「時(とき)」と「頃(ころ)」の語源

「あの時」と「あの頃」では少し意味が違いますが、toki(時)とkoro(頃)が類義語であることは間違いありません。toki(時)とkoro(頃)は時間を表す語として認識されていますが、hodo(程)はどうでしょうか。hodo(程)は主に程度・度合いを表す語として認識されているでしょう。しかし、hodo(程)は奈良時代の時点ではɸoto(程)で、時間を表す語だったのです。現代の日本語でも、sakihodo(先ほど)やhodonaku(ほどなく)などの言い方に時間的意味が残っています。

前回の記事の中で、古代中国語のtsjowk(足)ツィオウクが日本語のtoki(時)になったようだと述べました。まさかと思われるかもしれません。しかし、toki(時)の語源だけでなく、koro(頃)の語源も、ɸoto(程)の語源も「足」のようなのです。なぜこのようなことが起きるのでしょうか。

英語のstepという語を考えてみてください。この語は「足を踏み出すこと、一歩」を意味するだけでなく、「段」や「段階」という意味も持っています。日本語でも、例えば作業を説明する時に「ステップ1、ステップ2、ステップ3、・・・」のように言ったりします。どうやら、人間の歩行の一歩一歩を表す語が物事の進行の一段階一段階を表すようになることがよくあるようです。

英語にfoot(足)という語があり、これと同源の語がインド・ヨーロッパ語族全体に広がっています。ラテン語ではpes(足)(組み込まれてped-)、古代ギリシャ語ではpous(足)(組み込まれてpod-)、サンスクリット語ではpat(足)です。インド・ヨーロッパ語族の「足」が日本語に*potoという形で入り、古代中国語の「足」が日本語にtokiという形で入り、この*potoとtokiが、まず人間の歩行の一歩一歩、そして物事の進行の一段階一段階を表すようになり、奈良時代の日本語のɸoto(程)とtoki(時)に至ったと考えるとしっくりきます。

※ロシア語のpodは、英語のfootなどと同源ですが、なにかの下の部分を表す前置詞、つまり英語のunderやbelowのような語になっています。「足」と「下」の関係は密接で、このようなこともあります。以前取り上げたsita(下)、sitostio(しとしと)(「上(うえ)」と「下(した)」の語源(続き)を参照)だけでなく、potupotu(ぽつぽつ)、potapota(ぽたぽた)もインド・ヨーロッパ語族から来ていると見られます。

ɸoto(程)がインド・ヨーロッパ語族の「足」から来て、toki(時)が古代中国語の「足」から来たのなら、koro(頃)はどこから来たのでしょうか。前に日本語の複雑な歴史、インド・ヨーロッパ語族はこんなに近くまで来ていたの記事で、遼河文明の言語とシナ・チベット語族の言語の間に、インド・ヨーロッパ語族の言語、テュルク系の言語、モンゴル系の言語が入り込んでくる構図を示しました。テュルク系言語の「足」とモンゴル系言語の「足」を見てみましょう。

テュルク系言語のほうはトルコ語ayak(足、脚)のようになっており、モンゴル系言語のほうはモンゴル語xөl(足、脚)フル(古形kölコル)のようになっています。日本語のkoro(頃)はモンゴル系言語から入ったと見られます。さらに、モンゴル語alxax(歩く)アルハフ(語幹alx-、古くはalq-)という語もあります。日本語のaruku(歩く)もモンゴル系言語から入ったと見られます(モンゴル語のalxax(歩く)と日本語のaruku(歩く)については、後で詳しく述べます)。

※トルコ語にはayak(足、脚)のほかにbut(腿)という語があります。ayak(足、脚)と同源の語も、but(腿)と同源の語も、テュルク系言語全体に広がっています。足・脚を意味していた語が腿(もも)や脛(すね)を意味するようになることはよくあり、インド・ヨーロッパ語族のfoot(足)の類がテュルク系言語のbut(腿)の類になったと見られます。そして、テュルク系言語のbut(腿)の類が日本語の*puto(太)(のちにɸuto、さらにhuto)になったと見られます。インド・ヨーロッパ語族→テュルク系言語→日本語という語の流れです。テュルク系言語のbut(腿)の類は、日本語の*puto(太)になっただけでなく、日本語のbuta(豚)にもなっていると思われます。

このように、日本語のɸoto(程)はインド・ヨーロッパ語族の「足」から、日本語のtoki(時)は古代中国語の「足」から、そして日本語のkoro(頃)はモンゴル系言語の「足」から来たと考えられます。

※ɸoto(程)は他の語に押されて時間的意味が弱まっていったと見られます。現代の日本語のhodo(程)は主に程度・度合いを意味するようになっています。ɸoto(程)はtoki(時)と違う運命を辿ることになりましたが、ɸoto(程)のようなケースも決して珍しくありません。人間の歩行を抽象的に表現すると、以下のような感じでしょうか。

一歩を表す語が時間以外の尺度になることも十分ありそうです。ちなみに、英語のdegree(程度、度合い)も、おおもとを辿ればラテン語のgradus(一歩)/gradior(歩く)から来ています。