「男」と「女」の語源(1)

以下のようなシリーズ記事になっています。

►「男」と「女」の語源(1)
►古代中国語の「君」(2)
►「父」の正体(3)
►追いやられた男と女(4)
►複雑な母と女の間(5)
►モンゴル語や満州語からのヒント(6)
►春秋戦国時代が終わり、秦・漢の時代へ(7)
►性転換をした「母」(8)

日本語の「死ぬ」と「殺す」の語源を明らかにしました(「死ぬ」と「殺す」の語源を参照)。そこには、日本語が昔から持っていたウラル語族との共通語彙が、新しく入ってきたシナ・チベット語族の語彙によって押しのけられるという構図がありました。「死ぬ」と「殺す」の語源に続いて、「男」と「女」の語源について考えます。

日本語のotoko(男)とonna(女)は基本語彙かと言われれば、間違いなく基本語彙でしょう。しかし、「男」と「女」を意味する語は、わりと変わりやすいものです。現代の日本語ではotoko(男)とonna(女)が対になっていますが、昔はそうではありませんでした。otokoの古形はwotokoで、onnaの古形はwominaです。wotokoはwominaではなくwotomeと対になっていました。

例1. wotoko(をとこ)とwotome(をとめ)

wotoの部分は、「若い盛りの、結婚適齢期の、壮年の」ぐらいの意味です。そのうしろにkoが付けば「若い盛りの男性」、meが付けば「若い盛りの女性」です(特定の年齢帯の男・女を意味していた語が、一般に男・女を意味するようになるのは、珍しいことではありません)。

昔の日本語には、これとはまた意味の違う男女の対がありました。もう現代では使われないものも多いですが、日本語の歴史を考えるうえで非常に重要なので、以下にいくつか挙げます。できるだけ、ひらがなではなくローマ字のほうを見てください。

例2. okina(おきな)とomina(おみな)

okinaは「年をとった男性」、ominaは「年をとった女性」です。

例3. woguna(をぐな)とwomina(をみな)

wogunaは「男の子」、wominaは「若い娘」です。wogunaとwominaは当初はきれいに対を成していたと思われますが、奈良時代の時点ですでに対称性は崩れており、wominaは例1のwotomeに近くなっていました。このwominaが時代とともに形を変えてonnaになりました。

例4. izanaki(イザナキ)とizanami(イザナミ)

日本神話に登場する神の名前です。初代天皇とされる神武天皇の先祖にアマテラスがおり、アマテラスの父がイザナキです。そして、イザナキの妻がイザナミです。イザナキとイザナミによる国生みの話は、ご存知の方も多いでしょう。

上に挙げた例1~例4は奈良時代の語彙ですが、どうでしょうか。筆者以外の方も感じると思いますが、男女のそれぞれの呼び方がややこしいです。ややこしさの原因は、男女の区別を示す部分の形が一定していないことにあります。kがgに濁ることを差し引いても、例1はkoとme、例2はkinaとmina、例3はkunaとmina、例4はkiとmiです。ばらばらなようでいて、無関係とも思えない、というのが率直な感想ではないでしょうか。

この問題を論じる前に、昔の日本語に以下のような制約があったことを思い出してください。

・語頭に濁音が来ない
・語頭に流音(l、rの類)が来ない
・母音が連続しない
・子音が連続しない
・語が子音で終わらない

筆者は、研究を進めるうちに、例1のko/me、例2のkina/mina、例3のguna/mina、例4のki/miはシナ・チベット系の語彙ではないかと考えるようになりました。

古代中国語のkjun(君)

古代中国語のkjun(君)キウンのもともとの意味は、「統治者、支配者、おさ、あるじ、ぬし」といったところです。ある空間あるいは集団を支配している人というイメージです。くだけた言い方をすれば、「偉い人」といったところでしょう。kjun(君)という語には、重要な用法がありました。祖父、父、その他の年長者のことをkjun(君)と呼んでいたようなのです。

ウラル語族にも、「統治者、支配者、おさ、あるじ、ぬし」のような意味を持つ語があって、その語を祖父、父、その他の年長者に対して使っていた形跡があります。東アジアのかなり広い範囲でそのようなことが行われていたと見てよさそうです。

ここで注意したいのは、上のように使われていた古代中国語のkjun(君)などは、「男」という一般的な意味を獲得する一歩手前の状態にあるということです。

古代中国語のkjun(君)を昔の日本語に取り入れようとすると、どのようになるでしょうか。まずはkinまたはkunと変形したいところですが、子音で終わることはできないので、さらにkinV、kunV、ki、kuのような形にする必要があります。前にも、「布切れ、布、織物」を意味した古代中国語のkin(巾)が日本語のkinu(衣、絹)とki(着)になった例がありましたが、昔の日本語では必須の作業です。以上のことを踏まえたうえで、例1~例4のwotoko(をとこ)、okina(おきな)、woguna(をぐな)、izanaki(イザナキ)について考えましょう。

►古代中国語の「君」(2)へ

魚と肉と野菜の入り組んだ話

ごはんだけでなく、おかずにも少し目を向けましょう。奈良時代の日本語のiwo(魚)(のちにuo)は古代中国語のngjo(魚)ンギオから来たようだと述べました。昔の日本人が、不慣れなngという子音を落とし、ioという母音連続を避けてiwoとしたのは、当然の展開といえます。

これは単純な話ですが、ややこしいのが奈良時代の日本語のnaです。現代のna(菜)につながる語ですが、奈良時代のnaはもっと意味が広く、「ごはんといっしょに食べるもの、おかず、副食物」を意味していました。そのため、奈良時代の日本語のnaは、「菜」と書かれたり、「魚」と書かれたりしました。さらに、naの前にma(真)を付けたmanaという語もあり、これは「魚」を意味していました。要するに、naと言えば「ごはんといっしょに食べるもの、おかず、副食物」、manaと言えば「魚」という具合でした。

奈良時代の日本語のnaはどこから来たのかというと、どうやらこれもシナ・チベット語族から来たようです。「魚」のことを、例えばチベット語ではnyaニャ、ミャンマー語ではngaンガと言いますが、このような語が昔のシナ・チベット語族に少しずつ違う形で存在し、そこから日本語のnaが来たものと見られます。当初は「魚」を意味していたでしょう。

こうなると、iwoもnaも「魚」を意味することになって、衝突が起きます。ここで、naのほうが折れて、「おかず、副食物」を意味するようになっていったと見られます。このような変化の中で、「本来のnaはこれだ」と言いたい人がmanaと言って魚を指していたと思われます。このmanaは、現代の日本語のmanaita(まな板)に組み込まれて残っています。

iwoとnaの衝突から、iwo、na、manaという三つの語が存在することになりましたが、「魚」を意味したiwo(のちにuo)もmanaも結局のところ廃れてしまいました。代わって一般的になった言い方が、sakana(魚)です。sakanaは、「おかず、副食物」を意味していたnaの前にsaka(酒)を付けてできた語で、酒を飲みながら食べるものを意味していましたが、意味が限定されて、「魚」を意味するようになりました。その一方で、naは「食用の草本植物」を意味するようになりました。入り組んだ話ですが、このような歴史がありました。

「乳」の語源

日本語のniku(肉)は、古代中国語のnyuwk(肉)ニュウクから来ていますが、比較的新しい言い方です。奈良時代には、sisi(肉)という語が使われていました。

ここで、注目すべき語があります。ベトナム語のthịt(肉)ティです。ベトナム語では「ティ」のような発音ですが、ベトナム語に近い言語(チュット語など)では「スィ」のような発音も観察されます。

※ベトナム語のthịt(肉)の末子音tは、発音しません。口の形をそのようにするだけで、発音しません。ちなみに、中国語の標準語では、末子音tは完全に消滅してしまいました。広東語(香港などで話される中国語の方言)や朝鮮語では、ベトナム語と同じで、末子音tは、口の形をそのようにするだけで、発音しません。東アジアから東南アジアにかけての地域で、かなり前から末子音tの弱化が始まっていたと見られます。末子音kとpも、上と同様の事情にあります。

先に挙げた古代中国語ngjo(魚)、チベット語nya(魚)、ミャンマー語nga(魚)などは同源です。シナ・チベット語族の内部に発音が少しずつ違う語が分布し、そこから日本語にiwoとnaという語が入ったのです。

同じように、ベトナム系言語の内部に発音が少しずつ違う語が分布し、そこから日本語に*siとtiという語が入ったようです。「魚」を意味したiwoとnaに衝突があったように、「肉」を意味した*siとtiにも衝突があったと見られます。*siのほうは、重ねられて、奈良時代の日本語のsisi(肉)になったと考えられます。tiのほうは、どうなったのでしょうか。

奈良時代には、女性の乳房を意味するmunatiという語が残っていました。「胸」を意味するmunaと「肉」を意味するtiがくっついたものでしょう。ここから次第に、munatiと言わず、tiと言うだけで、女性の乳房を指すようになっていったと思われます。「肉」を意味した*siとtiが、sisi(肉)、ti(乳)、そしてこれが重ねられたtiti(乳)になったというわけです。

※現代の日本語のoppai(おっぱい)は、古い語ではないと思います。世界的に見て女性の胸を「膨らんでいるもの、はち切れそうなもの」と捉えている例はよくあるので、oppai(おっぱい)はippai(いっぱい)に似せて作られた可能性が高いです。

「物(もの)」と「牛(うし)」の語源、西方から東アジアに牛を連れてきた人々

「物」の語源

現代のベトナム語には、例えば món ăn モンアンや món chiên モンチエンのような語があります。 món ăn は「食べ物、料理」、 món chiên は「炒め物、揚げ物」という意味です。ăn(食べる)がmónを修飾して món ăn 、chiên(炒める、揚げる)がmónを修飾して món chiên です。ベトナム語は、日本語と違って、うしろから修飾します。

現代のベトナム語では、mónは上のように複合語の中に出てくることが圧倒的に多いですが、もともと、món自体に「食べ物、料理」という意味がありました。このベトナム語のmónのような語が日本語のmono(もの)になった可能性があります。

古代中国語にmjut(物)ミウトゥという語があり、「もの」を意味していました。しかし、最初からそのような極度に一般的な意味を持っていたはずはありません。「物」という漢字を見てください。牛へんが含まれていて、最初は非常に限定的な意味を持っていたのだろうなと思わせます。どうやら、古代中国語のmjut(物)は、「神に捧げる牛」→「供え物」→「もの」という具合に意味が一般化したようです(小川1994、鎌田2011)。

これと同じように、日本語のmono(物)にも、もっと限定的な意味を持っていた前段階があったと考えられます。奈良時代のmonoはすでに、現代と変わりないような極度に一般的な意味を持っていました。しかし、かつての意味を思わせるようなところもあります。例えば、oɸomonoという語がありました。有力な政治家などを意味していた語ではありません。「(天皇などのための)食事、米」を意味していた語です。このような日本語のmonoは、ベトナム語のmónだけでなく、古代中国語のbjon(飯)ビオンとも関係があると見られます。bjonは隋・唐の頃の形で、さらに昔は*bonsのような形をしていたと推定されています( Baxter 2014 )。

日本語では、「物」にmoti/butuという音読みを与えたほか(motuは後の時代に生じた読み方です)、「馬」にma/me/baという音読みを与えたり、「美」にmi/biという音読みを与えたり、「武」にmu/buという音読みを与えたりしましたが、これらは日本の周辺地域でb–m間の発音の変化が起きていたことを示しています。

以上のことを考慮に入れると、ベトナム語のmónと古代中国語のbjon(飯)(ある時代にbonとɸanという音読みで日本語に取り入れられたことも忘れてはなりません)は同源で、奈良時代の日本語のmonoはベトナム系言語か古代中国語から入ったものと見られます。古代中国語のmjut(物)の場合は、「供え物」という意味が広がり、日本語のmono(物)の場合は、「食べ物」という意味が広がったということです。

ちなみに、英語のthingも最初から「もの」という意味を持っていたわけではありません。英語のthingはもともと「集会、会議」を意味していました。そこから「集会・会議で扱われる議題」を意味するようになり、やがて一般的に「こと、もの」を意味するようになりました。やはり、英語のthingにも、もっと限定的な意味を持っていた前段階があったのです。

「牛」の語源

古代中国語のmjut(物)はもともと「神に捧げる牛」を意味していたようだという話が出てきました。ここで、もう少し牛について解説しておきます。

牛は、肉・乳・皮を提供したり、農耕・運搬に使われたりと、人類の歴史において大きな存在感を示してきました。そもそも人間が家畜化した大型動物は少なく、牛はその中でも特別な存在です。神に牛が捧げられたのも、偶然ではありません。

私たちがウシと呼んでいる動物は、野生のオーロックスが家畜化されて生まれた動物です。オーロックス自体はすでに絶滅しています。オーロックスの家畜化は、10000年ぐらい前に始まり、中東とインド亜大陸で行われたことがわかっています( McTavish 2013 )。中東で家畜化されたのがTaurine牛、インド亜大陸で家畜化されたのがIndicine牛です。Taurine牛とIndicine牛は、現在では以下のように世界に広がっています(図は McTavish 2013 より引用)。

日本にいる牛もはるか西方からやって来たのです。日本で支配的なのは、ヨーロッパと同じで、Taurine牛です。

英語の語彙を見ればわかりますが、ウシの集団を家畜として維持しながら、その肉と乳を重要な食料としてきた人々は、ウシを細かく呼び分けてきました。英語のcattle(牛全体)、bull(去勢していない雄牛)、ox(去勢した雄牛)、cow(雌牛)、calf(子牛)などはその例です。意味のずれはありますが、英語のoxとcowに対応する語はインド・ヨーロッパ語族の内部にある程度広がっています。

英語のoxに対応する語として、古代インドにもサンスクリット語のukshan(雄牛)のような語がありましたが、このような語が東アジアに伝わり、日本語のusi(牛)になったと見られます。日本語のusiは、uとsの間にあったkが消滅した形ということです。

中東とインド亜大陸よりかなり遅れますが、古代中国(黄河流域)にも4000~5000年前頃に家畜化された牛が現れます。 Cai 2014 では、黄河流域およびその北側にいた古代中国の家畜牛のDNAを分析していますが、いずれも中東から伝来したものであるという結果が出ています。古代中国語のngjuw(牛)ンギウウは、インド・ヨーロッパ語族の英語のcow(古形cu)などとならんで、メソポタミア文明のシュメール語のgu(雄牛)のような中東の語彙と関係がありそうです(英語のcowは「雌牛」を意味していますが、インド・ヨーロッパ語族全体を見渡すと、必ずしもそのようになっていません)。

数の多い少ないはともかく、西方から東アジアに人がやって来ていたことは確実です。家畜化された牛を連れてきた人々が東アジアに牛と同時にどのようなものをもたらしたのか、東アジアの言語にどのような影響を与えたのかという問題は、大いに検討する必要があります。古代中国(黄河流域)に家畜化された牛が現れたのが4000~5000年前頃で、この後まもなく古代中国は夏・殷・周の時代に入っていくのです。

 

参考文献

日本語

小川環樹ほか、「角川 新字源 改訂版」、角川書店、1994年。

鎌田正ほか、「新漢語林 第二版」、大修館書店、2011年。

英語

Baxter W. H. et al. 2014. Old Chinese: A New Reconstruction. Oxford University Press.

Cai D. et al. 2014. The origins of Chinese domestic cattle as revealed by ancient DNA analysis. Journal of Archaeological Science 41: 423-434.

McTavish E. J. et al. 2013. New World cattle show ancestry from multiple independent domestication events. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 110(15): E1398-E1406.