本ブログでは、日本語の様々な語源を明らかにしてきましたが、まだyama(山)の語源を明らかにしていません。この語は、意味のほうは難しくないのです。水を意味していた語が、その横の盛り上がった土地、丘、山、高さを意味するようになるパターンでしょう。難しいのは、語形のほうです。
古代北ユーラシアで水のことをjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-(jは日本語のヤ行の子音です。rの部分はrであったりlであったりします)のように言っていたことは再三お話ししていますが、jark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-のような形から果たしてjam-、jim-、jum-、jem-、jom-のような形が生まれるかというのは重大な問題です。
考えてみてください。jark-からjam-が生まれるのなら、ark-からam-が生まれることだってあるでしょう。kark-からkam-が生まれ、sark-からsam-が生まれ、tark-からtam-が生まれ、nark-からnam-が生まれることだってあるでしょう。これは、日本語の語彙全体にも関わる問題なのです。
言葉の変化を追跡する、よく起きる変化とまれに起きる変化、イタリア語とスペイン語の例からの記事でお話ししたように、ヨーロッパから東アジアまでの非常に広い範囲で、足・脚のことをkalk-のように言っていたことが窺えます。
しかし、古ノルド語(アイスランド語、ノルウェー語、スウェーデン語、デンマーク語などのもとになった言語)にはkalfr(膝から足首までの部分)という語があり、これが英語のcalf(ふくらはぎ)になりました。kalk-という形ではなく、kalf-という形をしています。
これがおかしな現象でないことは、前回の記事の最後に示した古英語færbu(色)ファルブ、ドイツ語Farbe(色)ファルブ、オランダ語verf(塗料)フェルフ、デンマーク語farve(色)ファーウ、スウェーデン語färg(色)ファリ、ノルウェー語farge(色)ファルゲ、アイスランド語farfi(色)ファルヴィを見てもわかります。
古ノルド語にlagr(低い)という語がありましたが、現在では、デンマーク語lav(低い)レウ、スウェーデン語låg(低い)ローグ、ノルウェー語lav(低い)ラーヴ、アイスランド語lágur(低い)ラグルになっています。英語のlow(低い)も、古ノルド語からの外来語で、昔はlahと綴られていました。
唇のところで作る音(m、p、b、f、v、wなど)と口の奥のほうで作る音(k、g、x、hなど)の間に、ある程度行き来があると考えざるをえません。
確かに、唇のところで作る音は、唇のところで作る音同士で変化しやすいです。口の奥のほうで作る音は、口の奥のほうで作る音同士で変化しやすいです。しかし、そういう変化だけでなく、唇のところで作る音が口の奥のほうで作る音に変化する、あるいは口の奥のほうで作る音が唇のところで作る音に変化する場合もあるということです。
唇のところで作る音というのは、最も前方で作られる音で、口の奥のほうで作る音というのは、最も後方で作られる音なので、両者は隔絶しているかのような印象を与えがちです。しかし、唇のところで作る音と口の奥のほうで作る音には、舌(舌の前方)を使わないという共通点があり、両者は完全には隔絶していないのです。
インド・ヨーロッパ語族だけでなく、ウラル語族の例も示しておきましょう。例えば、フィンランド語のjärvi(湖)ヤルヴィとtalvi(冬)を見てください。
järvi(湖)の背後には水の存在があるでしょう。talvi(冬)の背後には寒さ、冷たさ、雪または氷があり、その背後にはやはり水の存在があるでしょう。しかし、järvi(湖)はjärk-という形ではなくjärv-という形をしているし、talvi(冬)はtalk-という形ではなくtalv-という形をしています。
jark-→tʃark-→tark-のような変化が起きますが(言葉の変化を追跡する、よく起きる変化とまれに起きる変化、イタリア語とスペイン語の例からを参照)、kが、口の奥のほうで作る音のままでいるとは限らず、唇のところで作る音になることもあるわけです。
フィンランド語のkorva(耳)とkolme(3)も見てください。
何度も繰り返しているので短く述べますが、korva(耳)は、水→横→耳のパターン、kolme(3)は、水→横→2のパターン(最終的に2を意味することができず、2より大きい数を意味するようになるパターン)です。しかし、korva(耳)はkork-という形ではなくkorv-という形をしているし、kolme(3)はkolk-という形ではなくkolm-という形をしています。
jork-→xork-→kork-のような変化が起きますが(言葉の変化を追跡する、よく起きる変化とまれに起きる変化、イタリア語とスペイン語の例からを参照)、kが、口の奥のほうで作る音のままでいるとは限らず、唇のところで作る音になることもあるわけです。ちなみに、フィンランド語にはkorkea(高い)という語もあり、この語はkork-という形をしています。
このような現象が広く観察されることから、当然、jark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-のような形からjarm-、jirm-、jurm-、jerm-、jorm-のような形が生まれたり、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような形からjam-、jim-、jum-、jem-、jom-のような形が生まれたりしていたと考えられます(mの部分は、mであったり、pであったり、bであったり、fであったり、vであったり、wであったりします)。
日本語のyama(山)やyabu(藪)なども、そのことを物語っています。yama(山)は、水を意味していた語が、その横の盛り上がった土地、丘、山、高さを意味するようになるパターンでしょう。yabu(藪)は、水を意味していた語が、その横の草木を意味するようになるパターンでしょう。
※水・水域を意味するjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-(jar-、jir-、jur-、jer-、jor-、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-)のような語から来たのがika(イカ)で(iruka(イルカ)もそうです)、jam-、jim-、jum-、jem-、jom-のような語から来たのがyebi(エビ)と考えられます。ika(イカ)も、tako(タコ)も、same(サメ)も、ɸuka(フカ)も、水・水域を意味する語から来ていました。yebi(エビ)だけ違うとは考えづらいです。yebi(エビ)はebi(エビ)になりましたが、子音j(日本語のヤ行の子音)は消えやすいです。jam-、jim-、jum-、jem-、jom-のような語だけでなく、am-、im-、um-、em-、om-のような語も古くから東アジアにあり、ここからすでに解説したama(雨)、amaru(余る)、abaru(暴る)、aburu(溢る)、abu(浴ぶ)などの語彙が来たと考えられます。
最後に、関連する話題として、yominokuni(黄泉の国)の話を補説に記しておきます。
補説
黄泉の国はどこにあったのか?
奈良時代の人々はyomiを「黄泉」と書き表していましたが、yomiは黄にも泉にも関係がないと見られます。中国では死者の世界を「黄泉」と書くらしいぐらいの認識だったでしょう。
三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)では、yomi(黄泉)について以下のように解説しています。
「交替形としてヨモがある。上代の葬地は山坂・山上など山野に設けられることが多かった。後世も葬地・他界の意でヤマという語が多く用いられているが、ヨミはあるいは山ヤマという語と関係があり、ア列音とオ列乙類音が交替して類義語を構成する一つの例ではないかと考える説もある。一方、死後の世界はネノクニ・シタツクニともいい、地下の国とも考えられていた。交替形にヨモがあり、木キ—木コの交替の例から考えて、ミの仮名は乙類と考えられる。」
yominokuni(黄泉の国)はyomotukuni(黄泉つ国)とも言われていました。ki(木)よりko(木)のほうが古いように、yomi(黄泉)よりyomo(黄泉)のほうが古いと見られます。
三省堂時代別国語大辞典上代編が指摘しているように、ネノクニ・シタツクニという表現があったことは注目に値します。ネノクニのネ、シタツクニのシタと同様に、yomo/yomi(黄泉)は「下」を意味していた可能性があります。この可能性は高そうです。
奈良時代にも、yomu(読む)という語がありました。現代では、yomu(読む)というとまず黙読を思い浮かべると思いますが、奈良時代には、yomu(読む)は基本的に発声行為を意味していました。現代にも、「歌を詠む」という言い方が残っています。yomu(読む)が発声行為を意味していたとなると、口を意味するyom-のような語があったと推測されます。yomu(読む)のyoは乙類で、yobu(呼ぶ)のyoは甲類という違いはありますが、yobu(呼ぶ)も無関係ではないでしょう。
「口(くち)」の語源の記事で、水→雨→下→穴→口という意味変化のパターンを示しました。これは、人類の言語の語彙が形成されていくうえで、とても重要なパターンです。水を意味するjam-、jim-、jum-、jem-、jom-のような語もこのような変化を見せていたにちがいありません。同じ「口(くち)」の語源の記事で、「下」を意味していた語が、疲れたり、衰えたり、死んだりすることを意味するようになる例もありました。yamu(病む)もこのパターンと思われます。「下」からの意味展開が違いますが、yamu(止む)もおさまること・静まることを意味していたのかもしれません。同じ記事で、「下」を意味していた語が崩壊・破壊を意味するようになる例もありました。yaburu(破る)もこのパターンと思われます。奈良時代のyaburu(破る)は、現代の崩す、崩れる、壊す、壊れるに近いです。
口を意味するyom-のような語があったということは、遡れば、穴を意味するyom-のような語があった、下を意味するyom-のような語があったということです。yomo/yomi(黄泉)は「下」を意味していた語と考えてよいでしょう。人類は死者を埋めてきたわけですから、死者の世界が地の下にあると考えたのは自然です。古代中国語のhwang dzjwen(黃泉)フアンヂウエン自体も、地の下にあると考えられた死者の世界です。
「下」を意味していた語が、疲れたり、衰えたり、病んだり、死んだりすること意味するようになるのであれば、yawa(やわ)、yowa(弱)、yoboyobo(よぼよぼ)などの語も関係があるかもしれません。
参考文献
上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。