大和言葉(やまとことば)と古代中国語の密接な関わり
古代中国語などから取り入れられた語は、日本語の中になかなかわかりにくい形で存在しています。いくつか例を挙げてみましょう。意外なものもあるかもしれません。ここでは、そんなことになっているのかと、大体のイメージを形成してもらえば十分です。まずは、古代中国語のkin(巾)から始めます。
●古代中国語のkin(巾)
日本語では「頭巾」や「雑巾」などでおなじみですが、古代中国語のkin(巾)は「布切れ」を意味していました。英語で言えば、「a piece of cloth」といったところです。古代中国語のkin(巾)は原初的な語で、「巾」という字は「布」、「席」、「帆」のような形でもよく出てきます。
ベトナム語のđượcドゥー(ク)のような語が、uku(受く)という形とu(得)という形で取り入れられたことを思い出してください。日本語ではukのように子音で終わることはできないので、uku(受く)という形とu(得)という形に落ち着いたという話です。
古代中国語のkin(巾)も、そのままでは日本語に取り込めません。末子音を落とすか、末子音のうしろに母音を補うかしなければなりません。実際にそのようなことが行われたようです。日本語の織物・衣類関連の語彙を考えると、古代中国語のkinの末子音を落としたのがki(着)、kinの末子音のうしろに母音を補ったのがkinu(衣、絹)と見られます。ki(着)から作られた動詞がkiru(着る)です。
ちなみに、ベトナム語で「着る」を意味する語はmặcマ(ク)です。日本語のmaku(巻く)に通じる語でしょう。日本語のmaku(巻く)も、nemaki(寝巻き)などのように、もともと着ることを意味していたが、上記のkiru(着る)が一般的になったために、意味が少し変わったと考えられます。
ukが不可なので、u(得)またはuku(受く)という形に落ち着く、kinが不可なので、ki(着)またはkinu(衣、絹)という形に落ち着く、これは日本語の歴史を理解するうえで極めて重要な頻出パターンなので、頭に入れておいてください。
先ほど例として「席」という漢字を挙げました。「席」には「巾」が含まれていますが、なぜでしょうか。それは、織ったものや編んだものを下に広げて、そこに座っていたからです。古代中国語のzjek(席)ズィエクは、そのようにして作った座る場所を意味していたのです。日本語のsiku(敷く)も、ここから来ていると見られます。語頭の濁音が清音になっています。
昔の日本人が古代中国語の語彙を当時の日本語の発音体系に合うように変形しながら取り入れている点だけでなく、古代中国語から日本語への語彙の流入が従来考えられてきたよりも早い時代から始まっている点にも注目してください。ある時代に、漢字が取り入れられ、「巾」にはkinという音読み、「席」にはsekiという音読みが与えられましたが、その時すでに、古代中国語のkin(巾)はki、kinu、kiruという形で、古代中国語のzjek(席)はsikuという形で日本語に存在していたのです。例を追加していきます。
●古代中国語のsaw(騷)
古代中国語にsaw(騷)という語がありました。その一方で、奈良時代の日本語にsawakuとsawasawaという語がありました。これらは変化して、sawagu(騒ぐ)とzawazawa(ざわざわ)になりました。
発音と意味の両面から、古代中国語のsaw(騷)と奈良時代の日本語のsawaku/sawasawaを比べるとどうでしょうか。冷静に見れば、古代中国語のsaw(騷)がそのままでは日本語の発音体系になじまないので、aを付け足してsawaとし、ここから奈良時代のsawaku/sawasawaが作られたように見えます。
●古代中国語のkæw(交)
古代中国語のkæw(交)カウはもともと、「交わること、交差すること、交錯すること」を意味していた語です。「交」という漢字は、人間が足をクロスさせているところを描いたものです。
この古代中国語のkæw(交)も、先ほどのsaw(騷)と同様、意味ありげです。古代中国語のkæw(交)は、日本語の「行き交う」や「飛び交う」の「交う」と「交わす」はもちろんのこと、なんらかの交換を意味する「買う、替える、替わる」(代、換、変という字も含めて)とも関係がありそうです。
奈良時代から、古代中国語のkæw(交)がもとになっていると考えられる以下の四つの動詞があり、入り組んでいました。
上の三つは四段活用で、最後の一つは下二段活用です。一番目のタイプが現代の「買う」に、二番目のタイプが現代の「交わす」に、三番目のタイプが現代の「替わる」に、四番目のタイプが現代の「替える」につながっていきます。
古代中国語のkæw(交)が奈良時代の日本語のkaɸu、kaɸasu、kaɸaruになったことになりますが、こういうパターンもあったようです。次の例も同じパターンです。
●古代中国語のkhuw(口)
古代中国語のkhuw(口)クウは、奈良時代の日本語のkuɸu(食ふ)になったようです。
日本語にはkuti(口)とagi(あぎ)(ago(あご)の古形)という語があったので、他言語で口・あごを意味していた語は、口・あごの動作を意味する語になったのでしょう。そのことは、古代中国語のkhuw(口)だけでなく、ベトナム語のhàm(あご)ハムやタイ語のpaak(口)からも窺えます。
大和言葉(やまとことば)はベトナム語やタイ語とも関係がある
ベトナム語のhàm(あご)は、上あごと下あごを意味する語です。前に述べたように、日本語のハ行にはp→ɸ→hという変遷の歴史があります。これはつまり、日本語にhという音がない時代があったということです。そんな日本語の前にベトナム語のhàm(あご)のような語が現れたら、どうなるでしょうか。
奈良時代の日本語には、kuɸu(食ふ)と似た意味を持つ語として、kamuとɸamuがありました。kamu(噛む)は、現代の日本語でもおなじみです。ɸamu(食む)は、tuku(突く)とɸamu(食む)がくっついたtukiɸamuが変化したtuibamu(ついばむ)などの形で残っています。
どうやら、hという音がない時代の日本語では、他言語のhをkに変換したり、ɸ(あるいはp)に変換したりしていたようです。
※正確を期すために補足しておくと、ベトナム語のhàm(あご)のほかに、同じくあごを意味する古代中国語のhom(頷)という語もありました。これらは互いに関係があると考えられています。そのため、奈良時代の日本語のkamu(噛む)とɸamu(食む)は、ベトナム系の言語から入った語彙なのか、シナ・チベット語族の言語から入った語彙なのか、容易には断定できません。
タイ語のpaak(口)もなかなか示唆的です。日本語にはpakupaku(ぱくぱく)、pakuʔ(ぱくっ)、pakkuri(ぱっくり)のような擬態語がたくさんあり、このことが日本語の特徴としてしばしば強調されてきましたが、実はそれらの擬態語の源が普通の名詞、動詞、形容詞などであった可能性を示唆しています。
日本語にはシナ・チベット語族の言語、ベトナム系の言語、タイ系の言語などから語彙が流入し、特に基礎語彙が飽和気味になることがあったと見られます。例えば、「口」を意味する語がたくさんあってもしょうがないのです。そのような溢れそうになる基礎語彙をうまく吸収する方法として、pakupaku(ぱくぱく)、pakuʔ(ぱくっ)、pakkuri(ぱっくり)のような定型形式が有効に働いたようです。擬態語も日本語が辿ってきた歴史を克明に記録しており、重要な研究対象だということです。
補説
ani(兄)とotouto(弟)
ベトナム語にanh(兄)アインという語があります。近い発音をローマ字で示せば、ainです。ベトナム語のanh(兄)のような語を昔の日本語に取り込もうとしても、ainとはできません。母音が連続しているし、子音で終わっているからです。母音iを落としてanにすればOKでしょうか、あるいは、子音nを落としてaiにすればOKでしょうか。anでもaiでもまだ駄目です。
奈良時代の日本語には、ani(兄)とe(兄)という語がありました。どちらもおおもとは同じと考えられます。ainが不可、anも不可ということで行き着いた先がani(兄)であり、ainが不可、aiも不可ということで行き着いた先がe(兄)だったのでしょう(現代の日本語で「いたい」が「いてっ」になったり、「でかい」が「でけー」になったりするように、ai がeに変わりやすいことは前に述べました)。
現代のベトナム語では、兄のことをanhアイン、姉のことをchịチーと言いますが、後者は古代中国語のtsij(姊)ツィイを取り入れたものです(「姊」の俗字が「姉」です)。クメール語(カンボジアの主要言語)のbɔɔngボーンやタイ語のphiiピーは兄と姉の両方を指しますが、同じようにベトナム語のanhもかつては兄と姉の両方を指していたと見られます。日本語のani(兄)だけでなく、ane(姉)も、ベトナム語のanhのような語がもとになっているようです。少なくとも中国語が広がる前に中国南部で話されていた言語では、兄弟姉妹を男か女かで区別するのではなく、年上か年下かで区別するのが一般的だったといえそうです。
ちなみに、日本語のotouto(弟)はotoɸitoが古形で、これはotoとɸitoがくっついてできた語です。otoは、otu(落つ)やotoru(劣る)と同源で、「年が下であること、若いこと」を意味していました。この語は、現代の用法と違い、男だけでなく女にも用いられていました。日本語のimouto(妹)はimoɸitoが古形で、これはimoとɸitoがくっついてできた語です。万葉集のあちこちで男性が親しい女性のことをimoと呼んでいますが、このimoの語源については別のところで論じることにしましょう。