他の言語で心を意味していた語あるいは昔の日本語で心を意味していた語から、yorokobu(喜ぶ)、uresi(うれし)、omosirosi(おもしろし)が作られたようだとお話ししました(詳しくは「心(こころ)」の語源と「面白い(おもしろい)」の怪しい語源説明を参照)。yorokobu(喜ぶ)、uresi(うれし)、omosirosi(おもしろし)がそうなら、tanosi(楽し)も心を意味する語から作られたのではないかと考えたくなります。tanosi(楽し)の語源は難解です。
この考察に入る前に、uramu(恨む)、nikumu(憎む)、kiraɸu(嫌ふ)の話をはさみます。uramu(恨む)が昔の日本語で心を意味していたuraから作られたことは述べましたが、nikumu(憎む)とkiraɸu(嫌ふ)も同じように作られたようです。
●nikumu(憎む)の語源
シナ・チベット語族の古チベット語には、snying(心臓、心)スニンという語がありました。古代中国語の sim dzang (心臟)スィムヅァン、sim(心)スィムとは別の語です。古チベット語のsnying(心臓、心)のような語は、他のシナ・チベット系言語にも認められます。
どうやら、シナ・チベット語族の古チベット語のsnying(心臓、心)のような語が日本語に入ったようです。古チベット語のsnying(心臓、心)のような語が日本語に入ろうとすると、どのようになるか考えてみてください。snyingは不可なので、nyingならどうでしょうか(現代のチベット語でもsnyingの語頭のsが発音されなくなりました)。まだ駄目ですが、もう一歩です。どうやら、古チベット語のsnying(心臓、心)のような語は、日本語にnikuという形で入り、nikumu(憎む)やnikusi(憎し)になったようです。昔の日本語で心を意味していたuraからuramu(恨む)が作られたのと同様に、シナ・チベット語族の古チベット語のsnying(心臓、心)のような語からnikumu(憎む)が作られたということです。ngの部分がgではなくkになりましたが、テュルク系言語のウイグル語のköngül(心)コングルのような語が日本語でkokoro(心)になったりしているので、これは無理がありません。シナ・チベット語族の古チベット語のsnying(心臓、心)のような語がnikumu(憎む)になったと考えるのは、意味面でも発音面でも穏当です。ちなみに、「恨」と「憎」に含まれているりっしんべん忄は、「心」が偏になったものです。
本当にシナ・チベット語族の古チベット語のsnying(心臓、心)のような語がnikumu(憎む)になったのか、もう少し根拠を補強しましょう。
●kiraɸu(嫌ふ)の語源
心臓や心を意味する英語のheartはおなじみでしょう。英語のheartと同源の語は、インド・ヨーロッパ語族全体に広がっています。ラテン語にはcorコル、古代ギリシャ語にはkardia、サンスクリット語にはhṛtフルトゥ、ヒッタイト語にはkerという語がありました。印欧祖語の段階では、*kerのような語があって、語形変化の際にうしろにdのような音が現れていたようです。ロシア語のserdtseスィエールツェやリトアニア語のširdisシルディスは一見別物に見えますが、これはキチ変化(「キ」が「チ」や「シ」になったり、「ケ」が「チェ」や「シェ」になったりする変化)を起こしたからです。
日本語の話者は、インド・ヨーロッパ語族の言語と広く接し、そこで心臓・心がkerやkirのように呼ばれるのを聞いていたでしょう。当時の日本語にはエ列の音がなかった可能性が高いです。日本語のkiraɸu(嫌ふ)は、インド・ヨーロッパ語族で心臓・心を意味していた語から来ていると見られます。uramu(恨む)のもとになったのは昔の日本語で心を意味していた語、nikumu(憎む)のもとになったのはシナ・チベット語族で心臓・心を意味していた語、kiraɸu(嫌ふ)のもとになったのはインド・ヨーロッパ語族で心臓・心を意味していた語ということです。ɸuがくっついて動詞になっているという点では、kiraɸu(嫌ふ)はすでに見たomoɸu(思ふ)やsinoɸu(思ふ)と同じです。
心を意味する語からomoɸu(思ふ)のような中立的な語が作られるとは限らず、よい感情あるいは悪い感情を表す語が作られることもあります。昔の日本語はこの傾向が非常に強いです。tanosi(楽し)の語源もそのような文脈において考える必要があります。
●tanosi(楽し)の語源
古代中国語にzyin(神)ジンという語がありました。この語は現代の日本語のkami(神)よりもずっと広い意味を持っていました。精霊信仰・アニミズムのところでお話ししたように、古代人は人の体およびその他のすべてのものになにかが宿っているという見方をしていました。古代中国語のzyin(神)もそのように宿っているなにかを意味する語で、現代の日本語のkami(神)だけでなく、現代の日本語のkokoro(心)、seisin(精神)、ki(気)、kimoti(気持ち)、tamasii(魂)、rei(霊)などにも通じる語だったのです。例えば、精神、神経、失神のように「神」が出てくるのはそのためです。
zyin(神)ジンというのは隋・唐の時代のある方言の形で、それよりも前の時代からかなり異なる形があったと見られます。「神」は現代の中国の標準語ではshenシェン、広東語ではsanサン、ベトナム語ではthầnタンと読まれています。現代の中国の標準語のshenも、広東語のsanも、ベトナム語のthầnも、心・精神・気のような意味を残しています。古代中国語かベトナム系言語に現代のベトナム語のthầnのような形が存在し、それが日本語のtanosi(楽し)のもとになったのではないかと思われます(奈良時代にはtanusi(楽し)という形もありました)。古代中国語の「神」が日本語のkami(神)のような意味から日本語のkokoro(心)、seisin(精神)、ki(気)のような意味まで持っていたというのが重要なポイントです。
tanosi(楽し)の語源は難解であり、筆者は最終的な見解を固めていませんが、tanosi(楽し)は気持ち・気分に関する語彙であり、すでに説明した日本語のyorokobu(喜ぶ)、uresi(うれし)、omosirosi(おもしろし)などの作られ方から見て、やはり心・精神・気を意味する語がもとになっている可能性が高いと考えています。
※発音面で上の話に関係しますが、「水」は現代の中国の標準語ではshuiシュイ、広東語ではseoiソイ、ベトナム語ではthuỷ/thủyトゥイと読まれています。古代中国語かベトナム系言語に現代のベトナム語のthuỷ/thủyのような形が存在し、それが日本語のtuyu(露)のもとになったのではないかと思われます。古代中国語から直接入ってきた語なのか、古代中国語からベトナム系言語を介して入ってきた語なのかというのは、よく考えなければならない問題です。