前回と前々回の記事でyokosama/yokosimaの例を挙げましたが、日本語にはかつて向きを意味するsamaとsimaという語がありました。このうちのsamaは、意味が抽象化して状態を意味するようになる一方で、「〇〇様」のような用法を獲得しました。
日本語では、方向を意味していた語が敬意や丁寧さを表すようになることがありました。kata(方)もそうです。konohito(この人)と言うより、konokata(この方)と言ったほうが丁寧です。
だれかのことを控えめに指すために、向き・方向を意味したsama(様)やkata(方)が持ち出され、それが敬意表現・丁寧表現として定着したと考えられます。もともと住んでいる建物を意味したtono(殿)が人に対して「殿」や「〇〇殿」のように使われるようになったのも、やや似たケースといえます。現代の日本語においてそれぞれ異なる使い方を持っていますが、san(さん)とtyan(ちゃん)もsama(様)から派生したと見られます。
※古代中国語で立派な建物を意味したden(殿)が日本語のtono(殿)になったと見られます。古代中国語のden(殿)は、ある時代にden/tenという形で日本語に取り入れられましたが、それよりも前の時代にtonoという形で日本語に取り入れられていたようです。朝鮮語では、tʃɔn(殿)チョンと読んでいます。古代中国語のden(殿)の発音が時代・地域によって少しずつ異なっていたようです。
状態を意味するsamaにせよ、敬意表現・丁寧表現としてのsamaにせよ、向きを意味していたsamaから来ており、この向きを意味したsamaの語源を明らかにしなければなりません。結論を先に言うと、日本語のそばに水のことをsam-、sim-、sum-、sem-、som-のように言う言語群があり、この言語群から日本語に大量の語彙が入ったようです。sim-がどのように日本語に入ったかは前回の記事で見たので、ここでは主にsam-がどのように日本語に入ったか見ることにします。
まずなんといっても怪しいのは、samu(冷む)とsamusi(寒し)です。冷たさ・寒さを意味する語は「氷」または「雪」から来ていることが非常に多いからです。例えば、奈良時代の日本語にはkoɸori(氷)という語とɸi(氷)という語がありました。その後、koɸori(氷)が残ってɸi(氷)は廃れましたが、ɸi(氷)は跡形もなく消えたのかというと、そんなことはありません。ɸi(氷)から作られたと見られるɸiyu(冷ゆ)は残ったし(sakayu(栄ゆ)やɸayu(栄ゆ)と同じ動詞の作り方です(人間の幸せと繁栄—「栄ゆ(さかゆ)」と「栄ゆ(はゆ)」から考えるを参照))、同類と見られるɸuyu(冬)も残りました。やはり、sam-のような語が水を意味することができず、氷・雪を意味することもできず、samu(冷む)とsamusi(寒し)になったと見られます。
※奈良時代の日本語のɸi(氷)は、古代中国語のping(冰)ピンを取り入れたものでしょう(「氷」は「冰」の俗字です)。現代の日本語ならpinとできますが、pがɸに変化し、なおかつ、nで終わることができなかった奈良時代の日本語ではɸiになるのが自然です。
samu(冷む)と同形のsamu(覚む、醒む)も見逃せません。samu(冷む)は(氷・雪を介して)水と関係があるけれども、samu(覚む、醒む)は水に関係がないではないかと思われるかもしれません。水には様々な性質・特徴があります。その一つに無色透明というのがあります。現代人なら無色透明というとガラスを真っ先に思い浮かべるかもしれませんが、無色透明なガラスの製造はほんの何百年かの歴史しかありません。昔の人々にとっては、無色透明なものといえば水だったのです。水を意味することができなかった語が、水の透明感を表す語、そしてさらに、一般に透明感を表す語になることがあります。ぼんやりした状態とは反対の透明な状態を表すようになるのです。これに該当するのがsamu(覚む、醒む)です。
透明感を表すsumu(澄む)も同類でしょう。水・水域を意味していた語が端の部分や境界の部分を意味するようになるパターンはすでに何度も見ていますが、sumi(隅)もこのパターンと考えられます。sumiが水や流れを意味していたのであれば、sumiyaka(澄みやか)もsumiyaka(速やか)も納得がいきます。意味はばらばらですが、水が起点になっている点は共通しています。
古代北ユーラシアで水を意味したam-、um-、om-のような語が日本語に入り、ama(雨)、ama(天)、amaru(余る)になったり、abu(浴ぶ)、aburu(溢る)、abaru(暴る)になったりしました(インディアンと日本語の深すぎる関係を参照)。mとbの間は、発音が非常に変化しやすいところです。
このことを考慮に入れれば、水を意味したsam-、sim-、sum-、sem-、som-のような語は、zabuzabu(ざぶざぶ)やzubuzubu(ずぶずぶ)にもなったと思われます。zyabuzyabu(じゃぶじゃぶ)はもちろんのこと、syabusyabu(しゃぶしゃぶ)もそうかもしれません。肉を湯に入れて揺らすところからsyabusyabu(しゃぶしゃぶ)です。
ひょっとしたら、siba(芝)も関係があるかもしれません。ポイントは、水・水域を意味していた語が隣接する陸の部分を意味するようになるということです。隣接部分が盛り上がっていれば盛り上がりを意味するようになるし、隣接部分に石がごろごろしていれば石を意味するようになるし、隣接部分に芝が生えていれば芝を意味するようになるのです。
sam-、sim-、sum-という形に言及したので、som-という形にも言及しておきましょう(かつての日本語にはエ列はなかったと考えられるので、sem-はここに含まれません)。somu(染む)はもともと、濡らす、浸す、漬けるなどと同じ意味を持っていたと見られます。somu(染む)と同形のsomu(初む)という語もありました。somu(初む)は始めることを意味した動詞ですが、現代ではnaresome(馴れ初め)のように組み込まれて残っているだけです。前に述べたように、物の端部を意味する語は開始または終了を意味する語と関係していることが多く、ɸazimu(始む)はɸasi(端)から作られたと考えられます。同じように、somu(初む)も端を意味した語から作られたと見られます。これまで見てきた日本語のパターンからして、*somaのような語が水を意味しようとしたり、水と陸の境を意味しようとしたりしたが、それが叶わず、somu(染む)やsomu(初む)のような語を残したと思われます。近く、かたわら、横を意味するsoba(そば)も無関係でないでしょう。
水を意味したsam-、sim-、sum-、sem-、som-のような語は実に様々な形と意味で日本語に入り込み、その一例が向きを意味したsamaとsimaであったと考えられます。ここで興味深いのは、水のことをsam-、sim-、sum-、sem-、som-のように言っていた言語群は一体どのような言語群だったのかという問題です。この言語群は、前回と今回の記事で示したように、日本語との付き合いが大変深く、東アジアの歴史を解明するうえで重要な鍵を握る言語群かもしれません。水を意味したsam-、sim-、sum-、sem-、som-のような語は、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語とは全然違うし、am-、um-、om-のような語とも頭子音sの有無という違いがあります。新たに浮上した言語群の正体を探らなければなりません。
補説
実はあの生き物たちも・・・
古代北ユーラシアで水を意味したjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語が日本語のike(池)やiki(息)になった、同じように、水を意味したtak-のような語がtaka(高)やtaki(滝)になった、水を意味したsak-のような語がsake(酒)やsaka(坂)になったという話をしました。
面白いことに、日本語にはika(イカ)、tako(タコ)、sake(サケ)のような語があります。
今回の水を意味したsam-、sim-、sum-、sem-、som-のような語がsama(様)やsima(島)になったという話でもそうです。
やはり、日本語にはsame(サメ)、saba(サバ)のような語があります。
水・水域を意味することができなかった語が、水域に生息する生き物を意味するようになるケースも多かったようです。
ちなみに、水を意味したam-、um-、om-のような語はama(海人)になっています。