日本およびその周辺に見られるY染色体DNAの各系統の話をする前に、東南アジアルートを通ってやって来た人々と中央アジアルートを通ってやって来た人々が現れる4万年前頃の地理の話をしておきましょう。
以下の地図は、約2万年前のLast Glacial Maximum(最終氷期最盛期)の頃の日本列島を示しています(図はNakazawa 2018より引用)。
現在とどこが違うでしょうか。まず、中国東海岸地域、朝鮮半島、台湾の間が陸地になっています。そして、大陸とサハリンと北海道がつながっています。さらに、本州と四国と九州がつながっています。しかし、注目してほしいのは、対馬海峡のところと、津軽海峡のところはつながっていないということです。
海洋調査により、LGMの頃には海面が現在より120~130 m低かったことがわかっています(Park 2000)。しかし、対馬海峡は深いところで200 mに達し、津軽海峡もそれ以上の深さを持ちます。海面が現在より120~130 m低ければ、対馬海峡も津軽海峡も現在より細くなりますが、陸続きにはならないのです(津軽海峡のほうは、細い海が凍り、歩いて渡れる季節が少しあったようです(Kawamura 2007))。
上に示した地図は、約2万年前のLGMの頃のものです。東南アジアルートを通ってやって来た人々と中央アジアルートを通ってやって来た人々が現れる4万年前頃は、LGMの頃よりいくらか温度が高いので、もっと海の部分が大きかったはずです。
日本列島は大陸と完全につながっていたと思っていたという方もいるでしょう。確かに、日本列島は大陸と完全につながっていたのです。しかし、それは、人類が日本周辺に現れた4万年前頃の話ではなく、それよりはるか前の話です。人類が日本周辺に現れた4万年前頃から現在に至るまで、日本列島が大陸と完全につながっていたことはないのです。
日本列島の中でまず人類が現れたのは、古本州島(現在の本州、四国、九州)です。人類は38000年前頃に古本州島に現れ、少し遅れて琉球列島、そして大きく遅れて古サハリン・北海道半島に現れました(Izuho 2015)。つまり、日本列島に最初にやって来た人々は、海を渡ってやって来たということです。古本州島に現れた人類は、すぐに静岡県の伊豆半島の南方にある島にも現れます(Ikeya 2015)。確かな航海能力・航海技術を持っていたことを示しています。
●誤解を招きやすい遣唐使船
日本には、誤解を招きやすい話があります。遣唐使船の話です。皆さんも、遣唐使船が何度も航海に失敗した話を聞いたことがあるでしょう。遣唐使の時代(飛鳥時代、奈良時代、平安時代)に何度も航海に失敗していたのなら、それより昔はほとんど航海できなかっただろうと考えがちです。これは正しくありません。
遣唐使船はもともと、朝鮮半島沿岸を通る北路を使用していました(図は日経ビジネス様のウェブサイトより引用)。
航海というと、前もうしろも右も左も海のところを進むイメージがあるかもしれませんが、海岸に沿って進むこともあります。
日本は、白村江の戦いで新羅との関係が悪くなり、朝鮮半島を統一した新羅を避けて、唐に向かうようになりました。ところが、この南島路・南路は、北路のように安全な航路ではありませんでした。台湾・フィリピン方面から日本列島のほうへ、黒潮と呼ばれる海流が流れています。黒潮は、世界で一、二を争う流れの速い海流です。黒潮を横切ったり、黒潮に逆らったりすることには大きな危険が伴います。さらに、遣唐使船は、穏やかな季節を選ばなかったり、人や物を積みすぎたりして、危険を一層大きくしていました。かなり無茶をしていたのです。
遣唐使船のことを聞かされると、それより昔のことがかすんでしまいますが、実は遣唐使船の時代よりはるかに前から人類は航海を行っていました。
●オーストラリアとパプアニューギニアの例
オーストラリアとパプアニューギニアの例を挙げましょう。なぜオーストラリアとパプアニューギニアなのかと思われるかもしれません。しかし、これは的外れではありません。
東南アジアルートと中央アジアルートのところでお話ししたように、アフリカから中東に出て、そこから南アジアを通り、東南アジアに達する大きな人の流れがありました。ある人々は東南アジアから東アジアに向かい、ある人々は東南アジアからオセアニアに向かいました。東アジアに向かった人々の航海能力・航海技術を考えるうえで、オセアニアに向かった人々に注目することは適切です。
日本周辺の地形が現在と大きく異なっていたように、オセアニア方面の地形も現在と大きく異なっていました(図はWikipediaより引用)。
人類が東南アジアからオセアニアに向かう頃には、上の図のように、スンダランドとサフルランドという二つの巨大な陸が相対していました。当時は、オーストラリアとパプアニューギニアはつながっていました。人類は45000~50000年前頃からこのサフルランドに現れます(O’Connell 2015、O’Connell 2018)。ポイントは、スンダランドとサフルランドはつながっていなかったということです。M. I. Bird氏らが具体的にいくつかのルートを検討していますが、陸塊から陸塊への移動を繰り返さなければならないうえ、どのルートを取っても、出発する陸塊から到達する陸塊が見えない長距離の航海が避けられません(Bird 2019)。やはり、スンダランドからサフルランドに渡った人々は、高い航海能力・航海技術を持っていたと考えられます。サフルランドで存続していくためには、ある程度の人数がサフルランドに到着する必要があるため、そのような高い航海能力・航海技術が共有されていたということでしょう。
スンダランドからサフルランドに向かう途中の東ティモールで、4万年以上前に遠海魚を捕獲していたことを示す証拠が見つかっています(O’Connor 2011)。遠海漁業というのは重要な視点かもしれません。人間が段々と高い航海能力・航海技術を身につけていったことを無理なく説明できるかもしれません。易しい試みから難しい試みに移っていったと考えるのが妥当でしょう。日頃から遠海漁業を行っている人たちなら、高い航海能力・航海技術を持っていたことも納得できます。また、陸地から次の陸地が見えなくても、遠海漁業を行っている位置から次の陸地が見えたかもしれません。
日本の古本州島と琉球列島に渡った人々の航海能力・航海技術も驚きですが、サフルランドに渡った人々の航海能力・航海技術も驚きです。しかし、一方の航海能力の高さを考えると、他方の航海能力の高さも納得です。両者の航海能力の高さは無関係でないでしょう。
しかし、どのような材料でどのように舟を作っていたのかという謎が残ります。何万年も前の遠い昔になると、石器以外のものはなかなか残ってくれません。石は明らかに舟の材料に向いていません。海部陽介氏らが草の舟、竹の舟、丸木舟を作製し、丸木舟で台湾から与那国島への航海実験を成功させるという貴重なニュースがありました(3万年前の航海、丸木舟で完遂 科学博物館チーム、台湾から沖縄・与那国島に到着)。
人類はアフリカ大陸で非常に長い歴史を持っているにもかかわらず、アフリカ大陸の近くにあるマダガスカル島は最近まで人間の暮らしの形跡がなく(台湾とオーストロネシア語族を参照)、人類の航海能力はいつから発達し始めたのかという問題もあります。
アフリカ→中東→南アジア→東南アジアと移動し、そこから東アジアとオセアニアに分かれていくルートを、今度はY染色体DNAの観点から追ってみましょう。
参考文献
Bird M. I. et al. 2019. Early human settlement of Sahul was not an accident. Scientific Reports 9: 8220.
Ikeya N. 2015. Maritime transport of obsidian in Japan during the Upper Palaeolithic. In Kaifu Y. et al., eds., Emergence and diversity of modern human behavior in Paleolithic Asia, Texas A&M University Press, 362-375.
Izuho M. et al. 2015. The appearance and characteristics of the early Upper Paleolithic in the Japanese Archipelago. In Kaifu Y. et al., eds., Emergence and diversity of modern human behavior in Paleolithic Asia, Texas A&M University Press, 289-313.
Kawamura Y. 2007. Last glacial and Holocene land mammals of the Japanese Islands: Their fauna, extinction and immigration. Quaternary Research 46(3): 171-177.
Nakazawa Y. et al. 2018. Quaternary paleoenvironmental variation and its impact on initial human dispersals into the Japanese Archipelago. Palaeogeography, Palaeoclimatology, Palaeoecology 512: 145-155.
O’Connell J. F. et al. 2015. The process, biotic impact, and global implications of the human colonization of Sahul about 47,000 years ago. Journal of Archaeological Science 56: 73-84.
O’Connell J. F. et al. 2018. When did Homo sapiens first reach Southeast Asia and Sahul? Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 115(34): 8482-8490.
O’Connor S. et al. 2011. Pelagic fishing at 42,000 years before the present and the maritime skills of modern humans. Science 334(6059): 1117-1121.
Park S. et al. 2000. Last glacial sea-level changes and paleogeography of the Korea (Tsushima) Strait. Geo-Marine Letters 20: 64-71.