「下りる」と「落ちる」

下(した)、下(しも)、下(もと)の比較の記事では、「水」を意味していた語が「下」を意味するようになるパターンを示しました。これもかなりの頻出パターンであり、さらなる考察を要します。

ここでは、奈良時代の日本語のoru(下る、降る)とotu(落つ)について考えましょう。oru(下る、降る)は意志によって制御された下への移動を表すことが多く、otu(落つ)は重力にまかされた下への移動を表すことが多いですが、ここではどちらも下への移動を表す語であるという単純な認識で十分です。

oru(下る、降る)の語源

奈良時代のoru(下る、降る)の用法は、現代のoriru(下りる、降りる)の用法と大体同じです。しかし、このような語ばかりではなく、意味が大きく変わった語もあります。奈良時代のoku(置く)の用法は、現代のoku(置く)の用法と明らかに違います。

現代では「霜が降りる」と言いますが、昔は「霜降る」と言ったり、「霜置く」と言ったりしていました。oku(置く)は、oru(下る、降る)やɸuru(降る)と同様の意味を持っていたのです。つまり、自動詞として働いていたということです。

現代のoku(置く)はもっぱら他動詞として働きますが、奈良時代のoku(置く)は自動詞として働くことも、他動詞として働くこともありました。「なにかが下に移動すること」も意味したし、「なにかを下に移動させること」も意味していたのです。

奈良時代から現代までの歴史を見ると、oku(置く)はもともと自動詞で、他の語に圧迫されながら、自動詞としての用法を弱め、他動詞としての用法を強めていったように見えますが、いずれにせよ、oku(置く)が「下への移動」を意味する語であったのは確かです。

冒頭に述べたように、「水」を意味していた語が「下」を意味するようになるパターンがあり、その中に、「水」→「雨または雪」→「落下、下方向、下」というパターンがあります。

上に挙げたɸuru(降る)はこれに該当し、古代北ユーラシアで水を意味したpark-、pirk-、purk-、perk-、pork-(par-、pir-、pur-、per-、por-、pak-、pik-、puk-、pek-、pok-)のような語から来ていると考えられます。ɸuka(深)やpukapuka(ぷかぷか)と同源です。波に揺られての記事のɸuku(振く)、ɸuru(振る)、ɸuraɸura(ふらふら)、burabura(ぶらぶら)、purapura(ぷらぷら)なども思い出してください。

ɸuru(降る)が「水」から来ているのなら、oru(下る、降る)とoku(置く)も「水」から来ているかもしれません。古代北ユーラシアで水を意味したpark-、pirk-、purk-、perk-、pork-(par-、pir-、pur-、per-、por-、pak-、pik-、puk-、pek-、pok-)のような語は、mark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のような形や、wark-、wirk-、wurk-、werk-、work-(war-、wir-、wur-、wer-、wor-、wak-、wik-、wuk-、wek-、wok-)のような形でも存在しました。朝鮮語のmur(水)も、アイヌ語のwakka(水)(推定古形は*warkaあるいは*walka)も、ここから来ています。

wark-、wirk-、wurk-、werk-、work-(war-、wir-、wur-、wer-、wor-、wak-、wik-、wuk-、wek-、wok-)のような形に注目しましょう。この形は要注意です。日本語のワ行を見ればわかるように、wという子音はとても消滅しやすいからです。例えば、フィンランド語olka(肩)、ハンガリー語váll(肩)ヴァーッル、朝鮮語ɔkkɛ(肩)オッケ、日本語waki(脇)を見てください。これらは、「水」を意味していた語が「横」を意味するようになり、「横」を意味していた語が「手、腕、肩」を意味するようになるパターンです。フィンランド語と朝鮮語では先頭のwが消滅し、ハンガリー語では先頭のwがvになっています。朝鮮語のokkɛ(肩)は、水を意味するork-あるいはolk-のような語が東アジア、それも日本語のそばにあったことを示唆しています。

要するに、mork-、bork-、pork-、work-、vork-のような形だけでなく、子音が消えたork-のような形もあったということです。

水を意味するork-あるいはolk-のような語が日本語に入ったら、or-またはok-という形になりそうです。oru(下る、降る)とoku(置く)も、「水」から来たのでしょうか。下への移動を意味する語は、この可能性を検討しなければなりません。すでに述べたɸuru(降る)だけでなく、sagaru(下がる)もsaka(酒)、saka(境)、saka(坂)などと同源で「水」から来たと考えられるし、kudaru(下る)も水を意味するkat-、kit-、kut-、ket-、kot-のような語(刀(かたな)と剣(つるぎ)の記事などを参照)から来たのかもしれません(奈良時代には、盛りを過ぎて衰えていくことを意味するkutatu(降つ)という動詞もありました。kutu(朽つ)、kutakuta(くたくた)、kutabiru(くたびる)、kutabaru(くたばる)などにも通じているかもしれません)。

oru(下る、降る)とoku(置く)も「水」から来た可能性がありますが、水を意味するork-のような語が存在したことを示す語は日本語にさほど多くありません。mork-、bork-、pork-、work-、vork-のように子音が残っている形で存在することが多く、ork-のように子音がなくなった形で存在することは少なかったのかもしれません。境に関係があるworu(折る)/wori(折)や盛り上がった土地を意味するwoka(丘)などの語が見られることから、水のことをwork-のように言う言語が日本語のそばに存在したことは確実です。

水を意味するork-のような語が存在したことを示唆する語としては、まずoki(沖)とoku(奥)が挙げられます。奈良時代には、okiもokuも「奥」と書くのが普通でした。「奥」という漢字にさんずいは含まれていませんが、海に関して使われていることが多いです。oki/okuは、海の彼方を意味する語だったのでしょう。水を意味することができず、海を意味することもできず、海の彼方を意味していたと思われます。そこから、okiは当初の水という意味を残し、okuは当初の水という意味を失ったのでしょう。

水を意味するork-のような語が存在したことを示唆する語としては、oru(織る)も挙げられます。明らかに糸関連の語だからです。織るというのは、以下の図のように縦糸と横糸を交差させる作業です(図はPrmaCeed様のウェブサイトより引用)。

前回の記事で、水を意味するkalm-、kilm-、kulm-、kelm-、kolm-(kal-、kil-、kul-、kel-、kol-、kam-、kim-、kum-、kem-、kom-)のような語から来たkuru(繰る)とkumu(組む)を挙げましたが、水を意味するam-、um-、om-のような語から来たamu(編む)や、水を意味するjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-(jar-、jir-、jur-、jer-、jor-、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-)のような語から来たyoru(縒る)もあります。「水」→「境」→「線・糸」という意味変化は頻出パターンです。

※糸関連の語彙の中でよく使われるnuɸu(縫ふ)は、naɸu(綯ふ)やnaɸa(縄)と同源で、水を意味するnam-、nab-、nap-、num-、nub-、nup-、nom-、nob-、nop-のような語から来たと見られます。出所はタイ系言語でしょう。

前回の記事で挙げたkoromo(衣)とkurumu(包む)もそうでしたが、一般にuとoの間は発音が変化しやすいです。ork-のほかにurk-という形も考える必要があるかもしれません。uku(浮く)/ukabu(浮かぶ)やuruɸu(潤ふ)/uruɸoɸu(潤ふ)は関係がありそうです。orooro(おろおろ)とurouro(うろうろ)も、波に揺られるところから来ているかもしれません(このようなパターンについては、波に揺られての記事を参照)。

このように、水を意味するmork-、bork-、pork-、work-、vork-のような語だけでなく、ork-のような語も日本語のそばにあった可能性が高いです。実は、これにそっくりなパターンが別のところにも見られます。水を意味するmot-、bot-、pot-、wot-、vot-のような語だけでなく、ot-のような語も日本語のそばにあったようです。次は、otu(落つ)について考えましょう。