「深い」と「浅い」の語源(続き)—2音節の語を取り入れる

日本語は、シナ・チベット語族の言語やベトナム系の言語から、1音節の語だけを取り入れていたわけではありません。2音節の語も取り入れています。日本語とそれらの言語の発音体系が著しく異なるため、2音節の語もそのまま取り入れることはできません。しかし、やることは1音節の語を取り入れる時と基本的に同じです。子音を落としたり、母音を補ったりしながら、日本語の発音体系に合う形にするのです。

古代中国語に kɛk pek (隔壁)ケクペクという語がありました。ɛは口を上下に大きく開いたエ、eは口を上下にあまり開かないエです。 kɛk pek は、そのまま日本語に取り込むことができません。そこで、第1音節の末子音kのうしろと第2音節の末子音kのうしろに母音を補ったのがkakuɸeki(隔壁)です。

しかしながら、母音を補う方法だけでなく、子音を落とす方法も可能です。

この*kapeあるいは*kaɸeが濁ったと見られるのが、kabe(壁)です。ちなみに、三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)では、奈良時代の日本語のkabe(壁)について以下のように説明しています。

「かべ。土壁は寺院や貴族の邸宅に限られ、一般には板壁か、壁代わりに草を並べて桟で止めていたと思われる。このための草が壁草である。」

土で作られたにせよ、板で作られたにせよ、草で作られたにせよ、こちらとむこうを隔てようとしていることに変わりはありません。「隔てること」を意味した古代中国語のkɛk(隔)は、単独でもkaki(垣)、kakumu(囲む)、kakomu(囲む)、kakoɸu(囲ふ)などの形で取り入れられたと見られます。「遮ること、遮られること」と考えると、kakusu(隠す)とkakuru(隠る)も同類かもしれません。kakumaɸu(匿ふ)という語もあるので、kakusu(隠す)とkakuru(隠る)が同類でも自然です。

このように、日本語はシナ・チベット語族の言語から、1音節の語を取り入れるだけでなく、2音節の語を取り入れることもあったのです。発音体系の著しい違いから、1音節の語を取り入れるだけでも大変ですが、2音節の語を取り入れるとなるとさらに大変です。古代中国語の kɛk pek (隔壁)を、母音を補ってkakuɸekiとするより、子音を落としてkapeあるいはkaɸeとするほうが手っ取り早いのは言うまでもありません。

ベトナム系の言語からも、やはり2音節の語を取り入れることがあったようです。日本語と関係がありそうなベトナム語として、 ánh sáng (光)アンサンと thẳng thẳng (まっすぐな)タンタンを取り上げます。

※ thẳngだけでもまっすぐな状態を意味します。thẳngという形でも、 thẳng thẳng という形でも用いられます。ベトナム語のthẳngは、古代中国語のtsyeng(正)チェンと関係があると見られます。

「浅い」の語源

日本語の光・明るさに関する語彙は色々ありますが、それらの出所は全くもってばらばらです。日本語の光・明るさに関する語彙は、日本語の複雑な歴史を示す縮図のようになっています。筆者には、hikaru(光る)やkagayaku(輝く)の語源を突き止めるのに大変苦労した思い出があります。興味深いことに、hikaru(光る)とkagayaku(輝く)は、遼河文明・黄河文明・長江文明の言語の語彙ではなく、縄文時代に日本列島で話されていた言語から日本語に入った語彙のようです。

その一方で、ベトナム語の ánh sáng (光)アンサンのような語がasaという形で日本語に入り、光という意味では定着しませんでしたが、光と関係があるasa(朝)およびasa(浅)として定着したようです。奈良時代の日本語のasa(浅)は「明るさ、淡さ、薄さ」を意味していました。ɸuka(深)にɸuku(更く)という動詞があったように、asa(浅)にはasu(褪す)という動詞がありました(asu(褪す)はaseru(褪せる)の古形です)。

また、母音を変化させることによって作られたasa(朝)の類義語がasu(明日)で、asa(浅)の類義語がusu(薄)と見られます。

現代に生きる私たちは「朝昼夜」などと言ったりしますが、インド・ヨーロッパ語族やウラル語族の言語を見ると、「昼(あるいは日)」と「夜」を意味する語に比べて、「朝」を意味する語のばらつきが目立ちます。人類の認識は長いこと「日が出ている時間と日が沈んでいる時間」という二区分であり、「朝昼夜」という三区分が比較的新しいことを示しています。

なにを意味していた語が「朝」を意味する語になったのか、あるいはなにを意味していた語から「朝」を意味する語が作られたのかというのはそれぞれの言語によりますが、日本語の場合は(ベトナム系の言語で)「光」を意味していた語が「朝」を意味する語になったと考えられます。

ちなみに、kesa(今朝)のsa(朝)は、古代中国語tsaw(早)ツァウ、タイ語chaao(朝)チャーウ、ラオス語sao(朝)サオなどと同源と考えられます。

 

参考文献

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。

「深い」と「浅い」の語源

現代の日本語で「深い」と「浅い」というと、典型的には水深のことかなと思ってしまいますが、ɸuka(深)とasa(浅)のもともとの意味は少し違っていたようです。

「深い」の語源

現代の日本語に「深緑(ふかみどり)」という言い方がありますが、それはどんな緑でしょうか。ご存知のように、暗い緑です。現代ではもう主な意味ではなくなっていますが、ɸuka(深)はもともと「暗さ」を意味していたようです。奈良時代の人々は、日が沈んで暗くなっていくことをɸuku(更く)と言っていました。

「あご」を意味する古代中国語のhom(頷)やベトナム語のhàm(あご)ハムのような語が、奈良時代の日本語のkamu(噛む)とɸamu(食む)(推定古形*pamu)になったようだという話をしました。昔の日本語にhという音がないので、他言語のhをkに変換したり、pに変換したりしていたようだという話です。

これと同じようなことが起きたのではないかと考えられるのが、古代中国語のxok(黑)ホクです。xokは Baxter 2014 に示されている形ですが、あくまで中国語の一時代の一方言の形です。古代中国語の「黑」が日本語でkoku、朝鮮語でhɯkフ(ク)、ベトナム語でhắcハ(ク)という読みになっているのを見ると、時代・地域によってxokだけでなく少なくとも*xəkフクや*həkフクのようなバリエーションはあったと考えられます(子音hとxの違いについては、本記事の終わりに付した補説を参照してください)。

日本語にはhという音もxという音もなかったため、上記の古代中国語の「黑」が、ある時代には*puka(深)、*puku(更く)という形で取り入れられ(のちにɸuka(深)、ɸuku(更く)になります)、別の時代にはkoku(黒)という形で取り入れられた(古代中国語xok(黑)→音読みkokuのパターンは、古代中国語xan(漢)ハン→音読みkanや古代中国語xaw(好)ハウ→音読みkauなどと同じパターンです)というのが筆者の考えです。

※kogu(焦ぐ)、kogasu(焦がす)、kogaru(焦がる)も古代中国語のxok(黑)と関係があると見てよいでしょう。

上の話は、*pamu(食む)(のちにɸamu(食む))とkamu(噛む)の話に類似しています。やはり、日本語は他言語のhおよびそれに似ているxを、kに変換したり、pに変換したりしていたと考えられます。

ɸuka(深)がもともと、上下方向の尺度に関する語彙ではなく、明暗に関する語彙だったというのは、なかなか興味深いことです。同じように、asa(浅)も、上下方向の尺度に関する語彙ではなく、明暗に関する語彙だったようです。しかも、asa(浅)はasa(朝)と同源のようです。ɸuka(深)に続いて、asa(浅)の語源を明らかにしましょう。

 

補説

子音hとxの違いについて

現代の日本語には、子音hはありますが、子音xはありません。後者について短く説明しておきます。

重要なことですが、xはkと同じ場所で作られる音です。ka(カ)と発音してみてください。kaと発音する時には、口の中のわりと奥のほうで、まず空気が出られないように閉鎖を作り、それからその閉鎖を開放して空気を吐き出しているはずです。

これはkaの発音の仕方です。xaの発音の仕方は違います。kaと発音する時に閉鎖を作る部分がありますが、この部分を空気でこするのです。これがxaの発音の仕方です。

kaとxaを作る場所は同じで、haを作る場所はもっともっと奥のほうです。xはhに似ていますが、hと少し違う音だということを頭に入れておいてください。

 

参考文献

Baxter W. H. et al. 2014. Old Chinese: A New Reconstruction. Oxford University Press.

大和言葉(やまとことば)はベトナム語やタイ語とも関係が深い(3)

古代中国語のsaw(騷)とkæw(交)に似たケースをもう少し見てみましょう。

古代中国語のkhuw(口)

古代中国語のkæw(交)カウが奈良時代の日本語のkaɸu、kaɸasu、kaɸaruになったようだと話しましたが、同じように、古代中国語のkhuw(口)クウは奈良時代の日本語のkuɸuになったようです。なんのことかわかるでしょうか。kuɸu(食ふ)のことです。

日本語には*kutu→kuti(口)、agi→ago(あご)という語があるので、他言語の「口・あご」は口・あごの動作を意味する語として取り入れられたようです。古代中国語のkhuw(口)だけでなく、ベトナム語のhàm(あご)ハムやタイ語のpaak(口)からもそのことが窺えます。

ベトナム語のhàm(あご)は、上あごと下あごを意味する語です。前に述べたように、日本語のハ行にはp→ɸ→hという変遷の歴史があります。これはつまり、日本語にhという音がない時代があったということです。そんな日本語の前にベトナム語のhàm(あご)のような語が現れたら、どうなるでしょうか。

奈良時代の日本語には、kuɸu(食ふ)と似た意味を持つ語として、kamuとɸamu(推定古形*pamu)がありました。kamu(噛む)は、現代の日本語でもおなじみです。ɸamu(食む)は、tuku(突く)とɸamu(食む)がくっついたtukiɸamuが変化したtuibamu(ついばむ)などの形で残っています。

どうやら、hという音がない時代の日本語では、他言語のhをkに変換したり、pに変換したりしていたようです(「深い」と「浅い」の語源は関連記事です)。

※正確を期すために補足しておくと、ベトナム語のhàm(あご)のほかに、同じくあごを意味する古代中国語のhom(頷)という語もありました。これらは互いに関係があると考えられています。そのため、奈良時代の日本語のkamu(噛む)とɸamu(食む)は、ベトナム系の言語から入った語彙なのか、シナ・チベット語族の言語から入った語彙なのか、容易には断定できません。

タイ語のpaak(口)もなかなか示唆的です。日本語にはpakupaku(パクパク)、pakuʔ(パクッ)、pakkuri(ぱっくり)のような擬態語がたくさんあり、このことが日本語の特徴としてしばしば強調されてきましたが、実はそれらの擬態語の源が普通の名詞、動詞、形容詞などであったことを示唆しています。

日本語には、シナ・チベット語族の言語とベトナム系の言語を中心として、様々な言語から語彙が流入しており、特に基礎語彙が飽和気味になることがあったと見られます。例えば、「口」を意味する語がたくさんあってもしょうがないのです。そのような溢れそうになる基礎語彙をうまく吸収する方法として、pakupaku(パクパク)のような定型形式が有効に働いたようです。擬態語も日本語が辿ってきた歴史を克明に記録しており、重要な研究対象だということです。

古代中国語のduw(豆)

古代中国語のduw(豆)は、日本語では*tubu(粒)やtubura(つぶら)のような形になったようです。古代中国語khuw(口)→kuɸu(食ふ)のケースと少し違って、古代中国語duw(豆)→*tubu(粒)、tubura(つぶら)のケースは音が濁っていますが(ɸではなくbになっています)、このようなケースも時にあったようです。古代中国語のduw(豆)は「豆」を意味していましたが、日本語のほうで意味が上記のように「丸み」に移っていったことを考えると、tuɸu/tuɸo(壺)(のちにtuboになります)やtubomu(つぼむ)、tubomi(つぼみ)も無関係ではないでしょう。

※現代の日本語のtubu(粒)は、奈良時代にはtubi(粒)でしたが、さらにその前は*tubu(粒)であったと考えられます。以前にお話ししたように、現代の日本語はア列、イ列、ウ列、エ列、オ列という5列から成っていますが、奈良時代の日本語はア列、イ列甲類、イ列乙類、ウ列、エ列甲類、エ列乙類、オ列甲類、オ列乙類という8列から成っていました。奈良時代の日本語のイ列甲類とイ列乙類が統合されて(つまり区別を失って)、現代の日本語のイ列になっています。奈良時代のtubi(粒)のbiは、イ列乙類の音でした。奈良時代のkami(神)のmiも、イ列乙類の音でした。当時の日本語を見ると、kamu-(神)という組み込まれた形が頻繁に出てきます。現代のkamikaze(神風)も、かつてはkamukaze(神風)でした。奈良時代のkami(神)は、*kamuから変化したものと考えられるのです。同じ理由で、奈良時代のtubi(粒)は、*tubu(粒)から変化したものと考えられます。奈良時代のイ列甲類とイ列乙類のうちのイ列乙類のほうは、現代のイ列とは異質な音だったようです。日本語から取り入れたと見られるアイヌ語のkamuy(神)もそのことを物語っています。

古代中国語のsaw(騷)、kæw(交)、khuw(口)、duw(豆)と、wで終わるケースを見てきたので、今度は違うケースを見てみましょう。