを意味するようになるかもしれません。

moromoro(諸々)は多数やすべてを意味するようになりましたが、iroiro(いろいろ)も似た経緯をたどったと見られます。iroiro(いろいろ)は、数が多いことだけでなく、それぞれが異なることも強調するようになっていったのでしょう。

iroiro(いろいろ)は、iro(色)と同源ですが、iro(色)からできたわけではないのです。

※uroko(鱗)は、昔はirokuduと呼ばれたり、irokoと呼ばれたりしていました。水・水域を意味することができなかったiroが魚を意味することもあったと思われます。

今回の記事ではiro(色)の話をしましたが、これはもっと重要な話をするための下準備です。次回の記事で本題に入ります。

英語のcolor(色)は、フランス語からの外来語です。昔の英語には、færbu(色)ファルブという語がありました。ゲルマン系の他の言語では、ドイツ語Farbe(色)ファルブ、オランダ語verf(塗料)フェルフ、デンマーク語farve(色)ファーウ、スウェーデン語färg(色)ファリ、ノルウェー語farge(色)ファルゲ、アイスランド語farfi(色)ファルヴィなどが健在です。これらの語は同源ですが、rのうしろの子音がb、f、vになっているケースと、gになっているケースがあることに気づくでしょうか。ちょっとした現象に見えますが、この現象が古代北ユーラシアの歴史を考えるうえで非常に重要になってきます。

※スウェーデン語のfärg(色)の発音は現代では「ファリ」に近くなっており、これがフィンランド語のväri(色)ヴァリになっています。