時間の哲学、「時(とき)」の語源(改訂版)

この記事は、以前に記した記事の改訂版です。

抽象的なtoki(時)の語源に関しては、筆者の考えも二転三転しましたが、人類の言語を広く観察しながら思考を重ね、ようやく確かな見解に到達したので、それをここに記します。

いきなりtoki(時)について考えるのはハードルが高いので、まずはsetu(節)とsai(際)に目を向けることにします。中国語からの外来語であるsetu(節)とsai(際)は、「その節は・・・、その際は・・・」という具合にtoki(時)に似た使われ方をするので、考察に値します。

古代中国語のtset(節)ツェトゥは、竹かんむりからわかるように、特に竹のふしを意味していた語です。竹のふしとは、以下の図の赤い線の部分です。

古代中国語のtsjej(際)ツィエイも、境を意味していた語です。日本でkokusai(国際)という和製漢語が作られましたが、これは国と国の間を意味しています。

このように、古代中国語のtset(節)とtsjej(際)はもともと境を意味していた語ですが、そこからやがて時も意味するようになります。これは中国語に特有な現象ではなく、人類の言語に広く見られる現象です。日本語のori(折)(古形wori)も、境を意味していたと考えられる語です。その節、その際、その折、どれもよく聞くでしょう。

なぜ境を意味していた語が時を意味するようになるのでしょうか。先ほどの図のような構図において「区切る線」を意味していた語が「区切られた各部分」を意味するようになるというのがポイントです。世(よ)の誕生の記事で説明した奈良時代のyo(代)などはまさにそうです。yo(代)は、yoko(横)などと同源で、水と陸の境を意味していたが、そこから「区切る線」、さらに「区切られた各部分」を意味するようになり、奈良時代には「時代」を意味していました(yokogiruとyogiruという言い方があるように、yokoとyoという形があったのです)。

時間の問題を考える場合にも、やはり古代人の感覚を考えることが重要です。古代人は、現代の私たちと違って、時計を持っておらず、数詞・数字も持っていませんでした。それでも、現代の私たちと同じように、明るさ(朝・昼)と暗さ(夜)が交互に訪れる世界に住んでいました。「区切り」というものは古くから意識されています。明るくなって、暗くなって、明るくなって、暗くなって・・・という区切り以外にも、様々な区切りが考えられます。

四角を四つ並べました。紙芝居の一枚一枚の絵のようなものだと思ってください。つまり、一つ一つの四角は、現代でいう場面のようなものです。例えば、「道具を作る」→「動物を狩る」→「解体・調理する」→「食べる」、これだって区切りです。数詞・数字を持たない古代人が「いち、に、さん、し・・・」と数えることはありませんが、ある場面、次の場面、次の場面、次の場面・・・という見方はします。

こうなると、場面場面(一区切り一区切り)を指す語が欲しいところです。水を意味していた語が水と陸の境を意味するようになり、水と陸の境を意味していた語が「区切る線」を意味するようになり、「区切る線」を意味していた語が「区切られた各部分」を意味するようになったようです。水から始まるこのような経緯からして、まず空間的な意味があり、そこに時間的な意味が加わったと考えられます。奈良時代には、時代を意味するyo(代)のほかに、竹のふしとふしの間を意味するyo(節)という語がありましたが、yo(代)よりyo(節)のほうが古いでしょう。

さて、toki(時)はどうでしょうか。上に説明したパターンは日本語でもその他の言語でも繰り返し出てくるので、toki(時)もこのパターンと考えられます。古代北ユーラシアで水を意味したtark-、tirk-、turk-、terk-、tork-(tar-、tir-、tur-、ter-、tor-、tak-、tik-、tuk-、tek-、tok-)のような語から来たのでしょう。すでに多数の例を挙げましたが、taka(高)、tuka(塚)、toko(床)などは、水を意味していた語がその横の盛り上がった土地、丘、山あるいは高さを意味するようになったものです。対照的に、taki(滝)、tuku(漬く)、toku(溶く)などは、当初の水という意味を残しています(taki(滝)は、現代と少し異なり、急流・激流を意味していました)。酒を注ぐ時のtokutoku(とくとく)や血が流れる時のdokudoku(どくどく)も同源でしょう。水と陸の境を意味していたであろうtoki(時)も、同じところから来ていると考えられます。

toki(時)の類義語であるkoro(頃)はどうでしょうか。奈良時代には、凍ること・固まることを意味するkoru(凝る)と切ることを意味するkoru(伐る)という語がありました。koru(凝る)は氷を思わせ、koru(伐る)は境を思わせます。やはり水の気配がします。koru(伐る)は、ki(木)とくっついてkikori(きこり)を残したぐらいで、廃れてしまい、類義語のkaru(刈る)とkiru(切る)が残りました。koru(凝る)とkoru(伐る)の存在から、水を意味していたkor-のような語が境を意味するようになったことが窺えますが、この境を意味するkor-のような語から、koro(頃)ができたようです。背後にあると見られるのは、古代北ユーラシアで水を意味したkalm-、kilm-、kulm-、kelm-、kolm-(kal-、kil-、kul-、kel-、kol-、kam-、kim-、kum-、kem-、kom-)のような語です。これに関連する話を補説で取り上げましょう。

 

補説

水から境へ、境から糸へ

水・水域を意味していた語が境を意味するようになるのは頻出パターンですが、境を意味していた語が線・糸を意味するようになるのも頻出パターンです。

ここでは、日本語の糸関連の語彙であるkuru(繰る)とkumu(組む)から話を始めましょう。

kuru(繰る)という動詞を示されても、ピンとこないかもしれません。現代では、繰り返す、繰り出す、繰り広げる、繰り上げる、繰り下げるなどの複合動詞はよく使われますが、単独のkuru(繰る)はあまり使われません。

糸は、人間世界において衣料などのもととして重要な役割を果たしてきました。その糸はどこから来ているかというと、特定の動物または植物から来ています(現代では合成系もあります)。kuru(繰る)は、糸を引き出して巻き取る作業です。

kumu(組む)は、以下の写真のように何本かの糸から一本の紐を作り出す作業です(写真は道明葵一郎、「道明」の組紐、世界文化社より引用)。

少数の糸を単にねじり合わせるだけのyoru(縒る)と比べると、本格的な計画・設計・デザインが感じられます。

前に朝鮮半島と日本列島の奥深い歴史の記事で、kumo(クモ)は糸を意味していた語ではないかと推測しました。kuru(繰る)、kumu(組む)、kumo(クモ)はいずれも「糸」から来た語でしょう。

母音がuではなくoですが、komayaka(細やか)、komaka(細か)、komagoma(細々)も「糸」から来た語でしょう。

「糸」からすぐに「細い」という意味が生まれますが、すぐに「細かい」という意味も生まれます。一本の糸ではなく、糸と糸が交差している織物を考えれば、容易にわかります。

古代北ユーラシアで水を意味したkalm-、kilm-、kulm-、kelm-、kolm-(kal-、kil-、kul-、kel-、kol-、kam-、kim-、kum-、kem-、kom-)のような語がおおもとにあり、それが境を意味するようになったり、さらに線・糸を意味するようになったりしていたと考えられます(日本語では、karm-、kirm-、kurm-、kerm-、korm-という形は認められないので、基本的にkar-、kir-、kur-、ker-、kor-、kam-、kim-、kum-、kem-、kom-という形になることに注意してください。「基本的に」と言ったのは、母音が挿入されたkarVm-、kirVm-、kurVm-、kerVm-、korVm-という形になることもまれにあるからです)。

日本語の語彙のほうから考えると頭がこんがらがりそうですが、水ひいては境を意味していたkulm-(kul-、kum-)やkolm-(kol-、kom-)のような語のほうから考えるとすっきりします。このkulm(kul-、kum-)やkolm-(kol-、kom-)のような語が線や糸も意味するようになったのです。

ここに示したkul-のような語から来たのが、kuru(繰る)です。

kum-のような語から来たのが、kumu(組む)です。

kom-のような語から来たのが、komayaka(細やか)、komaka(細か)、komagoma(細々)で、*koma(糸)という語があったと思われます。四コマ漫画などの一区切り一区切りを意味しているkoma(コマ)と同源と考えられます。境を意味する語が*koma(糸)とkoma(コマ)になったということです。境から*koma(糸)のようになるのも一つのパターン、境からkoma(コマ)のようになるのも一つのパターンです。

そしてkol-のような語から来たのが、まず空間的一区切りを意味し、そこから時間的一区切りを意味するようになったと見られるkoro(頃)です。切ることを意味したkoru(伐る)という動詞の存在がそのことを裏づけています。

水を意味していたkulm-(kul-、kum-)やkolm-(kol-、kom-)のような語が境を意味するようになったり、さらに線・糸を意味するようになったりしていたわけですが、これに関連してもう一つ気になる語があります。それは、koromo(衣)です。

奈良時代にはkinu(衣)とkinu(絹)という語があり、kinu(衣)は服を意味し、kinu(絹)は蚕の繭(後述参照)から取った糸、およびそれからできた布を意味していました。おそらく、日本語にはkinuという一語があり、この語は糸の状態も、布の状態も、服の状態も意味したと思われます。

koromo(衣)も、上のkolm-(kol-、kom-)のような語から来ていて、境を意味していたところから糸を意味するようになり、糸を意味していたところから布・服を意味するようになったのかもしれません。

この可能性は高そうです。中国東北部に、アムール川水系に属する嫩江(ヌンチアン)という大きい川があります。かつてこのあたりに水のことをnunのように言う人々がいたことを示しています。朝鮮語のnun(目)とnun(雪)はそのことを裏づけています(水を意味していた語が目を意味するようになるまでの過程については、古代人はこのように考えていたの記事を参照してください)。日本語のnuno(布)も関係がありそうです。北ユーラシアの歴史の中で見ると、これらの語はnak-、nag-、nank-、nang-、nan-のような形から生じたものではないかと思われます。「水」→「境」→「糸」→「布・服」という意味変化は珍しくなかったのかもしれません。

koromo(衣)は、uとoの間で発音が変化しやすかったことを考えると、kurumu(包む)とも同源でしょう。

karamu(絡む)/karamaru(絡まる)が糸関連の語彙であることも疑いありません。

※蚕(かいこ)は蛾の一種です。蚕の一生は、卵→幼虫→さなぎ→成虫と進んでいきます。幼虫からさなぎになるところで、糸状の分泌物を吐き出して、体のまわりに以下の写真のような覆いを作ります。この覆いは繭(まゆ)と呼ばれます。繭を煮てほぐし、さなぎを取り除いてから、糸を引き出していきます(写真は高原社様のウェブサイトより引用)。

toki(時)とkoro(頃)という言葉は、上に説明した非常に大きな歴史の中に位置しています。toki(時)とkoro(頃)は、「一区切り」を意味する語だったのです。