性転換をした「母」(8)

現代の中国語には、父亲(フーチン)という言い方と爸(パー)/爸爸(パーパ)という言い方があります。どちらも父を意味しますが、前者は正式な言い方で、後者はくだけた言い方です。爸(パー)/爸爸(パーパ)という言い方を見ると、中国の人たちも欧米の影響を受けてこんな言い方をするようになったのかと思ってしまいそうですが、そうではありません。古代中国語に、bju(父)ビウという語とbwa(爸)ブアという語があったのです。日本語では、前者にbu、ɸuという音読み、後者にba、ɸaという音読みが与えられました。古チベット語や古ビルマ語にも父を意味する a pha アパ あるいは pha という語が認められるので、古代中国語のbwa(爸)は歴史が古そうです。

そもそも、口語的な言い方だからといって、歴史が浅いとは限りません。例えば、英語のfather(父)は、ラテン語pater、古代ギリシャ語patēr、サンスクリット語pitāなどと同源で、歴史が古いです。しかし、英語のdad(お父さん)も、ラテン語tata、古代ギリシャ語tata、サンスクリット語tātahなどと同源と見られ、歴史が古いようなのです。

インド・ヨーロッパ語族の「父」

上に英語、ラテン語、古代ギリシャ語、サンスクリット語の例を挙げましたが、インド・ヨーロッパ語族の「父」はもう少し事情が複雑です。まずは、ゲルマン系言語とスラヴ系言語の「父」を示します。

ゲルマン系言語の「父」(ただしゴート語のattaは除く)は、スラヴ系言語の「父」と同源ではありません。印欧祖語には、くだけた口語的な言い方を抜きにしても、二つの言い方があり、その一方が英語のfatherなどになり、他方がロシア語のotetsなどになったようなのです。よく似た意味・用法を持つ二語がずっと並立するのは難しく、インド・ヨーロッパ語族の各言語ではどちらかが廃れていきました。

ちなみに、ラテン語では、paterが父を意味し、attaは一般に男の年長者に対して用いられるという状況でした。古代ギリシャ語でも、patērが父を意味し、attaは一般に男の年長者に対して用いられるという状況でした。このラテン語と古代ギリシャ語の展開は、よくわかります。しかし、サンスクリット語では意外なことが起きています。サンスクリット語では、pitāが父を意味していますが、attāは女の年長者(母、おば、姉、義母など)に対して用いられているのです。

インドではインド・ヨーロッパ語族の言語が話されていますが、インド南部ではドラヴィダ語族の言語も話されています。ドラヴィダ語族の言語は、インド・ヨーロッパ語族の言語とは全然違います。ドラヴィダ語族の主な言語として、テルグ語、タミル語、カンナダ語、マラヤーラム語が挙げられます。ドラヴィダ語族には、テルグ語atta、タミル語attai、カンナダ語atte、マラヤーラム語attanのような語があり、おばや義母を意味しています。

インド・ヨーロッパ語族とドラヴィダ語族を見渡すと、インド・ヨーロッパ語族で父あるいは男の年長者に対して使われていた語がインドに伝わり、そこで女の年長者に対して用いられるようになったのではないかと考えたくなります(「インド・ヨーロッパ語族」という名前で呼ばれていますが、言語学者も、考古学者も、生物学者も、インド・ヨーロッパ語族の言語がもともとインドまたはヨーロッパで話されていたとは考えておらず、黒海・カスピ海の北(現在のウクライナ、ロシア南部、カザフスタンが続くあたり)かアナトリア(現在のトルコ)で話されていたと考えています。インド・ヨーロッパ語族の言語は、後からインドにやって来たのです)。

上のインド・ヨーロッパ語族とドラヴィダ語族の例は、全く例外的というわけでもなさそうです。すでに述べたように、ウラル語族では、フィンランド語のisä(父)イサは標準的な語ですが、ハンガリー語のapa(父)は非標準的な語です。ハンガリー語のapaはどこから来たのだろうと思いながら、ハンガリー語がかつて話されていた中央アジアのほうに目を向けると(ウラル語族の中でハンガリー語に最も近いハンティ語とマンシ語は中央アジアのやや北側で話されています)、テュルク諸語のカザフ語apa、キルギス語apa、ウズベク語opa、トルクメン語apa、ウイグル語apaのような語が目に入ります。しかし、これらの語は母またはその他の女の年長者に対して用いられています。さらに目を進めると、モンゴル語のaav(父)アーブのような語が目に入ります。前に見た父を意味する古代中国語のbju、bwaや古チベット語・古ビルマ語の a pha 、pha も無関係とは思えません。こうして見ると、テュルク諸語において、父または男の年長者に対して使われていた語が、母または女の年長者に対して用いられるようになった可能性が考えられます。

なぜこのようなことが起きるのでしょうか。目上の者である、大きな存在である、中心的な存在であるといったことが、男か女かということより、ずっと強く意識されていたのかもしれません。それに加えて、語が全然違う文化圏・言語圏に突入していく場合には、意味・用法が大きく変わる確率が高くなります。

すでに詳しく見たように、日本語の男と女に関する語彙の大部分が古代中国語由来であり、奈良時代のtiti、oɸodi、wodiのもとになったと見られるtiが古代中国語のtsyu(主)チウから来ているとなれば、奈良時代のɸaɸa、oɸoba、wobaのもとになったと見られる*ɸaあるいは*paも古代中国語のなんらかの語から来ている可能性が高いです。当然、古代中国語のなんらかの語とは具体的にどの語かということが問題になります。

ここで筆者が思案の末に辿り着いたのが、冒頭に示した古代中国語のbwa(爸)でした。日本語ではbaとɸaという音読みが与えられましたが、語頭に濁音が来ないという制約があった時代ではpaかɸaにならざるをえません。このように、発音面では、古代中国語のbwa(爸)と、奈良時代の日本語のɸaɸa、oɸoba、wobaのもとになったと見られる*ɸaあるいは*paは、完全に合致します。漢字を学ぶ前の日本人にとっては、古代中国語はもっぱら、読むものではなく、聞くものだったはずです。中国人がbwa(爸)と言うのを聞いていたでしょう。

問題は意味面です。祖父、父、おじのような男性の領域内での意味の変化、あるいは祖母、母、おばのような女性の領域内での意味の変化ならともかく、男の年長者に対して使われていた語が、女の年長者に対して用いられるようになるということが果たしてあるのだろうかと、筆者も半信半疑でした。

しかし、古代の人々が祖父、父、おじなどに対して共通に使っていた語、祖母、母、おばなどに対して共通に使っていた語は、親族関係を正確に表すというより、敬称としての性格が強かったと考えられます。目上であることに主眼が置かれると、男女の区別はさほど重要でなくなり、男の年長者に対して使われていた語が、女の年長者に対して用いられるようになるということもありえそうです。実際に、人類の言語には先に挙げたインド・ヨーロッパ語族とドラヴィダ語族のような例が散見されるのです。

※古代の人々が祖父、父、おじ、その他の男の年長者に対して同じ言い方をしていたからといって、これらの男性を区別することができなかったということではありません。同じように、古代の人々が祖母、母、おば、その他の女の年長者に対して同じ言い方をしていたからといって、これらの女性を区別することができなかったということではありません。例えば、現代の日本語では、父母の姉・妹に対してobasanと言えますが、父母の姉・妹でなくてもそのぐらいの年齢の女性であればobasanと言えます。私たちは、父母の姉・妹である女性とそうでない女性を区別することはできますが、同じ言い方をしているのです。

古代中国語のtsyu(主)から来たtiが、父およびその他の男の年長者に対する語として地位を固めていたら、古代中国語のbwa(爸)から来た*paあるいは*ɸaは、意味が変わりやすかったでしょう。titi、oɸodi、wodiの語源は古代中国語のtsyu(主)に、ɸaɸa、oɸoba、wobaの語源は古代中国語のbwa(爸)にありそうです。まさかの性転換でした。

男と女に関する語彙の話がずっと続いたので、他のテーマに移りましょう。