「命(いのち)」と「美しい(うつくしい)」の語源

まずは、以下の二つの図を見てください。

人間の言語には、図の赤い部分を指す語があります。日本語でいえば、「中、真ん中、間(あるいは中心、中央、中間)」といったところです。

ラテン語にinter/intraという前置詞があり、「inter/intra ~」と言って、~の中、真ん中、間を指していました(正確に言うと、interとintraには意味の分化が生じており、interはamongやbetweenのように、intraはinsideやwithinのようになっていました)。

ラテン語のinter/intraは英語のunderと同源です。ラテン語のinter/intraが中、真ん中、間を指して、英語のunderが下を指すのはなぜだろうと思われるかもしれません。確かに「中」と「下」は違いますが、両者の間に全くつながりがないわけではないのです。例えば、「ベールの中」と「ベールの下」と言ったらどうでしょうか。あるいは、「地中」と「地下」と言ったらどうでしょうか。「中」と「下」の間もつながっているのです。インド・ヨーロッパ語族全体を見ると、ラテン語inter/intra、英語underの類は、中、真ん中、間を意味することも、下を意味することもあったようです。

「魂(たましい)」の語源、古代人の精霊信仰・アニミズムの記事でお話ししたように、古代人は、人の体があって、そこになにかが宿っているという見方をしていました。なにかというのは、心、精神、魂、霊魂、霊のようなものです。上の記事では取り上げませんでしたが、inoti(命)もこの意味領域の語でしょう。

人類の言語を見ると、「真ん中、中心」のような意味領域と「心、精神、魂」のような意味領域は強くつながっています。

人類は「重要なものは中心にあるのだ」という考えを強く抱いてきたように見えます。日本語でかつて心を意味していたと考えられるomoは、omoɸu(思ふ)という語を生み出しつつ、自分は中心部分、主要部分、重要部分を表すomo(主)になりました。右の領域から左の領域に向かって移動した感じです。中国語のxinシンやベトナム語のtâmタムは、右の領域から左の領域に至るまでの意味領域を担っています。ベトナム語のtâmのような語は日本語のtama(魂)とtamasiɸi(魂)のもとにもなりました(上記のリンク記事を参照)。

上の二つの意味領域の密接なつながりを考えると、「中、真ん中、間」を意味したインド・ヨーロッパ語族のラテン語のinter/intraなどは日本語のinoti(命)と無関係でないかもしれません。特に、昔の日本語ではint-という形は不可能で、仮にそのような語に出会ったとすれば、子音を落としてin-またはit-という形にするか、母音を補ってinVt-という形にすることが予想されます。筆者は、「中、真ん中、間」を意味したインド・ヨーロッパ語族のラテン語のinter/intraなどは日本語のinoti(命)に関係があると考えていますが、その根拠を挙げてみましょう。

itoɸu(厭ふ)とutobu(疎ぶ)

現代ではやや廃れた感がありますが、いやがること、嫌うことを意味するitoɸu(厭ふ)という語がありました。前に、kiraɸu(嫌ふ)、nikumu(憎む)、uramu(恨む)の語源が「心(または心臓)」であることを示しました(「心(こころ)」の語源「楽しい」の語源はなんと・・・を参照)。日本語はこのような傾向が強く、itoɸu(厭ふ)の語源も「心(または心臓)」ではないかと考えたくなります。itoɸu(厭ふ)のitoの部分は心(または心臓)に関係があるのではないかということです。

ラテン語のinter/intraと英語のunderが同源であることは述べました。ラテン語で先頭の母音がi、英語で先頭の母音がuになっていますが、このようなことは他の語でも起きています。例えば、ラテン語のfelix(幸せな)フェーリークスはin-で否定されてinfelix(不幸な)インフェーリークスになり、英語のhappy(幸せな)はun-で否定されてunhappy(不幸な)になります。このラテン語のin-と英語のun-も同源です。インド・ヨーロッパ語族の言語によって、先頭の母音がiになったり、uになったり、それ以外の母音になったりしています。このようなことを考慮に入れると、itoɸu(厭ふ)に意味が似ているutobu(疎ぶ)(現代ではutomu(疎む))の語源も「心(または心臓)」ではないかと考えたくなります。utobu(疎ぶ)のutoの部分も心(または心臓)に関係があるのではないかということです。utobu(疎ぶ)とutosi(疎し)は「遠ざかる、遠ざかっている」という意味が強く出た語でしょう。

uti(内)

uti(内)は、意味的にも、発音的にも、「中、真ん中、間」を意味したインド・ヨーロッパ語族のラテン語inter/intra、英語underの類に直結します。int-、unt-のような形の語が日本語のすぐそばにあり、それが日本語のinoti(命)とuti(内)になった可能性が高いです(inti(命)、unti(内)とできれば手っ取り早いですが、昔の日本語はそれができないのです)。このinoti(命)とuti(内)も、先ほどのitoɸu(厭ふ)とutobu(疎ぶ)も、インド・ヨーロッパ語族の内部にラテン語と英語のような発音のバリエーションがあったことを思わせます。

itosii(愛しい)とitoosii(愛おしい)

itosii(愛しい)とitoosii(愛おしい)という語も注意を引きます。これらは奈良時代のitoɸosi(いとほし)という語から来ています。三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)では、itoɸosi(いとほし)を以下のように説明し、itoɸu(厭ふ)に関連づけます。

「苦痛・煩悶などにたえられない、つらくてたまらない気持をあらわす。前項イトフから派生した形容詞。自己に関しては、苦痛だという意になり、他に比重があるときは、かわいそうだ・気の毒だという意になる。」

これは微妙です。単純に嫌うことを意味したitoɸu(厭ふ)が単純に「かわいそうだ、気の毒だ」という意味に至るとはちょっと考えにくい気がします。英語のhateやdislikeがどうにかして「かわいそうだ、気の毒だ」という意味になるでしょうか。不可能でないにしても、やはりちょっと考えにくいです。

奈良時代のitoɸuは、もともと「心(または心臓)」に関係のある語で、長い歴史の中で肯定的な感情を意味したり(「胸(むね)」の語源のmuna(胸)とmana(愛)の話も思い出してください)、否定的な感情を意味したりという揺らぎあるいはばらつきを経験し、最終的に否定的な感情に落ち着いたのではないかと思われます。そう考えると、奈良時代のitoɸosiという語に、ひとまとめにしがたい意味が見られることが納得できます。たださすがにそれでは都合が悪いので、だれかを思う気持ちはitoɸosiと言い、なにかを嫌う気持ちはitoɸasiと言うようになっていったのでしょう。その結果が現代の「愛しい/愛おしい」と「厭わしい」です。

奈良時代には、だれかを愛する気持ち、愛しいと思う気持ち、かわいいと思う気持ちを表す語として、utukusiという語もありました。この語の意味が変わってできたのが現代のutukusii(美しい)で、発音が変わってできたのが現代のitukusimu(慈しむ)です。奈良時代のutukusiという形容詞が存在する前に、*utukuという動詞があったと思われます。

肯定的な感情を表す語もあれば、否定的な感情を表す語もありますが、総じてit-、ut-という語根が広く認められます。インド・ヨーロッパ語族のラテン語inter/intra、英語underの類が日本語に入り、inoti(命)、uti(内)および心に関係する様々な語になったと考えられます。インド・ヨーロッパ語族と広い付き合いがあったことは間違いありません。

 

参考文献

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。

「中(なか)」と「内(うち)」にはそれぞれの歴史がある

日本語のsoto(外)の反対語として、naka(中)とuti(内)があります。似たもの同士のnaka(中)とuti(内)は、別々のところから来たようです。まずは、naka(中)の歴史をお話ししましょう。

naka(中)の語源

三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)では、日本書紀で「中」の読みがnaになっている例を挙げ、nakaという語はnaとkaからできた複合語ではないかと推測しています。この推測が正しいとすれば、nakaという語は、内と外の内を意味するnaと、場所を意味するka(arika(ありか)やsumika(すみか)のka)からできたのでしょう。

現代のフィンランド語では、-ssa/-ssäという接尾辞を用いて以下のように言います(フィンランド語のäはアとエの中間のような音で、öは口をオの形にしてエと発音する音です)。

彼は東京にいる。 Hän on Tokiossa.
彼はヘルシンキにいる。 Hän on Helsingissä.
Hän=彼は、on=いる、Tokiossa=東京に、Helsingissä=ヘルシンキに

Tokioに接尾辞の-ssaを接続してTokiossa(東京に)、Helsinkiに接尾辞の-ssäを接続してHelsingissä(ヘルシンキに)という形にします。要するに、接尾辞の-ssa/-ssäは日本語の助詞のni(に)のようなものです。

このように、現代のフィンランド語では基本的に-ssa/-ssäという接尾辞を用いますが、ごく少数の表現に昔の-na/-näという接尾辞が残っています。

彼は家にいる。 Hän on kotona.
彼は外にいる。 Hän on ulkona.
Hän=彼は、on=いる、kotona=家に、ulkona=外に

-ssa/-ssäではなく、-na/-näという接尾辞が使われています。この-na/-näという接尾辞は、フィン・ウゴル系にも、サモエード系にも認められ、ウラル祖語の時代から存在することが確実です。

日本語のkara(から)とmade(まで)の語源を明らかにしたばかりですが、助詞にも語源があります。日本語の助詞のni(に)にも語源があるし、同じように、フィンランド語の接尾辞の-na/-näにも語源があるのです。フィンランド語のkotona(家に)やulkona(外に)のnaはもともとなにを意味していたのでしょうか。

ここで筆者の注意を引いたのが、先ほど述べた内と外の内を意味した古代日本語のnaです。

※ひょっとしたら、この内を意味したnaはベトナム系言語(オーストロアジア語族)のベトナム語nhà(家)ニャーなどともなんらかの関係があるかもしれません(日本語のuti(内)とuti(家)を思い出してください)。

まず内を意味する*naという語があり、それが抽象化して、場所を表すフィンランド語の接尾辞の-na/-näなどになったのかなと考えました。この発想は、突拍子もない発想ではありません。例えば、英語のinを考えてください。英語のinは、insideとoutsideのように内と外の内を意味しながら、場所を表す前置詞としても機能しています。

*naが持っていた内という意味が薄れ、*naが単に場所を表す接尾辞になれば、kotona(家に)のような言い方だけでなく、ulkona(外に)のような言い方も可能になります。

場所を表すフィンランド語の接尾辞の-na/-näと同源の接尾辞は、いくらか化石化していますが、フィン・ウゴル系では、ウドムルト語-n、コミ語-ni/-n、マンシ語-n、ハンティ語-n、ハンガリー語-n、サモエード系では、ネネツ語-na、エネツ語-n、ガナサン語-nɨのような形で認められます(場所を表している場合と方向を表している場合があります)。

naka(中)のnaはウラル語族との共通語彙、kaもウラル語族との共通語彙(「あらかじめ(予め)」とは?を参照)ということで、話の筋がすっきり通りそうです。興味深いことに、高句麗語にも内を意味する*naという語があったようなので、別のところで詳しく取り上げます。上のウラル語族の一連の接尾辞を見ると、古代日本語の内を意味したnaだけでなく、助詞のni(に)も同じところに起源があるかもしれません。

次は、naka(中)よりももっとびっくりなuti(内)の歴史をお話ししましょう。

 

補説

助詞のni(に)だけでなく、助詞のno(の)も・・・

昔の日本語では、名詞Aと名詞Bを「AなB」という形でつないだり、「AのB」という形でつないだりしていました。ウラル語族、テュルク諸語、モンゴル諸語などに見られるように、名詞Aに含まれる母音に応じて助詞のna(な)を用いたり、助詞のno(の)を用いたりしていたと思われます。助詞のna(な)は使われなくなってしまいましたが、若干の語に組み込まれて残っています。例えば、manako(まなこ)は、*ma(目)とko(子)を助詞のna(な)がつないだものです。manako(まなこ)はもともと瞳(黒い瞳孔の部分あるいは黒い瞳孔と茶色い虹彩の部分)を意味していたと考えられます。

フィンランド語では、minä(私)→minun(私の)、koulu(学校)→koulun(学校の)、yhtiö(会社)→yhtiön(会社の)という具合に、所有を表す形には-nという接尾辞が付きます。この-nという接尾辞は、フィン・ウゴル系にも、サモエード系にも認められ、ウラル祖語の時代から存在することが確実です。所有を表すウラル語族の接尾辞-nと昔の日本語の助詞na(な)/no(の)も同源でしょう。ただ、遠い昔から抽象的な要素になっているので、もともとなにを意味していたのか推定するのは容易ではありません。

 

参考文献

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。

人間の幸せと繁栄—「栄ゆ(さかゆ)」と「栄ゆ(はゆ)」から考える

奈良時代の日本語には、sakayu(栄ゆ)とɸayu(栄ゆ)という似た語がありました。現代では、sakaeru(栄える)とhaeru(栄える)になっています。

sakayu(栄ゆ)の考察

現代の日本語に「盛り上がる」という語があり、(A)のように使われたり、(B)のように使われたりします。

(A)土地が盛り上がっている。
(B)宴会が盛り上がっている。試合が盛り上がっている。

(A)のような使い方から、抽象化が進み、(B)のような使い方が生じます。

土地の盛り上がりを意味していた語が繁栄などを意味するようになることはよくあります。奈良時代の日本語のsakayu(栄ゆ)も、そのような例でしょう。土地の盛り上がりを意味していたsakaから、sakayu(栄ゆ)という動詞が生まれたと考えられます。土地の盛り上がりを意味していたsakaは、意味がyama(山)やwoka(丘)と重なるので、斜面の部分を意味するようになったと見られます。

土地の盛り上がりから繁栄などに至る意味領域を考えると、saki(先)、sakari(盛り)、saku(咲く)、saki(幸)などは、土地の盛り上がりを意味していたsakaと同類でしょう。

前回の記事で、日本語のmade(まで)とフィンランド語のasti(まで)はかつて木の先端部分・末端部分を意味していたようだとお話ししましたが、フィンランド語のasti(まで)の同義語であるsaakka(まで)も物の先端を意味していたようです。古いフィンランド語には、saakka(まで)という形のほかにsaahka(まで)という形もありました。現代のウラル語族では、フィンランド語saakka(まで)、カレリア語sah(まで)、サーミ語soahki(シラカバ)、ネネツ語soxo(丘)ソホ、エネツ語soɕi(丘)ソシなどのように意味がばらついていますが、もとの語は山のようなものを意味していたと考えられます(カレリア語はフィンランドとロシアの国境付近で話されている言語ですが、フィンランド語の方言と言ってよいくらいフィンランド語に似ているので、本ブログではほとんど取り上げていません)。意味が「山」から「先」へ向かえば、フィンランド語のsaakka(まで)に行き着くし、意味が「山」から「森」へ向かえば、サーミ語のsoahki(シラカバ)に行き着きます。ウラル語族でもウラル語族以外でもよくある意味変化です。もともと土地の盛り上がりを意味していたであろうsaka(坂)とsaki(先)やmoru(盛る)とmori(森)を見てもわかります。上記のウラル語族の一連の語は、土地の盛り上がりを意味していた日本語のsakaと同源と考えられます。

ɸayu(栄ゆ)の考察

上に示したのは、山のような土地の盛り上がりを意味していた語が繁栄を意味するようになるパターンですが、もう一つ重要なパターンがあります。それは、花を意味していた語が繁栄を意味するようになるパターンです。英語のflower(花)とflourish(繁栄する)はフランス語から入ってきた語で、これらのおおもとにはラテン語のflos(花)(組み込まれてflor-)があります。

sakayu(栄ゆ)が土地の盛り上がりを意味していたsakaから来たのなら、ɸayu(栄ゆ)はなにから来たのでしょうか。ここでやはり、「花」の存在が浮かび上がってきます。古代中国語のhwæ(華)フア/xwæ(花)フアです(子音hとxの違いについては、「深い」と「浅い」の語源の補説を参照してください)。

もともと中国語には「華」という漢字しかありませんでしたが、花そのものをいう時は「花」と書き、華やかさをいう時は「華」と書くようになっていきました。中心を意味する「中」と華やかさを意味する「華」をくっつけたのが「中華」です。

昔の日本語にはhという子音がなかったので、古代中国語のhwæ(華)フア/xwæ(花)フアをpaあるいはɸaという形にし、これにsakayu(栄ゆ)と同じyuを接続したと見られます。こうしてできたのがɸayu(栄ゆ)です。

※ちなみに、英語のspeedはもともと成功や繁栄を意味する語でしたが、そこから速さを意味するようになりました。「勢い」のようなものを感じていると考えられます。ひょっとしたら、日本語でもɸayu(栄ゆ)からɸayasi(早し、速し)が生まれたのかもしれません。現代のhayaru(流行る)にも関係があると思われます。

ɸayuは、sakayuといくらか異なる意味を持つようになり、「生ゆ」と書かれることが多くなったのでしょう。ɸayu(生ゆ)は自動詞で、他動詞はɸayasu(生やす)です。このɸayasu(生やす)から、ɸayasi(林)が作られました。ɸayasi(林)は、mori(森)と似ていますが、ɸayasu(生やす)という他動詞から作られているので、少なくとも当初は人間が植えたものであることを含意していたと思われます。

sakayu(栄ゆ)とɸayu(栄ゆ)の考察を行いました。原始的な語から抽象的な語が生まれていくのは十分納得できるでしょう

 

補説

幸(さき)と幸(さち)の謎を解く

前に、幸(さき)と幸(さち)—不完全に終わった音韻変化の記事で、saki(幸)とsati(幸)という語を取り上げました。saki(幸)とsati(幸)は「幸せ、幸福」を意味し、さらにsati(幸)は「海や山でとれる獲物」や「海や山で獲物をとるための道具(特に釣り竿と釣り針、弓と矢)」も意味したと述べました。

sati(幸)がなぜこれらの意味を併せ持っていたのかというのは難しい問題ですが、筆者は、奈良時代の日本語のsatiは「幸」という字で書かれていたが、実は異なる語が合わさった複合体だったのではないかと考えています。

まず、saki(幸)からキチ変化を通じてsatiという語が生まれます(上記の記事を参照)。これでsatiは「幸せ、幸福」という意味を持ちますが、これだけだとsatiは「幸せ、幸福」という意味しか持ちません。なにかが加わった可能性が高いです。

奈良時代の日本語には、satuɸito、satuya、satuyumiのような語がありました。狩猟を意味するsatuに、ɸito(人)、ya(矢)、yumi(弓)が接続した語です。この組み込まれたsatuはなんでしょうか。狩猟というのは動物を殺す行為であり、古代中国語のsrɛt(殺)シェトゥ(日本語での音読みはseti、satu、sai)が注目されます。古代中国語でも、srɛt(殺)が狩猟を意味することがありました。

古代中国語のsrɛt(殺)がsatuという形で日本語に入り、狩猟を意味していたが、のちにsatiという形になり、狩猟の獲物や道具を意味していたようです。奈良時代の日本語のsatiは、古代日本語のsaki(幸)から来たsatiと古代中国語のsrɛt(殺)から来たsatiが合わさった独特な語だったのです。