「脛(すね)」の語源、神武天皇と戦ったナガスネヒコ

前に、ベトナム語のtay(手)のような語が日本語に入り、まずは*ta(手)になり、のちにte(手)になったことをお話ししました(詳細については、「手(て)」の語源、なんと外来語だった!および「背(せ)」の語源を参照してください)。ベトナム系言語から、「手」を意味する語だけでなく、「足」を意味する語も入ったのではないかと考えたくなるところです。

奈良時代の日本語にsuneという語がありました。この語は漢字で「髄」と書かれていました。骨は外側は硬いですが、中には柔らかい組織が詰まっています。この柔らかい組織は、赤血球、白血球、血小板などを作り出して造血を担っている場所で、髄(ずい)と呼ばれます。これを奈良時代の日本語ではsuneと言っていたわけです。

奈良時代の日本語のsune(髄)は、意味を考えると、現代の日本語のsune(脛)に結びつけるのはちょっと難しいです。では、現代の日本語のsune(脛)はどこから来たのかということになりますが、奈良時代に完成した日本書紀と古事記に、ナガスネヒコという人物が出てきます。ナガスネヒコは、神武天皇の最大の敵として記述されています。三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)は、ナガスネヒコのスネは、「髄」を意味しているとは考えにくく、「脛」を意味しているのではないかと推測しています。確かに、「髄(ずい)が長い」というのは明らかに不自然です。しかし考えてみると、「脛(すね)が長い」というのも少し奇妙です。人の描写として、普通は「脛(すね)が長い」ではなく、「足・脚(あし)が長い」と言うのではないでしょうか。

実は、ベトナム語にchânチュンという語とxươngスーンという語があります。chânは「足・脚」を意味し、xươngは「骨」を意味します。仮にこれらの語を現代の日本語に取り入れるとすれば、chânはtyunになり、xươngはsūnになりそうですが、奈良時代より前の日本語ではそうはいきません。

現代の日本人はチャンス、チーズ、チューリップ、チェック、チョコレートなどの語に慣れていますが、「チャ、チ、チュ、チェ、チョ」の類はもともと日本語にはなかったものです。他言語の語彙を取り入れる際には、現代の日本人が「チャ、チ、チュ、チェ、チョ」の類を用いそうなところで、昔の日本人は「サ、スィ、ス、セ、ソ」の類を用いたり、「タ、ティ、トゥ、テ、ト」の類を用いたりしていました。このようにして、昔の日本語ではベトナム語のchân(足、脚)のような語をtyunではなくsuneという形で取り入れ、ベトナム語のxương(骨)のような語をsūnではなくsuneという形で取り入れたと見られます。ベトナム系言語で「足・脚」を意味していた語と「骨」を意味していた語が、日本語ではsuneという同じ形になってしまったのです。違う音が日本語で同じ音にされてしまうケースは、中国の個々の漢字に音読みを与えた時にも大量に発生しました。

日本語にはasi(足、脚)とɸone(骨)という語があったので、「足・脚」を意味していたsuneも「骨」を意味していたsuneも意味の変更を迫られ、「足・脚」を意味していたsuneは膝から足首までの部分を意味するようになり、「骨」を意味していたsuneは骨の中心部分を意味するようになったと考えられます。こう考えると、奈良時代およびそれ以降の日本語のsuneに完全に説明がつきます。

昔の日本語ではsunという形は認められないので、sunではなくsuneという形になっていますが、うしろにeという母音が補われているのが大きなポイントです。昔の日本語では、子音で終わる語を取り入れる時にうしろに母音を補っていましたが、a、i、u、oを補っているケースに比べて、eを補っているケースは極端に少ないのです。sune以外には、例えば「米、ごはん、食事」を意味するベトナム語のcơmクム/コムのような語が日本語のkome(米)になったり(「米(こめ)」の語源、中国とベトナムとタイのごはんを参照)、中国語の「常」に当たるベトナム語のthườngトゥーンのような語が日本語のtune(常)になったりしています。

母音eを補ってできたと見られる語彙は、大変気になるところです。ベトナム系言語の単語に母音eを補って日本語に取り込んだのなら、その時すでに日本語は母音e(あるいはエ列の音)を持っていたことになります(奈良時代の日本語のine(稲)とyone(米)は組み込まれたina-、yona-という形を見せますが、kome(米)は組み込まれたkoma-という形を見せず、対照的です。たとえkome(米)の古形として*komaが存在したとしても、その歴史が浅いことは明白です)。日本語とベトナム系言語の接触は、奈良時代から見てそう遠くない過去まで続いていた可能性があります。日本語は中国東海岸地域だけでなく、日本列島でもベトナム系言語に接していたかもしれないということです。もしそうであれば、中国東海岸地域で話されていたベトナム系言語が日本列島に入ってきていたことを意味します。

 

補説

廃れてしまったɸagi(脛)

ɸagi(脛)は膝から足首までの部分を指す語でしたが、sune(脛)に取って代わられてしまいました。今では、hukurahagi(ふくらはぎ)という言い方の中に残っています。

奈良時代の日本語のɸagi(脛)は、古代中国語のheng(脛)ヘンから来たと考えられます。昔の日本語にはhという子音がなく、当時の日本語の傾向からして、hengの先頭のhはp-かk-になりそうで、末尾のngは-nVか-gVになりそうです(Vは母音です)。

古代中国語のheng(脛)は*pagiという形で日本語に入り、ɸagiという形に変化したと見られます。昔の日本語でhengiとできないことを考えれば、自然な展開です。もしかしたら、古代中国語のheng(脛)が日本語に入った時には、日本語にまだ母音e(あるいはエ列の音)がなかったのかもしれません。

 

参考文献

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。

ウラル語族にも日本語にも接していたテュルク系言語

語根aj-

ast-、as-、at-およびjalk-、jal、jak-という語根から、ウラル語族と日本語で足・脚に関係する様々な語が作られているのを見ました。ウラル語族と日本語の足・脚に関係する語彙を見渡すと、もう一つ見逃せない語根があります。それは、aj-という語根です(jは日本語のヤ行の子音です)。

例えば、フィンランド語にはajaaという動詞があります。名詞形はajoです。ajaa/ajoは単純に訳しづらいですが、基本的に進むこと、進ませることを意味する語です。ただ、普通は人間の歩行を意味することはなく、乗り物や物事の進行を意味します。現代のフィンランド語では、車の運転を言うことが多いです。「 ajaa autoa 」は「車を運転する」という意味です。

サモエード系の言語では、aj-という語根がもっと具体的な語に現れます。足・脚を意味するネネツ語ŋeンゲ、エネツ語ŋoンゴ、ガナサン語ŋojンゴイ、カマス語ujyウイ/yjyイイは最たるものです。ネネツ語、エネツ語、ガナサン語には、語頭に母音が来るのを避けるために子音を前に補う傾向があるので、これらの頭子音は差し引いて考える必要があります。つまり、ネネツ語ではe、エネツ語ではo、ガナサン語ではojオイのような形を考える必要があります。上記の足・脚を意味する語は、かつて*ajまたは*ajVのような形をしていたと考えられます。

人間の言語の進化、足・脚から始まる語彙形成の記事で説明したように、「足・脚」からは、歩いて行かせること、進めることを意味する語、さらに抽象化して、「使う」や「する」のような語が生まれてきます。ウラル語族では、足・脚に関係する語を生み出す(1)ast-、as-、at-、(2)jalk-、jal-、jak-、(3)aj-という語根から、「お使い、用事、仕事、こと」のような語が生まれているケースが目立ちます。フィンランド語のasia(こと)は(1)から来ていると考えられるもので、ハンガリー語のügy(こと)ウジは(3)から来ていると考えられるものです(前にフィンランド語のjalka(足、脚)ヤルカとハンガリー語のgyalog(歩いて、徒歩で)ジャログという語を挙げましたが、ハンガリー語のügy(こと)のgyの部分もかつてjであったと考えられます)。

このように、aj-という語根から、ウラル語族では足・脚に関係する様々な語が作られています。では、この語根から、日本語ではどのような語が作られたのでしょうか。該当しそうなのは、ayumu(歩む)です。

ただ、上記のaj-という語根には、気がかりな点があります。中央アジアを中心として中東方面、ウラル山脈方面、ヤクート地方方面、中国方面に広がっているテュルク系言語に、トルコ語ayak、タタール語ayak、バシキール語ayaqアヤク、カザフ語ayaqアヤク、ウイグル語ayaqアヤクのような語があり、足・脚を意味しているのです。テュルク系言語の現在の分布域はあくまで現在の分布域であり、「心(こころ)」の語源の記事で示したように、テュルク系言語はかつては中国東海岸近くにも分布し、同地域にいた日本語に影響を与えていたと見られます。

なにが言いたいかというと、日本語のayumu(歩む)は、上に示したフィンランド語ajaa(進む、進ませる)、ハンガリー語ügy(こと)、ネネツ語ŋe(足、脚)などと同源である可能性が高いが、日本語とウラル語族のこれらの語は、遼河文明の言語から来ているのではなく、テュルク系言語から来ているかもしれないということです。広く分布していたテュルク系言語が一方でウラル語族に、他方で日本語に語彙を提供したということも考えられるのです。インド・ヨーロッパ語族ほどではないにせよ、テュルク系言語もウラル語族と日本語の両方に影響を与えていたようです。ウラル語族と日本語に目を向けているだけでは駄目で、並行して周囲の言語にも目を向けなければならないことを示すよい例といえるでしょう。

※フィンランド語のaika(時、時間)も、テュルク系言語で「足・脚」を意味しているトルコ語ayakのような語から来ていると見られます。その一方で、ハンガリー語のidő(時、時間)イドーも、インド・ヨーロッパ語族で「歩いて進むこと」を意味しているロシア語idtiイッチー(語幹id-)のような語と関係があると見られます。やはり、「足・脚」と「時」の間には密接なつながりがあるようです。古代中国語のtsjowk(足)ツィオウクが日本語のtoki(時)になったのは、ごくありふれた現象といえそうです(「時(とき)」と「頃(ころ)」の語源を参照)。

このブログは、漢語流入前の日本語(大和言葉)の大部分が遼河文明の言語の語彙、黄河文明の言語の語彙、長江文明の言語の語彙でできているというところから話を始めたので、これまでテュルク系言語とモンゴル系言語を取り上げる機会があまりありませんでしたが、どちらも東アジアの言語の歴史、北ユーラシアの言語の歴史を考えるうえで非常に重要なので、これからはテュルク系言語とモンゴル系言語も積極的に取り上げていきます。

(1)ast-、as-、at-という語根、(2)jalk-、jal-、jak-という語根、そして(3)aj-という語根を見てきました。「足・脚」から様々な語彙が生まれてくることを示しましたが、フィンランド語のasia(こと)やハンガリー語のügy(こと)のような語が生まれてくるのはなんとも驚きです。考えてみれば、「こと」のような極度に抽象的な語が最初からあったはずはなく、具体的ななにかが語源になっているはずです。フィンランド語のasia(こと)やハンガリー語のügy(こと)は「足・脚」から来ているようですが、日本語のkoto(こと)はどうでしょうか。どうやら、日本語のkoto(こと)は「足・脚」から来ているわけではないようです。

 

日本語のmono(もの)の語源については、以下の記事に記されています。

「物(もの)」と「牛(うし)」の語源、西方から東アジアに牛を連れてきた人々