朝鮮半島と日本列島の奥深い歴史

朝鮮半島では・・・

朝鮮半島に錦江(きんこう)という川があります。韓国の主要河川の一つで、韓国の西部を流れています。

朝鮮語では、錦江はkɯm gangクムガンと読みます。[u]は口が小さく丸まったウで、[ɯ]は口が横に広がったウです。朝鮮語では川のことをkangカンと言い(語中ではgangガンと濁ります)、これは古代中国語の「江」を取り入れたものです。つまり、kɯm gangのgangは一般に川を意味する語です。

問題はkɯm gangのkɯmです。錦というのは、金銀その他の異なる色を持つ糸を使って美しい模様を描くように織った高級な織物のことです。なぜわざわざ錦を持ち出してくるのでしょうか。

本ブログではすでに北ユーラシアの主要河川を見ましたが、アムール川、レナ川、エニセイ川、オビ川、ヴォルガ川などはいずれも、かつての住民の言語で水・水域を意味していた語が固有の河川名になっていました。

kɯm gangのkɯmの語源が錦かどうか非常に怪しいです。むしろ、よいイメージのある「錦」という漢字を当てた可能性が高いです(中国にも「錦江」と記される川がいくつかあります)。かつて水・水域のことをkɯmのように言う人々がいて、それが固有の河川名になったのではないかということです。

※朝鮮半島の錦江があるあたりは白江または白村江とも呼ばれましたが、「錦」が当て字である可能性があるのと同様に、「白」または「白村」が当て字である可能性もあります。日本・朝鮮・中国の地名にはこのような問題がつきまといます。

中国語からの外来語を除くと、朝鮮語にはkɯmという語が二つあります。

一つ目のkɯmは、線や筋を意味するkɯmです。特に、折れ目や割れ目を意味することが多いです。水・水域を意味していた語が境を意味するようになるパターンが思い起こされます。

二つ目のkɯmは、値・値段を意味するkɯmです。日本語のne(値)は、山、頂上、高さなどを意味しようとしたが、最終的にそれが叶わなかったne(嶺)が変化したと見られるものです。「高嶺の花」のne(嶺)です。接頭辞のmiが付けられて、mine(峰、峯)という形でも残っています。朝鮮語のkɯm(値)も日本語のne(値)と似たような歴史を持っていると思われます。水・水域を意味していた語がその隣接部分、特に盛り上がり、坂、丘、山などを意味するようになるパターンが思い起こされます。

やはり、朝鮮半島に水・水域のことをkɯmのように言う人々がいたようです。

日本列島では・・・

日本列島のほうはどうでしょうか。

水・水域を意味していた語が端の部分や境界の部分を意味するようになるのは超頻出パターンであり、sumi(隅)もそうでした(〇〇様、〇〇さん、〇〇ちゃんの由来を参照)。あまり使われませんが、sumi(隅)の類義語であるkuma(隈)も怪しいです。

水・水域のことをkum-のように言う人々がいた可能性を考えなければなりません。

ame(雨)やyuki(雪)の語源はすでに明らかにしましたが、kumo(雲)はどうでしょうか。水を意味していた語が水蒸気、湯気、霧、雲などを意味するようになるという頻出パターンがあります。実は、空に浮かぶkumo(雲)だけでなく、虫のkumo(クモ)も見逃せません。

例えば、英語にspider(クモ)という語があります。iとdの間にあったnがなくなっているのでわかりづらいですが、spin(紡ぐ)、spindle(紡錘)、spinner(紡績機)などと同源です。spider(クモ)は糸関連の語彙なのです。

日本語のkumo(クモ)は、糸を意味しようとしたが、最終的にそれが叶わなかった語でしょう。「水・水域」→「境」→「線・糸」→「クモ」という変遷を経たと見られます。

九州には、kumamoto(熊本)という地名があります。「熊本」と書かれる前は「隈本」と書かれていました。熊本は水資源が豊かで、多くの名水を抱えるところです。kumamotoのkumaは水・水域を意味していたと考えられます。kumu(汲む)という動詞も、そのことを端的に示しています。

水・水域を意味したkumaの存在は、奈良時代のkumaru/kubaru(分る)という動詞からも窺えます。アイヌ語のwakka(水)のような語が境を意味するようになって、waku(分く)とwakatu(分かつ)を生み出したように、水を意味していたkumaが境を意味するようになって、kumaru/kubaru(分る)を生み出したと見られます。kumaru/kubaru(分る)はkubaru(配る)になりました。

古事記と日本書紀に、九州のkumaso(熊曾、熊襲)と呼ばれる部族が出てきて、大和朝廷に抵抗したことが記されていますが、このkumaの語源も、熊ではなく水・水域でしょう。kumaso(熊曾、熊襲)は、ある地域を指す語でもあり、ある人々を指す語でもありました。日本と日本人、あるいはJapanとJapaneseのように、地域と人々を指す語が一体的な関係にあることは言うまでもありません。日本列島の南部に目立つ集団がいたことは間違いありません。

朝鮮半島と日本列島にまたがる人々

ここで注目すべきなのは、水のことをkum-のように言う人々が朝鮮半島と日本列島にまたがっていたということ、そしてこのkum-のような語が、日本語のmizu(水)とも、朝鮮語のmul(水)とも、アイヌ語のwakka(水)とも全然違うということです。

水のことをkum-のように言う人々は、いつ頃から朝鮮半島と日本列島のあたりにいたのでしょうか。縄文時代はとても長いです(16000年前頃から3000~2500年前頃まで)。縄文時代の終わり頃からでしょうか、縄文時代の中頃からでしょうか、それとも縄文時代の初め頃からでしょうか。謎の人々にもう少し迫ってみましょう。

 

補説

takara(宝)の語源、高さと貴さ・価値

ne(嶺)とne(値)の話が出てきたので、takara(宝)にも触れておきましょう。

フィンランド語にaarre(宝)、ハンガリー語にár(値段、価格)アールという語があります。フィンランド語のaarre(宝)は、昔はaarreと言ったり、aartoと言ったりしていました。フィンランド語の他の語彙の歴史からして、aartoがもとの形と考えられます。

ウラル語族からインド・ヨーロッパ語族に目を移すと、アイルランド語ard(高い)アールドゥ、ラテン語arduus(高い、急な)アルドゥース、古代ギリシャ語orthos(まっすぐな、直立した)オルトスのような語が目に留まります。

ウラル語族のフィンランド語aarre(宝)のような語はウラル語族全体に広がっているわけではなく、インド・ヨーロッパ語族のアイルランド語ard(高い)のような語もインド・ヨーロッパ語族全体に広がっているわけではありません。したがって、上記の一連の語は、ウラル語族とインド・ヨーロッパ語族以外のところに出所があるかもしれません。

しかしながら、高さと貴さ・価値の間に密接な関係があることは十分に見て取れます。日本人は普段から「値段が高い、価格が高い、価値が高い」と言っているので、全く違和感ないと思います。

日本語のtakara(宝)については、寝る時に頭の下になにか置くことを意味したmaku(枕く)からmakura(枕)が作られたり、saku(咲く)からsakura(桜)が作られたりしたように、taka(高)からtakara(宝)が作られたようです。

ne(嶺)→ne(値)やtaka(高)→takara(宝)のような意味の展開は、標準的な展開といえそうです。